送張舍人之江東
洲の月を見るだろう、そうすれば千里を隔ててわれを思い、幸いに互いに思いやる情を寄せてもらいたい。

張翰江東去,正秋風時。

天清一雁遠,海闊孤帆遲。

白日行欲暮,滄波杳難期。

洲如見月,千里幸相思。

送張舍人之江東》李白(張舍人というものが江東に行くのでそれを送るのに、西晋の張翰の故事を以て互いの情を詠う。)愈々、その地に到着したら、きっと

 

 

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年:734年開元二十二年34

卷別:卷一七五     利太白集巻15-2  文體:五言律詩

詩題:送張舍人之江東

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

交遊人物:張舍人              當地交遊(江南西道 鄂州 鄂州)

 

 

送張舍人之江東

(張舍人というものが江東に行くのでそれを送るのに、西晋の張翰の故事を以て互いの情を詠う。)

張翰江東去,正秋風時。

君は古、西晋の張翰のように、まさに秋風の時にうて、同じように江東に赴かれる。

天清一雁遠,海闊孤帆遲。

時あたかも秋、天高く清くして、一雁遠く去り、海は闊くして孤帆は行くこと遲いように見える。

白日行欲暮,滄波杳難期。

白日は行く行く暮れて行こうとしている、海上の滄波は、杳然として、いつまた会えるかわからない。

洲如見月,千里幸相思。

愈々、その地に到着したら、きっと洲の月を見るだろう、そうすれば千里を隔ててわれを思い、幸いに互いに思いやる情を寄せてもらいたい。

 

(張舍人の江東に之くを送る)

張翰 江東に去らんとし,正に秋風の時に

天は清くして 一雁 遠く,海は闊くして 孤帆 遲し。

白日 行く暮れんと欲し,滄波 杳として期し難し。

洲 もし月を見ば,千里 幸に相い思え。

 

李白の足跡0000 

『送張舍人之江東』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送張舍人之江東

張翰江東去,正秋風時。

天清一雁遠,海闊孤帆遲。

白日行欲暮,滄波杳難期。

洲如見月,千里幸相思。


(下し文)
(
張舍人の江東に之くを送る)

張翰 江東に去らんとし,正に秋風の時にう。

天は清くして 一雁 遠く,海は闊くして 孤帆 遲し。

白日 行く暮れんと欲し,滄波 杳として期し難し。

洲 もし月を見ば,千里 幸に相い思え

(現代語訳)
(張舍人というものが江東に行くのでそれを送るのに、西晋の張翰の故事を以て互いの情を詠う。)

君は古、西晋の張翰のように、まさに秋風の時にうて、同じように江東に赴かれる。

時あたかも秋、天高く清くして、一雁遠く去り、海は闊くして孤帆は行くこと遲いように見える。

白日は行く行く暮れて行こうとしている、海上の滄波は、杳然として、いつまた会えるかわからない。

愈々、その地に到着したら、きっと洲の月を見るだろう、そうすれば千里を隔ててわれを思い、幸いに互いに思いやる情を寄せてもらいたい。



(訳注)

送張舍人之江東

(張舍人というものが江東に行くのでそれを送るのに、西晋の張翰の故事を以て互いの情を詠う。)

江東 長江下流域をいう。水・江は東流するもの。

 

張翰江東去,正秋風時。

君は古、西晋の張翰のように、まさに秋風の時にうて、同じように江東に赴かれる。

張翰・秋風 故事:「晋書-文苑伝・張翰」「翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羮、鱸魚膾」 晋の張翰(ちょうかん)は、秋風に逢って、故郷の蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と鱸(すずき)の膾(なます)の味を思い出し、辞職して帰郷した。

孟浩然《登峴山亭,寄晉陵張少府「峴首風湍急,雲帆若鳥飛。憑軒試一問,張翰欲來歸。」(峴首 風湍 急にして,雲帆 鳥の飛ぶが若し。軒に憑()りて試みに一たび問わん,張翰 來り歸らんと欲するか。)313 孟浩然 《登峴山亭寄晉陵張少府 

李白《行路難三首其三》「君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。」行路難 三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185

《晉書》卷九十二 列傳第六十二 文苑 張翰傳「永寧元年(301年),齊王司馬冏執政時期,徵召張翰為大司馬東曹掾。」「永寧二年(302年),張翰一日見秋風起,想到故鄉吳郡的菰菜、蓴羹、鱸魚膾,:“人生貴得適志,何能羈宦數千里,以要名爵乎?” 因此作歌曰:“秋風起兮佳景時,江水兮鱸正肥。三千里兮家未歸,恨難得兮仰天悲。”於是棄官還

 

天清一雁遠,海闊孤帆遲。

時あたかも秋、天高く清くして、一雁遠く去り、海は闊くして孤帆は行くこと遲いように見える。

 

白日行欲暮,滄波杳難期。

白日は行く行く暮れて行こうとしている、海上の滄波は、杳然として、いつまた会えるかわからない。

滄波 水の青さ・清らかさを李白は滄海をイメ―ジして使う。『古風 其十二』。隠遁を意識した語。仙境に至るまでの蒼海に釣り糸を垂れるという意味の使い方をする隠遁生活にあこがれを持つ李白は、その生活を連想させる滄海とともにこの語をよく使う。

李白《金陵江上遇蓬池隱者》「明晨挂帆席、離恨滿滄波。」

金陵江上遇蓬池隱者 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -286

李白《越中秋懷 》「一為滄波客。 十見紅蕖秋。」

越中秋懷 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -283

 

洲如見月,千里幸相思。

愈々、その地に到着したら、きっと洲の月を見るだろう、そうすれば千里を隔ててわれを思い、幸いに互いに思いやる情を寄せてもらいたい。

 江蘇省蘇州市に南北朝時代、陳により呉州が設置された。

相思 久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠うもの。

李白《寄遠,十一首之四》

玉箸落春鏡,坐愁湖陽水。聞與陰麗華,風煙接鄰里。

青春已復過,白日忽相催。但恐荷花晚,令人意已摧。

相思不惜夢,日夜向陽臺。

185 《巻24-30 寄遠,十一首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <185> Ⅰ李白詩1408 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5588

李白《長相思【寄遠11】,二首之一》

長相思,在長安,絡緯秋啼金井闌。

168 《巻24-39 長相思【寄遠】,二首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <168> Ⅰ李白詩1364 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5368

 

《晉書》卷九十二 列傳第六十二 文苑 張翰傳

張翰(?-?),字季鷹。縣(今江蘇蘇州)人。西晉文學家。

 

張翰父親是三國孫的大鴻臚張儼[1]。張翰性格放縱不拘,被當時的人看作阮籍一樣,所以給他一個稱號叫做「江東步兵」。會稽人士賀循受徵召要去洛陽任官,經過郡時與張翰熟識,張翰知道他要進京,就跟他:「我也有事要進京」,就在沒有告知家人的狀況下,直接與賀循一同進京。

 

永寧元年(301年),齊王司馬冏執政時期,徵召張翰為大司馬東曹掾。張翰告訴同郡的好朋友顧榮:「現今天下紛紛擾擾,災禍戰亂都沒有停止。您名聲遠播四海,想要退出政壇很難。我本來就是生活在山林之中,對現實社會沒有抱持期望。您要明智地來思慮前進或是後退的規劃。」顧榮握住他的手愴然:「我也想跟你一起採南山的蕨草,飲用三江的清水。」

 

永寧二年(302年),張翰一日見秋風起,想到故鄉吳郡的菰菜、蓴羹、鱸魚膾,:「人生貴得適志,何能羈宦數千里,以要名爵乎?」因此作歌曰:「秋風起兮佳景時,江水兮鱸正肥。三千里兮家未歸,恨難得兮仰天悲。」於是棄官還這是成語「鱸膾蓴羹」的典故。不久,齊王司馬冏兵敗,張翰得免於難,世人都認為他的棄官是看準時機。有人問他,「您可以一時生活很快樂,難道你沒想過過世之後的名聲怎樣嗎?」張翰回答:「給我死後的名聲還不如現在給我一杯酒。」[2]所以世人才了解他的曠達。他活到57過世。

 

他曾經有一本著作《首丘賦》,大多都失傳了。他部分的詩文被收錄於《昭明文選》、《先秦漢魏晉南北朝詩》和《全上古三代秦漢三國六朝文》等書中。唐朝李白的詩作中常常提到張翰,如《送張舍人之江東》、《行路難》、《金陵送張十一再遊東》等等。

 

張翰與顧榮的私交非常好。永嘉六年(312年),顧榮過世之時,張翰非常難過,先是用琴演奏了數曲,然後手撫著琴:「不知道顧先還能不能聽的到?」之後就痛哭不止。
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