李白(改訂版) 《巻06-08 元丹丘歌》李白は秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

 
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170(改訂版) 《巻06-08 元丹丘歌》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <170> Ⅰ李白詩1382 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5458

 

年:731年開元十九年31

卷別:  卷一六六        文體:  雜言古詩

詩題:  元丹丘歌

作地點:        嵩山(都畿道 / 河南府 / 嵩山)

及地點:        嵩山 (都畿道 河南府嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高   

交遊人物:元丹丘        當地交遊(都畿道 河南府嵩山)

 

李白は少年時代、四川省にいた頃、処士東巌子といい者と岷山(ビンザン)に隠棲していたことがある。東巌子の素姓は不明だが、彼等の生活が十二分に道教的な色彩を帯びたものであったことは否めない。李白は20代後半から30代にかけ、しばしば隋州(湖北省)の胡紫陽の許に赴いた。胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。

 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」

 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

《巻06-08 元丹丘歌

(元丹邱をたたえる歌)

元丹丘,愛神仙。

元丹邱は神仙を愛した。長生不死の道術を修めている。

朝飲潁川之清流,暮還嵩岑之紫煙。

そこで、朝には、少室山に源としながれる清流は許由が耳の汚れとしてこの川で洗い清めた潁川の清流を飲み、夕べには、仙郷の紫煙がふかくたちこめる嵩山に帰って行く。

三十六峰長周旋,長周旋。

嵩山の三十六峰の間をのんびりとめぐりあるき、そしてまた、のんびりとめぐりあるくというものだった。

躡星虹,身騎飛龍耳生風。

これを続けるのは、星宿虹霓を踏みつけて、その身は飛龍に騎乗し、耳の穴から風雲を生じ、飛行自在に立ち回ったのである。

橫河跨海與天通,我知爾遊心無窮。

こうして嵩山の山中はおろか、ひとたび遠くに去れば、黄河を横切り、東海にマラガ里、果ては天空にも行くという。我々は彼の仙遊をする心持というもの無の境地の極みであり、自然に一体化することであるということを知るのである。

(元丹邱の歌)
元丹邱【げんたんきゅう】  神仙を愛す。
朝【あした】には頴川【えいせん】の清流を飲み、暮【くれ】には嵩岑【すうしん】の紫煙に還る。
三十六峰  長く周旋【しゅうせん】す、長く周旋す。

 星虹【せいこう】を躡【ふ】み、身は飛龍に騎って耳は風を生ず。
河を横ぎり海を跨【また】げて天と通じ、我れ知る  爾(なんじ)の遊心窮り無きを。

 

 

(改訂版) 《巻06-08 元丹丘歌》

『元丹丘歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

元丹丘,愛神仙。

朝飲潁川之清流,暮還嵩岑之紫煙。

三十六峰長周旋,長周旋。

躡星虹,身騎飛龍耳生風。

橫河跨海與天通,我知爾遊心無窮。



(下し文)
(元丹邱の歌)

元丹邱【げんたんきゅう】  神仙を愛す。

朝【あした】には頴川【えいせん】の清流を飲み、暮【くれ】には嵩岑【すうしん】の紫煙に還る。

三十六峰  長く周旋【しゅうせん】す、長く周旋す。

 星虹【せいこう】を躡【ふ】み、身は飛龍に騎って耳は風を生ず。

河を横ぎり海を跨【また】げて天と通じ、我れ知る  爾(なんじ)の遊心窮り無きを。
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(現代語訳)
(元丹邱をたたえる歌)

元丹邱は神仙を愛した。長生不死の道術を修めている。

そこで、朝には、少室山に源としながれる清流は許由が耳の汚れとしてこの川で洗い清めた潁川の清流を飲み、夕べには、仙郷の紫煙がふかくたちこめる嵩山に帰って行く。

嵩山の三十六峰の間をのんびりとめぐりあるき、そしてまた、のんびりとめぐりあるくというものだった。

これを続けるのは、星宿虹霓を踏みつけて、その身は飛龍に騎乗し、耳の穴から風雲を生じ、飛行自在に立ち回ったのである。

こうして嵩山の山中はおろか、ひとたび遠くに去れば、黄河を横切り、東海にマラガ里、果ては天空にも行くという。我々は彼の仙遊をする心持というもの無の境地の極みであり、自然に一体化することであるということを知るのである。


(訳注)

《巻06-08 元丹丘歌》

李太白集 巻六 第八首目

元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。
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元丹丘,愛神仙。

元丹邱は神仙を愛した。長生不死の道術を修めている。

 

朝飲潁川之清流,暮還嵩岑之紫煙。

そこで、朝には、少室山に源としながれる清流は許由が耳の汚れとしてこの川で洗い清めた潁川の清流を飲み、夕べには、仙郷の紫煙がふかくたちこめる嵩山に帰って行く。

潁川 河南省臨潁(りんえい)県を流れる川。鄭州小室山付近に源を発し、淮河(わいが)に注ぐ。長さ約550キロ。隠士の許由が帝尭(ぎょう)に召されたが栄達を望まず、その話を耳の汚れとしてこの川で洗い清めたという。潁川(えいせん)

嵩岑 嵩山は、五岳の中にあるので中岳という。中国河南省登封市にある山岳群である。その山の二峰、東を太室と云い、西を少室という。南は登封に跨り、北は鞏邑に跨り、西は洛陽に跨り、東は密縣に跨る。その峰を千丈にすると一百五十余里。小室山は穎水の源。。最高峰は標高1440mの太室山である。古代から山岳信仰の場として有名で、北魏時代からは少林寺などの道教、仏教の道場が建立された。また、唐代には副都であった洛陽に近い事から、政府との結びつきが強く、ここを本拠地としていた潘師正、普寂、慧安などの道士、僧侶らが皇帝の崇敬を受け、道教、禅宗はそれぞれ自派を拡大した。

 

三十六峰長周旋,長周旋。

嵩山の三十六峰の間をのんびりとめぐりあるき、そしてまた、のんびりとめぐりあるくというものだった。

周旋 1 売買・交渉などで、当事者間に立って世話をすること。とりもち。なかだち。斡旋(あっせん)。「下宿を―する」2 事をとり行うために動きまわること。面倒をみること。3国際法上、国際紛争を平和的に解決するため、第三国が外部から紛争当事国の交渉をとりもって援助すること。4 ぐるぐると回ること。めぐりあるくこと。周遊。

 

躡星虹,身騎飛龍耳生風。

これを続けるのは、星宿虹霓を踏みつけて、その身は飛龍に騎乗し、耳の穴から風雲を生じ、飛行自在に立ち回ったのである。

 

橫河跨海與天通,我知爾遊心無窮。

こうして嵩山の山中はおろか、ひとたび遠くに去れば、黄河を横切り、東海にマラガ里、果ては天空にも行くという。我々は彼の仙遊をする心持というもの無の境地の極みであり、自然に一体化することであるということを知るのである。

中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人を指す。羽人、僊人ともいう。道教の不滅の真理である、道(タオ)を体現した人とされる。仙人になるために修行をする者は「道士」(羽士)「方士」と呼ばれる。後世専ら、道士は道教修行者一般をさした。方士である徐福は秦の始皇帝の命を受けて東海の仙島に仙薬を求めて出航した。徐福は日本に逢着したともいわれ、日本各地に徐福伝説が残る。中国の軍師として知られる呂尚や諸葛亮なども仙術を修得していたと付会された。

なお、一般に仙人といえば白髯を生やした老人というイメージがあるが、韓湘子など若々しい容貌で語られる者や、西王母、麻姑仙人(仙女)などの女性の仙人の存在も多く伝えられている。

また、仙人は禁欲に徹する必要があるとする伝説もあり、たとえば久米仙人や一角仙人は色欲により神通力を失っている。