20161114

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩(李白詩校注)

744年-009卷182_22.4  月下獨酌四首其四(卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7643

 

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806年-14 巻一 14-9-#2 秋懷詩,十一首之九 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7644

 

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757年-14 入宅三首其三 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六○八)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7645

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744
-009182_22.4 月下獨酌四首其四(卷二三(二)一三三三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7643

月下獨酌四首其四 #1 (酒さえ傾ければ、愁いはやって来ないというのに、伯夷・叔斉、顔回などは立派な人ではあるが、愁いの淵から脱却できたわけでなく、飢餓で死んでしまっては、何の役に立とうか。)月下に獨酌する四首の其の四
この世においては、窮愁というもの、毎日の事、様々に入り乱れて思うにまかせぬものであり、心が休まるものではないのであるから、そのために、美酒、三百杯を尽くすのである。一年のこと、毎日愁いは多く、これに対して、酒は少ないけれど、酒さえ傾けてさえいれば、さしもの愁いは、おしよせて来はしない。だからこそ、清酒を「聖」といったのもよく理解できることであり、酒を傾けて、これが酣になると、愁いの心、結ばれていた心も、豁然として自然に開かれ、愁いは消えてゆくのである。

 

 

 

744-009-#1

月下獨酌四首其四(卷二三(二)一三三三)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7637

全唐詩卷182_22.4-#1

李白集校注巻 23-009

李太白集 巻22-009

 

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

-23-008

182_22.3

-22-008

詩題

月下獨酌四首    其三(卷二三(二)一三三三)

文體

古今體詩・閒適

 

詩序

0

 

 

 

 

作地點

宋州(河南道 / 宋州 / 宋州

及地點

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸

 

0

 

 

 

 

交遊人物

 

交遊地點

0

 

 

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

花間一壺酒,獨酌無相親。

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。

舉杯邀明月,對影成三人。

そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。

月既不解飲,影徒隨我身。

そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

#2

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一#2

暫伴月將影,行樂須及春。

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。

醒時同交歡,醉後各分散。

そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。

永結無情遊,相期邈雲漢。

この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

 

(月下獨酌 四首 其の一)

花間、一壺の酒,獨酌、相い親しむ無し。

杯を舉げて 明月を邀へ,影に對して 三人を成す。

月、既に飲を解せず,影、徒らに我が身に隨う。

#2

暫く月と影とを伴うて,行樂、須らく春に及ぶべし。

我歌えば、月、徘徊し,我舞えば、影、零亂す。

醒時、同じく交歡し,醉後、各の分散す。

永く無情の遊を結び,相期して雲漢たり。

 

月下獨酌四首其二

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その2

天若不愛酒,酒星不在天。

天にして、酒を愛さないのなら、「酒星」の旗の三星が天空にあるわけがない。
地若不愛酒,地應無酒泉。

地にしても、もし酒を愛さないというのなら、地上に酒泉郡に「金泉」があるはずがないのである。

天地既愛酒,愛酒不愧天。

天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。

#2

已聞清比聖,復道濁如賢。

酒を愛する人は、造化の神のご加護をむなしくしないし、いにしえより、人は竊かに之を飲むことにより、酒と言い難たかったことから、「濁酒」を賢人と為し、「清酒」を聖人と為すとされたのである。
賢聖既已飲,何必求神仙。

それでも、聖人賢人、これまで、いずれも、酒を飲んだのである。濁り酒と清酒、酒は憂いを玉帚、これさえあれば、神仙の教えをもとめようすることに及ばない。 
三杯通大道,一斗合自然。

そもそも、酒を飲むにつけ、三盃飲めば天師道の正しい道につうじるといい、一斗飲めば神仙の自然に溶け込み、宇宙と冥合するのであるから、格別なものである。 

但得酒中趣,勿為醒者傳。

だから酒を飲むことはこれだけの趣がある、酒の嫌いな人にいくら言っても到底わからない、 もちろん酔って苦しみの後醒めた人に教えてやる必要などはないし、説得することなどないのである。 
月下獨酌 四首其の二) #1
天 若し酒を愛せざれば、酒星 天に在らず。
地 若し酒を愛せざれば、地 応に酒泉 無かるべし
天地 既に酒を愛す、 酒を愛するも 天に愧じず。
#2

すでに聞く 清の聖に比し、 復た道ふ 濁は賢の如しと。
賢聖 既に すでに飲む、何ぞ必ずしも 神仙を求めん。
三杯 大道に通じ、 一斗 自然に合す。
但だ 酔中の趣を得たり、醒者の為に伝ふること勿れ。

 


月下獨酌四首其三 
(咸陽城中の三月のころ、様々の花が咲き乱れて、さながら錦のようである。陶潜「飲酒二十首」を意識して春の飲酒を述べたものである。)

三月咸陽城、千花晝如錦。

咸陽城中の弥生三月は、様々な花が咲き乱れ、紅緑紫黄色、それぞれが華やかに映じて、 長安の城下の昼は千の花がまるであざやかな錦を織りなす。
誰能春獨愁、對此徑須飲。 
この春の長閑な気配のなかで、愁いに暮れるのは愚の骨頂で、誰れがこのすばらしい春にそんな気持ちになろうか、花咲匂うこの景色に対しては、すぐに杯をとって酒を飲むしかないではないか。

窮通與修短、造化夙所稟。 

人の世の窮通と修短、貧窮と栄達、人の寿命の長短はあたえられたものであり、万物創造の神から与えられたところの宿命であって、嘆いたり悔んだりしても仕方がない。
一樽齊死生、萬事固難審。 
そこで、一樽の酒に対して、死ぬことも生きることも同じように見ることが良いことで、世のすべて事柄は、もとより、その真相がわかったものではないということである。
醉後失天地。兀然就孤枕。

酔ってしまった後は、天地、この世界の存在をも全く忘れてしまい、ごろりとひとり枕について、快げに眠ってしまう。
不知有吾身。此樂最為甚。

酔ってしまうとわが身の存在も忘れてしま、この行楽の喜びこそが、この上もないことなのである。 

月下獨酌四首其の三) 
三月 咸陽城、千花 昼 錦の如し。
誰か能よく 春 独り愁ふる、此に対して徑【ただち】に須【すべか】らく飲むべし。
窮通と修短と、造化の夙【つと】に稟【う】くる所。
一樽 死生を斉しく、万事 固より審【つまびらか】にし難し。
酔ひし後 天地を失い、兀然として孤り枕に就く。
吾が身の有るを知らず、此の楽しみ 最も甚しと為す。

 

月下獨酌四首其四 #1

(酒さえ傾ければ、愁いはやって来ないというのに、伯夷・叔斉、顔回などは立派な人ではあるが、愁いの淵から脱却できたわけでなく、飢餓で死んでしまっては、何の役に立とうか。)月下に獨酌する四首の其の四
窮愁千萬端,美酒三百杯。

この世においては、窮愁というもの、毎日の事、様々に入り乱れて思うにまかせぬものであり、心が休まるものではないのであるから、そのために、美酒、三百杯を尽くすのである。
愁多酒雖少,酒傾愁不來。

一年のこと、毎日愁いは多く、これに対して、酒は少ないけれど、酒さえ傾けてさえいれば、さしもの愁いは、おしよせて来はしない。

所以知酒聖,酒酣心自開。

だからこそ、清酒を「聖」といったのもよく理解できることであり、酒を傾けて、これが酣になると、愁いの心、結ばれていた心も、豁然として自然に開かれ、愁いは消えてゆくのである。

#2

辭粟臥首陽,屢空飢顏回。

當代不樂飲,虛名安用哉。

蟹螯即金液,糟丘是蓬萊。

且須飲美酒,乘月醉高臺。

月下獨酌四首其の四 )
窮愁 千萬端、美酒 三百杯。
愁い多くして酒少なしと雖いえども、酒 傾くれば愁ひは来たらず。
所以に酒の聖たるを知り、酒 酣にして 心自ら開く。

#2
粟【ぞく】を辞して 首陽に臥し、屡しば 空しくて 顔回を飢えしむ。
当代 飲を楽しまず、虚名 安くんぞ用あらんや。
蟹螯【かいごう】は即ち金液、糟丘は是れ蓬莱。
且つ須らく美酒を飲み、月に乗じて高台に酔ふべし。

 

 

李太白集校注(王琦)

  月下獨酌四首

  其四

窮愁千萬一作/有千端、美酒三百一作/惟数杯。愁多酒雖少、酒傾愁不來。

所以知酒聖一作/聖賢、酒酣心自開。辭粟卧首陽一/作餓伯/夷、屢空飢一作/悲顔回。

當代不樂飲、虚名安用哉。蟹螯即金液、糟丘是蓬萊。

且須飲美酒、乘月醉髙臺。

晋書 「畢卓嘗謂人曰、得酒滿数百斛船、四時甘味置兩頭、右手持酒杯、註左手持蟹螯、拍浮酒船中、便足了一生矣。」 

金液 見五巻 

糟丘 見七巻註

 

 

 

月下獨酌四首其四》現代語訳と訳註解説
(本文)
月下獨酌四首其四 #1

窮愁千萬端,美酒三百杯。

愁多酒雖少,酒傾愁不來。

所以知酒聖,酒酣心自開。

 

(下し文)
月下獨酌四首其の四 )
窮愁 千萬端、美酒 三百杯。
愁い多くして酒少なしと雖いえども、酒 傾くれば愁ひは来たらず。
所以に酒の聖たるを知り、酒 酣にして 心自ら開く。

 

(現代語訳)
(酒さえ傾ければ、愁いはやって来ないというのに、伯夷・叔斉、顔回などは立派な人ではあるが、愁いの淵から脱却できたわけでなく、飢餓で死んでしまっては、何の役に立とうか。)月下に獨酌する四首の其の四
この世においては、窮愁というもの、毎日の事、様々に入り乱れて思うにまかせぬものであり、心が休まるものではないのであるから、そのために、美酒、三百杯を尽くすのである。
一年のこと、毎日愁いは多く、これに対して、酒は少ないけれど、酒さえ傾けてさえいれば、さしもの愁いは、おしよせて来はしない。

だからこそ、清酒を「聖」といったのもよく理解できることであり、酒を傾けて、これが酣になると、愁いの心、結ばれていた心も、豁然として自然に開かれ、愁いは消えてゆくのである。

(訳注)

月下獨酌四首其四 #1

(酒さえ傾ければ、愁いはやって来ないというのに、伯夷・叔斉、顔回などは立派な人ではあるが、愁いの淵から脱却できたわけでなく、飢餓で死んでしまっては、何の役に立とうか。)

窮愁千萬端,美酒三百杯。
この世においては、窮愁というもの、毎日の事、様々に入り乱れて思うにまかせぬものであり、心が休まるものではないのであるから、そのために、美酒、三百杯を尽くすのである。
33. 窮愁 思うにまかせぬ愁いや哀しみ。「窮」は、物ごとが思いどおりにならず、行きづまること。政治的・社会的・経済的など、種々の面で用いられる。 

34. 千萬端 様々に入り混じった状況を言う。

35.  心の緒。各種の心情のありかたを数える単位。量詞。

36. 美酒三百杯 愁いが毎日あるものなら、その一年分の愁いを取り除くためにおいしい酒を300杯飲む、というほどの意。酔うために飲むのではない。


愁多酒雖少,酒傾愁不來。
一年のこと、毎日愁いは多く、これに対して、酒は少ないけれど、酒さえ傾けてさえいれば、さしもの愁いは、おしよせて来はしない。


所以知酒聖,酒酣心自開。
だからこそ、清酒を「聖」といったのもよく理解できることであり、酒を傾けて、これが酣になると、愁いの心、結ばれていた心も、豁然として自然に開かれ、愁いは消えてゆくのである。
37.  所以知酒聖 「酒聖」は清酒は聖人という意。酒を飲むと心が開かれて、愁いが消えてゆくから聖人というのが良く理解できるというほどの意。

藝文類聚、魏畧曰、「太祖、禁酒、而人竊飲之、故難言酒、以濁酒為賢人、清酒為聖人。」(太祖、酒を禁ず、而して人は竊かに之を飲む、故に酒と言い難たく、以て濁酒を賢人と為し、清酒を聖人と為す。)とある。