177_03白雲歌送友人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016126

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-017卷177_03白雲歌,送友人(卷十八(二)一○四八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7775

 

 

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少年行・白馬篇・白雲歌など【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7799

 

 

孟浩然

李白詩

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曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-16-#3 巻二 17-#3答張徹【案:愈為四門博士時作。張徹,愈門下士,又愈之從子婿。】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7776

 

 

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806年-16-#14 巻二 17-#14巻二 答張徹  【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7842

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-36 寄薛三郎中璩 -#3 杜詩詳注(卷一八(四)一六二○ -#3)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7777

 

 

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757年-40 寄薛三郎中璩 -#7 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)一六二○)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7801

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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花間集 訳注解説 巻一28 (36)回目温庭筠 《定西番三首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7778 (12/06)

 

 

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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玉-011-#3 古樂府詩六首其二 -#3〈無名〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7779

 

 

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744-017177_03白雲歌,送友人(卷十八(二)一○四八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7775

(道を究め、友人の某君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)

君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、どちらも皆、多くの白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。

 

 

744-017

白雲歌送友人(卷十八(二)一四八)02

全唐詩卷177_03

李白集校注巻白雲歌送友人(卷十八(二)一○四八)02

李太白集 巻 巻17-002

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7775

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

 巻18-002

177_03

 巻17-002

詩題

白雲歌送友人(卷十八(二)一○四八)02

文體

雜言古詩

 

詩序

0

   初句

楚山秦山多白雲

 

作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

楚山

湘水

 

交遊人物

 

交遊地點

0

 


 

白雲歌,送友人

楚山秦山多白雲,白雲處處長隨君。  

君今還入楚山裡,雲亦隨君渡湘水。  

水上女蘿衣白雲,早臥早行君早起。  

 

(白雲歌,友人を送る)

楚山 秦山 白雲多し,白雲處處 長く君に隨う。

君 今 還って入る 楚山の裡,雲も亦た君に隨って 湘水を渡る。

水上の女蘿 衣は白雲,早く臥し 早く行く 君早く起て。  

 

 

 

《玉臺新詠集古詩八首其一》現代語訳と訳註解説
(
本文)

白雲歌,送友人

楚山秦山多白雲,白雲處處長隨君。  

君今還入楚山裡,雲亦隨君渡湘水。  

水上女蘿衣白雲,早臥早行君早起。  

(下し文)
(白雲歌,友人を送る)

楚山 秦山 白雲多し,白雲處處 長く君に隨う。

君 今 還って入る 楚山の裡,雲も亦た君に隨って 湘水を渡る。

水上の女蘿 衣は白雲,早く臥し 早く行く 君早く起て。


(現代語訳)
(道を究め、友人の某君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)

君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、どちらも皆、多くの白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。

故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。

湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。


(訳注)
白雲歌,送友人

(道を究め、友人の某君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)

1.  白雲歌 しばしば仙郷のイメージとしてつかい、隠者の散居の象徴とされる。『荘子』天地篇に「千歳,世を厭ひて去り,仙に上る」彼の白雲に乗じて帝郷(天帝の郷)に至る」とある。《莊子、外篇,天地篇》「千歳厭世,去而上倦,乗彼白雲,至於帝榔」(千歳,世を厭えば,去りて上倦し,彼の白雲乗じて,帝榔に至る。)とあるに基づいる。

2 評価 方𢎞靜曰「太白、賦新鶯百囀、與白雲歌、無咏物句。自是、天仙語。他人稍有擬象、 即屬凡辭。」(太白、新鶯百囀を賦する、白雲歌と、咏物の句無し。自ら是れ、天仙の語なり。他人が稍やもして擬象有らば、即ち凡辭に屬す。)・方𢎞靜:方弘静朝代:明人物簡介中國歷代人名大辭典【生卒】:15161611 【介紹】: 明徽州府歙縣人,字定之,號采山。嘉靖二十九年進士。授東平知州,遷南京部郎中,出為四川僉事,累官南京部侍郎。

 

楚山秦山多白雲,白雲處處長隨君。  

君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、どちらも皆、多くの白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。

3 楚山 この場合、洞庭湖の付近、瀟湘八景をめぐって、衡山、桃源にかけて何処も隠遁の場所である。

4 秦山 凡そ、終南山を言うのであろう。

5. 白雲 

陶弘景 

 四十歳で山中に隠棲したが、梁の武帝から常に諮問をうけ、「山中宰相」と呼ばれた。斉の高帝からの詔にこたえる形で書かれた詩。

《詔問山中何所有賦詩以答》

山中何有所、嶺上多白雲

只可自怡悦、不堪持寄君。

(山中に何の有る所ぞと詔問せられ、詩を賦して以って答う)

山中 何の有る所ぞ、嶺上 白雲多し。只だ 自ら怡【たのし】み悦ぶべし、持して 君に寄するに堪えず。

「山の中に何が有るのだ」との御下問ですが、嶺の上には白雲が多くただよっています。しかし、これは私が見て楽しむだけで、残念ながら陛下にお届けする訳にはまいりません。

王維 

 唐代随一の田園詩人。仏教に深く帰依し、書画音楽にも優れていた。長く官僚として生活し、相当の地位にのぼりますが、元来、芸術家肌で役人生活は向いていなかったようで、藍田の麓に輞川商荘を営み、半官半隠の生活を送った。ここで「空山不見人」や「獨座幽篁裏」輞川二十首田園楽 七首などの有名な詩が詠んだ。脅迫されて安禄山にやむなく仕えたため、長安奪還後、処刑を命ぜられたが、これまでの功績により、特赦されたが、以降輞川荘にこもった。

 李白の詩と同様に、、故郷に隠棲する友人を送る詩。

「送別」

下馬飲君酒、問君何所之。

君言不得意、歸臥南山陲。

但去莫復問、白雲無盡時。 

馬より下りて君に酒を飲ましむ、君に問う 「何の之【ゆ】く所ぞ」と。

君は言う 「意を得ず、南山の陲【ほとり】に帰臥せん」と。

「但去れ。復た問うこと莫からん、白雲 尽きる時無し」と。

馬から下りて、まず一献。「これから、どうする?」「どうも世の中、思うようにはいかない。終南山の麓にでも引きこもるよ」「そうか、じゃ、行き給え。あの辺りでは、白雲が何時までも君の友達となってくれるだろう」

 

寒山

隠遁には、様々な形があった、自分の気配、存在そのものを消す、あるいは、自然と一体化するのが隠遁である。しかし、多くの詩人は半官半隱を理想とした。詩人は自己の詩を読んでもらいたいという願望があるからである。寒山は実在した証拠さえ消し去った、正真正銘の隠遁者といえるひとである。水墨画の「寒山拾得図」で知られる浙江省天台山(道教・仏教の霊地)に隠れ住んだ唐代末期ころの人だろうと云われる。

寒山の詩は他人に読ませようという意図が全くないため、三百首余り残存するが、すべて「無題」である。

登陟寒山道、寒山路不窮。

谿長石磊磊、澗濶草濛濛。

苔滑非関雨、松鳴不假風。

誰能超世累、共坐白雲中。

寒山の道を登陟れば、寒山 路 窮まらず。

谿は長くして石磊磊、澗は濶くして草濛濛。

苔の滑らかなるは雨に関わるに非ず、松の鳴るは風を仮らず。

誰か能く世累を超えて、共に白雲の中に坐せん。

寒山の路を登って行く。その道はどこまでも尽きることはない。渓谷は長く、石がごろごろと散らばっており、谷川は広く、草がぼうぼうと生えている。苔がしっとりと滑らかなのは、雨のせいではなく幽邃な山気のためであり、松が鳴っているのは、風のせいではなく、自ずからの天籟なのだ。誰か世の煩いから逃れて、私と一緒に白雲の中に坐してくれないだろうか。

 

 

君今還入楚山裡,雲亦隨君渡湘水。  

故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。

6 湘水 《通鑑地理通釋》「湘水、出全州淸湘縣陽朔山、東入洞庭、北至衡州衡陽縣入江。」(湘水は、全州淸湘縣 陽朔山に出でて、東して洞庭に入る、北して衡州衡陽縣に至りて江に入る。

 

 

水上女蘿衣白雲,早臥早行君早起。  
湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。

7 女蘿 方𢎞靜の註によると、《楚辭補註、卷二 九歌‧山鬼》「若有人兮山之阿,被薜荔兮帶女羅。」(若に人有り山の阿【くま】に,薜荔【へいれい】を被て女羅を帶びとす。)に基づくとある。