744年-004卷179_16 春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》說)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7580
春陪商州裴使君遊石娥溪 (ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作った)
裴太守は神仙の風標があって、俗を抜くこと数千丈といわれるほどのお方である。それは、滄州の雲の澹蕩であるがごとく、高貴なことは紫霞の思いの飃颻たるが如くであり、とても凡庸な人ではないのである。かくて、符を割いて商洛の地の長官になり、心は清閑であり、施政はよくなされているのである。ひとり、蕭条として、世俗の表に出て、冥寂のなかにあって、大道の深遂を閉じて、ひとり、玄関を守っておられるのである。
744年-004 -#1 | 春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○ | 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7583 |
全唐詩卷179_16 | ||
李白集校注巻 20-017 | 767年大暦2年56歲 (4) |
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 | ||||
春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○ | 卷179_16 春陪商州裴使君游石娥溪 | 春陪商州裴使君遊石娥溪(卷一九-22) | |||||
詩題 | 春陪商州裴使君遊石娥溪 | 文體 | 樂府 | ||||
詩序 |
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| 原注:時欲東遊(歸)、遂有此贈 |
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寫作地點 | 商州(山南東道 / 商州 / 商州) |
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寫及地點 | 商州 (山南東道 商州 商州) | ||||||
石娥溪 (山南東道 商州 商州) 別名:仙娥溪、丹江、丹水 | |||||||
| 商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏 | ||||||
| 西巖山 (山南東道 商州 商州) 別名:仙鵝峰 |
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交遊人物 | 裴使君 | 交遊地點 | 山南東道 商州 商州 | ||||
春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)
原注:時欲東遊(歸)、遂有此贈
卷179_16 《春陪商州裴使君游石娥溪(時欲東歸遂有此贈)》
春陪商州裴使君遊石娥溪(卷一九-22)
744-004
春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)
(ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作った)
原注:時欲東遊(歸)、遂有此贈
(原本の注に時に東に遊ばんと欲してとあるのを〔歸〕としていてそしてこの詩を贈る)
#1
裴公有仙標,拔俗數千丈。
裴太守は神仙の風標があって、俗を抜くこと数千丈といわれるほどのお方である。
澹蕩滄洲雲,飄颻紫霞想。
それは、滄州の雲の澹蕩であるがごとく、高貴なことは紫霞の思いの飃颻たるが如くであり、とても凡庸な人ではないのである。
剖竹商洛間,政成心已閑。
かくて、符を割いて商洛の地の長官になり、心は清閑であり、施政はよくなされているのである。
蕭條出世表,冥寂閉玄關。
ひとり、蕭条として、世俗の表に出て、冥寂のなかにあって、大道の深遂を閉じて、ひとり、玄関を守っておられるのである。#2
我來屬芳節,解榻時相悅。褰帷對雲峰,揚袂指松雪。
暫出東城邊,遂遊西巖前。橫天聳翠壁,噴壑鳴紅泉。
尋幽殊未歇,愛此春光發。
#3
溪傍饒名花,石上有好月。命駕歸去來,露華生翠苔。
淹留惜將晚,復聽清猿哀。清猿斷人腸,遊子思故鄉。
明發首東路,此歡焉可忘。
(春、商州の裴使君に陪して石娥溪に遊ぶ)
#1
裴公 仙標有り,俗を拔くこと 數千丈。
澹蕩たり 滄洲の雲,飄颻たり 紫霞の想。
竹を剖く 商洛の間,政成って 心 已に閑なり。
蕭條 世表を出て,冥寂 玄關を閉ず。
#2
我 來って 芳節に屬し,榻を解いて 時に相い悅ぶ。
帷を褰【かか】げて 雲峰に對し,袂を揚げて 松雪を指す。
暫く東城の邊に出で,遂に西巖の前に遊ぶ。
天に橫わって 翠壁聳え,壑を噴いて 紅泉鳴る。
幽を尋ねて 殊に未だ歇まず,此の春光の發するを愛す。
#3
溪傍 名花饒く,石上 好月有り。
駕を命じて 歸去來【かえりなんいざ】,露華 翠苔に生ず。
淹留 將に晚んとするを惜み,復た清猿の哀きを聽く。
清猿 人腸を斷ち,遊子 故鄉を思う。
明發 東に首【むか】うの路,此の歡び 焉んぞ 忘る可けんや。
『春陪商州裴使君遊石娥溪』現代語訳と訳註解説
(本文)
春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)(19-22)
#1
裴公有仙標,拔俗數千丈。
澹蕩滄洲雲,飄颻紫霞想。
剖竹商洛間,政成心已閑。
蕭條出世表,冥寂閉玄關。
(下し文)
(春、商州の裴使君に陪して石娥溪に遊ぶ)
#1
裴公 仙標有り,俗を拔くこと 數千丈。
澹蕩たり 滄洲の雲,飄颻たり 紫霞の想。
竹を剖く 商洛の間,政成って 心 已に閑なり。
蕭條 世表を出て,冥寂 玄關を閉ず。
(現代語訳)
(ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作った)
(原本の注に時に東に遊ばんと欲してとあるのを〔歸〕としていてそしてこの詩を贈る)
裴太守は神仙の風標があって、俗を抜くこと数千丈といわれるほどのお方である。
それは、滄州の雲の澹蕩であるがごとく、高貴なことは紫霞の思いの飃颻たるが如くであり、とても凡庸な人ではないのである。
かくて、符を割いて商洛の地の長官になり、心は清閑であり、施政はよくなされているのである。
ひとり、蕭条として、世俗の表に出て、冥寂のなかにあって、大道の深遂を閉じて、ひとり、玄関を守っておられるのである。
(訳注・解説)
春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)#1
(ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作った)
原注:時欲東遊(歸)、遂有此贈(原本の注に時に東に遊ばんと欲してとあるのを〔歸〕としていてそしてこの詩を贈る)
1. 商州 隋朝が成立すると商州は下部に5郡を管轄した。605年(大業元年)に上州上津県が移管されている。607年(大業3年)、郡制施行に伴い商州は上洛郡と改称され下部に5県を管轄した。隋朝の行政区分に関しては下図を参照。
王琦の解に次のように言う。
商州古商國也在晉為上洛郡在西魏為洛州在/後周為商州在唐亦謂之商州或為上洛郡地有
商山洛水依此立名屬關内道使君太守之稱石/娥溪當在仙娥峰下按雍勝畧商畧陜西通志仙
娥峰在商州西十里峰之麓有西巖洞壑幽邃下/臨丹水古稱棲真之地李白嘗游此有詩曰暫出
城東邊遂游西巖前横天聳翠壁噴壑鳴紅泉云/云是石娥溪卽仙娥峰下之溪也所謂紅泉者其
卽丹/水歟
商州は古えの商國也。晉に在っては、上洛郡為り、西魏にっ在ては洛州為り、後周に在/っては商州為り、唐に在ては亦た 之を商州と謂い或いは上洛郡と為す。地に商山洛水有り、此に依って名を立つ。關内道に屬す。使君は太守之稱。石/娥溪は、當に仙娥峰下に在るべし。雍勝畧、商畧、陜西通志を按ずるに、仙娥峰は、商州の西十里に在り、峰之麓に西巖有り、洞壑幽邃、下、丹水に/臨み、古、棲真の地と稱す。李白、嘗って此に游び、有詩あり曰く、「暫出城東邊、遂游西巖前、横天聳翠壁、噴壑鳴紅泉、云云 と。是、石娥溪、卽ち仙娥峰下の溪也。所謂、紅泉なる者は其れ卽ち丹水か。」
この詩は、ある年の春、李白が商州の太守裴使君にしたがって、石娥溪に遊んで作ったものである
2. 石娥溪 石/娥溪は、商州は地形の仙娥峰の下に在る渓谷であり、ここに船で入ってゆきあそんだもの。陜西通志に、仙娥峰は、商州の西十里に在り、峰之麓に西巖有り、洞壑幽邃、下、丹水に/臨み、古、棲真の地と稱す。
裴公有仙標,拔俗數千丈。
裴太守は神仙の風標があって、俗を抜くこと数千丈といわれるほどのお方である。
3. 拔俗 操守廉正,超越世俗な人を形容するもの。南朝·宋·劉義慶《世說新語·德行》劉孝標注引謝承《後漢書》:「徐稚,字儒子,豫章南昌人,清妙高跱,超世絕俗。」
澹蕩滄洲雲,飄颻紫霞想。
それは、滄州の雲の澹蕩であるがごとく、高貴なことは紫霞の思いの飃颻たるが如くであり、とても凡庸な人ではないのである。
4. 澹蕩 ゆったりしてのどかな・こと(さま)。謂使人和暢。多形容春天的景物。
5. 滄洲雲 神仙三山に続く滄海を面前にするあたりの穏やかな雲。
剖竹商洛間,政成心已閑。
かくて、符を割いて商洛の地の長官になり、心は清閑であり、施政はよくなされているのである。
6. 剖竹 高位に住ぜられること。符を割く。
7. 商洛 陝西省の東南部に位置し、渭南市、西安市、安康市、河南省、湖北省に接する。 市名は区内に位置する商山、洛水による。
蕭條出世表,冥寂閉玄關。
ひとり、蕭条として、世俗の表に出て、冥寂のなかにあって、大道の深遂を閉じて、ひとり、玄関を守っておられるのである。
8. 冥寂 静寂なさま。《文選·郭璞<游仙詩>之三》「緑蘿結高林,蒙蘢蓋一山。中有冥寂士,靜嘯撫清絃。」李善注:“冥,玄默也。
9. 玄關 中国の道教(煉丹術の内丹の法では体内にある気を巡らすための最初に気を通す場所のことである)、禅(達磨による禅の伝来の際、達磨の指示でディヤーナを玄(後に禪(禅)と訳す)と訳したともされる)などの用語で「玄関」とは「玄妙の道に入る關門」(「玄牝の関」)ことである。關は關鍵をいい、門を閉鎖することを示す。ここでは、トラブルの訴えなどなく、訴える役所の門に鍵をかけたままという意味になる。