744-034176_21 送白利從金吾董將軍西征(卷十七(二)一○二六)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017118

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-034卷176_21 送白利從金吾董將軍西征(卷十七(二)一○二六)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8009

 

 

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744年-集05【字解集】 a初出金門・b東武吟・c來日大難・d古風三十八Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7979

 

 

孟浩然

李白詩

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-19 巻三-22-#1李花贈張十一署【李有花贈張十一署】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7621

 

 

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806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹  【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944

 

 

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-6 807~809年 20

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index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

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index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-65#3 課伐木并序#3 杜詩詳注(卷一九(四)一六三九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8011

 

 

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757年-集-2 【字解集】 園・歸・園官送菜・園人送瓜 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7993

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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744-034176_21 送白利從金吾董將軍西征(卷十七(二)一○二六)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8009

(白利というものが、金吾将軍董某という人に従って、西羌征討に向かうのにこれを送って作ったもの)

古き昔より、西域には西羌が出没、その地はたびたび侵略され、その元凶である吐蕃を国際的征伐しようとしばしば兵を動かしたが、一進一退、今日まで攻防は続いている。そこで、このたび、「白起」が西羌に恐れられたように君は、戎幕に参し、軍威を助けて、いよいよ出征することになった。君は剣を揮えば、浮雲を切るほどであり、満身の力で中秋の明月のように弓を引くので、その姿で光り輝く。君の馬の行く所には、枯れ果てていた国境に緑がよみがえり、旗旌を巻けば暁天の白雪霜が飛ぶようであろう。沙場野凄まじい景色は、心を痛ましめるものであろうが、征討軍の将士諸士が凛として武者震いをし、相顧みつつある間に、寒風は颯として、鎧、鉄甲に生ずるであろう。いち早く、苦寒に耐えて、長驅千里、功勲を揚げられんことを願うのである。

 

744-034 -

送白利從金吾董將軍西征(卷十七(二)一二六)

全唐詩卷176_21

李白集校注十七(二)一○二六)

李太白集巻16-025

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8009

 

 8世紀唐と周辺国00


 


卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

十七(二)一○二六)

卷176_21

巻16-025

詩題

送白利從金吾董將軍西征(卷十七(二)一○二六)

文體

五言律詩

 

詩序

0

     初句

西羌延國討,白

天寶二年    743年   43 

 

作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點

 

0

 

0

交遊人物/交遊地點

白利

當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

交遊人物/交遊地點

董將軍

詩文提及

 

744-034

送白利從金吾董將軍西征(卷十七(二)一○二六)

(白利というものが、金吾将軍董某という人に従って、西羌征討に向かうのにこれを送って作ったもの)

西羌延國討,白起佐軍威。

古き昔より、西域には西羌が出没、その地はたびたび侵略され、その元凶である吐蕃を国際的征伐しようとしばしば兵を動かしたが、一進一退、今日まで攻防は続いている。そこで、このたび、「白起」が西羌に恐れられたように君は、戎幕に参し、軍威を助けて、いよいよ出征することになった。

劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

君は剣を揮えば、浮雲を切るほどであり、満身の力で中秋の明月のように弓を引くので、その姿で光り輝く。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。

君の馬の行く所には、枯れ果てていた国境に緑がよみがえり、旗旌を巻けば暁天の白雪霜が飛ぶようであろう。

抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

沙場野凄まじい景色は、心を痛ましめるものであろうが、征討軍の将士諸士が凛として武者震いをし、相顧みつつある間に、寒風は颯として、鎧、鉄甲に生ずるであろう。いち早く、苦寒に耐えて、長驅千里、功勲を揚げられんことを願うのである。

 

(白利の金吾董將軍に從って西征するを送る)

西羌 國討を延べ,白起 軍威を佐く。

劍は決す 浮雲の氣,弓は彎く 明月の輝。

馬行して 邊草 綠なり,旌 卷いて曙霜 飛ぶ。

手を抗して 凜として相い顧れば,寒風 鐵衣に生ず。

 

 

 

  送白利從金吾董將軍西征

  唐書百官志左右金/五衛上將軍各一人

  大將軍各一人/將軍各二人

西羌延國討,白起佐軍威。劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

後漢書 「西羌之本、出自三苗、姜姓之也。其國近南岳。

及舜流四凶、徙之三危。河關之西南羌地是也。

濵於賜支、至於河首、綿地千里、南接蜀漢、徼外蠻夷、西北鄯、善車師諸國、所居無常、依隨水草。

地少五榖、以産牧為業。唐時、則槩指吐蕃為西羌。」

延「遷延也。」  

史記 「白起者郿人也。善用兵、料敵、合變、出竒無窮、聲震天下。」  

荘子 「天子之劍、上決浮雲、下絶地紀。」

孔叢子 「子高游趙。平原君客有、鄒文李節者、與子髙相善。及將還魯諸故人、訣畢。

文節送行、三宿臨文節流涕、交頥、子髙徒抗手而巳、分背就路。李善文選註「抗手舉手而拜也。」 

古木蘭辭 「朔氣傳金柝、寒光照鐵衣。」

 

安史の乱期 勢力図 002 

 

 

《送白利從金吾董將軍西征》現代語訳と訳註解説
(本文)
 
送白利從金吾董將軍西征

西羌延國討,白起佐軍威。

劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。

抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

 

(下し文)
(白利の金吾董將軍に從って西征するを送る)

西羌 國討を延べ,白起 軍威を佐く。

劍は決す 浮雲の氣,弓は彎く 明月の輝。

馬行して 邊草 綠なり,旌 卷いて曙霜 飛ぶ。

手を抗して 凜として相い顧れば,寒風 鐵衣に生ず。

 

(現代語訳)

(白利というものが、金吾将軍董某という人に従って、西羌征討に向かうのにこれを送って作ったもの)

古き昔より、西域には西羌が出没、その地はたびたび侵略され、その元凶である吐蕃を国際的征伐しようとしばしば兵を動かしたが、一進一退、今日まで攻防は続いている。そこで、このたび、「白起」が西羌に恐れられたように君は、戎幕に参し、軍威を助けて、いよいよ出征することになった。

君は剣を揮えば、浮雲を切るほどであり、満身の力で中秋の明月のように弓を引くので、その姿で光り輝く。

君の馬の行く所には、枯れ果てていた国境に緑がよみがえり、旗旌を巻けば暁天の白雪霜が飛ぶようであろう。

沙場野凄まじい景色は、心を痛ましめるものであろうが、征討軍の将士諸士が凛として武者震いをし、相顧みつつある間に、寒風は颯として、鎧、鉄甲に生ずるであろう。いち早く、苦寒に耐えて、長驅千里、功勲を揚げられんことを願うのである。

 

(訳注) 
送白利從金吾董將軍西征(卷十七(二)一○二六)

(白利というものが、金吾将軍董某という人に従って、西羌征討に向かうのにこれを送って作ったもの)

1. 金吾 唐政府の中央軍である禁軍として、「南衙」と呼ばれる国の正規軍と「北衙」と呼ばれる皇帝親軍の二元化した軍隊が存在した。 南衙禁軍は、長安城内に駐屯し、中央十六衛(左右衛、左右驍衛、左右武衛、左右威衛、左右領軍衛、左右金吾衛、左右監門衛、左右千牛衛)で構成され、十六衛のうち、左右監門衛、左右千牛衛をのぞく十二衛が全国の折衝府を統括し、兵力は長安近隣の関内にある折衝府から送られた府兵から構成されていた。

北衙禁軍は、唐創業時、皇帝親軍として残った「元戎禁軍」を基礎としている。長安の北、苑内に駐屯した。その選抜部隊が「百騎」と呼ばれ次第に拡大し、玄宗の時代に「左右龍武軍」として確立した。また、元戎禁軍の本流からは 「左右羽林軍」が設立された。玄宗の時代に、「左右龍武軍」、 「左右羽林軍」は衰退した府兵の代わりに皇帝警護の中心となった。

南衙禁軍は、府兵制度の衰退とともに兵力の確保が困難になり、一部負担を軽減して下等戸から優先して徴兵する彍騎を確保しようとしたが、府兵制度事態が崩壊したため、玄宗の時代に名目的な存在となった。そのため、北衙禁軍がただ「禁軍」と呼ばれることになる。唐書百官志に「左右金五衛上將軍各一人、大將軍各一人、將軍各二人」とある。ほか、舊唐書、新唐書にも同様な記述が見える。

2. 董將軍 未詳の人物。

 

西羌延國討,白起佐軍威。

古き昔より、西域には西羌が出没、その地はたびたび侵略され、その元凶である吐蕃を国際的征伐しようとしばしば兵を動かしたが、一進一退、今日まで攻防は続いている。そこで、このたび、白起が西羌に恐れられたように君は、戎幕に参し、軍威を助けて、いよいよ出征することになった。

3. 西羌 羌(きょう、拼音:Qiāng)は、古代より中国西北部に住んでいる民族。西羌とも呼ばれる。中国史において羌族は氐族とともに最も古くみえる部族の一つである。しかしながら『漢書』に氐羌の列伝は設けられておらず、西域伝に羌などが記されているのみであった。そして『三国志』で引用されている魚豢(ぎょかん)の『魏略』においてようやく氐羌についての記述が現れ、『後漢書』において羌族について詳細に記された「西羌伝」が設けられた。

『後漢書』西羌伝では「羌の源流は三苗、姜氏の別種」とあり、とても古い時代から中国の人に知られていたようである。紀元前5世紀に戎族出身の無弋爰剣(むよくえんけん)という者が現れ、彼の一族に率いられた者たちが羌族を形成していくこととなる。これについて後漢書 「西羌之本、出自三苗、姜姓之也。其國近南岳、及舜流四凶、徙之三危、河關之西南羌地是也。濵於賜支、至於河首、綿地千里、南接蜀漢、徼外蠻夷、西北鄯、善車師諸國、所居無常、依隨水草。地少五榖、以産牧為業。唐時、則槩指吐蕃為西羌。」(西羌の本は、三苗より出で、姜姓のなり。其の國南岳に近し、舜の四凶を流すに及び、之を三危に徙す。河關の西南の羌地、是なり。賜支に濵して、河首に至る、綿地千里、南は蜀漢、徼外蠻夷、西北鄯、善車師の諸國に接し、居する所常無く、水草に依隨す。地に五榖少く、産牧を以て業と為す。唐時、則ち槩ね吐蕃を指し、西羌と為す。)  

4. 延 延は「遷延也。」

5. 白起 白 起(はく き、? - 紀元前257年11月)は、中国・戦国時代末期の秦の武将。公孫起とも表記される。秦国郿県(現在の陝西省眉県)の出身。昭襄王に仕え、各地を転戦して趙・魏・楚などの軍に数々の勝利を収め、秦の領土拡大に貢献した。史記「白起者郿人也。史記「白起者郿人也。善用兵、料敵、合變、出竒無窮、聲震天下。」(白起は、郿の人なり。善く兵を用い、敵を料し、變に合し、竒に出でて窮る無し、聲は天下に震う。)とあり、これに基づく。

 

劍決浮雲氣,弓彎明月輝。

君は剣を揮えば、浮雲を切るほどであり、満身の力で中秋の明月のように弓を引くので、その姿で光り輝く。

6. 劍決浮雲氣 剣をふるって浮雲を切る。荘子「天子之劍、上決浮雲、下絶地紀。」(天子の剣は、上は浮雲を決り、下は地紀(大地の根本)を断つ。)とあるのに基づくもの。李白《古風五十九首其三》「揮劍決浮云、諸侯盡西來。」剣をふるって浮雲を切ると、天下の諸侯は一人のこらず西へ来て秦始皇帝に降伏した。諸侯尽西来 戦国時代の諸侯、すなわち斉・楚・燕・韓・魏・趙の六国の王たちは皆降伏して当時は一番西に位置したので(西のかた)秦に来た。中国初めての統一国家とされているが、実質的には隋王朝の国の体をなした国家、すなわち、律令国家体制こそが初めての統一国家といえるもののではなかろうか。

index-26-1-《古風五十九首之三》Ⅳ-1 747年天寶六年47

 

馬行邊草綠,旌卷曙霜飛。

君の馬の行く所には、枯れ果てていた国境に緑がよみがえり、旗旌を巻けば暁天の白雪霜が飛ぶようであろう。

 

抗手凜相顧,寒風生鐵衣。

沙場野凄まじい景色は、心を痛ましめるものであろうが、征討軍の将士諸士が凛として武者震いをし、相顧みつつある間に、寒風は颯として、鎧、鉄甲に生ずるであろう。いち早く、苦寒に耐えて、長驅千里、功勲を揚げられんことを願うのである。

7. 抗手 手を舉げて拜する丁寧なあいさつ。孔叢子「子高游趙。平原君客有鄒文李節者、與子髙相善。及將還魯諸故人、訣畢。

文節送行、三宿臨、文節流涕、交頥、子髙徒抗手而巳、分背就路。李善文選註「抗手舉手而拜也。」 (子高 趙に游ぶ。平原君の客に、鄒文李節という者有り、子髙と相い善し。將に魯に還らんとするに及び、諸の故人、訣れて畢る。

文節、送行、三宿、、文節、流涕、頥に交る、子髙 徒らに抗手するのみ、背を分って路に就く。文選の李善の註に「抗手は手を舉げて拜するなり。)

8. 鐵衣 ① 鎧(よろい)。鉄甲。 ② 鉄のさび。古木蘭辭 「朔氣傳金柝、寒光照鐵衣。」
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