卷163_15 春日行
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2017年1月30日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
|
||||
|
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
|
|||||
|
Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-043卷163_15 春日行(卷三(一)二四九)-#1Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8081 |
|
|||
|
744年-集06字解集 侍從宜春苑奉詔賦・送于十八・送白利・送長沙陳太守・送祝八之江東賦Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8039 |
|
|||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
|
|
|
|
||
|
|
||||||
|
Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
|
|||||
|
806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944 |
|
|||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||
|
Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
767年-67#1 槐葉冷淘#1 杜詩詳注(卷一九(四)一六四五)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8083 |
|
|||
|
757年-集-2 【字解集】 園・歸・園官送菜・園人送瓜 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7993 |
|
|||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
|
|||||
|
|
||||||
|
|
|
|
||||
|
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
|
|||||
|
Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集 訳注解説 巻二-24 (87)回目皇甫松十一首 《摘得新二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8084 (01/30) |
|
|||
|
fc2 |
Blog |
91)回目皇甫松十一首 《天仙子/浪濤沙/楊栁枝/摘得新/夢江南/採蓮子 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8108 (02/03) |
|
|||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
|
|||||
|
Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
|
||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
||||||
|
|
||||||
744年-043卷163_15
春日行(卷三(一)二四九)-#1Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8081
(春の日が長く、多くの行楽行事があり、君王の遊楽を詞す歌。)
皇城の奥深いところに立ち並ぶ高楼は、大空を衝くばかり、黄金で蛟龍を作り、彫刻や刺繍などを巻き付けて飾ってある母屋の正面の丸柱などを廻ってみごとであるその見事なることは、心も言東も及ばぬ程で、そこに、佳人は、春の日の静なるに乗じて、窓に傍ら、手を以て絃をつま弾きつつ、筝を掻き鳴らす。すると、その調べは、春風に送られて、天子の御耳に入り、その曲は、何かといえば、「昇天行」であって、この世は、まことに果敢ないものであるから、神仙を求めて、六合の外に翺翔するに如かずといふ意味合いを述べたものである。
744年-043 - |
春日行(卷三(一)二四九)-#1 - |
|
全唐詩卷163_15 |
||
李白集校注(卷三(一)二四九)-#1 |
李太白集巻2-018 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8081 |
744-043
春日行(卷三(一)二四九)
深宮高樓入紫清,金作蛟龍盤繡楹。
佳人當窗弄白日,絃將手語彈鳴箏。
春風吹落君王耳,此曲乃是昇天行。
因出天池泛蓬瀛。樓船蹙踏波浪驚。
三千雙蛾獻歌笑,撾鐘考鼓宮殿傾。
萬姓聚舞歌太平。
我無為,人自寧。
三十六帝欲相迎,仙人飄翩下雲軿。
帝不去,留鎬京。
安能為軒轅,獨往入杳冥?
小臣拜獻南山壽,陛下萬古垂鴻名。
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
(卷三(一)二四九)-#1 | 卷163_15 | 巻2-018 | |
詩題 | 春日行(卷三(一)二四九)-#1 | ||
文體 | 七言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 深宮高樓入紫清 | 天寶三年 744年 44歲 | |
作地點 | 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) | ||
及地點 | 終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山 | ||
| 0 | ||
交遊人物/交遊地點 | 0 | ||
交遊人物/交遊地點 | 0 | ||
交遊人物/交遊地點 | 0 |
【3分割】
春日行
(春の日が長く、多くの行楽行事があり、君王の遊楽を詞す歌。)
深宮高樓入紫清,金作蛟龍盤繡楹。
皇城の奥深いところに立ち並ぶ高楼は、大空を衝くばかり、黄金で蛟龍を作り、彫刻や刺繍などを巻き付けて飾ってある母屋の正面の丸柱などを廻ってみごとである
佳人當窗弄白日,絃將手語彈鳴箏。
その見事なることは、心も言東も及ばぬ程で、そこに、佳人は、春の日の静なるに乗じて、窓に傍ら、手を以て絃をつま弾きつつ、筝を掻き鳴らす。
春風吹落君王耳,此曲乃是昇天行。
すると、その調べは、春風に送られて、天子の御耳に入り、その曲は、何かといえば、「昇天行」であって、この世は、まことに果敢ないものであるから、神仙を求めて、六合の外に翺翔するに如かずといふ意味合いを述べたものである。
因出天池泛蓬瀛,樓船蹙沓波浪驚。
三千雙蛾獻歌笑,撾鐘考鼓宮殿傾。
萬姓聚舞歌太平,我無為,人自寧。
三十六帝欲相迎,仙人飄翩下雲軿。
帝不去,留鎬京。
安能為軒轅,獨往入窈冥。
小臣拜獻南山壽,陛下萬古垂鴻名。
(春日行)
深宮の高樓 紫清に入る,金は蛟龍を作りて 繡楹を盤る。
佳人 窗に當って白日を弄し,絃は手を將って語って 鳴箏を彈ず。
春風 吹き落つ君王の耳,此の曲 乃ち是れ昇天の行。
因って天池を出でて蓬瀛に泛び,樓船 蹙沓 波浪 驚く。
三千の雙蛾 歌笑を獻じ,鐘を撾ち 鼓を考じ 宮殿傾く。
萬姓 聚舞 太平を歌う,我 無為にして,人自ら寧し。
三十六帝 相い迎えんと欲す,仙人 飄翩 雲軿を下る。
帝 去らず,鎬京に留る。
安んぞ能く軒轅と為り,獨り往く 窈冥に入らんと。
小臣 拜して獻ず 南山の壽,陛下萬古垂鴻名。
春日行胡震亨曰鮑照春日行詠眷/遊太白則擬君王遊樂之辭 |
深宮高樓入紫清,金作蛟龍盤繡楹。 |
佳人當窗弄白日,絃將手語彈鳴箏。 |
春風吹落君王耳,此曲乃是昇天行。 |
因出天池泛蓬瀛。樓船蹙踏波浪驚。 |
三千雙蛾獻歌笑,撾鐘考鼓宮殿傾。 |
萬姓聚舞歌太平。我無為,人自寧。 |
三十六帝欲相迎,仙人飄翩下雲軿。帝不去,留鎬京。 |
安能為軒轅,獨往入杳冥? |
小臣拜獻南山壽,陛下萬古垂鴻名。 |
真誥仰眄太霞宫金閣曜紫清河弦/子朗詩美人弄白日灼灼當春牖 |
將手語謂絃與手相戛而成聲也風俗通筝謹案禮樂/記五絃筑身今并涼二州筝形如瑟不知誰所改作也 |
或曰秦䝉恬所造隋書筝十三絃所謂秦聲䝉恬所作/者也通典傅𤣥筝賦序曰代以為䝉恬所造今觀其器 |
上崇似天下平似地中空准六合絃柱擬十二月設之/則四象在鼔之則五音發斯乃仁智之器豈䝉恬亡國 |
之臣所能闗思哉曹植詩撫絃彈鳴筝昇天行古樂府/名樂府古題要解昇天行曹植日月何肯留鮑照家世 |
宅闗輔皆傷人世不永俗情險囏當求神仙翺翔六合/之外其辭葢出楚辭逺逰篇也天池指御苑池沼而言 |
史記太液池中有蓬萊方丈瀛洲壺梁象海中神山龜/魚之屬西京雜記昆明池中有樓船數百艘上建樓櫓 |
韻㑹撾擊也毛萇詩傳考擊也書武成萬姓悦服老子/我無為而民自化按道書有三十六天上帝東方八天 |
太皇黄曾天帝太明玉完天帝清明何童天帝𤣥胎平/育天帝元明文舉天帝上明七曜摩夷天帝虛無玉衡 |
天帝太極濛翳天帝南方八天赤明和陽天帝𤣥明恭/蕐天帝曜明宗飄天帝竺落皇笳天帝虚明靈曜天帝 |
觀明端靖天帝元明恭慶天帝太燠極瑶天帝西方八/天元載孔昇天帝太安皇崖天帝顯定極風天帝始皇 |
孝芒天帝太皇翁重浮容天帝無思江油天帝上揲阮/樂天帝無極曇誓天帝北方八天皓庭霄度天帝淵通 |
元洞天帝太文翰寵妙成天帝太素秀樂禁上天帝太/虚無上常融天帝太釋玉隆騰勝天帝龍變梵度天帝 |
太極平育賈奕天帝中央四帝昊天金闕玉皇上帝先/天聖祖長生大帝上天紫微天皇大帝中天北極紫微 |
大帝真誥廬江潛山中有學道者鄭景世張重華以四/月十九日北𤣥老太一迎以雲軿白日升天蒼頡篇軿 |
衣車也詩大雅宅是鎬京元和郡縣志周武王鎬京在/長安縣西北十八里自漢武帝穿昆明池於此鎬京遺 |
趾遂淪陷焉莊子黄帝再拜稽首而問曰敢問治身奈/何而可以長久廣成子曰我為汝遂于大明之上矣至 |
彼至陽之原也為汝入於窅㝠之門矣至彼至隂之原/也詩大雅如南山之夀不騫不崩獨斷陛下者陛階也 |
所由升堂也天子必有近臣執兵陳於陛側以戒不虞/謂之陛下者羣臣與天子言不敢指斥天子故呼在陛 |
下者而告之因卑達尊之意也上書亦如之封禪書前/聖之所以永保鴻名而常為稱首吕向註鴻大也 撾 |
張𤓰切音髽軿音/瓶鎬音浩窅音窈 |
『春日行』 現代語訳と訳註解説
(本文)
春日行
深宮高樓入紫清,金作蛟龍盤繡楹。
佳人當窗弄白日,絃將手語彈鳴箏。
春風吹落君王耳,此曲乃是昇天行。
(下し文)
(春日行)
深宮の高樓 紫清に入る,金は蛟龍を作りて 繡楹を盤る。
佳人 窗に當って白日を弄し,絃は手を將って語って 鳴箏を彈ず。
春風 吹き落つ君王の耳,此の曲 乃ち是れ昇天の行。
(現代語訳)
(春の日が長く、多くの行楽行事があり、君王の遊楽を詞す歌。)
皇城の奥深いところに立ち並ぶ高楼は、大空を衝くばかり、黄金で蛟龍を作り、彫刻や刺繍などを巻き付けて飾ってある母屋の正面の丸柱などを廻ってみごとである
その見事なることは、心も言東も及ばぬ程で、そこに、佳人は、春の日の静なるに乗じて、窓に傍ら、手を以て絃をつま弾きつつ、筝を掻き鳴らす。
すると、その調べは、春風に送られて、天子の御耳に入り、その曲は、何かといえば、「昇天行」であって、この世は、まことに果敢ないものであるから、神仙を求めて、六合の外に翺翔するに如かずといふ意味合いを述べたものである。
(訳注)
1. 春日行
(春の日が長く、多くの行楽行事があり、君王の遊楽を詞す歌。)
2. 春日 春の日が長く、暮れるのが遅いさま。春の日がうららかでのどかなさま。▽「遅遅」は日が長く、のどかなさまをいう。
3. 年中行事は、唐代では史料も増え、政府の儀礼だけでなく、都市における行事の詳細も分かるようになっている。行事の中でも、立春から冬至までの八節(二十四節気参照)と重日が重要視された。唐代の年中行事は、国家の安泰や農作物の豊穣や無病息災、神々や祖先との交流し、社会的共同性を更新する機会であり、宗教的呪術の場でもあった。
元会は、元旦に都である長安の太極宮もしくは大明宮で皇帝が行う朝賀である。元会には各国の使者や百官が集まり、式典を行った。百官は元旦と前後3日間合計7日間休み、元会の儀式が終わると、残る3日新春の訪れを家族と祝った。正月には竹を燃やし、爆竹が鳴らされ、悪霊を追い払った。また、屠蘇酒を飲み、健康を祝い、膠牙糖という水飴を舐めた。
人日節は正月7日に行われた行事である。祝宴が宮廷で行われ、百官に魔よけの人形の切り絵である「人勝」が配られる。この日、7種の野草を使う羮が作られた。
上元節は正月15日の前後3日間続く灯籠祭りであり、元宵節とも呼ばれ、仏教の影響もあって、最も盛んとなった祭りである。上元節の期間中は、夜行の禁が解かれ、都市、田舎を問わず、家ごとに灯籠を掛け連ね、着飾った大勢の見物人が夜通し活動する。大都市では、灯籠を無数に連ねた灯樹、灯輪、山棚などというものが飾られ、都市内各地で見物することができた。上元節の灯籠は、玄宗期に隆盛を迎え、その盛大さは多くの唐詩に唱われている。長安では、皇帝も元宵節を楽しみ、雑踏は非常に激しいもので、落とし物も朝には市中にあちこちに転がったと伝えられる。また、昼間は抜河(綱引き)が行われた。長安以外では、洛陽、揚州、涼州でも大規模な祭りが開かれた。玄宗期の一時期は2月に開かれていた。
探春の宴は早春の野に春の風景を探す行事である。送窮日は、1月最終日で、貧乏神を送り出す行事である。
寒食節は、2月末に、一日中冷たいものを食べる。前後3日間、火を焚くこと、夜間に灯りをつけることを禁じられた。清明節は、3月1日に寒食節が終わると、一続きで行われる、家で新火をおこし始める行事である。
寒食の用語解説 - 古代中国で、冬至から105日目に、火気を用いないで冷たい食事をしたこと。そのころは風雨が激しいので火災予防のためとも、また、一度火を断って新しい火で春を促すためともいう。
上巳節は、3月3日に行われる河や池の水で身体を洗う行事である「祓禊」が行われる。長安付近では、曲江池や渭水で行った。全体的に行楽のような意味合いを持った行事で、景色を楽しんだり、宴会が開かれたりした。
春の行事:探春の宴、送窮日、寒食節、清明節、上巳節
深宮高樓入紫清,金作蛟龍盤繡楹。
皇城の奥深いところに立ち並ぶ高楼は、大空を衝くばかり、黄金で蛟龍を作り、彫刻や刺繍などを巻き付けて飾ってある母屋の正面の丸柱などを廻ってみごとである
4. 深宮 宮城の奥深いところ。
5. 紫清 皇城の上に広がるおおぞら。
6. 盤繡楹 彫刻や刺繍などを巻き付けて飾ってある母屋の正面の丸柱。
7. 楹 母屋の正面の丸柱. 2((文語文[昔の書き言葉])) 部屋の数を数える.
佳人當窗弄白日,絃將手語彈鳴箏。
その見事なることは、心も言東も及ばぬ程で、そこに、佳人は、春の日の静なるに乗じて、窓に傍ら、手を以て絃をつま弾きつつ、筝を掻き鳴らす。
8. 佳人 古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618-626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。
9. 絃將手語 声を出して語り、歌いながら弦を弾く
10. 彈鳴箏 絃数の多い箏琴、さらに多い瑟琴など弾き、敲いて音を出す、同時に複数絃から音色が出るため高度に難しいとされた。玄宗は数多くの「一芸に秀でたもの」を梨園に集めた。李白は、ここで玄宗の遊楽に対してのことを言っているのであろう。以下、当時の有名な宮優をあげる。
<張雲容>
全唐詩の楊貴妃の詩「阿那曲」で詠われる。楊貴妃の侍女。非常に寵愛を受け、華清宮で楊貴妃に命じられ、一人で霓裳羽衣の曲を舞い、金の腕輪を贈られたと伝えられる。また、『伝奇』にも説話が残っている。内容は以下の通りである。張雲容は生前に、高名な道士であった申天師に仙人になる薬を乞い、もらい受け、楊貴妃に頼んで、空気孔を開けた棺桶にいれてもらった。その百年後に生き返り、薛昭という男を夫にすることにより、地仙になったという。
<王大娘>
『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。教坊に所属していた妓女。玄宗と楊貴妃の前で雑伎として、頭の上に、頂上に木で山を形作ったものをつけた百尺ある竿を立て、幼児にその中を出入りさせ、歌舞を披露する芸を見せた。その場にいた劉晏がこれを詩にして詠い、褒美をもらっている。
<許和子(永新)>
『楽府雑録』『開元天宝遺事』に見える。吉州永新県の楽家の生まれの女性で本名を許和子と言った。開元の末年ごろに後宮に入り、教坊の宜春院に属した。その本籍によって、永新と呼ばれた。美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥・李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている。
安史の乱の時に、後宮のものもバラバラとなり、一士人の得るところとなった。宮中で金吾将軍であった韋青もまた、歌を善くしていたが、彼が広陵の地に乱を避け、月夜に河の上の欄干によりかかっていたところ、船の中からする歌声を聞き、永新の歌と気づいた韋青が船に入っていき、永新と再会し、涙を流しあったという説話が残っている。その士人が死去した後、母親と長安に戻り、民間の中で死去する。最期に母親に、「お母さんの金の成る木は倒れました」と語ったと伝えられる。清代の戯曲『長生殿』にも、楊貴妃に仕える侍女として登場する。
<念奴>
『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。玄宗の近くを離れたことがなく、いつも周りの人々を見つめていて、玄宗に「この女は妖麗で、眼で人を魅了する」と評された。その歌声は、あらゆる楽器の音よりもよく響き渡ったと伝えられる。唐代詩人の元稹の「連昌宮詞」に、玄宗時代の盛時をあらわす表現として、玄宗に命じられた高力士が、彼女を呼び、その歌声を披露する場面がある。清代の戯曲『長生殿』にも、永新とともに、楊貴妃に仕える侍女として登場する。
春風吹落君王耳,此曲乃是昇天行。
すると、その調べは、春風に送られて、天子の御耳に入り、その曲は、何かといえば、「昇天行」であって、この世は、まことに果敢ないものであるから、神仙を求めて、六合の外に翺翔するに如かずといふ意味合いを述べたものである。
11. 昇天行 古樂府昇天行。曹植"日月何肯留"、鮑照"家世宅關輔"。曹植又有《飛龍》、《仙人》、《上仙錄》與《神遊》、《五遊》、《遠遊》、《龍欲昇天》等七篇。如陸士衡《緩聲歌》,皆傷人世不永,俗情險艱,當求神仙翺翔六合之外。其詞蓋出楚歌《遠遊篇》也。昇天行は、曹植の"日月何肯留"とあり、鮑照の"家世宅關輔"とみえる。曹植は又、《飛龍》、《仙人》、《上仙錄》與《神遊》、《五遊》、《遠遊》、《龍欲昇天》等七篇 有る。陸士衡《緩聲歌》の如し,皆 人世 永からず,俗情險艱なるを傷み,當に神仙を求め、六合之外に翺翔すべし。其の詞 蓋し楚歌(楚辞)の《遠遊篇》に出る也。」とある。