巻一六八08 卷161_8 《古風,五十九首其八》
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2017年2月5日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-045-2-#1巻一六八08 卷161_8 《古風,五十九首其八》 (卷二(一)一○七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8117 |
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744年-集06 【字解集】 送族弟綰・送程劉二侍御・前有樽酒行・春日行Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8099 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
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806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
767年-69#1 季夏送鄉弟韶陪黃門從叔朝謁#1 杜詩詳注(卷一九(四)一六四八)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8119 |
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767年-集-4字解 【字解集】 a槐葉冷淘・ b上後園山腳・c季夏送鄉弟韶字解 杜詩詳注Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8131 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集訳注解説 (93)回目韋莊二十二首-2《巻二29 浣溪沙五首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8120 (02/05) |
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Blog |
91)回目皇甫松十一首 《天仙子/浪濤沙/楊栁枝/摘得新/夢江南/採蓮子 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8108 (02/03) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
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744年-045-2-#1巻一六八08 卷161_8 《古風,五十九首其八》 (卷二(一)一○七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8117
(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)
長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、二月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。昼は昼で大騒ぎ、夜になれば酒に酔って帰ってくる、白馬に乗って、驕り高ぶって、そして街中を疾走してゆく。
744年-045-2-#1 - |
古風,五十九首其八 (卷二(一)一○七) - |
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全唐詩巻一六八08 |
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李白集校注(卷二(一)一○七) |
李太白集巻一08 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8117 |
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
(卷二(一)一○七) | 巻一六八08 | 巻一08 | |
詩題 | 古風,五十九首其八 (卷二(一)一○七) | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 咸陽二三月 | 天寶三年 744年 44歲 | |
作地點 | 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) | ||
及地點 | 咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸 | ||
| 0 |
744-045-2
「咸陽二三月」詩 古風五十九首之八 (卷二(一)一○七)
(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)
咸陽二三月,宮柳黃金枝。
長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、二月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
綠幘誰家子?賣珠輕薄兒。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
日暮醉酒歸,白馬驕且馳。
昼は昼で大騒ぎ、夜になれば酒に酔って帰ってくる、白馬に乗って、驕り高ぶって、そして街中を疾走してゆく。
古風五十九首の八
咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。
綠幘【りょくさく】誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。
日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。
意氣人所仰,冶遊方及時。
子雲不曉事,晚獻長楊辭。
賦達身已老,草玄鬢若絲。
投閣良可歎,但為此輩嗤。
意氣 人の仰ぐ所、冶游【やゆう】方【まさ】 に時に及ぶ。
子云 事を曉【さと】らず、晚に獻ず 長楊の辭。
賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。
閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤 【わら】わる。
古風,五十九首其八 〔錢塘 王琦 撰〕 |
此首繆本編入二十二巻/題作感寓與諸本不同 |
咸陽二三月,宮柳黃金枝。 |
綠幘誰家子?賣珠輕薄兒。 |
日暮醉酒歸,白馬驕且馳。 |
意氣人所仰,冶遊方及時。 |
子雲不曉事,晚獻長楊辭。 |
賦達身已老,草玄鬢若絲。 |
投閣良可歎,但為此輩嗤。 |
謝尚大道曲青陽二三月、柳青桃復紅。 漢書帝姑/館陶公主號竇太主堂邑侯陳午尚之午死主寡 |
居近幸董偃始偃與母以賣珠為事偃年十三隨母出/入主家左右言其姣好主召見曰吾為母養之因留第 |
中教書計相馬御射頗讀傳記至年十八而冠出則執/轡入則侍内為人温柔愛人以主故諸公接之名稱城 |
中號曰董君主因推令散財交士令中府曰董君所發/一日金滿百斤錢滿百萬帛滿千匹乃白之安陵爰叔 |
與偃善謂偃曰足下私侍漢主挾不測之罪將欲安處/乎何不白主獻長門園此上所欲也如是則上知計出 |
于足下則安枕而卧者無慘怛之憂偃入言之主主立/奏書獻之上大悦更名竇太主園為長門宫上以錢千 |
萬從主飲後數日上臨山林主自執宰蔽膝道入坐未/定上曰願謁主人翁主乃下殿去簮珥徒跣頓首謝有 |
詔謝主簮履起之東廂自引董君董君緑幘傅韝隨主/前伏殿下主乃賛館陶公主庖人臣偃昧死再拜謁因 |
叩頭謝上為之起有詔賜衣冠上當是時董君見尊不/名稱為主人翁是日飲大驩樂主乃請賜將軍從官金 |
錢雜繒各有數于是董君貴寵天下莫不聞沈約詩洛/陽繁華子長安輕薄兒楊修荅臨淄候牋吾家子雲老 |
不曉事漢書揚雄字子雲蜀郡成都人孝成帝時待詔/承明之庭從至射熊館還上長楊賦以風哀帝時丁𫝊 |
董賢用事諸附離之者或起家至二千石時雄方草太/𤣥有以自守泊如也王莽時劉歆甄豐皆為上公莽既 |
以符命自立即位之後欲絶其原以神前事而豐子尋/歆子棻復獻之莽誅豐父子投棻四裔辭所連及便收 |
不請時雄校書天禄閣上治獄事使者來欲收雄雄恐/不能自免乃從閣上自投下㡬死莽聞之曰雄素不與 |
事何故在此間請問其故乃劉棻嘗從雄學作竒字雄/不知情有詔勿問然京師為之語曰惟寂寞自投閣爰 |
清浄作符命古詩但為後世嗤唐仲言曰此刺戚里/驕横而以子雲自況所謂緑幘必有所指 嗤音鴟 |
『古風,五十九首之八』 現代語訳と訳註
(本文)
古風五十九首之八
咸陽二三月。 宮柳黃金枝。
綠幘誰家子。 賣珠輕薄兒。
日暮醉酒歸。 白馬驕且馳。
(下し文)
古風五十九首の八
咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。
綠幘【りょくさく】誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。
日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。
(現代語訳)
(春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)
長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、二月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
昼は昼で大騒ぎ、夜になれば酒に酔って帰ってくる、白馬に乗って、驕り高ぶって、そして街中を疾走してゆく。
(訳注)
古風,五十九首之八
1. (春の盛りには貴公子が我が物顔で闊歩するが、本当に勉強するものは世間のことには無頓着なもの、しかし「太玄経」を作った揚雄ほど熱心過ぎるのもこまったものだ)
2. 【解説】古風とは古体の詩というほどのことで、詩経風に詩題としたものである。また、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。
(長安をにあった時にこの山に遊んだ744年天寶三年44歳の時の詩である。)
李白index- 32 《753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越》1103 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4063
咸陽二三月、宮柳黃金枝。
長安の富貴の高級住宅街、咸陽のまち、二月の春たけなわ行楽の季節、三月の無礼講のある季節である。宮殿の柳は、春心を湧き立たせる黄金色に萌える枝をたれている。
3. 咸陽 秦の都。長安の対岸にある。この詩は、実際には唐の都、長安の風俗をうたっている。詩人は唐を秦、長安を咸陽とよく詠う。李白31歳の作品『少年行』が基礎にある。ここでいう秦は、貴族が棲む山の手にあたる五陵があったあたりを指す。
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
五陵の若者は 金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。一面に舞い散る花を踏み散らし どこへ遊びに出かけるのか。にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか
貴公子たちは、悪ふざけをして歩く二月、三月は科挙の合格発表があると無礼講で各屋敷は解放される。貴公子の天下になることをいっている。
王維『少年行四首』 其一
新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
4. 二三月 春たけなわな頃である。この表現は野山に万幕を張って行楽を楽しむ季節であることをいう。
5. 宮柳 宮殿のそばの柳。
6. 黃金枝 新芽の明るい緑に日がさすと黄金に見える。この時期だけのものである。柳は女性の柳腰を連想させ、春心が浮き立つことをいう。「柳腰」「細腰」は美人のこと。
綠幘誰家子、賣珠輕薄兒。
銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣董偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
7. 綠幘 幘;幅は頭巾。みどりのずきん。漢の董偃の故事。「漢書」に見える話。董偃は母とともに真珠を売って歩いていたが、年十三のとき、漢の武帝の姨であり、竇太主、陳皇后の母でもある館陶公主の邸に出入し、美貌な少年であったので公主の寵愛を得て董君と呼ばれた。そののち公主に従って帝に御目見えしたとき、かれは、綠の頭巾をかむり、腕ぬきをつけて罷り出た。公主は「館陶公主の料理番、臣偃」と紹介し、かれは平伏した。帝はかれに衣冠をたまわった。やがて無礼講がはじまったが、以後かれは武帝の寵愛をも受けるようになり、噂は天下にひろまった。のちに東方朔がその僭越な態度を弾劾した(『漢書』東方朔伝)。
8.
日暮醉酒歸、白馬驕且馳。
昼は昼で大騒ぎ、夜になれば酒に酔って帰ってくる、白馬に乗って、驕り高ぶって、そして街中を疾走してゆく。
李白 17少年行 杜甫「少年行」とイメージが似ている。
「少年行」というのは楽府(がふ)の雑曲の題で、当時はやっていた。盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っている。王維21歳、李白31歳、二人は長安で杜甫51歳は成都であった。
李白は太白山に登り、夢地希望を胸に都生活をする。そこで、遊侠の若者を楽府詩で詠う。
年少は少年と同じ、日本でいう少年は童。金位置の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。
金市というのは下の関係図に示す、西の金光門をさし、次の句の銀の鞍との対比を意図している。
唐の時代「胡姫」はペルシャ(イラン系)の紅毛金髪、碧眼、白皙の女性を示していた。
少年行
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
五陵の年少(ねんしょう)金市(きんし)の東
銀鞍(ぎんあん)白馬春風(しゅんぷう)を度(わた)る
落花(らっか)踏み尽くして 何処(いずこ)にか遊ぶ
笑って入る胡姫(こき)酒肆(しゅし)の中
唐は西に伸びきった領土を有していた。建国当初は、富を得ていたが次第に負担が勝るようになる。
少 年 行
貴族の子弟が酒屋において倣慢ちきに酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は詩言絶句である。
馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。
馬にうちのったどこの家のわかものかしらぬが、きざはしのそばで馬からおりてどっかと椅子に腰かけた。それから大ざっぱな様子でどこのだれとも名のらず、「あれをくれ」というて銀のさかがめを指ざしして酒をもとめてのんでいる。
○少年行 少年のことをよんだうた。 ○白面郎 かおのしろいわかもの。 ○階 さかやのきざはし。 〇人牀 他人の家のいす。○不通姓氏 だれそれと姓名をなのらぬ。 ○麤豪 細慎ならぬことをいう。人も無げな大ざっぱなふるまい。 ○指点 あれと指ざしする。○銀瓶 銀でこしらえたさかがめ。
王維の「少年行四首」は四場面の劇のような構成になっています。時代は漢を借りている。
少年行四首 其一
新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
新豊の美酒は 一斗で一万銭、咸陽、都の遊侠気どりは多い若者。
出逢と意気盛んで大いに飲もうと、馬を繋いだ高楼の しだれ柳の陰のあたりで
新豊美酒斗十千:新豊の美酒は 一斗で一万銭
・「新豊」の街は長安の東にあり、美酒の産地。「咸陽」は秦の都だったところで、漢代には都長安の貴族の住む住宅都市。
咸陽遊侠多少年:都に多い若者は 遊侠気どりで闊歩する
相逢意気為君飲:出逢っては 大いに飲もうと意気が合い
繋馬高楼垂柳辺:馬を繋いだ高楼の しだれ柳の陰のあたりで
・王維は都の若者が意気揚々と馬に乗って酒楼に乗り込むようすを描く。繋いではいけない場所、高楼のほとりの柳の木に馬をつないだという言葉足らずという余韻を残している。
○韻 千、年、辺
新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
少年の行(うた)四首 其の一
新豊(しんぽう)の美酒は斗に十千(じゅっせん)
咸陽(かんよう)の遊侠(ゆうきょう)は少年多し
相逢(あいあ)える意気よ 君が為に飲まん
馬を繋げり 高楼の垂柳(すいりゅう)の辺(ほとり)
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第2場面 出陣の心意気を詠う。
少年行四首 其二
出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。
孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。
官職に就き 漢に仕えて羽林郎
驃騎将軍に従い 漁陽に出陣する
辺境の戦に出たいが 行けぬ苦しみは誰にもわかるまい
たとえ死んでも 勇者の誉れだけは顕わすのだ
出身仕漢羽林郎:官職に就き 漢に仕えて羽林郎
・「出身」というのは世に出ることですが、唐代では官吏になること。「羽林郎」(うりんろう)は漢の武官名で関中(都のある地域)の六郡の良家の子弟から選ばれる名誉の職のこと。
初随驃騎戦漁陽:驃騎将軍に従い 漁陽に出陣する
・ 驃騎将軍霍去病(かくきょへい)に従って漁陽(ぎょよう・北京の近所)に出陣してきましたが、最前線に出してもらえない。
孰知不向辺庭苦:辺境の戦に出たいが 行けぬ苦しみは誰にもわかるまい
縦死猶聞侠骨香:たとえ死んでも 勇者の誉れだけは顕わすのだ
・この苦しみは誰にもわかるまい。死んでもいいから勇者の誉れを顕わしたいのだと元気一杯。
○韻 郎、陽、香
出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。
孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。
少年行四首 其の二
出身(しゅっしん)して漢に仕える羽林郎
初めて驃騎(ひょうき)に随って漁陽に戦う
孰(たれ)か知らん 辺庭に向かわざるの苦しみを
縦(たと)い死すとも猶お侠骨の香を聞かしめん
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第三場面は、最前線の戦を詠う。「単于」は匈奴(きょうど)の王ですが、漢の宣帝のころ、匈奴は五つの集団に分裂して、五人の単于が立って互いに攻め合っていた。これらの「五単于」をつぎつぎにやっつけたという勇壮な場面。場面は劇的に集約され、音楽に合わせて詠いながら、演舞をした。
年行四首 其三
少年行四首 其三
一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。
偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。
二人張りの強弓を 立てつづけに引き絞る
千万の夷狄の騎馬も いないに等しい
鞍の上で身をよじり 白羽の矢を繰り出して
つぎつぎと 五人の単于を射殺(いころ)した
少年行四首 其三:
一身能擘両彫弧:二人張りの強弓を 立てつづけに引き絞る
虜騎千重只似無:千万の夷狄の騎馬も いないに等しい
偏坐金鞍調白羽:鞍の上で身をよじり 白羽の矢を繰り出して
紛紛射殺五単于:つぎつぎと 五人の単于を射殺(いころ)した
○韻 弧、無、于
一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。
偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。
少年行四首 其の三
一身能(よ)く擘(ひ)ける両彫弧(りょうちょうこ)
虜騎(りょき)の千重(せんじゅう) 只無きに似る
金鞍(きんあん)に偏坐して白羽(はくう)を調し
紛紛として射殺せり五単于(ごぜんう)
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最終場面は都に凱旋して戦勝の祝宴があり、戦功が論ぜられる。
少年行四首 其四
漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。
天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮。
漢の君臣は 戦勝の祝宴を終え、雲台宮で議して 戦功を論ずる
天子は出御して 諸侯の印を賜わり、将軍は印綬を帯びて 明光宮を退出する
漢家君臣歓宴終:漢の君臣は 戦勝の祝宴を終え
高議雲台論戦功:雲台宮で議して 戦功を論ずる
天子臨軒賜侯印:天子は出御して 諸侯の印を賜わり
・最後に天子がお出ましになって封爵の褒美が与えられます。
将軍佩出明光宮:将軍は印綬を帯びて 明光宮を退出する
・将軍たちは封侯の印綬を帯びて明光宮を出ていく。最終場面は宴席で詠れるのにふさわしい。
○韻 終、功、宮