卷176_24 送祝八之江東賦得浣紗石
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2017年1月21日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
|
||||
|
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
|
|||||
|
Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-037卷176_24 送祝八之江東賦得浣紗石(卷十七(二)一○二九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8027 |
|
|||
|
744年-集05【字解集】 a初出金門・b東武吟・c來日大難・d古風三十八Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7979 |
|
|||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
|
|
|
|
||
|
|
||||||
|
Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
|
|||||
|
806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944 |
|
|||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||
|
Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
767年-65#6 課伐木并序 杜詩詳注(卷一九(四)一六三九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8029 |
|
|||
|
757年-集-2 【字解集】 園・歸・園官送菜・園人送瓜 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7993 |
|
|||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
|
|||||
|
|
||||||
|
|
|
|
||||
|
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
|
|||||
|
Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集 訳注解説 巻二-16 (78)回目温庭筠 《荷葉盃三首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8030 (01/21) |
|
|||
|
fc2 |
Blog |
70)回目温庭筠 《清平樂/遐方怨/訴衷情/思帝鄉/夢江南 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7982 (01/13) |
|
|||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
|
|||||
|
Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
|
||||
|
玉集-04 歌詩一首井序・留別妻一首・羽林郎詩一首【字解集】〈〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7977 |
|
|||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
||||||
744年-037卷176_24 送祝八之江東賦得浣紗石(卷十七(二)一○二九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8027
(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)
西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。
744年-037 -#1 |
送祝八之江東賦得浣紗石 (卷十七(二)一○二九) -#1 |
|
全唐詩卷176_24#1 |
||
李白集校注十七(二)一○二九)#1 |
李太白集巻16-025#1 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8027 |
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
十七(二)一○二九) | 卷176_24 | 巻16-025 | |
詩題 | 送祝八之江東賦得浣紗石(卷十七(二)一○二九) | ||
文體 | 雜言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 西施越溪女,明 | 年:743年天寶二年43歳 | |
作地點 | 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) | ||
及地點 | 浣紗石 (江南東道 越州 會稽) | ||
| 0 | ||
| 0 | ||
交遊人物/交遊地點 | | | |
交遊人物/交遊地點 | 祝八 | 當地交遊(京畿道 京兆府 長安) |
744-037
送祝八之江東賦得浣紗石(卷十七(二)一○二九)
(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)
西施越溪女,明豔光雲海。
西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。
未入吳王宮殿時,浣紗古石今猶在。
そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。
桃李新開映古查,菖蒲猶短出平沙。
その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。
(祝八の江東に之くを送り浣紗石を賦し得る)
西施は越溪の女,明豔 雲海に光る。
未だ吳王の宮殿に入らざる時,浣紗の古石 今 猶お在り。
桃李 新たに開いて 古查に映じ,菖蒲 猶お短く 平沙を出づ。
昔時紅粉照流水,今日青苔覆落花。
君去西秦適東越,碧山青江幾超忽。
若到天涯思故人,浣紗石上窺明月。
#2
昔時は紅粉 流水を照し,今日は青苔 落花の覆わる。
君は西秦を去って東越に適く,碧山 青江 幾んぞ超忽す。
若し天涯に到って故人を思わば,浣紗石の上 明月を窺え。
『送祝八之江東賦得浣紗石』 現代語訳と訳註解説
(本文)
送祝八之江東賦得浣紗石
西施越溪女,明豔光雲海。
未入吳王宮殿時,浣紗古石今猶在。
桃李新開映古查,菖蒲猶短出平沙。
詩文(含異文):
西施越溪女,明豔光雲海。
未入吳王宮殿時【來入吳王宮殿時】,浣紗古石今猶在【浣紗故石今猶在】。
桃李新開映古查,菖蒲猶短出平沙。
(下し文)
(祝八の江東に之くを送り浣紗石を賦し得る)
西施は越溪の女,明豔 雲海に光る。
未だ吳王の宮殿に入らざる時,浣紗の古石 今 猶お在り。
桃李 新たに開いて 古查に映じ,菖蒲 猶お短く 平沙を出づ。
(現代語訳)
送祝八之江東賦得浣紗石(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)
西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。
そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。
その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。
(訳注)
送祝八之江東賦得浣紗石
(祝八の江東にゆくを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題し、つまり、浣紗石を詠ずるその中に於て、送別の意をしめしたもの)
1. 祝八 祝八の八は排行で、名字は分らない。江東は呉越の地。それから、浣紗石に就いては、太平御覧に引ける孔曄の會稽記に「勾践、美女を索め、以て呉王に献上せむとし、諸曁苧蘿山の売薪の女、西施 鄭且を得、先づ土城山に教習せしむ、山邊に石あり、云ふ是れ西施の浣紗石」とあり、太平寰宇記に「諸曁縣に苧蘿山あり、山下に石跡あり、云ふ足れ西施浣紗の所と。浣紗石、なお在り」と記してある。この詩は、祝八の江東に之くを送るにつけ、その地の名勝を選んで、各々題とした處が、李白は浣紗石を取り中で、因って、この詩を作ったので、つまり、浣紗石を詠するその中に於て、送別の意を寓したわけである。
西施越溪女,明豔光雲海。
西施は、もと越渓に生まれた女で、その容光の明艶異常なることは、雲なす海をも照らす位のひとであった。
2. 西施 李白が西施の語を使った詩句。
65巻02-06楽府烏棲曲 | 吳王宮里醉西施。 |
195巻五 28子夜吳歌 ( 一作子夜四時歌 ) 夏歌 | 鏡湖三百里。 菡萏發荷花。 五月西施采。 人看隘若耶。 回舟不待月。 歸去越王家。 |
210卷六5玉壺吟 | 世人不識東方朔。 大隱金門是謫仙。 西施宜笑復宜顰。 丑女效之徒累身。 君王雖愛蛾眉好。 |
218卷六13鳴皋歌送岑徵君 時梁園三尺雪 | 鳳孤飛而無鄰。 (蝘)蜓嘲龍。 魚目混珍。 嫫母衣錦。 西施負薪。 若使巢由桎梏于軒冕兮。 |
546卷十六49送祝八之江東賦得浣紗石 | 西施越溪女。 明艷光云海。 未入吳王宮殿時。 |
747巻二十一25西施 | 西施越溪女。 出自苧蘿山。 |
829巻二十三03效古二首其二 | 自古有秀色。 西施與東鄰。 蛾眉不可妒。 況乃效其顰。 所以尹婕妤。 |
945巻二十四56口號吳王美人半醉 | 風動荷花水殿香。 姑蘇台上宴吳王。 西施醉舞嬌無力。 笑倚東窗白玉床。 |
3. 越溪女 呉越春秋「越王使相者於國中、得苧蘿山鬻薪之女。曰西施鄭旦。」中国四大美人と呼ばれるのは以下の女性たちである。1.西施(春秋時代)2.王昭君(漢)3.貂蝉(後漢)4.楊貴妃(唐)ただし、このほかに卓文君(漢)を加え、王昭君を除くこともある。また虞美人(秦末)を加え、貂蝉を除くこともある。・苧蘿山 苧蘿山は浙江諸暨縣の南五裡に在る。
4. 明豔 妖艶であるにも、ちせいゆたかに美しい姿かたち、顔だち。
5. 光雲海 遠く水平線に沸く雲を境にし、その上にぽっかりと浮かぶ雲のかがやく白さをいう。
未入吳王宮殿時,浣紗古石今猶在。
そして未だ呉王の宮殿に入ってしまう前のとき、早春の河水に臨んで紗を浣って居たとかいっていて、そのとき常に乗っていたと伝える石が今でも残って居る。
6. 吳王宮殿 越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。
7. 浣紗 絹を織って染め付けた布地を川で晒す、水の冷たい時に色の定着がよくなることで、春先の年中行事であり、谷間の石の上に並べて干されること、春の風物詩であることを意味する。秋は採蓮、採菱も若い娘の素足が風物詩である。李白は春秋の風物詩をおおくうたっている。
桃李新開映古查,菖蒲猶短出平沙。
その石の邊には、桃李の花、新に咲き出でて、水中の古い浮き木に映じ、そして、汀に生える菖蒲は、やつと芽を出して、平沙の上に抽きだして、当時と少しも変りない景色である。
8. 古查 古查は水中の古木、浮木。
9. 菖蒲猶短 菖蒲の芽の纔に出たばかりの状態のことを言う。いわゆる早春のころ、寒風と水が最も冷たく感じる頃を言う。