744年-005-#1卷179_5 秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷二十(二)一一五三)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》說)ⅠⅠ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7601
秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(ある秋の日、孟諸澤で狐兔を狩猟し、夜になって帰ってきて、それから、單父の東楼において宴会をし、妓女の踊りを見て打ち興じた)
傾く夕陽は 燃えつきるほどになっている炬火(たいまつ)よりも速く沈み、やがて全然沈滅するものである、海へ向かって流れる水には、停止しているところはなく、行く川のながれは止まるを知らず、元の水ではないのである。
人生ははかなく特に、衰老の痛むべきはこのことを言うのであるから、せめて、請い願うことは、円邱の不老不死の草をごちそうになりたいとおもうし、老いる身にもとの若さをとりもどしたいと希望しているのである。
こんなことは、なしうることではないということは、決してなしうるものではないという事は分かっている、人の一生というものは微々として、浮かべる煙のごとくはかないだから、この時、この行楽のひと時を心行くまで過ごすのである。
そこで朝早く出発して、それは名馬にまたがって出発しようではないか、その手に彫刻の飾りのついた弓をもち、獲物が見つかれば、ただちに矢を放つ用意をする。
その獲物を追い出す鷹は、勢いが巣様軸、霜を帯びて真っ白な魯草の上を飛び回り、これに追われて野に飛び出した狐や兎は、今一番肥えていて、元気がよく、味もそこそこ旨い。
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全唐詩 巻一七九 | ||
李白集校注巻 16-020 | 767年大暦2年56歲 (8) |
李白が長安の都を去った744年天宝三年春から、安禄山の乱が勃発した755年天宝十四年に至る十年間が、李白の第二回目の遍歴時代になる。彼の44歳から55歳までの時代である。
この間の足跡は十分には分かりかねるとされながらおおむね次の通りとされる。「北のかた趨・魏・燕・晋に抵り、西のかた岐・邠州を渉り、商於を歴て、洛陽に至り、梁に游ぶこと最も久し、復た斉・魯に之き、南のかた推・泗に游び、再び呉に入り、転じて金陵に徒り、秋浦・尋陽に止まる。」(「李太白文集後序」)
その多くは梁すなわち汴州(開封)地方において費やしていることになる。
天宝三年 744年、杜甫はこの年も洛陽に留まっている。そうして夏のころ、高力士らの讒言によって長安の宮廷を追放され、傷心を抱いて洛陽にやって来た李白と、はじめて会っている。
時に李白は四十四歳、杜甫より十一歳の年長であり、すでにその文名は天下に高かった。まだ無名の存在である杜甫は、あこがれと尊敬の念をもって李白の話に耳を傾けたのである。そうして、李白の謫仙人というべき人物と新鮮な詩風に心ひかれるままにその跡を追った杜甫は、当時やはり不遇であった高適(時に四十四歳)とも出会い、三人で梁・宋(河南省の開封・商邦)の地に遊ぶ。「壮遊」と同じく晩年に襲州で作られた「遣懐」(懐いを遣る)また「昔遊」の中に、そのときの様子が次のように詠われている。
昔遊 杜甫
遣懐(昔我遊宋中) 杜甫
作者: 李白
皇帝紀年: 天寶三年 744年 44歲
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 | ||
16-020 | 一七九 | 15-020 | |||
詩題 | 秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷二十(二)一一五三)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》說) | ||||
文體 | 五言古詩 | | |||
詩序 | | ||||
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作地點 | 宋州(河南道 / 宋州 / 宋州) | ||||
及地點 | 孟諸澤 (河南道 宋州 虞城) 別名:孟諸 | ||||
| 單父 (河南道 宋州 單父) | ||||
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交遊人物 | | 交遊地點 | 宋州(河南道 / 宋州 / 宋州) | ||
秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓
(ある秋の日、孟諸澤で狐兔を狩猟し、夜になって帰ってきて、それから、單父の東楼において宴会をし、妓女の踊りを見て打ち興じた)
傾暉速短炬,走海無停川。
傾く夕陽は 燃えつきるほどになっている炬火(たいまつ)よりも速く沈み、やがて全然沈滅するものである、海へ向かって流れる水には、停止しているところはなく、行く川のながれは止まるを知らず、元の水ではないのである。
冀餐圓丘草,欲以還頹年。
人生ははかなく特に、衰老の痛むべきはこのことを言うのであるから、せめて、請い願うことは、円邱の不老不死の草をごちそうになりたいとおもうし、老いる身にもとの若さをとりもどしたいと希望しているのである。
此事不可得,微生若浮煙。
こんなことは、なしうることではないということは、決してなしうるものではないという事は分かっている、人の一生というものは微々として、浮かべる煙のごとくはかないだから、この時、この行楽のひと時を心行くまで過ごすのである。
駿發跨名駒,雕弓控鳴弦。
そこで朝早く出発して、それは名馬にまたがって出発しようではないか、その手に彫刻の飾りのついた弓をもち、獲物が見つかれば、ただちに矢を放つ用意をする。
鷹豪魯草白,狐兔多肥鮮。
その獲物を追い出す鷹は、勢いが巣様軸、霜を帯びて真っ白な魯草の上を飛び回り、これに追われて野に飛び出した狐や兎は、今一番肥えていて、元気がよく、味もそこそこ旨い。
邀遮相馳逐,遂出城東田。
一掃四野空,喧呼鞍馬前。
歸來獻所獲,炮炙宜霜天。
出舞兩美人,飄颻若雲仙。
留歡不知疲,清曉方來旋。
(秋、孟諸に猟し、夜帰りて単父の東楼に置酒して妓を観る)
傾暉は短炬よりも速かに、走海に 停川無し。
冀【こいねが】わくは 圓丘の草を餐し、以て頽年を還さんと欲す。
此の事 得可からず、微生 浮烟の若し。
駿発 名駒に跨り、雕弓 鳴弦を控う。
鷹 豪にして魯草白く、狐兎 肥鮮多し。
#2
邀遮【ようしゃ】して相い馳逐し、遂に城東の田に出づ。
一掃して四野空しく、喧呼す 鞍馬の前。
帰来 獲る所を献じ、炮炙 霜天に宜し。
出でて舞う 両美人、飄颻として雲仙の若し。
留歓 疲るるを知らず、清暁 方に来り旋る。
秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(卷十六(二)九九三) |
【孟諸】 杜預 春秋經傳集解 孟諸 宋大藪也。在梁國睢陽縣東北。 |
元和郡縣志、孟諸澤在宋州虞城縣西北十里、周迴五十里、俗號盟諸澤。善單父音 甫 |
傾暉速短炬,走海無停川。 冀餐圓丘草,欲以還頹年。 |
此事不可得,微生若浮煙。 駿發跨名駒,雕弓控鳴弦。 |
鷹豪魯草白,狐兔多肥鮮。 邀遮相馳逐,遂出城東田。 |
一掃四野空,喧呼鞍馬前。 歸來獻所獲,炮炙宜霜天。 |
出舞兩美人,飄颻若雲仙。 留歡不知疲,清曉方來旋。 |
【圓丘】 鮑照詩 傾暉忽西下。郭璞詩 「圓丘有竒草。」李善註「外國圖曰、圓丘有不/死樹、食之乃壽。 |
吕向註、「圓丘、山名。竒草芝草也。」 |
【頹年】 陸機 愍思賦樂来日、之有繼傷頽年。 【駿發】 之莫纂詩 周頌 駿發。爾私 鄭箋 云駿疾也。 |
【雕弓】 東京賦雕弓斯彀薛綜註、雕弓謂有刻畫也。 |
【炮炙】 漢書 逢蒙列眥羿氏控。絃顔師古註、控引也。羽獵賦 「滛滛與與前後要遮説文炰毛炙肉也。」 |
韻㑹:錢氏曰「凡肉置火中曰炮、近火曰炙。應瑒詩「公子敬愛客樂飲不知疲」 |
《秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓》現代語訳と訳註解説
(本文)
秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓
傾暉速短炬,走海無停川。
冀餐圓丘草,欲以還頹年。
此事不可得,微生若浮煙。
駿發跨名駒,雕弓控鳴弦。
鷹豪魯草白,狐兔多肥鮮。
(下し文)
(秋、孟諸に猟し、夜帰りて単父の東楼に置酒して妓を観る)
傾暉は短炬よりも速かに、走海に 停川無し。
冀【こいねが】わくは 圓丘の草を餐し、以て頽年を還さんと欲す。
此の事 得可からず、微生 浮烟の若し。
駿発 名駒に跨り、雕弓 鳴弦を控う。
鷹 豪にして魯草白く、狐兎 肥鮮多し。
(現代語訳)
秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓(ある秋の日、孟諸澤で狐兔を狩猟し、夜になって帰ってきて、それから、單父の東楼において宴会をし、妓女の踊りを見て打ち興じた)
傾く夕陽は 燃えつきるほどになっている炬火(たいまつ)よりも速く沈み、やがて全然沈滅するものである、海へ向かって流れる水には、停止しているところはなく、行く川のながれは止まるを知らず、元の水ではないのである。
人生ははかなく特に、衰老の痛むべきはこのことを言うのであるから、せめて、請い願うことは、円邱の不老不死の草をごちそうになりたいとおもうし、老いる身にもとの若さをとりもどしたいと希望しているのである。
こんなことは、なしうることではないということは、決してなしうるものではないという事は分かっている、人の一生というものは微々として、浮かべる煙のごとくはかないだから、この時、この行楽のひと時を心行くまで過ごすのである。
そこで朝早く出発して、それは名馬にまたがって出発しようではないか、その手に彫刻の飾りのついた弓をもち、獲物が見つかれば、ただちに矢を放つ用意をする。
その獲物を追い出す鷹は、勢いが巣様軸、霜を帯びて真っ白な魯草の上を飛び回り、これに追われて野に飛び出した狐や兎は、今一番肥えていて、元気がよく、味もそこそこ旨い。
(訳注)
秋獵孟諸夜歸置酒單父東樓觀妓
(ある秋の日、孟諸澤で狐兔を狩猟し、夜になって帰ってきて、それから、單父の東楼において宴会をし、妓女の踊りを見て打ち興じた)
1. 孟諸 孟諸澤のこと。
杜預は、春秋經傳集解に 「孟諸は、宋の大藪なり。梁國 睢陽縣の東北に在り。」といっていて、元和郡縣志に、「孟諸澤は、宋州 虞城縣の西北十里に在り、周迴 五十里、、俗に盟諸澤と號す。」とある。
2. 置酒 酒宴を開くこと。さかもり。置酒高会:。盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。▽「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。
3. 單父 (河南道 宋州 單父) 単県(ぜんけん)は中華人民共和国山東省菏沢市に位置する県。古名を単父(ぜんほ)という。
4. 東樓 この場所は、李白の《李太白集巻十五20單父東樓秋夜送族弟沈之秦》詩の二首にうたわれる。
これらのことが、杜甫の、《遣懐》では、「昔我遊宋中、惟梁孝王都。」といい、《昔遊》では「昔者与高李、晩登単父台。寒蕪際碣石、万里風雲来。桑柘葉如雨、飛藿共徘徊。」とこの時のことを回想している。
傾暉速短炬。 走海無停川。
傾く夕陽は 燃えつきるほどになっている炬火(たいまつ)よりも速く沈み、やがて全然沈滅するものである、海へ向かって流れる水には、停止しているところはなく、行く川のながれは止まるを知らず、元の水ではないのである。
5. 傾暉 午後の西に傾く夕日をいう。南朝宋鮑照《秋夜》詩「傾暉忽西下,迴景思華幕。」
6. 短炬 炬火(たいまつ)が燃え尽きて行って、炎の長さが短くなっていることを言う。
7. 走海無停川 河の水が海に走っていく、川の水はどどまっている流れなどないのである。
李白《巻三19-白頭吟》「東流不作西歸水,落花辭條羞故林。」それに、東に向って流れる水は、決して、再び西へは帰らず、一朝落花となって枝を辭したものは、再びもとの林に返ることを羞とすると同じく、一旦訣絶した上は、再びもとへは返らぬということはわかっていることである。
この《巻三19-白頭吟》の二句は、《孟子‧告子篇》告子曰、「性猶湍水也。決諸東方、則東流、決諸西方、則西流。人性之無分於善不善也、猶 水之無分於東西也。」孟子曰、「水信無分於東西、無分於上下乎。人性之善也、猶水之就下也。」によるものである。
冀餐圓邱草。 欲以還頹年。
人生ははかなく特に、衰老の痛むべきはこのことを言うのであるから、せめて、請い願うことは、円邱の不老不死の草をごちそうになりたいとおもうし、老いる身にもとの若さをとりもどしたいと希望しているのである。
8. 冀餐圓丘草 芝のような草ばかりの小山に生えている薬草を言う。その薬草を束れば、不老長寿を得ることができる。
【圓丘】 郭璞の詩に「圓丘有竒草。」とあり、李善の註に「外國圖に曰く、圓丘に不死の樹有り、之を食えば乃ち長壽がえられるものである」。
吕向に註に、「圓丘、山名。竒草芝草也。」(圓丘は、山の名、竒草は芝草なり。」とある。
9. 頹年 老年,暮年。衰老の年齢。 晉陸機《愍思賦》:“樂來日之有繼,傷頽年之莫纂。”
此事不可得。 微生若浮煙。
こんなことは、なしうることではないということは、決してなしうるものではないという事は分かっている、人の一生というものは微々として、浮かべる煙のごとくはかないだから、この時、この行楽のひと時を心行くまで過ごすのである。
駿發跨名駒。 雕弓控鳴弦。
そこで朝早く出発して、それは名馬にまたがって出発しようではないか、その手に彫刻の飾りのついた弓をもち、獲物が見つかれば、ただちに矢を放つ用意をする。
10. 駿發 駿は疾風のように早いこと。發は早発とおなじ。
11. 雕弓 彫刻と彩りをきれいに描かれ飾っている弓。
12. 控 引く。弓を手前に引くという意。
鷹豪魯草白。 狐兔多肥鮮。
その獲物を追い出す鷹は、勢いが巣様軸、霜を帯びて真っ白な魯草の上を飛び回り、これに追われて野に飛び出した狐や兎は、今一番肥えていて、元気がよく、味もそこそこ旨い。
13. 鷹豪 寒くなればなる補と鷹は猛猛しくなる。
14. 魯草白 炉の国の草のうえに霜、雪がかかっている様を言う。
15. 狐兔 鷹に追われて野に飛び出した狐や兎。
16. 多肥鮮 冬を迎えるにしっかりと越冬のために栄養を取っていることで、このような表現をした。