李白 玉階怨
玉階生白露,夜久侵羅襪。卻下水晶簾,玲瓏望秋月。
(閏怨の詩で、寵愛を失い愛するお方の訪れの無いままに、長い秋の夜を過ごす宮女の身になって作ったものである。)
秋の夜、玉すだれの音もせず、白玉の階きざはしに白い露が珠のようにおり、夜は更けて羅襪につめたさが侵みてくる。 御殿奥の閨に水晶簾をさっとおろすと、あきらめたものの何度も振り向いてみる。水精簾の玲瓏としてあかるい隙間からは、秋の澄んだ月を望んで、思いに堪えられないことに苦しむ。
743年(34)李白353 巻四16-《玉階怨》(李白と謝朓の) 353Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(34) <李白353> Ⅰ李白詩1693 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7013
唐朝の命婦制度では宮中の妃嬢はすべて「内命婦」といい、公主、王妃以下の貴婦人を「外命婦」と称した。外命婦の制度は、次のように規定する。親王の母と妻を「妃」とし、文武の二品官と国公の母と妻を「国夫人」に封じ、三品官以上の官僚の母と妻を「郡夫人」に封じ、四品官の官僚の母と妻を「郡君」に封じ、五品官の官僚の母と妻を「県君」に封ず、と。以上の婦人はそれぞれ封号を与えられたが、母親の封号には別に「太」の字が付け加えられた。もし、夫や子の身分によって封号を授与されたものでない人は、別に封号を加えて某品夫人、某晶郡君、某晶県君等と称した(『唐会要』巻二六「命婦朝皇后」)。封号は原則的にはただ正妻だけに与えられるものであり、側室には与えられなかった。
唐朝の命婦の大半は、夫や子が高位高官であるが故に封号を授けられたか、あるいは夫や子が天子の寵愛を特に受けて授けられたかであり、「母は子を以て貴く、妻は夫を以て栄える」のであった。たとえば、宰相牛仙客の妻は邪国夫人に封ぜられ、節度使安禄山の二人の妻は共に国夫人に封ぜられた。韓愈等二十九名の官僚たちの亡き母親は、同日にそれぞれ郡太夫人・国太夫人等々の封号を追贈された。一級下のもの、たとえば刺史の李遜の母などは県太君等に封ぜられた(いずれも『全唐文』にみえる)。その他に、皇親と国威(外戚)であることによって、封号を与えられたものが少数いた。たとえば武則天の母は栄国夫人、姉は韓国夫人、姪は魂国夫人の封号を与えられた。楊貴妃の三人の姉妹は韓国夫人、我国夫人、秦国夫人の封号を与えられた。また少数ではあるが、皇帝の乳母や上級の宮人で特に皇帝から寵愛を受けたもの、たとえば高宗、中宗、容宗の乳母は、それぞれ国夫人、郡夫人に封ぜられた。それ以外に、本人が功を立てたとか、あるいは別の事情で封号の授与にあずかったものもいた。たとえば、刺史の那保英の妻実氏は契丹の侵入に抵抗して功を立て、誠節夫人に封ぜられ、県令の古玄応の妻高氏は突蕨の侵入に抵抗して功を立て、狗忠県君に封ぜられた(『旧唐書』列女伝)。また、武則天のとき故郷の八十歳以上の女性が郡君に封ぜられた、といった例である。
命婦に封ぜられたものに対しては、朝廷がおおむねその品級に応じて一定の俸料銭(給金)を支給した。『全唐文』には玄宗の「乳母の賓氏に賜る俸料は三品(官)に準ずる詔」が収録されている。これは、乳母の燕国夫人(華氏)に三品官を標準として俸給を授与せよと命じているのである。ただすべての命婦が俸給を授与されたかどうかは不明である。『容斎三筆』には、宋代の郡夫人、国夫人などの命婦には「みな月俸の銭米の支給と春と冬の絹布・生綿の支給があり、その数量はきわめて多いものだった」と記載されている。おそらく唐代にもほぼ類似の制度があったと思われる。そのほか、『太平広記』巻四九七には、顔呆卿の妻以降、湖南観察使には特別に夫人の脂粉銭(化粧料)の費目があり、柳州刺史の場合もそうだった、という。しかしこれは特定地域の現象に過ぎないだろうし、この『太平広記』 の記載が歴史的事実でない可能性もある。
命婦には皇后に朝見する儀式があった。武則天が皇后になった時から、この大礼が始まった。その後、各代の記念日や祝典には、いつも命婦が皇后、太后に朝見することが慣例となった。憲宗のとき詔を下して次のように命じたことがある。およそ外命婦で皇太后に朝見する儀式に休暇をとって出席しなかったものは、官がその夫や子の一カ月の官俸を罰として取り上げる、また儀式にしばしば出席しないものは皇帝に報告せよ、と(『旧唐書』意宗紀上)。どうやら欠席は罰を受けねばならなかったようである。朝廷の命婦はちょっとした公職とみなされていたことが分かる。元横の妻はかって郡君の身分で、興慶宮で命婦の班長となって太后に朝見したことがある。この際、元稹は妻に贈った詩の中で、あなたは「興慶にて千の命婦に首行し、……君はこの外に更に何をか求めん」(「初で漸東(観察使)に除せらる。妻に阻色あり、困りで四韻を以て之に暁す」)と述べている。人々の意識においでは、官僚の婦人として命婦に封ぜられ、宮中において謁見を賜ることが生涯最大の栄誉であったことが分かる。
年:743年天寶二年43歳 94首-(34)
卷別: 卷一六四 文體: 樂府
詩題: 玉階怨
地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)
及地點:
交遊人物/地點:
玉階怨
(閏怨の詩で、寵愛を失い愛するお方の訪れの無いままに、長い秋の夜を過ごす宮女の身になって作ったものである。)
玉階生白露,夜久侵羅襪。
秋の夜、玉すだれの音もせず、白玉の階きざはしに白い露が珠のようにおり、夜は更けて羅襪につめたさが侵みてくる。
卻下水晶簾,玲瓏望秋月。
御殿奥の閨に水晶簾をさっとおろすと、あきらめたものの何度も振り向いてみる。水精簾の玲瓏としてあかるい隙間からは、秋の澄んだ月を望んで、思いに堪えられないことに苦しむ。
(玉階の怨み)
玉階は白露を生じ,夜は久しく侵羅襪をす。
『玉階怨』 現代語訳と訳註解説
(本文)
玉階怨
玉階生白露,夜久侵羅襪。
卻下水晶簾,玲瓏望秋月。
(下し文)
(玉階の怨み)
玉階は白露を生じ,夜は久しく侵羅襪をす。
水晶簾を卻下すれば,玲瓏 秋月を望む。
(現代語訳)
玉階怨(閏怨の詩で、寵愛を失い愛するお方の訪れの無いままに、長い秋の夜を過ごす宮女の身になって作ったものである。)
秋の夜、玉すだれの音もせず、白玉の階きざはしに白い露が珠のようにおり、夜は更けて羅襪につめたさが侵みてくる。
御殿奥の閨に水晶簾をさっとおろすと、あきらめたものの何度も振り向いてみる。水精簾の玲瓏としてあかるい隙間からは、秋の澄んだ月を望んで、思いに堪えられないことに苦しむ。
(訳注)
玉階怨
(閏怨の詩で、寵愛を失い愛するお方の訪れの無いままに、長い秋の夜を過ごす宮女の身になって作ったものである。)
楽府特集『相和歌・楚調曲』。宮怨(失寵の閨怨)を歌う楽曲名。題意は、後宮の宮女が(なかなか来ない)皇帝の訪れを待ち侘びる、という意。
玉階生白露、夜久侵羅襪。
秋の夜、玉すだれの音もせず、白玉の階きざはしに白い露が珠のようにおり、夜は更けて羅襪につめたさが侵みてくる。
【一】 玉階:大理石の後宮のきざはし。外を誰かが通っていても玉階からの音で誰だかわかる。大理石に響く靴の音はそれぞれの人で違うのだ。ほかの通路とは違う意味を持っている。
【二】 生白露:夜もすっかり更けて、夜露が降りてきた。時間が経ったことをいう。
【三】 夜久:待つ夜は長く。
【四】 侵:ここでは(夜露が足袋に)浸みてくること。
【五】 羅襪:うすぎぬのくつした。 ・襪:〔べつ〕くつした。足袋。 足袋だけ薄絹をつけているのではなく全身である。したがって艶めかしさの表現である。
却下水精簾、玲瓏望秋月。
御殿奥の閨に水晶簾をさっとおろすと、あきらめたものの何度も振り向いてみる。水精簾の玲瓏としてあかるい隙間からは、秋の澄んだ月を望んで、思いに堪えられないことに苦しむ。
【六】 却下:下ろす。 ・水:うるおす。水に流す。水とか紫烟は男女の交わりを示す言葉。
【七】 精簾:水晶のカーテン。窓際につける外界と屋内を隔てる幕。今夜もだめか! 思いのたけはつのるだけ。
【八】 玲瓏:玉(ぎょく)のように光り輝く。この「玲瓏」の語は、月光の形容のみではなく、「水精簾」の形容も副次的に兼ねており、「透き通った『水精簾』を通り抜けてきた月光」というかけことばとして、全体の月光のようすを形容している。「却下・水・精簾+玲瓏・望・秋月。」
【九】 望秋月:待ちながらただ秋の月を眺め望んでいる。 ・望:ここでの意味は、勿論、「眺める」だが、この語には「希望する、待ち望む」の意があり、そのような感じを伴った「眺める」である。
李白 玉階怨 【字解】
⑴ 玉階 大理石の後宮のきざはし。外を誰かが通っていても玉階からの音で誰だかわかる。大理石に響く靴の音はそれぞれの人で違うのだ。ほかの通路とは違う意味を持っている。
⑵ 生白露 夜もすっかり更けて、夜露が降りてきた。時間が経ったことをいう。
⑶ 夜久 待つ夜は長く。
⑷ 侵 ここでは(夜露が足袋に)浸みてくること。
⑸ 羅襪 うすぎぬのくつした。 ・襪:〔べつ〕くつした。足袋。 足袋だけ薄絹をつけているのではなく全身である。したがって艶めかしさの表現である。
⑹ 却下:下ろす。 ・水:うるおす。水に流す。水とか紫烟は男女の交わりを示す言葉。
⑺ 精簾 水晶のカーテン。窓際につける外界と屋内を隔てる幕。今夜もだめか! 思いのたけはつのるだけ。
⑻ 玲瓏 玉(ぎょく)のように光り輝く。この「玲瓏」の語は、月光の形容のみではなく、「水精簾」の形容も副次的に兼ねており、「透き通った『水精簾』を通り抜けてきた月光」というかけことばとして、全体の月光のようすを形容している。「却下・水・精簾+玲瓏・望・秋月。」
⑼ 望秋月 待ちながらただ秋の月を眺め望んでいる。 ・望:ここでの意味は、勿論、「眺める」だが、この語には「希望する、待ち望む」の意があり、そのような感じを伴った「眺める」である。
謝朓①玉階怨
夕殿下珠簾,流螢飛復息。
長夜縫羅衣,思君此何極。
大理石のきざはしで区切られた中にいての満たされぬ思い。
夕方になると後宮では、玉で作ったスダレが下される。飛び交えるのはホタルで、飛んだり、とまったり繰り返している。
長い夜を一人で過ごすために、あなたに着てもらうためのうすぎぬのころもを縫っている。あなたを思い焦がれる気持ちは、いつ終わる時があるのだろうか。
(玉階の怨み)
夕殿 珠簾を下し,流螢は 飛びて 復た 息【いこ】う。
長夜 羅衣を 縫ひ,君を思ひて 此に なんぞ 極まらん。
いわゆる閏怨の詩で、寵愛を失い愛するお方の訪れの無いままに、長い秋の夜を過ごす宮女の身になって作ったものである。『玉台新詠』巻一〇。
玉階怨
夕殿下珠簾,流螢飛復息。
長夜縫羅衣,思君此何極。
(玉階の怨み)
夕殿 珠簾を下し,流螢は 飛びて 復た 息【いこ】う。
長夜 羅衣を 縫ひ,君を思ひて 此に なんぞ 極まらん。
玉階の怨み
夕方の殿舎には珠簾が下ろされ
流れる蛍が 飛んでは復た息んでいる
長い秋の夜 私は羅の衣を縫いながら
あなたのことを いつまでも思い続ける
1 玉階怨【字解】
⑴
玉階﹈ 玉で作られた、きざはし (宮殿に登る階段)。その階段の上にある建物に、此の詩に出てくる妃嬪が住んでいるのであろう。
⑵
珠簾﹈珠を綴った簾。
⑶
流蛍﹈珠簾の向側を流れてゆく蛍の光。
⑷
飛復息﹈ スーツと動いては復た止まっている。待ちつづけて珠簾ごしに外を見つめている女の目に映る情景を描いている。
⑸
長夜﹈秋の夜長に。
⑹
縫羅衣﹈「羅衣」は、愛する男のためのものであろう。
⑺
一針一針、時々深い溜め息をつきながら縫っている姿が目に浮かぶようである。
⑻
思君﹈「古詩十九首」に「思君令人老、歳月忽巳晩」(君を思へば人をして老いしむ、歳月 忽ち己に晩れぬ) のように使われている。
玉階怨
楽府相和歌辞・楚調曲。『古詩源』巻十二にも録されている。
夕殿下珠簾、流螢飛復息。
夕方になると後宮では、玉で作ったスダレが下される。飛び交えるのはホタルで、飛んだり、とまったり繰り返している。
・夕殿:夕方の宮殿で。 ・下:おろす。 ・珠簾:玉で作ったスダレ。 ・流螢:飛び交うホタル。 ・飛復息:飛んでは、また、とまる。飛んだりとまったりすることの繰り返しをいう。・息 とまる。文の終わりについて、語調を整える助詞。
長夜縫羅衣、思君此何極。
長い夜を一人で過ごすために、あなたに着てもらうためのうすぎぬのころもを縫っている。あなたを思い焦がれる気持ちは、いつ終わる時があるのだろうか。
・長夜:夜もすがら。普通、秋の夜長や冬の長い夜をいうが、一人待つ夜は長い。ホタルのように私もあなたのもとに飛べればいいのにそれはできない。せめてあなたにまとってもらいたい肌着を作っている。 ・縫:ぬう。 ・羅衣:うすぎぬのころも。肌着。・思君:貴男を思い焦がれる。 ・此:ここ。これ。 ・何極:終わる時があろうか。