卷176_30 1 送長沙陳太守二首其一
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2017年1月19日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
|
||||
|
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
|
|||||
|
Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-035卷176_30 1 送長沙陳太守二首其一(卷十七(二)頁一○三五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8015 |
|
|||
|
744年-集05【字解集】 a初出金門・b東武吟・c來日大難・d古風三十八Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7979 |
|
|||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
|
|
|
|
||
|
|
||||||
|
Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
806年-21 全唐詩338-_22 #2李花贈張十一署【李有花贈張十一署】-#2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8016 |
|
||||
|
806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944 |
|
|||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||
|
Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
757年-65#4 課伐木并序 杜詩詳注(卷一九(四)一六三九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8017 |
|
|||
|
757年-集-2 【字解集】 園・歸・園官送菜・園人送瓜 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7993 |
|
|||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
|
|||||
|
|
||||||
|
|
|
|
||||
|
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
|
|||||
|
Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集 訳注解説 巻二-14 (76)回目温庭筠 《荷葉盃三首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8018 (01/19) |
|
|||
|
fc2 |
Blog |
70)回目温庭筠 《清平樂/遐方怨/訴衷情/思帝鄉/夢江南 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7982 (01/13) |
|
|||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
|
|||||
|
Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
|
||||
|
玉集-04 歌詩一首井序・留別妻一首・羽林郎詩一首【字解集】〈〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7977 |
|
|||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
||||||
744年-035卷176_30 1 送長沙陳太守二首其一(卷十七(二)頁一○三五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8015
(陳某が新たに長沙の太守に補せられて赴任するのを送ってつくったものである)
この度、長沙太守に任命された陳殿は、誠にあっぱれな人物で、その逸氣は、青松をしのぐほどであり、大いに俗離れしている。それから天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子より賜り、それに騎して任地に向かう事である。やがて長江を渡って、衡湘一帯の地に行くと、湘水の流れはうねったり、くねったりしておおよそ九曲としょうされ、衡山の五峰は、目の前にはっきりと望めるのである。君が初めて手綱を緩めて、しずしずとゆっくりと練りゆかれるのは誠に栄誉の極まりで、早く任地に到着して、今後、施政を見事に遂げられることであろうし、ここで別れを惜しんで遠くへ行くのを引き留めるような輩に相従うようなことがあってはならないのである。
744年-035 - |
送長沙陳太守二首其一(卷十七(二)頁一○三五) |
|
全唐詩卷176_30 1 |
||
李白集校注(七(二)頁一○三五) |
李太白集巻16-32 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8015 |
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 | |
七(二)頁一○三五) | 卷176_30 1 | 巻16-32 | ||
詩題 | 送長沙陳太守二首其一(卷十七(二)頁一○三五) | |||
文體 | 五言律詩 | | ||
詩序 | 0 | |||
初句 | 長沙陳太守,逸 | 天寶二年 743年 43歲 | ||
作地點 | 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) | |||
及地點 | 潭州 (江南西道 潭州 潭州) 別名:潭州 | |||
| 衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳 | |||
| 0 | |||
|
|
| ||
交遊人物/地點 | 陳太守 | 書信往來(江南西道 潭州 潭州) | ||
744-035
送長沙陳太守二首其一(卷十七(二)頁一○三五)
(陳某が新たに長沙の太守に補せられて赴任するのを送ってつくったものである)
長沙陳太守,逸氣凌青松。
この度、長沙太守に任命された陳殿は、誠にあっぱれな人物で、その逸氣は、青松をしのぐほどであり、大いに俗離れしている。
英主賜五馬,本是天池龍。
それから天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子より賜り、それに騎して任地に向かう事である。
湘水迴九曲,衡山望五峰。
やがて長江を渡って、衡湘一帯の地に行くと、湘水の流れはうねったり、くねったりしておおよそ九曲としょうされ、衡山の五峰は、目の前にはっきりと望めるのである。
榮君按節去,不及遠相從。
君が初めて手綱を緩めて、しずしずとゆっくりと練りゆかれるのは誠に栄誉の極まりで、早く任地に到着して、今後、施政を見事に遂げられることであろうし、ここで別れを惜しんで遠くへ行くのを引き留めるような輩に相従うようなことがあってはならないのである。
(長沙の陳太守を送る二首其の一)
長沙の陳太守,逸氣 青松を凌ぐ。
英主 五馬を賜い,本と是れ 天池の龍なり。
湘水 九曲に迴らし,衡山は五峰を望む。
君が 節を按じて去るを榮とし,遠く相い從うに及ばず。
744-036
送長沙陳太守二首其二(卷十七(二)頁一○三六)
七郡長沙國,南連湘水濱。
定王垂舞袖,地窄不迴身。
莫小二千石,當安遠俗人。
洞庭鄉路遠,遙羨錦衣春。
送長沙陳太守二首 |
唐長沙郡即潭州/也𨽻江南西道 |
長沙陳太守,逸氣凌青松。英主賜五馬,本是天池龍。 |
湘水迴九曲,衡山望五峰。榮君按節去,不及遠相從。 |
十六國春秋 張謐㓜有逸氣太守陸雲見而異之。 庾信春賦 馬是天池之龍種。 |
水經註 衡山東南二面臨映湘川自長沙至此江湘七百里中有九背故漁/者歌曰帆隨湘轉望衡九面。 |
藝文類聚湘中記曰遥望衡山如陣雲沿湘千里九向九背乃不復見 |
通鑑地理/通釋衡岳在潭州衡山縣西三十里衡州衡陽縣北七十里有五峯曰紫葢天柱芙蓉石廩祝融。 |
子虛賦 按節節/未舒索隱曰 郭璞云言頓轡也司馬彪云按轡而行得故曰/按節 |
其二 |
七郡長沙國,南連湘水濱。定王垂舞袖【吳王垂舞袖】,地窄不迴身。 |
莫小二千石,當安遠俗人。洞庭鄉路遠,遙羨錦衣春。 |
按唐/時潭州長沙郡衡州衡陽郡永州零陵郡連州連山郡道州/ |
江華郡彬州桂陽郡邵州邵陽郡此七郡者在秦漢時 |
皆長沙故地定王舞袖事詳見十五巻註漢時/太守秩二千石通典岳州巴陵縣有洞庭湖 |
《送長沙陳太守二首其一》現代語訳と訳註解説
(本文)
送長沙陳太守二首其一
長沙陳太守,逸氣凌青松。
英主賜五馬,本是天池龍。
湘水迴九曲,衡山望五峰。
榮君按節去,不及遠相從。
(下し文)
(長沙の陳太守を送る二首其の一)
長沙の陳太守,逸氣 青松を凌ぐ。
英主 五馬を賜い,本と是れ 天池の龍なり。
湘水 九曲に迴らし,衡山は五峰を望む。
君が 節を按じて去るを榮とし,遠く相い從うに及ばず。
(現代語訳)
(陳某が新たに長沙の太守に補せられて赴任するのを送ってつくったものである)
この度、長沙太守に任命された陳殿は、誠にあっぱれな人物で、その逸氣は、青松をしのぐほどであり、大いに俗離れしている。
それから天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子より賜り、それに騎して任地に向かう事である。
やがて長江を渡って、衡湘一帯の地に行くと、湘水の流れはうねったり、くねったりしておおよそ九曲としょうされ、衡山の五峰は、目の前にはっきりと望めるのである。
君が初めて手綱を緩めて、しずしずとゆっくりと練りゆかれるのは誠に栄誉の極まりで、早く任地に到着して、今後、施政を見事に遂げられることであろうし、ここで別れを惜しんで遠くへ行くのを引き留めるような輩に相従うようなことがあってはならないのである。
(訳注)
1. 送長沙陳太守二首其一(卷十七(二)頁一○三五)
(陳某が新たに長沙の太守に補せられて赴任するのを送ってつくったものである)
2. 前年四句は一気呵成。湘水、衡山の二旬は、本地の風光を点醒して、人の眉目を清くする。結二句は、翻って之を激励する意味である。
3. 長沙 唐の(江南西道、郡名、潭州に隷属していた。長沙の名は早くも『逸周書』に見え、春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、5代46年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展し、中華民国が成立すると1933年に長沙市と改称、湖南省の省都とされ現在に至っている。長沙は瀏陽河および撈刀河が湘江に合流する地点にあたる。
4 陳 名字閲歴どれも未詳の人物である。
5 太守 郡の長官のことで、単に守とも呼ばれた。古代から南北朝時代に置かれた。
長沙陳太守,逸氣凌青松。
この度、長沙太守に任命された陳殿は、誠にあっぱれな人物で、その逸氣は、青松をしのぐほどであり、大いに俗離れしている。
6. 逸気 1 他よりも優れた気質。2 気持ちが高ぶること。
7. 青松 青々と茂る松。緑の松。友人との付き合いが途絶えることのたとえ。▽青松落色「青松」は常緑樹である松のこと。「落色」は常緑の松の色があせること。青い松がいつまでもその色を保つように、人の心がいつまでも変わらないことを「青松の心」という。
英主賜五馬,本是天池龍。
それから天地の龍種とも称すべき名馬五頭を天子より賜り、それに騎して任地に向かう事である。
8. 賜五馬 五馬は太守の別称でその命をうけたことをいう。四頭馬車の外にさらに一頭の添え馬を付すことを許されたもの。《玉臺新詠?古樂府・日出東南隅行》「使君從南來, 五馬立踟?。」(使君、南より來り, 五馬 立って踟?す。) ? 漢時に太守は乘坐する車用に五匹馬でもって駕轅することを許されたことを言う, 因って太守の車駕をいう。
9. 天池龍 庾信の春賦に「馬是天池之龍種。」
湘水迴九曲,衡山望五峰。
やがて長江を渡って、衡湘一帯の地に行くと、湘水の流れはうねったり、くねったりしておおよそ九曲としょうされ、衡山の五峰は、目の前にはっきりと望めるのである。
10. 湘水迴九曲 水經註 「衡山東南二面,臨映湘川,自長沙至此江湘六百里中,有九向九背,故漁者歌曰:帆隨湘轉,望衡九面。」(衡山東南二面,湘川に臨映す,長沙より此に至る 江湘六百里中,九向九背有り,故に漁者 歌うて曰く:帆 湘轉に隨い,衡に望めば九面なり。)とある
11. 衡山 衡山 (南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳。中国湖南省衡山県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,298m。湖南省の洞庭湖の南、湘水の下流西岸にある。
12. 五峰 祝融、天柱、芙蓉、紫盖、石禀で、 祝融山が最高峰である。通鑑地理釋「衡嶽潭州衡山縣西三十里、衡州衡陽 縣北七十里有五峰、曰、紫葢天柱芙蓉石廩祝融。」(衡嶽は潭州衡山縣西三十里、衡州衡陽 縣北七十里に在り、五峰有り、曰く紫葢、天柱、芙蓉、石廩、祝融)とある。
榮君按節去,不及遠相從。
君が初めて手綱を緩めて、しずしずとゆっくりと練りゆかれるのは誠に栄誉の極まりで、早く任地に到着して、今後、施政を見事に遂げられることであろうし、ここで別れを惜しんで遠くへ行くのを引き留めるような輩に相従うようなことがあってはならないのである。
13. 按節 馬の手綱を緩めること。子虛賦 按節節未舒索隱曰 郭璞云言頓轡也司馬彪云按轡而行得故曰/按節。