卷180_8 杜陵絕句
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2016年12月24日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-026卷180_8 杜陵絕句(卷二一(二)一二一八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7883 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
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806年-017-#11 巻二 18-#11巻02-19薦士 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7908 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
757年-54 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六二九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7885 |
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757年-54 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六二九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7885 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
54)回目温庭筠 《南歌子七首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7886 (12/24) |
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54)回目温庭筠 《南歌子七首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7886 (12/24) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
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744年-026卷180_8 杜陵絕句(卷二一(二)一二一八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7883
(長安の南には小高い少陵原があり、その北の端に杜陵がある、其処に登って北に広がる景色を絶句で述べたもの)
長安城の南にある杜陵の上に登って、そこから北のかた五陵の間を望んでみる。おりしも、秋の清らかな水は漲って、夕日はいよいよ明らかに、その川の流れに落日が反映し、流れ行くその光のなかに遠い山々が蒼茫として消えかかっている。
744年-026 - |
杜陵絕句(卷二一(二)一二一八) - |
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全唐詩 卷180_8 - |
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全唐詩 巻 21-008 - |
李太白集 巻06-007 - |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7883 |
年:743年天寶二年43歳 94首-(77)
卷別: 卷一八○ 8 文體: 五言絕句
詩題: 杜陵絕句
作地點: 目前尚無資料
及地點: 杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵
交遊人物/地點:
詩文:
杜陵絕句
(長安の南には小高い少陵原があり、その北の端に杜陵がある、其処に登って北に広がる景色を絶句で述べたもの)
南登杜陵上,北望五陵間。
長安城の南にある杜陵の上に登って、そこから北のかた五陵の間を望んでみる。
秋水明落日,流光滅遠山。
おりしも、秋の清らかな水は漲って、夕日はいよいよ明らかに、その川の流れに落日が反映し、流れ行くその光のなかに遠い山々が蒼茫として消えかかっている。
(杜陵絕句)
南、杜陵の上に登り、北に望む 五陵の間。
秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す。
『杜陵絕句』 現代語訳と訳註解説
(本文)
杜陵絕句
南登杜陵上,北望五陵間。
秋水明落日,流光滅遠山。
(下し文)
(杜陵絕句)
南、杜陵の上に登り、北に望む 五陵の間。
秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す。
(現代語訳)
杜陵絕句(長安の南には小高い少陵原があり、その北の端に杜陵がある、其処に登って北に広がる景色を絶句で述べたもの)
長安城の南にある杜陵の上に登って、そこから北のかた五陵の間を望んでみる。
おりしも、秋の清らかな水は漲って、夕日はいよいよ明らかに、その川の流れに落日が反映し、流れ行くその光のなかに遠い山々が蒼茫として消えかかっている。
(訳注)
杜陵絕句
(長安の南には小高い少陵原があり、その北の端に杜陵がある、其処に登って北に広がる景色を絶句で述べたもの)
杜陵 杜陵とは前漢の宣帝の陵墓で長安の(城郭の右下)東南にある。小高い丘の上にあり、見晴らしが良いところだ。五陵は長安の北東から北西にかけて、渭水の横門橋わたって東から陽陵(景帝)、長陵(高祖)、安陵(恵帝)、平陵(昭帝)、茂陵(武帝)と咸陽原にある。杜陵からの距離は、30km~50km。
⑴ 元和郡縣志 「杜陵在京兆府萬年縣東南二十里」といい、胡三省鑑註に「漢の宣帝、杜陵邑を起せしより、後漢に至りて、縣となし、京兆に属す。隋、京城幷に杜陵を遷して大興縣に入る、唐、大興を改めて萬年という」とある。
⑵ 班固《西都賦》「則南望杜㶚,北眺五陵。」(則ち南に杜㶚【とは】を望み、北に五陵を眺む。)南に杜陵と㶚陵の二陵をはるかに望み見て、北に長陵・安陵・陽陵・茂陵・平陵の五陵が見わたされる。杜㶚:長安のやや東よりの杜陵(漢の第八代宜帝の陵)と㶚陵(第四代文帝の陵)。(杜陵;O-8,灞陵;Q-7)
班孟堅(班固)《西都賦》(10)#4-1 文選 賦<112―10>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩964 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3368
⑶ 李白《巻十二06-夕霽杜陵登樓寄韋繇》
浮陽滅霽景,萬物生秋容。登樓送遠目,伏檻觀群峰。
原野曠超緬,關河紛雜重。清暉映竹日,翠色明雲松。
蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。徒然迫晚暮,未果諧心胸。
結桂空佇立,折麻恨莫從。思君達永夜,長樂聞疏鐘。
(夕霽 杜陵の樓に登り韋繇に寄せる)
浮陽 滅霽景をし,萬物 秋容を生ず。
樓に登りて遠目を送り,檻に伏して群峰を觀る。
原野 曠超にして緬たり,關河 紛雜にして重る。
清暉 竹日に映じ,翠色 雲松に明かなり。
海を蹈んで遐想を寄せ,山に還らんとして舊蹤に迷う。
徒然として晚暮に迫る,未だ心胸に諧【かな】うを果さず。
桂を結び 空しく佇立し,麻を折り 恨むらくは 從う莫し。
南登杜陵上,北望五陵間。
長安城の南にある杜陵の上に登って、そこから北のかた五陵の間を望んでみる。
赤枠は長安の城郭 この墓陵群は中国のピラミットといわれている。
五陵原(太字)という皇帝の陵墓区で、西から茂陵、康陵、義陵、渭陵、延陵、平陵、長陵、陽陵、安陵の9陵が並んでいる。このうち長陵は高祖・劉邦の陵、茂陵は武帝の陵である。ほとんどの皇帝陵に皇后陵が併設されており、有名な呂后の様に皇后の地位が高かったことの現れで、皇帝が西、皇后が東とされ以後これに倣ったと言われてる。。延陵の場合、右上(東北)にやや規模の小さな皇后陵が見える。また東端にある陽陵は周囲が発掘されて兵馬俑が出土、博物館として公開されている。
秋水明落日,流光滅遠山。
おりしも、秋の清らかな水は漲って、夕日はいよいよ明らかに、その川の流れに落日が反映し、流れ行くその光のなかに遠い山々が蒼茫として消えかかっている。