卷176_15 2 同王昌齡送族弟襄歸桂陽二首其二
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2016年12月20日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-024-#1卷176_15 2 同王昌齡送族弟襄歸桂陽二首其二(卷十七(二)頁一○一八)-#1Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7859 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
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806年-16-#14 巻二 17-#14巻二 答張徹 【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7842 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
757年-50 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 其九(卷一八(四)頁一六二七) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7861 |
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757年-54 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六二九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7885 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集 訳注解説 巻一41 (50)回目温庭筠 《南歌子七首其四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7862 (12/20) |
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54)回目温庭筠 《南歌子七首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7886 (12/24) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
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744年-024-#1卷176_15 2 同王昌齡送族弟襄歸桂陽二首其二(卷十七(二)頁一○一八)-#1Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7859
(王昌齢と共に、族弟李襄というものが、桂陽に帰るを送って作ったもので、自分もいずれ隠遁するから、必ず待って居てくれと言うのである。)その二
汝の家は、何処かといえば、桂陽、即ち瀟湘二水の流域附近であって、長江の邊には、青沙白石が相映じて、一段の趣がある。昨日、君は夢を見たが、江邊の花は、今が盛りで、江天の日に照らされ、そして、おのが故居に於ても、東窓の前なる幾枝が丁度咲き初めたとのことであった。そで、君は夢が覚めると、故郷へ歸ろうと思い、しかも、心悠然として取り付くすべかなく、ほては、神魂が越鳥に随い、諷諷然としで南天に飛び行く想がした。
744年-024-#1 -#1 | 同王昌齡送族弟襄歸桂陽二首其二 (卷十七(二)頁一○一八) -#1 | |
全唐詩 卷176_15 2 -#1 | ||
全唐詩 巻 17-017 -#1 | 李太白集 巻06-007 -#1 | 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7859 |
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
17-017 -#1 | 卷一七六 15-1 -#1 | 16-016 -#1 | |
詩題 | 同王昌齡送族弟襄歸桂陽二首其二(卷十七(二)頁一○一八)-#1 | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 爾家何在瀟湘川 | | |
作地點 | 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) | ||
及地點 | 羅浮山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 羅浮山) | ||
交遊人物 | 李襄 當地交遊(京畿道 京兆府 長安) | ||
交遊人物 | 崔國輔 當地交遊(京畿道 京兆府 長安) | ||
交遊人物 | 王昌齡 當地交遊(京畿道 京兆府 長安) | ||
交遊人物 | 李舟 當地交遊(京畿道 京兆府 長安) |
744-023(卷十七(二)頁一○一七)
同王昌齡送族弟襄歸桂陽二首其一
(王昌齢と共に、族弟李襄というものが、桂陽に帰るを送って作ったもので、自分もいずれ隠遁するから、必ず待って居てくれと言うのである。)
秦地見碧草,楚謠對清樽。
唐の都長安の地において君は青々と凛とした草のようである、これから帰る湖南の地には古くからの民謡があり、聖人の飲む清酒の樽があるのだ。
把酒爾何思?鷓鴣啼南園。
清酒をくみ上げ君は何を思い語るのであろうか、そこの地方の野山、庭園にたくさんいる鷓鴣が啼くように普通のことを言っていてはいけない。
予欲羅浮隱,猶懷明主恩。
われも、羅浮山に隠れようとおもうが、明主の恩を懐へば、むやみに此を立ち去ることもできない。
躊躇紫宮戀,孤負滄洲言。
紫微宮を恋うる忠誠の念に動かされて、頻りに躊躇し、そして、滄州に仙を尋ねるという平生の言に弧負して居る。
終然無心雲,海上同飛翻。
しかし、われは、無心の雲の如く、いつかは、ここを立ち去って、汝と共に海上に飛び翻るべく、
相期乃不淺,幽桂有芳根。
爾我二人、心に期すること浅からす、たとえば、幽桂に芳根があって、山中に叢生するが如く、物外に逍遥するのが、本來の志である。
(王昌齡と同じく族弟襄の桂陽に歸るを送る二首其の一)
秦地 碧草を見,楚謠 清樽に對す。
酒を把って爾 何をか思う? 鷓鴣 南園に啼く。
予は 羅浮に隱れんと欲し,猶お明主の恩を懷う。
紫宮の戀に躊躇し,滄洲の言に孤負す。
終然たる無心の雲,海上に同じく飛翻す。
相い期する 乃ち淺からず,幽桂に 芳根あり。
744-023
同王昌齡送族弟襄歸桂陽二首其二(卷十七頁(二)一○一八)#1
(王昌齢と共に、族弟李襄というものが、桂陽に帰るを送って作ったもので、自分もいずれ隠遁するから、必ず待って居てくれと言うのである。)その二
爾家何在瀟湘川,青莎白石長江邊。
汝の家は、何処かといえば、桂陽、即ち瀟湘二水の流域附近であって、長江の邊には、青沙白石が相映じて、一段の趣がある。
昨夢江花照江日,幾枝正發東窗前。
昨日、君は夢を見たが、江邊の花は、今が盛りで、江天の日に照らされ、そして、おのが故居に於ても、東窓の前なる幾枝が丁度咲き初めたとのことであった。
覺來欲往心悠悠然,魂隨越鳥飛南天。
そで、君は夢が覚めると、故郷へ歸ろうと思い、しかも、心悠然として取り付くすべかなく、ほては、神魂が越鳥に随い、諷諷然としで南天に飛び行く想がした。
#2
秦雲連山海相接,桂水橫煙不可涉。
送君此去令人愁,風帆茫茫隔河洲。
春潭瓊草綠可折,西寄長安明月樓。
(王昌齡と同じく族弟襄の桂陽に歸るを送る二首其の二)#1
爾の家 何くにか在る 瀟湘の川,青莎白石 長江の邊。
昨は夢む 江花の江日を照らすを,幾枝 正に發く 東窗の前。
覺め來って 往かんと欲すれば 心 悠悠然,魂は越鳥に隨って南天に飛ぶ。
#2
秦雲 山に連って 海 相い接し,桂水 煙を橫えて 涉る可からず。
君が此に去るを送れば 人を愁えしむ,風帆 茫茫 河洲を隔つ。
春潭の瓊草 綠 折る可くんば,西に寄せよ 長安の明月樓。
《同王昌齡送族弟襄歸桂陽二首其二》現代語訳と訳註解説
(本文)
同王昌齡送族弟襄歸桂陽二首其二
爾家何在瀟湘川,青莎白石長江邊。
昨夢江花照江日,幾枝正發東窗前。
覺來欲往心悠悠然,魂隨越鳥飛南天。
(下し文)
(王昌齡と同じく族弟襄の桂陽に歸るを送る二首其の二)#1
爾の家 何くにか在る 瀟湘の川,青莎白石 長江の邊。
昨は夢む 江花の江日を照らすを,幾枝 正に發く 東窗の前。
覺め來って 往かんと欲すれば 心 悠悠然,魂は越鳥に隨って南天に飛ぶ。
(現代語訳)
(王昌齢と共に、族弟李襄というものが、桂陽に帰るを送って作ったもので、自分もいずれ隠遁するから、必ず待って居てくれと言うのである。)その二
汝の家は、何処かといえば、桂陽、即ち瀟湘二水の流域附近であって、長江の邊には、青沙白石が相映じて、一段の趣がある。
昨日、君は夢を見たが、江邊の花は、今が盛りで、江天の日に照らされ、そして、おのが故居に於ても、東窓の前なる幾枝が丁度咲き初めたとのことであった。
そで、君は夢が覚めると、故郷へ歸ろうと思い、しかも、心悠然として取り付くすべかなく、ほては、神魂が越鳥に随い、諷諷然としで南天に飛び行く想がした。
(訳注)
同王昌齡送族弟襄歸桂陽二首其二(卷十七頁(二)一○一八)#1
(王昌齢と共に、族弟李襄というものが、桂陽に帰るを送って作ったもので、自分もいずれ隠遁するから、必ず待って居てくれと言うのである。)その二
爾家何在瀟湘川,青莎白石長江邊。
汝の家は、何処かといえば、桂陽、即ち瀟湘二水の流域附近であって、長江の邊には、青沙白石が相映じて、一段の趣がある。
12. 瀟湘沚 瀟と湘は河川名。瀟湘八景、洞庭湖に流入する河川、舜帝の妃娥皇・女英となり、夫の舜が遠征の途中、湘江の畔で命を落とすと後を追って洞庭湖に身投げし、湘江の神となったのを連想させる。また、自矜自慨をのべる、曹植《雜詩(其四)》「南國有佳人,容華若桃李。 朝遊江北岸,夕宿瀟湘沚。 時俗薄朱顏,誰爲發皓齒。 俛仰歲將暮,榮耀難久恃。」の語句を借用している。
雜詩六首其四 曹植 魏詩<21>古詩源 巻三 女性詩647 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1805
瀟湘 瀟湘八景。瀟湘八景(しょうしょう はっけい)とは、中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。瀟湘は単に風光明媚というだけではなく、かつては楚の中心地として栄え、伝説や神話に彩られた土地である。 かの有名な桃源郷の伝説もこの一帯から生まれた。 屈原の『楚辞』「九歌」や「離騒」には、伝説上の皇帝堯の二人の娘湘君・湘妃の物語が幻想的に詠われている。二人の娘は次の皇帝舜帝の妃娥皇・女英となり、夫の舜が遠征の途中、湘江の畔で命を落とすと後を追って洞庭湖に身投げし、湘江の神となったという。後に二人は湘山に祀られた。戦国時代、この詩を詠んだ屈原自身もこの地を彷徨い、詩を詠み、ついには失意のうちに身を投じている。洞庭湖の畔に建つ岳陽楼には各地から文人が集い雅会を開いた。唐の張説、杜甫、宋代の范仲淹など多くの詩文がこの名勝の地で生まれた。
瀟水 出湖廣道州之九疑山、 湘水 出廣西桂林之海陽山 至永州城西而合流焉。
自湖而南 二水所經之地甚廣、至長沙湘隂縣、始逹青草湖注洞庭、與岷江之流合。故湖之北、漢沔是主、不得謂之瀟湘。
若湖之南、皆、可以瀟湘名之。 此詩送人歸桂陽、而言爾家何在瀟湘川、止是約畧所近之地而言之耳。 其實瀟湘之水、在桂陽之下、不能逆流而經桂陽也。
13. 青莎 漢語網の青莎的解釋によると、:即ち莎草をいう。多年生草本の植物である。地下塊根し、香附子と名づく,藥用に供ぜらる。《楚辭·淮南小山〈招隱士〉》に“青莎雜樹兮,薠草靃靡。”とみえる。
昨夢江花照江日,幾枝正發東窗前。
昨日、君は夢を見たが、江邊の花は、今が盛りで、江天の日に照らされ、そして、おのが故居に於ても、東窓の前なる幾枝が丁度咲き初めたとのことであった。
14. 東窗 『文選』巻19に載る「登徒子好色賦」に記されているよく知られた逸話で、美男として有名な中国の文人・宋玉が「自分は決して好色ではない、隣に住んでいた国一番の美女が牆(かき)からその姿を見せ、3年間のぞき込まれ誘惑され続けたが心を動かした事は一度も無かった、私のことを好色と称する登徒子(とうとし)こそ好色である」と王の前で反論した故事(宋玉東牆)を引いているもので、塀(墻・牆)からのぞき込んでいる姿をその故事中の美女に比しており、石燕はこれをもって「倩兮女」を多くの人を弄んだ淫婦の霊ではなかろうかと述べている《詠鄰女東窗海石榴》「魯女東窗下,海榴世所稀。」(魯女 東窗の下,海榴 世の稀なる所。)隣の家にいる魯女の住む部屋の東窓のもとに植えたツバキの花は世にもまれなものである。
302 《卷23-43詠鄰女東窗海石榴》Ⅰ李白詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6498
覺來欲往心悠悠然,魂隨越鳥飛南天。
そで、君は夢が覚めると、故郷へ歸ろうと思い、しかも、心悠然として取り付くすべかなく、ほては、神魂が越鳥に随い、諷諷然としで南天に飛び行く想がした。