卷164_2 君子有所思行 -#1
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2016年12月25日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-027-#1卷164_2 君子有所思行(卷五(一)三四九)-#1Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7889 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
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806年-017-#11 巻二 18-#11巻02-19薦士 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7908 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
757年-55 月三首 其一 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六二九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7891 |
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757年-54 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六二九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7885 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集 訳注解説 巻一45 (55)回目温庭筠 《河瀆神三首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7892 (12/25) |
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54)回目温庭筠 《南歌子七首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7886 (12/24) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
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744年-027-#1卷164_2 君子有所思行(卷五(一)三四九)-#1Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7889
(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)
紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。
744年-027-#1 -#1 |
君子有所思行(卷五(一)三四九) -#1 |
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全唐詩 卷164_2 -#1 |
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全唐詩 巻 05-002 -#1 |
李太白集 巻06-007 -#1 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7889 |
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
05-002 -#1 | 卷一六四 -#1 | 巻四02 -#1 | |
詩題 | 君子有所思行(卷五(一)三四九) | ||
文體 | 樂府 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 紫閣連終南,青 | 天寶二年 743年 43歲 | |
作地點 | 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) | ||
及地點 | 紫閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) | ||
| 終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山 | ||
| 咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸 | ||
| 牛山 (河南道 青州 牛山) | ||
交遊人物 | 0 |
744-027
君子有所思行(卷五(一)三四九)
(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)
紫閣連終南,青冥天倪色。
紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。
憑崖望咸陽,宮闕羅北極。
長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。
萬井驚畫出,九衢如絃直。
その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。
#2
渭水銀河清,橫天流不息。
朝野盛文物,衣冠何翕赩。
廄馬散連山,軍容威絕域。
伊皋運元化,衛霍輸筋力。
#3
歌鐘樂未休,榮去老還逼。
圓光過滿缺,太陽移中昃。
不散東海金,何爭西飛匿。
無作牛山悲,惻愴淚沾臆。
(君子有所思行)#1
紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。
崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。
萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。
#2
渭水 銀河清く,天に橫って流れ息まず。
朝野 文物 盛なり,衣冠 何ず翕赩。
廄馬 連山に散じ,軍容 絕域を威す。
伊皋は 元化を運し,衛 霍 筋力を輸す。
#3
歌鐘 樂 未だ休まず,榮 去って 老 還た逼る。
圓光 滿を過ぐれば缺け,太陽 中を移れば昃す。
東海の金を散ぜざれば,何ぞ西飛の匿るるを爭わん。
牛山の悲しみを作,惻愴 淚 臆を沾すこと無れ。
『君子有所思行』 現代語訳と訳註解説
(本文)
君子有所思行
紫閣連終南,青冥天倪色。
憑崖望咸陽,宮闕羅北極。
萬井驚畫出,九衢如絃直。
(下し文)
(君子有所思行)
紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。
崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。
萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。
(現代語訳)
(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)
紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。
長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。
その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。
(訳注)
1. 君子有所思行
(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)
楽府古題要解 君子有所思行、“陸機「命賀登北山」、鮑照「西山登雀臺」、沈約「晨策終南首」,其旨言雕室麗色,不足為久歡,晏安酖毒,滿盈所宜敬忌,與《君子行》也。”(陸機「賀を命ぜられ北山に登る」、鮑照「西山雀臺に登る」、沈約「晨策 終南首」,其の旨、雕室麗色,久歡を為すに足らず,晏安酖毒,滿盈は宜しく敬忌すべき所,《君子行》となるを言う。)とあって、李白の此作も、矢張、その古意を踏襲したのである。また、謝靈運《君子有所思行》「總駕越鍾陵,還願望京畿,躑躅周名都,遊目倦忘歸,」(總駕【そうが】は鍾陵【しょうりょう】を越え,還た願って京畿を望む,躑躅【てきちょく】名都を周り,遊目し倦【う】みて歸るを忘る,)
陸機、鮑照、沈約は山に登ることを例えに、謝靈運は、官を辞して車馬での帰郷を例えに王朝の滿盈を戒める詩を作ったのである。
君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩500 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1317
君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1320
紫閣連終南,青冥天倪色。
紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。
2. 紫閣 紫閣峰のこと。紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある、杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤【いい】たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。)長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。
紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崷崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。
李白 《君子有所思行》(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)
紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。
紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。
紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。
3. 終南山 史記正義に「括地志に云ふ、終南山、一名中南山、一名太乙山、一名南山、一名橘山、一名楚山、一名秦山、一名周南山、一名地肺山、雍州萬年縣南五十里に在り」とあり、圖書編に「終南は乃ち関中の南山、西は隴鳳より起り、東は商洛をこえ、綿亙千里有除、その南北、亦た然り、地に随って名を異にす、総じて、之を言へば南山といふのみ」とある。それから西安志に「紫閣峰は、すなわち終南山の一峰なり」とあって、その詩は、前に見えて居る。この詩は山色を望み・山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せたのである。
・終南 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、2000~2900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高2000~2900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。
4. 青冥 太清と同じで、天上界の最高天のこと。道教三天、三清をいう。「太元」を神格化した最高神元始天尊と、「道」を神格化した霊宝天尊(太上道君)、老子を神格化した道徳天尊(太上老君)の三柱。 それぞれ道教における天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住し、この三天のことも「三清」と呼ぶ。
5. 天倪 天のきわ、はし、はじめからおわりまで。謝霊運《游赤石進帆海詩》「溟漲無端倪,虛舟有超越。」(溟漲【みなみのうみ】は端倪【はじ】無きも,虛舟【かろきふね】は 超越する有り。) 底の暗い水のみなぎる海ははてしもない。その上を主役の乗っていない虚しい舟が自然遠くに漂い行くように、望みを捨てた私の舟路は液のまにまに、浮き世のかなたに遠く馳せて行くようである。
憑崖望咸陽,宮闕羅北極。
長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。
6. 咸陽 晉の宮句であるが、此処では、長安の都という意味に使っている。
7. 羅北極 秦の宮殿は、北極星を中心に各星々が羅列されていたことから長安皇城において太極宮を中心に各宮殿が羅列されていることを言う。
萬井驚畫出,九衢如絃直。
その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。
8. 萬井 里巷、井の字のように縦横に整然とした町の区画。広い都の町々。人民の住宅。