李白  駕去溫泉後贈楊山人#2   

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらうことになった。そして、飛竜天馬の厩に飼っている良馬を授かり、これに騎乗することになる。 そうなると王公大人といわれる高位高官の人も顔を和らげて、下にも置かず、丁重に扱ってくれるし、金璋紫綬の大臣・将軍たち、貴顕のものも、小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。これまで交わりを結んだ人は紛紛としてすこぶる多くいるが、、ただちょっとばかり話をしただけのもので、主持するところが合致するのは陽山人だけであり、「道義の交わり」を結ぶに足るものである。私が忠節をつくし君に仕える務めを尽くし、ひとかどの功業を立てて後、辞して世外の閒人となり、君と会い携えて、白雲に起臥するつもりであるから、ともに語りあおうではないか、それまで待っていてくれたまえ。

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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一六八              文體:    七言古詩

詩題:    駕去溫泉後贈楊山人

作地點:              驪山(京畿道 / 京兆府 / 驪山)

及地點:              溫泉宮 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:溫泉      

交遊人物/地點:楊山人      書信往來(京畿道 京兆府 驪山)

 

 

駕去溫泉後贈楊山人

(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

少年落魄楚漢間,風塵蕭瑟多苦顏。

われは、少年のころ、古の酈食其が楚漢争闘の間に落魄していたと同じように、とかく不遇で、落ちぶれていたから、蕭瑟である風塵の底のほうに燻って、苦しんだ顔をしていた。

自言管葛竟誰許,長吁莫錯還閉關。

自分では、管仲、諸葛亮に比すべき才幹があると思っているが、だれもそう思ってくれなかったから嘆息を禁じえず、やがて時を過たず、幽居に帰り、門を閉じて、高臥していた。

一朝君王垂拂拭,剖心輸丹雪胸臆。

ある朝突然に、長く匣底にしまっておいた剣を拂拭すると同じく君王から召喚されれば、赤心を開いて胸憶に蓄えてある事々を残らず開陳することである。

忽蒙白日回景光,直上青雲生羽翼。

こうして、御意にかない、白日の景光を回らすがごとく、直ちに羽翼を生じて青雲に飛び上がることになる。

#2

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらうことになった。そして、飛竜天馬の厩に飼っている良馬を授かり、これに騎乗することになる。
王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

そうなると王公大人といわれる高位高官の人も顔を和らげて、下にも置かず、丁重に扱ってくれるし、金璋紫綬の大臣・将軍たち、貴顕のものも、小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。

これまで交わりを結んだ人は紛紛としてすこぶる多くいるが、、ただちょっとばかり話をしただけのもので、主持するところが合致するのは陽山人だけであり、「道義の交わり」を結ぶに足るものである。

待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。

私が忠節をつくし君に仕える務めを尽くし、ひとかどの功業を立てて後、辞して世外の閒人となり、君と会い携えて、白雲に起臥するつもりであるから、ともに語りあおうではないか、それまで待っていてくれたまえ。

(駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る)

少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間、風塵  蕭瑟として苦顔多し。

自ら言う  介蠆(かいまん)竟に誰か許さんと、長吁 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず。

一朝  君王  払拭を垂れ、心を剖【さ】き丹を輸【いた】して 胸臆を雪【すす】ぐ。

忽ち白日の景光を廻らすを蒙【こうむ】り、直ちに青雲に上って羽翼を生ず。

#2

幸に鸞輦【らんれん】に陪して鴻都を出で、身は騎る 飛龍 天馬の駒。

王公大人 顔色を借し、金章紫綬 来りて相い趨る。

当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛、片言 道合す 唯だ君有り。

吾が節を尽くして明主に報ずるを待って、然る後 相い攜えて白雲に臥せん。

 

 

『駕去溫泉後贈楊山人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。

王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。

待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。

(下し文)
#2

幸に鸞輦【らんれん】に陪して鴻都を出で、身は騎る 飛龍 天馬の駒。

王公大人 顔色を借し、金章紫綬 来りて相い趨る。

当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛、片言 道合す 唯だ君有り。

吾が節を尽くして明主に報ずるを待って、然る後 相い攜えて白雲に臥せん。

(現代語訳) #2

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらうことになった。そして、飛竜天馬の厩に飼っている良馬を授かり、これに騎乗することになる。
そうなると王公大人といわれる高位高官の人も顔を和らげて、下にも置かず、丁重に扱ってくれるし、金璋紫綬の大臣・将軍たち、貴顕のものも、小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

これまで交わりを結んだ人は紛紛としてすこぶる多くいるが、、ただちょっとばかり話をしただけのもので、主持するところが合致するのは陽山人だけであり、「道義の交わり」を結ぶに足るものである。

私が忠節をつくし君に仕える務めを尽くし、ひとかどの功業を立てて後、辞して世外の閒人となり、君と会い携えて、白雲に起臥するつもりであるから、ともに語りあおうではないか、それまで待っていてくれたまえ。


(訳注) #2

駕去溫泉後贈楊山人

(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

溫泉 温泉宮。驪山の華清宮にある。《唐書》「京兆府昭應縣木新豐有宮旗國山下天寶二年分新豐萬年置舍昌繇七載肖新豐改會圄為胎應治溫泉宮  開元十一年置溫泉宮,天寶六載改為華清宮於驪山上,益治湯井為池,臺殿環列山谷。自開元來,每 ...... 是年,改溫泉曰華清宮,治湯井為池,環山列宮室,又築羅城,置百司及十宅。」

楊山人 驪山の近傍に隠れていたものである。

309巻八23  駕去溫泉后贈楊山人

少年落魄楚漢間

506卷十五09送楊山人歸天台

客有思天台。

557卷十六60送楊山人歸嵩山

我有萬古宅。

 

 

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらうことになった。そして、飛竜天馬の厩に飼っている良馬を授かり、これに騎乗することになる。
鸞輦 鸞の模様で飾られた天子の輦。 

出鴻都 後漢の霊帝時代、儒学者たちの集まりを鴻都門学派といった。この学派が皇帝により庇護されていたものが、批判を受けた。儒教の考えから出でている自分を天子がお認めになっている。

天馬駒 天使より貸し与えられた馬のこと。長借馬。翰林志「唐制度、学士初めて院に入れば、中厩の馬一頭を賜い、これを長借馬という。」とある。

 

王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

そうなると王公大人といわれる高位高官の人も顔を和らげて、下にも置かず、丁重に扱ってくれるし、金璋紫綬の大臣・将軍たち、貴顕のものも、小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

○金璋紫綬 銅の印に紫の綬。《太平御覽·驃騎將軍》「驃騎將軍,漢官也,長史、司馬各一人,金璋、紫綬,五時朝服,武冠,佩山玄玉。」

 

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。

これまで交わりを結んだ人は紛紛としてすこぶる多くいるが、、ただちょっとばかり話をしただけのもので、主持するところが合致するのは陽山人だけであり、「道義の交わり」を結ぶに足るものである。

○紛紛 入り乱れてまとまりのないさま。

 

待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。

私が忠節をつくし君に仕える務めを尽くし、ひとかどの功業を立てて後、辞して世外の閒人となり、君と会い携えて、白雲に起臥するつもりであるから、ともに語りあおうではないか、それまで待っていてくれたまえ。

 

(駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る)

少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間、風塵  蕭瑟として苦顔多し。

自ら言う  介蠆(かいまん)竟に誰か許さんと、長吁 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず。

一朝  君王  払拭を垂れ、心を剖【さ】き丹を輸【いた】して 胸臆を雪【すす】ぐ。

忽ち白日の景光を廻らすを蒙【こうむ】り、直ちに青雲に上って羽翼を生ず。

 

幸に鸞輦【らんれん】に陪して鴻都を出で、身は騎る 飛龍 天馬の駒。

王公大人 顔色を借し、金章紫綬 来りて相い趨る。

当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛、片言 道合す 唯だ君有り。

吾が節を尽くして明主に報ずるを待って、然る後 相い攜えて白雲に臥せん。