李白《巻24-02 題元丹丘山居》それから、逸興酣になるときには松風颯颯として、襟袖を清くして、石潭水澄んで潺湲の声は心と耳と、二つながら洗い注ぐようである。朝廷に召されても、許由と同じように耳を洗って隠遁しているのである。

 
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181 《巻24-02 題元丹丘山居》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <181> Ⅰ李白詩1402 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5558

 

元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6. 潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

06-07

8.西岳云台歌送丹丘子 

743年天寶二年

18-11

9.以詩代書答元丹丘 

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首である。

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一八四              文體:    五言古詩

詩題:    題元丹丘山居

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              元丹丘潁陽山居 (都畿道 河南府 潁陽)           

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

交遊人物:元丹丘              當地交遊(都畿道 河南府 潁陽)

 

 

題元丹丘山居

(元丹邱の山中幽居に題したもの)

故人棲東山,自愛丘壑美。

信頼のおける友は隠棲する東山に住んでいるが、そこは岡や谷が美しい景色なので愛したのだ。

青春臥空林,白日猶不起。

その友である元丹邱は最も盛んな青年期であるにもかかわらず、空林の中に独臥し、白昼でも起きることが無いのである。

松風清襟袖,石潭洗心耳。

それから、逸興酣になるときには松風颯颯として、襟袖を清くして、石潭水澄んで潺湲の声は心と耳と、二つながら洗い注ぐようである。朝廷に召されても、許由と同じように耳を洗って隠遁しているのである。

羨君無紛喧,高枕碧霞裡。

これについて、最も羨ましいことで、さらに浮世の事に全く関係ないとして、碧霞の裏に高枕しており、優游しているのである。

 

(元丹丘の山居に題す)

故人 東山に棲み,自ら丘壑の美を愛す。

青春 空林に臥し,白日 猶お起たず。

松風 襟袖を清うす,石潭 心耳を洗う。

羨む 君が紛喧 無く,高枕す 碧霞の裡に。

 

洛陽 函谷関 嵩山005 

『題元丹丘山居』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

題元丹丘山居

故人棲東山,自愛丘壑美。

青春臥空林,白日猶不起。

松風清襟袖,石潭洗心耳。

羨君無紛喧,高枕碧霞裡。



(下し文)


(現代語訳)
(元丹邱の山中幽居に題したもの)

信頼のおける友は隠棲する東山に住んでいるが、そこは岡や谷が美しい景色なので愛したのだ。

その友である元丹邱は最も盛んな青年期であるにもかかわらず、空林の中に独臥し、白昼でも起きることが無いのである。

それから、逸興酣になるときには松風颯颯として、襟袖を清くして、石潭水澄んで潺湲の声は心と耳と、二つながら洗い注ぐようである。朝廷に召されても、許由と同じように耳を洗って隠遁しているのである。

これについて、最も羨ましいことで、さらに浮世の事に全く関係ないとして、碧霞の裏に高枕しており、優游しているのである。


(訳注)

題元丹丘山居

(元丹邱の山中幽居に題したもの)

 

故人棲東山,自愛丘壑美。

信頼のおける友は隠棲する東山に住んでいるが、そこは岡や谷が美しい景色なので愛したのだ。

 

青春臥空林,白日猶不起。

その友である元丹邱は最も盛んな青年期であるにもかかわらず、空林の中に独臥し、白昼でも起きることが無いのである。

青春 最も盛んな青年期である。

ここまでの四句は山居の様子、隠棲生活の様子をいう。

 

松風清襟袖,石潭洗心耳。

それから、逸興酣になるときには松風颯颯として、襟袖を清くして、石潭水澄んで潺湲の声は心と耳と、二つながら洗い注ぐようである。朝廷に召されても、許由と同じように耳を洗って隠遁しているのである。

洗心耳 許由と巣父の故事による。許由は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

この二句は元丹邱の思い、理念を述べている。

 

羨君無紛喧,高枕碧霞裡。

これについて、最も羨ましいことで、さらに浮世の事に全く関係ないとして、碧霞の裏に高枕しており、優游しているのである。

紛喧 世事の煩わしきこと。
李白31歳