李白  贈范金卿,二首之一》-#2時人棄此物,乃與燕珉齊。摭拭欲贈之,申眉路無梯。遼東慚白豕,楚客羞山雞。徒有獻芹心,終流泣玉啼。祗應自索漠,留舌示山妻。
だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

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 740年 李白40歳

 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、その寶たることを知らないのである。

#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

 

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

祗應自索漠,留舌示山妻。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

 

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。
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時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山羞ず

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

 

 

『贈范金卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

祗應自索漠,留舌示山妻。

(下し文)
時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

摭拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山雞に羞ず。

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

(現代語訳) #2

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。


(訳注) #2

贈范金卿,二首之一 #1

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

時人棄此物,乃與燕珉齊。

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

燕珉齊 ・燕石《燕山から出る、玉(ぎょく)に似るが玉でない石の意》まがいもの。また、価値のないものを珍重し、誇ること。小才の者が慢心するたとえ。1.燕山所的一种似玉的石。后以“燕珉”不足珍之物。2.凡庸之3.指燕然石。

・珉 白珉:玉の名《山海経・中山経》「岐山、其の陽赤金多し、其の陰、白珉多し」

李白《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。誇作天下珍,卻哂趙王璧。趙璧無緇磷,燕石非貞真。流俗多錯誤,豈知玉與珉。宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことをいたんだもの)

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通のつまらぬ燕石を拾ったという。

一途に趙王の秘蔵する卞和の璧玉にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だから、これを大切にしたいという話がある。

かの趙の碧玉は少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるがこの燕石はその質、すでに、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

50 《古風五十九首之五十》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43275古風,五十九首之五十宋國梧臺東, <50> Ⅰ李白詩1213 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4613

 

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

摭拭 ひろいはらう。

 

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

遼東・白豕 《後漢書朱浮傳》「漁陽大守彭寵發突騎、轉糧不絶。自負其功、意望甚高。不能滿。幽州牧朱浮與書曰、遼東有豕。生子、白頭。將献之。道遇羣豕。皆白。以子之功、論於朝廷、遼東豕也。」(漁陽の大守彭寵突騎を発し、糧を転じて絶たず。自らその功を負みて、意望甚だ高し。満つる能はず。幽州の牧朱浮 書を与へて曰く、「遼東に豕あり。子を生む。白頭なり。将に之を献ぜんとす。道に羣豕に遇ふ。皆白し。子の功を以て、朝廷に論ぜば、遼東の豕ならん」と。

漁陽の大守彭寵は、精鋭な騎兵を出して、兵糧を次から次へと送り届けて絶やさなかった。自分でその功績を鼻にかけ、恩賞の望みも甚だ高く、少しのことでは満足させることができなかった。それで幽州の長官、朱浮は手紙を送って次のように言った。「遼東地方のとある豚が子供を生んだが頭が白かった。それで非常に珍しいものと思い、これを朝廷に献上しようとした。ところが道すがら、途中ある地方で、豚の群れに出あうと、どの豚も皆白かった。あなたの功績を朝廷で品定めするならば、「あたかもこの遼東の“いのこ”のようなものでしょう。」そのように自負するには当たない。

楚客羞山雞 楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。《太平御覽》三國·邯鄲淳《笑林》「楚人有擔山雞者,路人問曰:『何鳥也?』擔者欺之曰:『鳳皇也!』路人曰:『我聞有鳳皇久矣,今真見之,汝賣之乎?』曰:『然!』乃酬千金,弗與;請加倍,乃與之。方將獻楚王,經宿而鳥死。路人不遑惜其金,惟恨不得以獻耳。國人傳之,咸以為真鳳而貴,宜欲獻之,遂聞于楚王。王感其欲獻己也,召而厚賜之,過買鳳之十倍矣。」に基づく。

 

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

獻芹心 献芹【けんきん】1 《「列子」楊朱から。つまらない野草のセリを差し上げる意》物を贈ることをへりくだっていう語。「この賄 (まひな) ひ―少しとどめられよかし」〈愚管抄・七〉2 君主に忠義を尽くすこと。また、それをへりくだっていう語。

泣玉啼 春秋時代の楚()の人卞和の故事。山中で得た宝玉の原石を楚の厲王(れいおう)に献じたが信じてもらえず左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。

 

祗應自索漠,留舌示山妻。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

索漠 心を満たすものがなく、もの寂しく感じるさま。荒涼として気のめいるさま。

留舌示山妻 史記 張儀が妻との故事。蘇秦は自分は張儀にかなわないと思っていた。張儀が楚の宰相の食客の時、宰相自慢の器が無くなった。嫌疑は張儀に集中。一同は張儀を捕らえ拷問した。張儀はあくまで身に覚えがないとがんばり通しやっと解放された。故郷に帰った張儀に妻は、「遊説なんか勉強するからそんな目にあうんですよ。やめたらどう」張儀は口をあけて、「どうだ舌はまだついているか」妻は「もちろんです」張儀は力強く「まだやれる」といった。