李白《巻04-05 白馬篇》-#1(長安郊外五陵の遊侠の少年が、従軍し、帰ってきて得意満面であることを詠う。)八尺の高さもある名馬にして、毛なみは鼻白で雪の如く、それに金鞍を置いて、ゆたかに乗り廻はるのは、五陵の遊侠少年である。

 

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    白馬篇

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關             

臨洮軍 (隴右道東部 鄯州 臨洮軍) 別名:臨洮            

 

白馬篇

(長安郊外五陵の遊侠の少年が、従軍し、帰ってきて得意満面であることを詠う。)

龍馬花雪毛,金鞍五陵豪。

八尺の高さもある名馬にして、毛なみは鼻白で雪の如く、それに金鞍を置いて、ゆたかに乗り廻はるのは、五陵の遊侠少年である。

秋霜切玉劍,落日明珠袍。

腰には、色は秋霜の如く、切晩は玉をも泥の如く切るといふ名刀を佩び、明珠をちりばめた袍を着おろし、それが夕日に映すれば一層、きらきらしく見える。

鬥雞事萬乘,軒蓋一何高。

彼は、幼い時、闘鶏の技を以て万乗の天子に奉公し、見事な馬車に乗って、都大路を乗りまわしたともある。

弓摧南山虎,手接太行猱。

それから年を取るにしたがって後は、箭を放って南山の虎を射殺し、又太行山脈に棲む大猿をも手で生け捕りにした位、力もあるし、弓馬にも精通している。酒後競風采,三杯弄寶刀。

そこで、酒後には酔ったいきおいにまぎれて、たがいに風采を競い、争論の揚げ句には、宝刀を撚ねくり廻して、果し合も成し兼ねまじき権幕である。
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殺人如剪草,劇孟同遊遨。

發憤去函谷,從軍向臨洮。

叱吒經百戰,匈奴盡奔逃。

歸來使酒氣,未肯拜蕭曹。

羞入原憲室,荒徑隱蓬蒿。

 

(白馬篇)

龍馬 花雪の毛,金鞍 五陵の豪。

秋霜 切玉の劍,落日 明珠の袍。

鬥雞 萬乘に事【つか】え,軒蓋 一に何ぞ高からん。

弓は南山の虎を摧き,手は太行の猱【どう】に接す。

酒後 風采を競い,三杯 寶刀を弄す。

 

人を殺すこと草を剪るが如く,劇孟 同じく遊遨【ゆうごうたり】。

憤を發して函谷を去り,軍に從って臨洮【りんとう】に向う。

叱吒 百戰を經て,匈奴 盡く奔逃す。

歸り來って酒氣を使い,未だ肯えて蕭曹を拜せず。

羞ず 原憲の室に入って,荒徑 蓬蒿に隱るるを。

 

 

(含異文)

龍馬花雪毛,金鞍五陵豪。秋霜切玉劍,落日明珠袍。

鬥雞事萬乘,軒蓋一何高。弓摧南山虎,手接太行猱。

酒後競風采,三杯弄寶刀。殺人如剪草,劇孟同遊遨。

發憤去函谷,從軍向臨洮。叱吒經百戰【叱吒萬戰場】,匈奴盡奔逃【匈奴盡波濤】。

歸來使酒氣,未肯拜蕭曹【未肯下蕭曹】。羞入原憲室,荒徑隱蓬蒿【荒淫隱蓬蒿】。

 

 

『白馬篇』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白馬篇

龍馬花雪毛,金鞍五陵豪。

秋霜切玉劍,落日明珠袍。

鬥雞事萬乘,軒蓋一何高。

弓摧南山虎,手接太行猱。

酒後競風采,三杯弄寶刀。


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(下し文)
(白馬篇)

龍馬 花雪の毛,金鞍 五陵の豪。

秋霜 切玉の劍,落日 明珠の袍。

鬥雞 萬乘に事【つか】え,軒蓋 一に何ぞ高からん。

弓は南山の虎を摧き,手は太行の猱【どう】に接す。

酒後 風采を競い,三杯 寶刀を弄す。

(現代語訳)
(長安郊外五陵の遊侠の少年が、従軍し、帰ってきて得意満面であることを詠う。)

八尺の高さもある名馬にして、毛なみは鼻白で雪の如く、それに金鞍を置いて、ゆたかに乗り廻はるのは、五陵の遊侠少年である。

腰には、色は秋霜の如く、切晩は玉をも泥の如く切るといふ名刀を佩び、明珠をちりばめた袍を着おろし、それが夕日に映すれば一層、きらきらしく見える。

彼は、幼い時、闘鶏の技を以て万乗の天子に奉公し、見事な馬車に乗って、都大路を乗りまわしたともある。

それから年を取るにしたがって後は、箭を放って南山の虎を射殺し、又太行山脈に棲む大猿をも手で生け捕りにした位、力もあるし、弓馬にも精通している。

そこで、酒後には酔ったいきおいにまぎれて、たがいに風采を競い、争論の揚げ句には、宝刀を撚ねくり廻して、果し合も成し兼ねまじき権幕である。

(訳注)

白馬篇

(長安郊外五陵の遊侠の少年が、従軍し、帰ってきて得意満面であることを詠う。)

 

龍馬花雪毛,金鞍五陵豪。

八尺の高さもある名馬にして、毛なみは鼻白で雪の如く、それに金鞍を置いて、ゆたかに乗り廻はるのは、五陵の遊侠少年である。

龍馬 馬の神聖なものは龍となるから、名馬を龍馬という。また、馬の八尺以上のものをいう。

花雪毛 雪のように白毛のうま。

五陵豪 五陵は、漢の高祖の長陵、恵帝の安陵、景帝の陽陵、武帝の茂陵、昭帝の平陵を合称す。五陵の間は、義侠少年の入るところ。

 

秋霜切玉劍,落日明珠袍。

腰には、色は秋霜の如く、切晩は玉をも泥の如く切るといふ名刀を佩び、明珠をちりばめた袍を着おろし、それが夕日に映すれば一層、きらきらしく見える。

秋霜 淮南子に「宝剣の色、秋霜の如し」とある。

切玉剣 列子「錕鋙の剣.玉を切ること、泥を切るが如し。」とある。

 

鬥雞事萬乘,軒蓋一何高。

彼は、幼い時、闘鶏の技を以て万乗の天子に奉公し、見事な馬車に乗って、都大路を乗りまわしたともある。

鬥雞 闘鶏賭博のこと。雄鶏をたたかわせる競技。起源は古く,古代中国,インド,ペルシア,ギリシア,ローマなどですでに流行しており,それらが世界各地に伝わって賭博の対象として広く行われるようになった。雞:農耕の開始とともに家禽(かきん)として飼養されるようになり,用途に応じた改良がなされ,多くの品種が生じた。

軒蓋 車と車蓋。

 

弓摧南山虎,手接太行猱。

それから年を取るにしたがって後は、箭を放って南山の虎を射殺し、又太行山脈に棲む大猿をも手で生け捕りにした位、力もあるし、弓馬にも精通している。

南山虎 晉書に「南山白額の猛獣、患を為す。周處、山に入って猛獣を射殺す」とある。

太行猱 太行は大江山脈の山名、猱は猿の一種。

 

酒後競風采,三杯弄寶刀。

そこで、酒後には酔ったいきおいにまぎれて、たがいに風采を競い、争論の揚げ句には、宝刀を撚ねくり廻して、果し合も成し兼ねまじき権幕である。






曹植《白馬篇》

白馬には黄金のおもがいを飾り、馬を連ねての早く軽やかにかけ、西北の戦地をめざして疾駆する。
あの勇士の若者はどこの家のものかと問うてみた、勇士の名門の幽州、幷州出身の遊侠のものだという。
小さいころに郷里を離れたものであり、年若くして辺境の砂漠においてその名をあげているという。
彼はその昔、良弓を手に、箙にさした矢が取りやすくして背にさしたという。

 

弦をひけば、まず、左のぶら下がっているまとを破り、右に矢を放てば、月支の板のまとをくだいた。
また手を高くあげて合図して、飛び上がっている猿を迎え射ち、身を低くして、馬蹄のまとをコナゴナにした。
(紙の「左的」,板の「月支」、飛び上がっている「猿」、
ロープの「馬蹄」ここまで次第に難しくなる4つの的をことごとく射抜いた。)
その敏捷さたるや、猴、猿をもはるかにしのぎ、勇敢であり俊敏・軽快なることは、まるで豹かミズチかと見紛うばかりである。
国境の城塞では非常事態がしばしばおこるものであるが、それは、遊牧の異民族どもが不意に移動してくるに対処するためである。
兵を緊急召集する文書が北からくると、さんざん馬にむちうち、敵兵を食い止めるための防塁のところまで駆けつけるのである。

 

長駆して匈奴の軍を踏みくだき、左にかえして鮮卑の兵を踏みしだいてやる。
この身を鋒や兵刃のあいだにすてさるのは覚悟していることである。善悪・道徳・生命など、どうしておしいとおもうものか。
そして、父母さえ顧みないのである。ましてや、なんで子や妻のことを口にしようものか。
名前が勇士の名簿につらねているからには、心中に私事を思うべきではないのである。
また身命をなげうって、国難におもむく上のことである。戦死ということに見合われた時には「帰るべきところに帰ることになるだけだ」(帰る時は死ぬ時だけだ)と考えている。

 

曹植《白馬篇》
白馬飾金羈,連翩西北馳。
借問誰家子?幽幷遊俠兒。
少小去
邑,揚名沙漠垂。
宿昔秉良弓,楛矢何參差。
#2
控弦破左的,右發摧月支。
仰手接飛猱,俯身散馬蹄。
狡捷過猴猿,勇剽若豹螭。
邊城多驚急,虜騎數遷移。
羽檄從北來,厲馬登高堤。
#3
長驅蹈匈奴,左顧陵鮮卑。
棄身鋒刃端,性命安可懷。
父母且不顧,何言子與妻。
名在壯士籍,不得中顧私。
捐軀赴國難,視死忽如歸。

 

白馬篇

白馬 金羈を飾り、連翩として西北に翩す。

借問す 誰が家の子ぞ、幽幷の遊侠児。

少小にして郷邑を去り、声を沙漠の垂に揚ぐ。

宿昔 良弓を秉り、楛矢 何んぞ参差たる。

#2

弦を控きて左的を破り、右に発して月支を摧く。

手を仰げて飛猱を接ち、身を俯して馬蹄を散ず。

狡捷なる 猴猿に過ぎ、勇別なる 豹螭の若し。

邊城 驚急多く,虜騎 數ば遷移す。

羽檄 北從り來り,馬を厲まして高堤に登る。

#3

長驅して匈奴を蹈み,左顧して鮮卑を陵がん。

身を鋒刃の端に棄つ,性命 安んぞ懷う可けん。

父母すら且つ顧みず,何んぞ子と妻に言わん。

名は壯士の籍に在り,中に私を顧みるを得ず。

軀を捐てて國難に赴むく,死を視ること忽ち歸するが如し。

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