李白《巻4-29秦女休行 -#2 (西門秦氏女,)》その時、金雞の詔勅が立ち待ち下り、天子から恩赦となり、斬首を許されることになったので、まことに喜ばしいことと、見ている人々も安心した。秦女休の義烈は彼の聶政の姉にも慚ことはなく、万年あとの世まで語り伝えてゆく話と感嘆したのである。

 

 
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198 -#2 《巻4-29秦女休行 -#2 (西門秦氏女,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <198 -#2> Ⅰ李白詩1425 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5673

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    秦女休行

【案:魏協律都尉左延年所作,今擬之。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

 

 

秦女休行

(美しく嫋やかな女性の身でありながら、宗族の仇を討とうとした女性をほめ讃えた詩である。)

西門秦氏女,秀色如瓊花。

西門秦氏の女は絶世の美女で、その麗しきことは、天下稀に見るあの瓊花に比すほどのものである。

手揮白楊刀,清晝殺讎家。【手揮白楊刃】

これほどの繊弱である女がか細い手に細みの太刀、白楊刀を振るって、真昼時に讎なる者を討ち取り殺した。

羅袖灑赤血,英氣凌紫霞。【英聲凌紫霞】

その際の鮮血は紅く蘿袖を染めたが、天晴な名誉は、紫霞を凌いで天に届くほどに広がった。

直上西山去,關吏相邀遮。

それから女はその場から逃げ延びて、西山に登って隠れようと山頂4、5里までのところで、関所の役人が迎えてこれを遮り、捕縛され、囚われの身となった。

 

婿為燕國王,身被詔獄加。

彼女の婿は燕の国王である、殺人という大罪は、いまさら詮議すべきことではなくその身は詔獄につながれることになった。

犯刑若履虎,不畏落爪牙。

そして、その景罰を受けるものは、虎の尾を踏むような恐怖心でいるし、諦めて死に就くこともあるのかと思っていたが、彼女は堂々として虎の爪や牙が落ちたものに接するかのように恐れてはいなかった。

素頸未及斷,摧眉伏泥沙。

それから、刑場に引き出され、白い首を切り落とされるに及び前に、身を引き据えられると、さすがに眉をくだいて、憂い顔をしつつ、泥だらけの地べたの上に押し附せられ見るも傷ましい有様になった。

金雞忽放赦,大辟得寬

その時、金雞の詔勅が立ち待ち下り、天子から恩赦となり、斬首を許されることになったので、まことに喜ばしいことと、見ている人々も安心した。

何慚聶政姊,萬古共驚嗟。

秦女休の義烈は彼の聶政の姉にも慚ことはなく、万年あとの世まで語り伝えてゆく話と感嘆したのである。

(秦女休行)

西門の秦氏の女,秀色 瓊花の如し。

手に白楊の刀を揮い,清晝に讎家を殺す。

羅袖に赤血を灑ぎ,英氣は紫霞を凌ぐ。

直ちに西山に上って去れば,關吏 相い邀って遮る。

 

婿は燕國の王為り,身は詔獄に加え被る。

刑を犯して虎を履むが若く,爪牙に落つるを畏れず。

素頸 未だ斷つに及ばず,眉を摧いて 泥沙に伏す。

金雞 忽ち放赦,大辟 寬【かんしゃ】を得たり

何ぞ 聶政の姊に慚じ,萬古 共に驚嗟す。

 Ta唐 長安近郊圖  新02

 

『秦女休行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

婿為燕國王,身被詔獄加。

犯刑若履虎,不畏落爪牙。

素頸未及斷,摧眉伏泥沙。

金雞忽放赦,大辟得寬

何慚聶政姊,萬古共驚嗟。


(下し文)
婿は燕國の王為り,身は詔獄に加え被る。

刑を犯して虎を履むが若く,爪牙に落つるを畏れず。

素頸 未だ斷つに及ばず,眉を摧いて 泥沙に伏す。

金雞 忽ち放赦,大辟 寬【かんしゃ】を得たり。

何ぞ 聶政のに慚じ,萬古 共に驚嗟す

(現代語訳)
彼女の婿は燕の国王である、殺人という大罪は、いまさら詮議すべきことではなくその身は詔獄につながれることになった。

そして、その景罰を受けるものは、虎の尾を踏むような恐怖心でいるし、諦めて死に就くこともあるのかと思っていたが、彼女は堂々として虎の爪や牙が落ちたものに接するかのように恐れてはいなかった。

それから、刑場に引き出され、白い首を切り落とされるに及び前に、身を引き据えられると、さすがに眉をくだいて、憂い顔をしつつ、泥だらけの地べたの上に押し附せられ見るも傷ましい有様になった。

その時、金雞の詔勅が立ち待ち下り、天子から恩赦となり、斬首を許されることになったので、まことに喜ばしいことと、見ている人々も安心した。

秦女休の義烈は彼の聶政の姉にも慚ことはなく、万年あとの世まで語り伝えてゆく話と感嘆したのである。

00長安城の図
(訳注)

秦女休行

(美しく嫋やかな女性の身でありながら、宗族の仇を討とうとした女性をほめ讃えた詩である。)

秦氏の女として生まれ、美しい容色に恵まれながら,白刃を振るい、白昼仇討ちを決行する。燕國王の夫人から,身を落とし、山中に逃げ込んだが、やがて獄に繋がれた。頸を斷られる前に,天子は、その義烈に感じたまいて恩赦をうけた。 聶政姊に恥ずることはない。共に万古驚くべき壮烈な女である。十七句「何慚聶政姊」と対比される聶政姊も列女として有名で、史記刺客列伝によると、聶政は、暗殺を成し遂げると、自分が何者かを隠すため顔の皮を剥ぎ取って自殺した。市場に晒された死体を見て、弟の聶政だと明かして、自分も死んでしまったという女性でる。

李白の前にも、魏の左延年、西晋の傅玄が秦女休行の詩を作っている。男兄弟たちは、仇を討とうとしなかった。都市に潜み、美しい衣から短いぼろを身につけ、仇を狙った。獄につながれたなどの内容が解るが、こちらでは仇討を試みるが、民が豊かに暮らしているのを見てやめたと取れる内容も書かれている。

 

婿為燕國王,身被詔獄加。

彼女の婿は燕の国王である、殺人という大罪は、いまさら詮議すべきことではなくその身は詔獄につながれることになった。

詔獄 長安の大獄。

 

犯刑若履虎,不畏落爪牙。

そして、その景罰を受けるものは、虎の尾を踏むような恐怖心でいるし、諦めて死に就くこともあるのかと思っていたが、彼女は堂々として虎の爪や牙が落ちたものに接するかのように恐れてはいなかった。

 

素頸未及斷,摧眉伏泥沙。

それから、刑場に引き出され、白い首を切り落とされるに及び前に、身を引き据えられると、さすがに眉をくだいて、憂い顔をしつつ、泥だらけの地べたの上に押し附せられ見るも傷ましい有様になった。

 

金雞忽放赦,大辟得寬

その時、金雞の詔勅が立ち待ち下り、天子から恩赦となり、斬首を許されることになったので、まことに喜ばしいことと、見ている人々も安心した。

金雞 天皇が公務で行った意思表示をいう。広義には憲法や法律などの法規を含むが、狭義には詔書・勅書・勅語など特段の形式を定めていないものをいう。

放赦 天子から恩赦となり、斬首を許されること。

 

何慚聶政姊姉,萬古共驚嗟。

秦女休の義烈は彼の聶政の姉にも慚ことはなく、万年あとの世まで語り伝えてゆく話と感嘆したのである。

聶政姉 聶政は韓の生まれだったが、喧嘩を起こし、その相手を殺してしまった為、年老いた母と未婚の姉と共に斉に身を隠し、それ以来は、食肉の解体で生計を立てていた。

ある日、聶政の噂を耳にした韓の大臣である厳仲子[1]という人物が家を訪れ、「貴方のような義士と友好を持ちたいと思っておりました」と言い、それから1ヶ月に1度は聶政を訪ねた。

数ヵ月後、聶政の母親の長寿を祝って宴席を開いた厳仲子は、その祝いと称して2千両もの大金を贈った。聶政がこれは受け取れないというと、厳仲子は、「実は、私には恨みを晴らさねば死んでも死にきれない思いをしている人物がおります。私は手助けを頼める人物を探し求め、やっと貴方を見つけたのです。このお金は貴方の母上の生活費として私にお力をお貸し下さい」と言った。しかし聶政が「老いた母を残して他国には行けません」というと、厳仲子は「私は衛の濮陽に住んでいるので、気が変わったらお訪ね下さい」と言い残して去っていった。

それから数年後。聶政の母はこの世を去り、姉も嫁いでいった。一人身となった聶政は自分を見込んでくれた厳仲子の為に尽くすことを決め、衛の濮陽に向かった。

厳仲子は喜んで聶政を迎え入れ、聶政が手伝ってくれるというと「自身を失脚させた韓の宰相、侠累を討ちたいのです」と告げた。聶政は快諾し、厳仲子の身元を洩らさないように、自分一人で向かうといい、単身、韓に乗り込んだ。

宰相邸に向かった聶政は「宰相に訴えたいことがあります」と言ったが、門番に止められたため、剣を奪ってたちどころに斬りかかった。そして、侠累を一太刀に斬り殺し、更に13人を殺したが、もう逃げられぬと諦めると、「男の死に様をよく見ておけ」というやいなや、手に持っていた剣で顔を削り、そして目をくりぬいた。さらに腹をかき切り、はらわたをつかみ出して息絶えた。

韓はただちに身元を洗ったが、兵士のなかで知るものはなく、聶政の死体を街中にさらし、「下手人の姓名を知るものには、千金を与える」と布告した。

この話を聞いた聶政の姉は胸騒ぎを感じて、韓の都へと急いだ。

その死体にある、聶政と同じほくろを見た姉は、周りの見物人に向かって、「皆さん、この男は、聶政といって、私の弟です」と言った。すると見物人たちは「そんなことをいったら、あなたも同罪になりますよ」と諫めたが、彼女は、「私が明かさなければ、弟の名は埋もれてしまい、それでは弟がかわいそうすぎる。私が名乗ったのは覚悟の上です」といい、その場で自決した。  

この話はたちまち全国に広まり、人々は「恩義に応えた聶政も立派だが、姉さんもなんという烈女だ」と言い、涙した。

 

 

左延年《秦女休行》

始出上西,遥望秦氏廬。

秦氏有好女,自名女休。

休年十四五,爲宗行報仇。

左執白楊刃,右据宛矛。

仇家便南,仆僵秦女休。

女休西上山,上山四五里。

関吏呵問女休,女休前置辞:

燕王爲詔獄囚。

平生衣参差,当今無襦。

明知殺人当死,兄言怏怏,弟言無道憂。

女休堅詞爲仇,死不疑。”

人都市中,徼我都巷西。

丞卿向坐,女休凄凄曳梏前。

两徒我持刀,刀五尺余。

刀未下,朧撃鼓赦下。

 

 

傅玄秦女休行

氏有烈雍凉①。

父母家有重怨,仇人暴且

有男兄弟,志弱不能当。

烈女念此痛,丹心

外若无意者,内潜思无方。

白日入都市,怨家如平常。

藏白刃,一奋寻身僵。

身首之异,伏尸列肆旁。

肉与土合成泥,洒血溅飞梁。

猛气上干云霓,仇党失守披攘②。

一市称烈者收泪并慨慷:

“百男何当益,不如一女良!”

烈女直造县门,云“父不幸遭殃。

今仇身以分裂,死情益

人当伏法,不苟活隳旧章。”

令解印:“令我心不忍听!”

刑部垂塞耳:“令我吏③不能成!”

烈著希代之立无之名。

夫家同受其祚,子子孙孙咸享其荣。

今我作歌咏高,激悲且清。[1]

①雍凉:指雍州(治所在今西西安西北)、凉州(治所在今甘肃张家川)一

②披攘:震伏的子。

③吏:官


李白 32歳