卷177_03白雲歌送友人
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2016年12月6日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-017卷177_03白雲歌,送友人(卷十八(二)一○四八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7775 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
806年-16-#3 巻二 17-#3答張徹【案:愈為四門博士時作。張徹,愈門下士,又愈之從子婿。】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7776 |
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806年-16-#14 巻二 17-#14巻二 答張徹 【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7842 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
757年-36 寄薛三郎中璩 -#3 杜詩詳注(卷一八(四)一六二○ -#3)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7777 |
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757年-40 寄薛三郎中璩 -#7 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)一六二○)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7801 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集 訳注解説 巻一28 (36)回目温庭筠 《定西番三首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7778 (12/06) |
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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
玉-011-#3 古樂府詩六首其二 -#3〈無名〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7779 |
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744年-017卷177_03白雲歌,送友人(卷十八(二)一○四八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7775
(道を究め、友人の某君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)
君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、どちらも皆、多くの白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。
744年-017 |
白雲歌送友人(卷十八(二)一○四八)02 |
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全唐詩卷177_03 |
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李白集校注巻白雲歌送友人(卷十八(二)一○四八)02 |
李太白集 巻 巻17-002 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7775 |
卷別 |
李白集校注 |
全唐詩 |
李太白集 |
巻18-002 |
卷177_03 |
巻17-002 |
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詩題 |
白雲歌送友人(卷十八(二)一○四八)02 |
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文體 |
雜言古詩 |
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詩序 |
0 |
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初句 |
楚山秦山多白雲 |
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作地點 |
長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) |
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及地點 |
長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) |
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楚山 |
湘水 |
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交遊人物 |
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交遊地點 |
0 |
白雲歌,送友人
楚山秦山多白雲,白雲處處長隨君。
君今還入楚山裡,雲亦隨君渡湘水。
水上女蘿衣白雲,早臥早行君早起。
(白雲歌,友人を送る)
楚山 秦山 白雲多し,白雲處處 長く君に隨う。
君 今 還って入る 楚山の裡,雲も亦た君に隨って 湘水を渡る。
水上の女蘿 衣は白雲,早く臥し 早く行く 君早く起て。
《玉臺新詠集古詩八首其一》現代語訳と訳註解説
(本文)
白雲歌,送友人
楚山秦山多白雲,白雲處處長隨君。
君今還入楚山裡,雲亦隨君渡湘水。
水上女蘿衣白雲,早臥早行君早起。
(下し文)
(白雲歌,友人を送る)
楚山 秦山 白雲多し,白雲處處 長く君に隨う。
君 今 還って入る 楚山の裡,雲も亦た君に隨って 湘水を渡る。
水上の女蘿 衣は白雲,早く臥し 早く行く 君早く起て。
(現代語訳)
(道を究め、友人の某君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)
君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、どちらも皆、多くの白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。
故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。
湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。
(訳注)
白雲歌,送友人
(道を究め、友人の某君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)
1. 白雲歌 しばしば仙郷のイメージとしてつかい、隠者の散居の象徴とされる。『荘子』. 天地篇に「千歳,世を厭ひて去り,仙に上る」彼の白雲に乗じて帝郷(天帝の郷)に至る」と. ある。《莊子、外篇,天地篇》「千歳厭世,去而上倦,乗彼白雲,至於帝榔」(千歳,世を厭えば,去りて上倦し,彼の白雲乗じて,帝榔に至る。)とあるに基づいる。
2 評価 方𢎞靜曰「太白、賦新鶯百囀、與白雲歌、無咏物句。自是、天仙語。他人稍有擬象、 即屬凡辭。」(太白、新鶯百囀を賦する、白雲歌と、咏物の句無し。自ら是れ、天仙の語なり。他人が稍やもして擬象有らば、即ち凡辭に屬す。)・方𢎞靜:方弘静朝代:明. 人物簡介. 中國歷代人名大辭典. 【生卒】:1516—1611 【介紹】: 明徽州府歙縣人,字定之,號采山。嘉靖二十九年進士。授東平知州,遷南京戶部郎中,出為四川僉事,累官南京戶部侍郎。
楚山秦山多白雲,白雲處處長隨君。
君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、どちらも皆、多くの白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。
3 楚山 この場合、洞庭湖の付近、瀟湘八景をめぐって、衡山、桃源にかけて何処も隠遁の場所である。
4 秦山 凡そ、終南山を言うのであろう。
5. 白雲
陶弘景
四十歳で山中に隠棲したが、梁の武帝から常に諮問をうけ、「山中宰相」と呼ばれた。斉の高帝からの詔にこたえる形で書かれた詩。
《詔問山中何所有賦詩以答》
山中何有所、嶺上多白雲。
只可自怡悦、不堪持寄君。
(山中に何の有る所ぞと詔問せられ、詩を賦して以って答う)
山中 何の有る所ぞ、嶺上 白雲多し。只だ 自ら怡【たのし】み悦ぶべし、持して 君に寄するに堪えず。
「山の中に何が有るのだ」との御下問ですが、嶺の上には白雲が多くただよっています。しかし、これは私が見て楽しむだけで、残念ながら陛下にお届けする訳にはまいりません。
王維
唐代随一の田園詩人。仏教に深く帰依し、書画音楽にも優れていた。長く官僚として生活し、相当の地位にのぼりますが、元来、芸術家肌で役人生活は向いていなかったようで、藍田の麓に輞川商荘を営み、半官半隠の生活を送った。ここで「空山不見人」や「獨座幽篁裏」輞川二十首、田園楽 七首などの有名な詩が詠んだ。脅迫されて安禄山にやむなく仕えたため、長安奪還後、処刑を命ぜられたが、これまでの功績により、特赦されたが、以降輞川荘にこもった。
李白の詩と同様に、、故郷に隠棲する友人を送る詩。
「送別」
下馬飲君酒、問君何所之。
君言不得意、歸臥南山陲。
但去莫復問、白雲無盡時。
馬より下りて君に酒を飲ましむ、君に問う 「何の之【ゆ】く所ぞ」と。
君は言う 「意を得ず、南山の陲【ほとり】に帰臥せん」と。
「但去れ。復た問うこと莫からん、白雲 尽きる時無し」と。
馬から下りて、まず一献。「これから、どうする?」「どうも世の中、思うようにはいかない。終南山の麓にでも引きこもるよ」「そうか、じゃ、行き給え。あの辺りでは、白雲が何時までも君の友達となってくれるだろう」
寒山
隠遁には、様々な形があった、自分の気配、存在そのものを消す、あるいは、自然と一体化するのが隠遁である。しかし、多くの詩人は半官半隱を理想とした。詩人は自己の詩を読んでもらいたいという願望があるからである。寒山は実在した証拠さえ消し去った、正真正銘の隠遁者といえるひとである。水墨画の「寒山拾得図」で知られる浙江省天台山(道教・仏教の霊地)に隠れ住んだ唐代末期ころの人だろうと云われる。
寒山の詩は他人に読ませようという意図が全くないため、三百首余り残存するが、すべて「無題」である。
登陟寒山道、寒山路不窮。
谿長石磊磊、澗濶草濛濛。
苔滑非関雨、松鳴不假風。
誰能超世累、共坐白雲中。
寒山の道を登陟れば、寒山 路 窮まらず。
谿は長くして石磊磊、澗は濶くして草濛濛。
苔の滑らかなるは雨に関わるに非ず、松の鳴るは風を仮らず。
誰か能く世累を超えて、共に白雲の中に坐せん。
寒山の路を登って行く。その道はどこまでも尽きることはない。渓谷は長く、石がごろごろと散らばっており、谷川は広く、草がぼうぼうと生えている。苔がしっとりと滑らかなのは、雨のせいではなく幽邃な山気のためであり、松が鳴っているのは、風のせいではなく、自ずからの天籟なのだ。誰か世の煩いから逃れて、私と一緒に白雲の中に坐してくれないだろうか。
君今還入楚山裡,雲亦隨君渡湘水。
故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。
6 湘水 《通鑑地理通釋》「湘水、出全州淸湘縣陽朔山、東入洞庭、北至衡州衡陽縣入江。」(湘水は、全州淸湘縣 陽朔山に出でて、東して洞庭に入る、北して衡州衡陽縣に至りて江に入る。)
水上女蘿衣白雲,早臥早行君早起。
湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。
7 女蘿 方𢎞靜の註によると、《楚辭補註、卷二 九歌‧山鬼》「若有人兮山之阿,被薜荔兮帶女羅。」(若に人有り山の阿【くま】に,薜荔【へいれい】を被て女羅を帶びとす。)に基づくとある。