李白  從軍行

從軍玉門道,逐虜金微山。笛奏梅花曲,刀開明月環。

鼓聲鳴海上,兵氣擁雲間。願斬單于首,長驅靜鐵關。
(匈奴との戦いに西域の極みまで言って戦うものの歌)

従軍して、玉門關の道をたどり、やがて匈奴を討ち破って、金傲山の邊まで之を逐い拂ってしまった。軍中に於いては、笛中に落梅花の曲を奏すれども、北地もとより梅花あらず、刀上の環は、固くして明月の如く、環は還と音が通じているから、自分は、いつ帰るとも分らない。今しも、戦機復た方に熟し、金鼓の聲は青海の岸に轟き、兵気は雲間に充満して、まことに物凄い景色である。願わくば、単于の首を斬り、長躯して鐡門關に至り、すっかり邊境を静めて、匈奴の入寇を根絶したいと思っているのである。

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年:743年天寶二年43歳 94-50

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    從軍行

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關) 別名:玉關、玉門              

金微山 ( 豐州 安北都護府) 別名:鐵關          

交遊人物/地點:  

 

 

從軍行

(匈奴との戦いに西域の極みまで言って戦うものの歌)

從軍玉門道,逐虜金微山。

従軍して、玉門關の道をたどり、やがて匈奴を討ち破って、金傲山の邊まで之を逐い拂ってしまった。

笛奏梅花曲,刀開明月環。

軍中に於いては、笛中に落梅花の曲を奏すれども、北地もとより梅花あらず、刀上の環は、固くして明月の如く、環は還と音が通じているから、自分は、いつ帰るとも分らない。

鼓聲鳴海上,兵氣擁雲間。

今しも、戦機復た方に熟し、金鼓の聲は青海の岸に轟き、兵気は雲間に充満して、まことに物凄い景色である。

願斬單于首,長驅靜鐵關。
願わくば、単于の首を斬り、長躯して鐡門關に至り、すっかり邊境を静めて、匈奴の入寇を根絶したいと思っているのである。

(從軍の行【うた】)

從軍 玉門の道,虜を逐う 金微の山。

笛は奏ず 梅花の曲,刀は開く 明月の環。

鼓は聲す 海上の鳴るに,兵は氣し 雲間を擁すを。

願わくば 單于の首を斬り,長驅して 鐵關を靜めん。

 

『從軍行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

從軍行

從軍玉門道,逐虜金微山。

笛奏梅花曲,刀開明月環。

鼓聲鳴海上,兵氣擁雲間。

願斬單于首,長驅靜鐵關。

(下し文)
(從軍の行【うた】)

從軍 玉門の道,虜を逐う 金微の山。

笛は奏ず 梅花の曲,刀は開く 明月の環。

鼓は聲す 海上の鳴るに,兵は氣し 雲間を擁すを。

願わくば 單于の首を斬り,長驅して 鐵關を靜めん。

(現代語訳)
從軍行(匈奴との戦いに西域の極みまで言って戦うものの歌)

従軍して、玉門關の道をたどり、やがて匈奴を討ち破って、金傲山の邊まで之を逐い拂ってしまった。

軍中に於いては、笛中に落梅花の曲を奏すれども、北地もとより梅花あらず、刀上の環は、固くして明月の如く、環は還と音が通じているから、自分は、いつ帰るとも分らない。

今しも、戦機復た方に熟し、金鼓の聲は青海の岸に轟き、兵気は雲間に充満して、まことに物凄い景色である。

願わくば、単于の首を斬り、長躯して鐡門關に至り、すっかり邊境を静めて、匈奴の入寇を根絶したいと思っているのである。


(訳注)

從軍行

(匈奴との戦いに西域の極みまで言って戦うものの歌)

從軍行 従軍行は、軍旗辛苦の状を述べるものであるから、匈奴の事に關した此題の詩は、塞上・塞下の諸曲と極めて類似して居る。六朝までの詩は、軍人の詩であったが、唐の時には、戦場に行かない者が、想像で書いたもの、酒宴の席で歌われたものである。

巻四08-塞下曲六首之一(十五入漢宮,)、《巻四09-塞下曲六首之二》(天兵下北荒,)、《巻四10-塞下曲六首之三》、《巻四11-塞下曲六首之四》(白馬黃金塞)、《巻四12-塞下曲六首之五(塞虜乘秋下,)、《巻四13-塞下曲六首之六》(烽火動沙漠)、《巻四15-塞上曲(大漢無中策,) 《巻五10-折楊柳》(垂楊拂綠水,)《巻五12-紫騮馬》(紫騮行且嘶,)などある。

折楊柳

垂楊拂綠水,搖豔東風年。花明玉關雪,葉暖金窗煙。

美人結長想,對此心淒然。攀條折春色,遠寄龍庭前。

(折楊柳)

垂楊は綠水を拂い,搖豔 東風の年。

花は明かなり 玉關の雪,葉は暖かなり 金窗の煙。

美人 長想を結び,此に對して 心淒然。

攀條 春色を折り,遠く寄す 龍庭の前。

 

紫騮馬

紫騮行且嘶,雙翻碧玉蹄。

臨流不肯渡,似惜錦障泥。

白雪關山遠,黃雲海戍迷。

揮鞭萬里去,安得念春閨。

(紫騮馬)

紫騮 行いて且つ嘶く,雙翻す 碧玉の蹄。

流に臨んで 肯て渡らず,惜むに似たり 錦障の泥を。

白雪 關山遠く,黃雲 海戍迷う。

鞭を揮って萬里に去る,安ぞ得ん 春閨を念うを。

 

從軍玉門道,逐虜金微山。

従軍して、玉門關の道をたどり、やがて匈奴を討ち破って、金傲山の邊まで之を逐い拂ってしまった。

1.   玉門 玉門關の略、中国の甘粛(かんしゅく)省北西部、敦煌(とんこう)(トゥンホワン)市西北約100kmのゴビ砂漠の中にある、唐の時代のシルクロード交易の関所で、河西回廊の防衛拠点の遺跡。玉門関は漢の時代に、南に位置する陽関とともに初めて設けられたが、現在残っているのは唐の時代の遺跡である。玉門関はシルクロード交易の重要な中継地となり、新疆(しんきょう)の和田で算出される玉を中原へ運ぶための中継地ともなったことから、玉門関と名づけられたといわれている。

巻二28楽府胡無人

天兵照雪下玉關。 虜箭如沙射金甲。

巻三34 王昭君二首其一

漢家秦地月。 流影照明妃。一上玉關道。 天涯去不歸。

巻四12- 塞下曲六首 其五

邊月隨弓影。 胡霜拂劍花。 玉關殊未入。 少婦莫長嗟。

巻五10折楊柳

垂楊拂綠水。 搖艷東風年。 花明玉關雪。 葉暖金窗煙。

巻五 26秋思

單于秋色來。 胡兵沙塞合。 漢使玉關回。 征客無歸日。

巻五 29子夜歌:秋歌

長安一片月。 萬搗衣聲。 秋風吹不盡。 總是玉關情。

巻二十登邯鄲洪波台置酒觀發兵

天狼正可射。 感激無時閑。 觀兵洪波台。 倚劍望玉關。

巻二一奔亡道中五首  其四

函谷如玉關。 几時可生還。 洛陽為易水。 嵩岳是燕山。

巻二二22清溪半夜聞笛

羌笛梅花引。 溪隴水情。 寒山秋浦月。 腸斷玉關聲。

巻二四55思邊

西山白雪暗秦云。 玉關去此三千里。 欲寄音書那可聞。

2.   金微 山名。今中蒙交界處的阿爾泰山脈で漢匈戦争を行ったところ。漢武帝時代,西漢反守為攻,主動攻擊匈奴,漢匈雙方強弱平勢であったため二百年以上続いたものである。

 

笛奏梅花曲,刀開明月環

軍中に於いては、笛中に落梅花の曲を奏すれども、北地もとより梅花あらず、刀上の環は、固くして明月の如く、環は還と音が通じているから、自分は、いつ帰るとも分らない。

3.   梅花曲 落梅花といふ笛曲を指す。李白《卷六01襄陽歌》「千金駿馬換小妾、笑坐雕鞍歌落梅。」(千金の駿馬小妾と換へ,笑ひて雕鞍に坐して『落梅』を歌う。)千金の値うちのあるスマートな足の早い馬を、おれの女と取り換えてもらい、にっこり笑い、見事な彫り物をほどこした鞍にまたがり、「落梅」の歌を口ずさむ。

4.   刀開明月環 刀の先端に囲い環の付いて居るをいう。その環といふ字が帰還につながるものであるということからその意味に使う。

 

鼓聲鳴海上,兵氣擁雲間

今しも、戦機復た方に熟し、金鼓の聲は青海の岸に轟き、兵気は雲間に充満して、まことに物凄い景色である。

5.   海上 青海の岸、青海の向こうに玉門關、金微山、鐵門關がある。

 

願斬單于首,長驅靜鐵關。

願わくば、単于の首を斬り、長躯して鐡門關に至り、すっかり邊境を静めて、匈奴の入寇を根絶したいと思っているのである。

6.   單于首 單于とは?難読語辞典。 匈奴(きようど)の最高君主の称号。李白《巻三36幽州胡馬客歌》「天驕五單于。 狼戾好凶殘。」(天驕五単于、狼戻にして兇残を好む。)匈奴の単于は自らを天の驕児と称した。 狼の如く心ねじれた道理を持っており、強暴で残忍なことを好んでいる。・天驕 匈奴の単于はみづからを天の驕児と称した。・五単于(ぜんう)漢の宣帝のとき匈奴は五単于ならび立った。・狼戻(ろうれい)狼の如く心ねぢけ道理にもとる。

7.   鐵關 唐書地理志に「焉耆より西五十里鉄門関を過ぐ」とあって、西域の極門としてある。青海から、玉門關へ、その距離の倍程度西に行った地点で黄河と西域の分水嶺のあたり。