李白  東武吟

好古笑流俗,素聞賢達風。方希佐明主,長揖辭成功。 

白日在高天,回光燭微躬。恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)  わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

李太白集巻36-1

東  武  吟

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Index-24  744年天寶三年44歳 56-14

428 <1000

 

 

 
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-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#1

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。
方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。
白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。
恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。寶馬麗景,錦衣入新豐。 

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

天書美片善,清芬播無窮。歸來入咸陽,談笑皆王公。 

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

長安皇城宮城00 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

東武吟

好古笑流俗,素聞賢達風。

方希佐明主,長揖辭成功。

白日在高天,回光燭微躬。

恭承鳳凰詔,起雲蘿中

(下し文)
(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。

方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。

恭しく鳳凰の詔りを承け,ち雲蘿の中より起つ

(現代語訳)
東武吟(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。


(訳注) 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

1 詩題 「出金門後、書懐、留翰林諸公」「金門を出し後、懐を書して、翰林諸公に留別す。」とあって、李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。

2 東部吟 蕭士贇の解に「曰《東武吟》即樂府正聲東門行也。」(曰く《東武吟》は即ち樂府正聲の東門行なり。)「晉樂奏古辭云《出東門不顧歸》言、士有貧不安其居、拔劔去、妻子牽衣留之、願共餔糜、斯足。不求富貴也。太白詩、則自述其志也。」(晉樂奏古辭に云『東門を出でて顧いて歸るをせず』言うは、士、貧にして其の居に安んぜざる有り、劔を拔いて去る、妻子 衣を牽いて之を留む、願わくば餔糜を共にすれば、斯に足らん。富貴を求めざるなり。太白の詩は、則ち自ら其の志を述ぶるなり。)とあり、切実な思いを述べている。

王琦の解には、《樂府詩集、古今樂録》「曰、王僧技録有 東武吟行今不歌。」(曰く、王僧技録に東武吟行り、今は歌わず。)。樂府觧題に曰く、「鮑照云、『主人且勿諠』、沈約云、「天徳深且廣。」、傷時移事異榮華徂謝也。」(鮑照は云う、『主人とし且つ諠する勿れ』、沈約は云う、「天徳は深く且つ廣し。」、時移り、事異に、榮華の徂謝するを傷むなり。)と。  左思の《齊都賦》の註に云う、「東武太山皆齊之土風、絃歌謳吟之曲名也。」(東武太山は皆、齊の土風であり、絃歌の謳吟の曲名なり。)と。通典に曰く、「漢有東武郡、今、高諸城縣是也。」(漢に東武郡有り、今、高 諸城縣が是なり。 《元和郡縣志》には、「州諸城縣、即漢東武縣也。属琅邪/郡。樂府章所謂東武吟者也。」(州の諸城縣、即ち漢の東武縣なり。琅邪郡にす。樂府章に所謂る東武吟なる者なり。と。《海録碎事》には、「東武吟樂府、詩人有少壮從征伐、年老被棄、於東武者不敢論功、但戀君耳。」(東武吟は樂府であり、詩人は有少壮に征伐に從い、年老いて棄て被れ、東武に於てぶ者あり、敢えて功を論ぜず、但だ君に戀うるのみ

 

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

 

方希佐明主,長揖辭成功。

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

 

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

3 微躬 自らを謙遜して言う。

 

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

4 恭承 恭しく敬いながら承る。

5 鳳凰詔 十六國春秋「石虎在臺上有詔書以五色紙著凰口中既銜詔。侍人放數百丈緋轆轤迴轉、状若飛翔飛下端門。以木作之、五色文身脚皆用金。」(石虎、臺上に在り、詔書有り五色の紙を以て凰の口中に著く。既に詔を銜む。侍人、數百丈の緋ち、轆轤迴轉、状、飛翔するが若く、飛んで端門を下る。は、木を以て之を作り、五色文身、脚、皆金を用う。紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。

鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。

鳳銜 鳳詔と同じ。 鳳凰が口に銜える。詔勅を木製の鳳凰に銜えさせた故事。鳳詔:《鄴中記》.「石季龍與皇后在觀上為詔書,五色紙著鳳口中,鳳既銜詔,詩人放,數百丈緋繩轆盧回轉,鳳凰飛下,謂之鳳詔。鳳凰以木作之,五色漆畫,皆用金。」

韋莊《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》「鳳銜金膀出雲來,平地一聲雷。

街鼓動,禁城開,天上探人回。

鳳銜金膀出雲來,平地一聲雷。

鶯已遷,龍已化,一夜滿城車馬。

家家樓上簇神仙,爭看鶴冲天。

(喜遷鶯二首 其の二)

街は鼓動し,禁城 開く,天上 人を探して回る。

鳳は金膀を銜へ 雲來に出づ,平地 一聲雷。

鶯は已に遷り,龍 已に化す,一夜 城の車馬に滿つ。

家家の樓上 神仙に簇【むらが】り,爭って看る 鶴の天に冲【のぼ】るを。

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の二:科挙の試験に合格し、天子にお目見えするさまを、そして、その後街中を無礼講で歩き回り、夜の宮中晩さん会を仙郷に喩えて詠う。)

長安の街に「引見」の太鼓の音が鳴り響き、皇城の正門朱雀門はひらかれ、宮官人たちは早くから動きにぎわい、宮中では人を探し回るほどの騒ぎである。

古来より恒例の詔勅の入った金沙の袋を木製の鳳凰が口に銜えたのが、天子につづいて、更に百官が居並んでてきて、平地には祝福の号砲のような雷が鳴り響く。

既に鶯は谷を渡ったという、進士の試験に及第した、龍が既に化身したがこれからどれだけ伸びてくれるか計り知れない前途洋洋である。その夜は長安城には及第者は無礼講で、溢れるほどの車馬でいっぱいになった。

多くの人が家家の高楼の上にあがって、仙郷である朝廷の及第者の様子を見ようと群がって見ている。そこに鶴に乗って天に上る及第者が御殿に昇っていくのをみんな爭ってみるのである。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-36韋荘114《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》三巻14-114〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5772
大明宮 作図011 


 

 東武吟

  一作出金門後書懐留翰林諸公東樂/府詩集古今樂録曰王僧技録有 武吟行今不歌樂府觧題曰鮑照云、「主人且勿諠」、/約云、「天徳深且廣。」、傷時移事異榮華徂謝也。

  左思、《齊都賦》註云、東武太山皆齊之土風、絃歌謳吟之/曲名也。 通典曰、漢有東武郡、今、高諸城縣是也。

  元和郡縣志州諸城縣即漢東武縣也属琅邪/樂府章所謂東武吟者也《海録碎事》東武吟樂府、詩人有少壮從征伐、年老被棄、於東武者不敢論功、但戀君耳。

好古笑流俗,素聞賢達風。方希佐明主,長揖辭成功。 

白日在高天,回光燭微躬。恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

十六國春秋石虎在臺上有詔書以五色紙著凰口中既銜詔侍人放數百丈緋轆轤迴轉状/若飛翔飛下端門以木作之五色文身脚皆用。

清切紫霄迥,優游丹禁通。君王賜顔色、聲價凌烟虹。

乗輿擁翠盖、扈從金城東。寳馬麗錦衣入新豐

 

繆本/作倚巖望松雪、對酒鳴絲桐。因學揚子雲、獻賦甘泉

天書片善、清芬播無窮。歸來入咸陽、談笑皆王公。許本誤失/去此二句

 

一朝去金馬、飄落成飛蓬。繆本/作友日疎散、玉樽亦已。

才力猶可倚、一作/不慙世上雄。閒作東武吟、曲盡情未終。

書此謝知已、吾尋黄綺翁。一作扁舟尋釣翁達劉/峻廣絶交論斯賢

素交沈約詩便欲息微躬漢書恭承嘉惠兮顔師古註/恭敬也 宋書殷淳居黄門為清切魏書對九重之清切望八襲之/嶸  梁簡文帝圍城賦升紫霄之丹地排玉殿之金扉  隋書分司丹禁侍衛左右上官儀詩清切丹禁 静顔之/推詩楚王賜顔色出入章華裏鮑照詩輝石亂烟虹賈誼新書天子車曰乗輿。

 淮南子建翠盖髙誘註翠盖以/翠鳥羽飾葢也。 上林賦扈從横行出乎四校之中晉灼註扈大也

 封氏聞見記百官從駕謂之扈從葢臣下侍/從至尊各供所職猶僕御扈養以從上故謂之扈從耳

 上林賦云、扈從横行顔監釋云謂扈從縱恣而行也據/顔此觧乃讀從為放縱不取行從之義所未詳也。

石林燕語從駕謂之扈從始司馬相如上林賦晉灼以扈為/大張揖謂跋扈縱横不安鹵簿故顔師古因之亦以為跋扈恣縱而行果爾從葢作去聲侍天子而言跋扈可乎唐封演以為扈從以從猶之僕御此或近之。

 張協詩朱軒耀金城劉良註金城長安城也。史記中廐之寳馬臣得賜之水經註魏武與張繡戰於宛馬名絶景為流矢所中

舊唐書 京兆府有昭應縣本隋之新豐縣治古/新豐城北天寳三載分新豐萬年置昌縣 七載省新豐縣改昌為昭應治温泉之西北琦 按自乗輿擁/翠葢而下是指其侍從温泉宮、而言在新豐縣之驪山下正直唐京師之東太白入朝、在天寳二三載是時新豐尚未省也。

 顔延年詩倚巖聴緒風又曰庭昏見野隂山明望松雪漢書揚雄待詔承明之庭正月從上甘/泉還奏甘泉賦以風桓譚新論揚子雲從成帝祠甘泉詔雄作賦思精苦困倦小卧夢五臟出外以手收而納/之及覺病喘悸少氣王筠詩自知心所愛獻賦甘泉

鮑照詩 片善辭革萊 漢書公孫𢎞拜為博士待詔金馬/。 曹植詩 玉樽盈桂酒夏黄公綺里季事見四巻註歘音旭又音忽

 

 

 

 

   東武吟

   一作“出東門後書懷留翰林諸公士” 贇曰「東武吟」即樂府正聲東門行也。

晉樂奏古辭云出東門不顧歸士有貧不安其居拔劔去妻子牽衣留之願共餔糜斯足。不求富貴也。

太白詩、則自述其志也。又、王僧技錄、相和歌楚調十曲有《東武吟》亦曰《東武琵琶吟行》

好古笑流俗、素聞賢達風。方希佐明主、長揖辭成功。

白日在髙天、迴光燭微躬。

齊賢曰 尚書序好古博約/君子漢書酈生長揖不拜

恭承鳳凰詔、歘起雲蘿中。清切紫霄逈、優游丹禁通。

齊賢曰 事始曰石季龍置戲馬觀上安詔書用五色紙銜于木鳳口而頒行禁中門有禁非侍御不得入

君王賜顔色、聲價淩煙虹。乗輿擁翠葢、扈從金城東。

寳馬麗絶景、錦衣入新豐。

齊賢曰明皇嘗賜太白錦袍士贇曰輿/服志乗輿大駕公卿奉引太僕御大將軍乗屬車八十一乘千乗萬騎名曰鹵簿

依巖望松雪、對酒鳴絲桐。因學揚子雲、獻賦甘泉

天書美片善清芬播無窮

齊賢曰 漢成帝時、揚雄從上幸甘泉、還奏甘泉賦以風

一朝去金馬、飄落成飛蓬。日疎散、玉樽亦已空。

士贇曰待詔金馬門、詳見一巻史孟嘗君廢諸客皆去。馮驩曰富貴多士貧賤寡友事之固然也。今君失位而客皆去事之固然也。漢書、孔融喜後進、客日盈其門常歎曰座上客常滿樽中酒不空吾無憂矣。此反其意而用之

才力猶可倚、不慙世上雄。閒作東武吟、曲盡情未終。

書此謝知已、吾尋黄綺翁。

齊賢曰 東武太山皆齊之土風絃歌謳吟之曲名也。士贇曰此詩、乃太白放黜之後作此以知已者抱材於世始遇而卒不合見知而不見用卒章曰閒作東武吟曲盡情未終書此謝知已吾尋黄綺翁惓戀不忘之意悠然見於辭外亦可慨歎也已。