卷176_10
送程劉二侍御兼獨孤判官赴安西幕府
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2017年1月27日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-040卷176_10 送程劉二侍御兼獨孤判官赴安西幕府(卷十七(二)一○○七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8063 |
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744年-集06字解集 侍從宜春苑奉詔賦・送于十八・送白利・送長沙陳太守・送祝八之江東賦Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8039 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
806年-26 全唐詩338-_24- 4 #1感春,四首之四-#1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8064 |
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806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
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757年-集-2 【字解集】 園・歸・園官送菜・園人送瓜 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7993 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集 訳注解説 巻二-21 (84)回目皇甫松十一首 《楊栁枝二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8066 (01/27) |
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Blog |
91)回目皇甫松十一首 《天仙子/浪濤沙/楊栁枝/摘得新/夢江南/採蓮子 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8108 (02/03) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
玉-033 贈婦詩三首井序其二 -#2 〔秦 嘉〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8067 |
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744年-040卷176_10 送程劉二侍御兼獨孤判官赴安西幕府(卷十七(二)一○○七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8063(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)
安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のような赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。かくて、何れの時かに胡塞の塵が収まって、目出たく歸京せられるか、都に於では、春囘り、草再び緑にして、遥かに三数公の歸るのを待って居るのである。
744年-040 - |
送程劉二侍御兼獨孤判官赴安西幕府 (卷十七(二)一○○七) - |
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全唐詩卷176_10 |
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李白集校注卷十七(二)一○○七) |
李太白集巻16-010 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8063 |
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
卷十七(二)一○○七) | 卷176_10 | 巻16-010 | |
詩題 | 送程劉二侍御兼獨孤判官赴安西幕府(卷十七(二)一○○七) | ||
文體 | 七言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 安西幕府多才雄 | 天寶三年 744年 44歲 | |
作地點 | 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) | ||
及地點 | 0 | ||
| 0 | ||
交遊人物/交遊地點 | 程侍郎 當地交遊(京畿道 京兆府 長安) | ||
交遊人物/交遊地點 | 劉眺 當地交遊(京畿道 京兆府 長安) | ||
交遊人物/交遊地點 | 獨孤峻 當地交遊(京畿道 京兆府 長安) |
744-040
送程劉二侍御兼獨孤判官赴安西幕府(卷十七(二)一○○七)
安西幕府多才雄,喧喧唯道三數公。
繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。
朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。
天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。
胡塞塵清計日歸,漢家草綠遙相待。
送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府
(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)
安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。
安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。
繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。
三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。
朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。
今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。
天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。
これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のやうな赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。
胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。
かくて、何れの時かに胡塞の塵が収まって、目出たく歸京せられるか、都に於では、春囘り、草再び緑にして、遥かに三数公の歸るのを待って居るのである。
(程・劉二侍郎の獨孤判官と安西幕府に赴くを送る)
安西の幕府 材雄多し,喧喧 惟だ道う 三數公。
繡衣 貂裘 積雪よりも明かに,書を飛ばし 檄を走らすこと 飄風の如し。
朝 明主を辭して 紫宮を出で,銀鞍 別を送って 金城空し。
天外の飛霜 蔥海に下り,火旗雲馬 光彩を生ず。
胡塞 塵を清めて 幾日か歸る,漢家 草綠にして遙に相い待つ。
送程劉二侍御蕭本/作郎兼獨孤判官赴安西幕府按/舊 |
唐書封常清傳開元末安西四鎮節度使夫蒙靈/詧判官有劉眺獨孤峻葢其人也程則無考通鑑 |
唐紀安西節度撫寕西域統龜兹焉耆于闐疎勒/四鎮治龜兹城兵二萬四千冊府元龜周禮六官 |
六軍並有吏屬大則命於朝廷次則皆自辟除春/秋諸國有軍司馬尉候之職而未有幕府之名戰 |
國之際始謂將帥所治為幕府唐節度使之屬有/副使一人行軍司馬一人判官二人掌書記一人 |
參謀五員隨軍四人自是正為幕府之職皆/奏請有出身人及六品以下正員官為之 |
安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。 |
繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。 |
朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。 |
天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。 |
胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。 |
漢書侍御史有繡衣直指/顔師古註衣以繡者尊寵 |
之也西京雜記枚臯文章敏疾揚子雲曰軍旅之際戎/馬之間飛書馳檄用枚臯紫宫卽紫微宫天子所居也 |
見二巻註金城長安城也見五巻註通典安西郡西至/踈勒鎮守使軍三千里去蔥嶺七百里凉州異物志蔥 |
嶺水分流東西西入大海東為河源火旗謂旗之赤/似火雲馬謂馬之多似雲梁簡文帝詩悲笳動胡塞 |
『送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府』 現代語訳と訳註解説
(本文)
送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府
安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。
繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。
朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。
天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。
胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。
(下し文)
(程・劉二侍郎の獨孤判官と安西幕府に赴くを送る)
安西の幕府 材雄多し,喧喧 惟だ道う 三數公。
繡衣 貂裘 積雪よりも明かに,書を飛ばし 檄を走らすこと 飄風の如し。
朝 明主を辭して 紫宮を出で,銀鞍 別を送って 金城空し。
天外の飛霜 蔥海に下り,火旗雲馬 光彩を生ず。
胡塞 塵を清めて 幾日か歸る,漢家 草綠にして遙に相い待つ。
(現代語訳)
送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)
安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。
三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。
今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。
これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のやうな赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。
かくて、何れの時かに胡塞の塵が収まって、目出たく歸京せらるるか、都に於では、春囘り、草再び緑にして、遥かに三数公の歸るのを待って居るのである。
送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府
1.(侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するのを送る詩)
2. 舊唐書封常清傳に「開元の末、安西四鎭節度使夫蒙靈詧判官に劉眺・獨孤峻あり」と見えて居るから、劉侍御、獨孤判官は大方その人であらう。但し、程は何人だか、わからない。
通鑑唐紀に「安西節度は、西域を撫寧し、龜玆、焉耆、于闐、疎勒の四鎭を統べ、龜玆城に治す、兵二万四千」とある。
この詩は、侍御劉胱、及び程某、判官獨孤峻の三人が、安西都護府に赴任するを送って作ったのである。
起首四句は、三人の人物を写し、朝辭の二句は、送別の有様、天外の二句は、途中の光景を想像し、胡塞の二句は、その帰京の早からむことを嘱望したのである。
安西幕府多材雄,喧喧惟道三數公。
安西都護府は、西域一帯の地を牽制するから、その必要上、才気雄傑の人が多いが、その中でも、喧喧として、人口に上るのは、侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻の三数公といわれる人たちである。
3. 安西幕府 安西都護府の地方、安西は新疆省庫車、唐代におかれた六都護府の一つ。辺境警備・周辺諸民族統治などのために置かれた軍事機関。都護府の長官は都護と呼ばれていた。
4. 三數公 侍御の劉胱、程某、判官の獨孤峻。
繡衣貂裘明積雪,飛書走檄如飄風。
三数公は、繍衣をつけ、貂裘を披き、それが満地の積雪より明かに、そして、書を飛ばしたり、檄を走らせたりする場合に、その疾いことは、さながら飄風の如く、まことに、あっぱれの人物で、それなればこそ、この重職も、やすやすと務まるわけである。
5. 繍衣 漢書に「侍御史に繍衣直指あり」と記し、顔師古の註に「衣するに繍を以てするは、これを尊重するなり」とある。
6. 飛書走檄 西京雜記に「枚皐文章敏疾」とあり、揚子法言に「軍族の際、戎鳥の間、飛書馳檄には枚皐を用ふ」とある。
朝辭明主出紫宮,銀鞍送別金城空。
今次、三数公は、朝に聖明の君に辭して、紫微垣より出て、そして、その行を送る人人は、馬に銀鞍を置いて、美美しき打扮、しかも、その数の多いことは、長安城が空に成るかとおもうくらいである。
7. 紫薇 紫微垣、即ち紫微宮、天子の居るところ。古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の中垣。天の北極を中心とした広い天区。あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。「紫微」「紫微宮(しびきゅう)」「紫宮(しきゅう)」「紫垣(しえん)」ともいい、天帝の在所とされたため、転じて皇宮、朝廷の異称ともなった。「紫禁城」の「紫」もこれに基づく。
8. 金城 長安城、。
天外飛霜下蔥海,火旗雲馬生光彩。
これより、行く手の路は、いとも遥かにして、天外の飛霜は、葱海に下り、まことに凄寒に堪へられぬが、一行は、火のやうな赤い旗を押し立て、相従う人馬の多きことは、雲の如く、まことに見事である。
9. 葱海 諷典に「安西郡、西、凍勒乳讐軍に至る三千里、葱洩忘去る七百里」とあり、涼州異物志に「葱譲の水、東西lこ分流し、西に大海に入り、束は河浦となるJとある。
10. 火旗 旗の赤くして火に似たるわいふ。
11. 雲馬 馬の多くして雷に似たるむいふ。
胡塞清塵幾日歸,漢家草綠遙相待。