李白  淮陰書懷寄王宗成 #1  

沙墩至梁苑,二十五長亭。大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。飛鳧從西來,適與佳興并。
(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一七二              文體:    五言古詩

詩題:    淮陰書懷寄王宗成【淮陰書懷寄王宗城】

作地點:              淮陰(淮南道 / 楚州 / 淮陰)

及地點:              淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)    

沙墩 (淮南道 楚州 淮陰)  

梁園 (河南道 宋州 宋城) 別名:梁苑           

交遊人物/地點:王宋城      書信往來(河南道 宋州 宋城)

 

(改訂版Ver..2.1) 

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

沙墩至梁苑,二十五長亭。

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

飛鳧從西來,適與佳興并。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。

#2

眷言王喬舃,婉孌故人情。

復此親懿會,而增交道榮。

沿洄且不定,飄忽悵徂征。

暝投淮陰宿,欣得漂母迎。

#3

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。

予為楚壯士,不是魯諸生。

有德必報之,千金恥為輕。

緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。

 

(改訂版Ver..2.1) 

(淮陰にて懐を書して王宋城に寄す。)#1

沙墩より梁苑に至る、二十五長亭。

大舶、雙艣を夾み、中流に鵝鸛鳴く。

雲天、空碧を掃ひ、川嶽、餘清を涵す。

飛鳧、西より来たり、適ま 佳興と幷す。

#2

眷言の王喬の舃、婉孌、故人の惰。

復た此に 親懿 會し,而も 交道の榮を增す。

沿洄 且つ定らず,飄忽として 徂征を悵む。

暝して 淮陰に投じて宿し,漂母の迎えるを得たるを欣ぶ。

#3

斗酒 黃雞を烹,一餐 素誠。を感ず

予は楚の壯士 為り,是れ魯の諸生ならず。

德 有れば 必ず之に報い,千金 恥じて輕しと為す。

緬として羈孤の意を書し,遠く 棹歌の聲に寄す。

都畿道河南道01 

(改訂版Ver..2.1) 

『淮陰書懷寄王宗成』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

淮陰書懷寄王宗成

沙墩至梁苑,二十五長亭。

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

飛鳧從西來,適與佳興并。

(下し文)
(淮陰にて懐を書して王宋城に寄す。)#1

沙墩より梁苑に至る、二十五長亭。

大舶、雙艣を夾み、中流に鵝鸛鳴く。

雲天、空碧を掃ひ、川嶽、餘清を涵す。

飛鳧、西より来たり、適ま 佳興と幷す。

(現代語訳)
(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。


(訳注) #1
(改訂版Ver..2.1)

淮陰書懷寄王宗成

(淮陰に流寓していた時、賦して宋城縣令の王某に贈った)

淮陰 徐州臨淮郡は、淮水流域にあたる。漢書地理志によれば、淮水流域は肥沃な粘土質の赤土が広がり、草木は密集して生えていて、人々は異民族とともに暮らしているという。五色の羽をもった雉が生息し、真珠・絹とともに重要な献上物であったと云う。現在の江蘇省淮安市に位置する。秦代に設置される。南北朝時代になると東魏により懐恩県(または淮恩県)と改称され淮陰郡の郡治とされた。その後北周により寿張県、583年(開皇3年)には淮陰県と改称されたが、大業初年に山陽県に編入された。

667年(乾封2年)、唐朝は再び淮陰県を設置

宋城縣 河南道 宋州 宋城(x-8)

 

沙墩至梁苑,二十五長亭

私はここに来る途中、沙墩を過ぎたところで、君の居る梁苑の地までは、二十五長亭であるから250里の所まで来ている。

沙墩 淮南道 楚州 淮陰。

梁苑 前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省開封府商丘市東南5kmに在った。宋の都となった。『史記』巻五十八「梁孝王世家」の「史記正義」「吟」は、詩歌の一体。この詩は、第一次在京期の後、長安を離れて梁園に遊んだおり、三十一歳の作と考えられる。梁の孝王が築いた園の名。現・河南省東部、商丘の東にある。竹が多く、修竹園とも呼ばれた。宮室の庭園。『史記・世家・梁孝王』に「孝王,竇太后少子也,愛之,賞賜不可勝道。於是孝王築東苑,方三百餘里。廣陽城七十里。」とある。王昌齡の『梁苑』「梁園秋竹古時煙,城外風悲欲暮天。萬乘旌旗何處在,平臺賓客有誰憐。

長亭 古時於路旁,每十里設一長亭,五里設一短亭,供行人憩息。因此,近城的十里長亭常為人們送別的地方。

 

大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

その間には、川があって、大船には櫓を二挺つけ、中流において舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

大舶 おおきなふね。

夾雙艣 櫓を二挺つけてはさんでいる。

鵝鸛鳴 舟人が騒ぐ声は、まるで鵝鸛の啼き騒ぐ声のようである。

 

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。

時おりしも、天には、雲晴れ盡して、碧色に住みわたり、大江も山岳共に余清のなかに涵している。

 

飛鳧從西來,適與佳興并。

やがて、飛鳧が西の方から来るのを見て、たまたま佳興をましてくるのである。

 

 

 

 

(淮陰書懷寄王宗成)

沙墩至梁苑,二十五長亭。大舶夾雙艣,中流鵝鸛鳴。

雲天掃空碧,川嶽涵餘清。飛鳧從西來,適與佳興并。

 

眷言王喬舃,婉孌故人情。復此親懿會,而增交道榮。

沿洄且不定,飄忽悵徂征。暝投淮陰宿,欣得漂母迎。

 

斗酒烹黃雞,一餐感素誠。予為楚壯士,不是魯諸生。

有德必報之,千金恥為輕。緬書羈孤意,遠寄棹歌聲。