卷164_7 怨歌行(卷五(一)三六一)
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2017年2月9日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-047-#1卷164_7 怨歌行(卷五(一)三六一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8141 |
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744年-集06 【字解集】 送族弟綰・送程劉二侍御・前有樽酒行・春日行Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8099 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
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806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
767年-72 七月一日題終明府水樓二首 其二 杜詩詳注(卷一九(四)一六五二)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8149 |
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767年-集-4字解 【字解集】 a槐葉冷淘・ b上後園山腳・c季夏送鄉弟韶字解 杜詩詳注Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8131 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集訳注解説 (97)回目韋莊二十二首-6《巻二33 菩薩鬘五首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8144 (02/09) |
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Blog |
91)回目皇甫松十一首 《天仙子/浪濤沙/楊栁枝/摘得新/夢江南/採蓮子 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8108 (02/03) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
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玉集-07 秦嘉妻答詩・飲馬長城窟行・飲馬長城窟行 【字解集】 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8133 |
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744年-047-#1卷164_7 怨歌行(卷五(一)三六一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8141
(班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)
【李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。】
班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。
744年-047-#1 - |
怨歌行(卷五(一)三六一) - |
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全唐詩卷164_7 |
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李白集校注卷五(一)三六一) |
李太白集巻四07 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8141 |
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
(一)三六一) | 卷164_7 | 巻四07 | |
詩題 | 怨歌行(卷五(一)三六一) | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | 【自注:長安見內人出嫁,友人令余代為之。】 | ||
初句 | 十五入漢宮,花 | 天寶三年 744年 44歲 | |
作地點 | 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) | ||
及地點 | 0 | ||
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744-047
怨歌行(卷五(一)三六一)
【自注:長安見內人出嫁,友人令余代為之。】
十五入漢宮,花顏笑春紅。
君王選玉色,侍寢金屏中。
薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。
寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。
#2
沉憂能傷人,綠鬢成霜蓬。
一朝不得意,世事徒為空。
鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。
寒苦不忍言,為君奏絲桐。
腸斷絃亦絕,悲心夜忡忡。
怨歌行
(班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)
【自注:長安見內人出嫁,友人令余代為之。】
【李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。】
十五入漢宮,花顏笑春紅。
班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。
君王選玉色,侍寢金屏中。
君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。
薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。
かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。
寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。
しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。
#2
沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。
一朝不得意,世事徒為空。
鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。
寒苦不忍言,為君奏絲桐。
腸斷弦亦絕,悲心夜忡忡。
(怨歌行)
【自注:長安にて內人の出でて嫁する見る,友人 余をして代って之を為らしむ。】
十五、漢宮に入り、花顔、春紅を笑う。
君王 玉色を選び,寢に侍す金屏の中。
枕を薦めて夕月よりも嬌なり,衣を卷いて春風を戀う。
寧ろ知らんや 趙飛燕,寵を奪うて 恨 窮まり無きや。
#2
沈憂 能く人を傷ましめ,綠鬢 霜蓬と成る。
一朝 意を得ざれば,世事 徒らに空と為る。
鷫鷞は 美酒に換え,舞衣は 雕龍を罷む。
寒苦 言うに忍ばず,君が為に 絲桐を奏す。
腸 斷えて 弦 亦た絕ゆ,悲心 夜 忡忡。
怨歌行 |
【自註】 長安見内人出嫁友人令予代為怨歌行。 |
文選有班媫妤怨歌行即新裂齊䊵素一首也 |
李善註 歌録曰 怨歌行 古辭言古有此曲而班媫妤擬之 |
十五入漢宮,花顏笑春紅。君王選玉色,侍寢金屏中。 |
薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。 |
沉憂能傷人,綠鬢成霜蓬。一朝不得意,世事徒為空。 |
鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。寒苦不忍言,為君奏絲桐。 |
腸斷絃亦絕,悲心夜忡忡。 |
傅𤣥怨歌行 十五入君門一别終華髪 |
楚辭「玉色頩以晚顔」 繁欽定情篇「侍寝執衣巾」 何遜詩「掩泣閉金屏」 |
宋玊髙唐賦「願薦枕席」 李善註「薦進也。欲親進於枕席、求親妮之意也。」 |
古樂府有秦王巻衣曲。 庾信 燈賦 巻衣秦后之牀送枕荆臺之上。漢 |
漢書 「趙飛燕姊娣、從自微賤興、踰越禮制、寖盛於前。 |
班偼伃及許皇后、皆失寵稀。」 |
復進見 陸機詩 沉憂萃我心張銑註況深也。 |
孔融 論盛孝章若使憂能傷人此子不得/復永年矣。吴均詩「緑鬢愁中改。」 |
司馬相如 「以鷫鸘裘就市人楊昌貰酒。」 |
詳見四巻註蕭士贇曰雕龍謂舞/衣上之雕畫龍文也詩國風憂心忡忡 忡音冲 |
『怨歌行』 現代語訳と訳註解説
(本文)
怨歌行
【自注:長安見內人出嫁,友人令余代為之。】
十五入漢宮,花顏笑春紅。
君王選玉色,侍寢金屏中。
薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。
寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。
詩文(含異文):怨歌行#1
十五入漢宮,花顏笑春紅。君王選玉色,侍寢金屏中【侍寢錦屏中】。
薦枕嬌夕月,卷衣戀春風【卷衣戀香風】。寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。
(下し文)
怨歌行
【自注:長安にて內人の出でて嫁する見る,友人 余をして代って之を為らしむ。】
十五、漢宮に入り、花顔、春紅を笑う。
君王 玉色を選び,寢に侍す金屏の中。
枕を薦めて夕月よりも嬌なり,衣を卷いて春風を戀う。
寧ろ知らんや 趙飛燕,寵を奪うて 恨 窮まり無きや。
(現代語訳)
(班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)
【李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。】
班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。
君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。
かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。
しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。
(訳注)
怨歌行
1. (班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)
【自注:長安見內人出嫁,友人令余代為之。】
2. 【李白の自註 宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。】
3.【解説】李白の怨歌行は、班捷伃の詩に、依傍したものである。なお、妃嬪が寵愛を失って、持して民間に嫁しづく例は少ない。
・『古詩源』では《怨歌行》、『玉台新詠』で《怨詩》とする。相和歌辞・楚調曲。
・同様の趣に 、謝玄暉 (謝朓) 《玉階怨》 「夕殿下珠簾,流螢飛復息。長夜縫羅衣,思君此何極。」(夕殿 珠簾を下し,流螢 飛び 復(また) 息(とま)る。長夜 羅衣を 縫ひ,君を思うこと 此に なんぞ 極(きわ)まらん。)
・『金谷聚』 「渠碗送佳人,玉杯邀上客。車馬一東西,別後思今夕。」(渠碗(きょわん) 佳人を 送り,玉杯 上客を 邀(むか)ふ。車馬 一(ひとたび) 東西にせられ,別後 今夕を 思はん。)
・李白 『怨情』 「美人捲珠簾,深坐嚬蛾眉。但見涙痕濕,不知心恨誰。」(美人 珠簾を捲き、深く坐して蛾眉を顰【ひそ】む。但 見る 涙痕の湿を、知らず 心に誰をか恨む。 )
・李白 《紫藤樹》「紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。密葉隠歌島、香風留美人。」
・李白 《客中行》「蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」
・王維《班婕妤》 「怪來妝閣閉,朝下不相迎。總向春園裏,花間笑語聲。」(怪しむらくは妝閣【さうかく】の 閉づることを,朝より下りて 相ひ迎へず。總て春園の裏に 向いて,花間 笑語の聲。)
・班婕妤《怨詩》
新裂齊紈素,皎潔如霜雪。 裁爲合歡扇,團團似明月。
出入君懷袖,動搖微風發。常恐秋節至,涼風奪炎熱。
棄捐篋笥中,恩情中道絶。
・班婕妤(倢伃) (生没年不詳)は中国前漢の成帝の愛人。班況の娘で、班固や班超の従祖母に当たる女性。成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、大后を長信宮に供養することを理由に退いた。長信宮に世を避けた倢伃は、悲しんで「怨歌行」を作る。その詩は『文選』『玉台新詠』『楽府詩集』『古詩源』などに載せられる。失寵した女性の象徴として、詩の主題にあつかわれることが多い。晋の陸機や唐の王維、王昌齢「西宮春怨・長信秋詞」などがそれである
怨歌行 班婕妤(倢伃) 漢詩<111>玉台新詠集 女性詩547 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1458
・曹植 《怨歌行》
為君既不易,為臣良獨難。忠信事不顯,乃有見疑患。
周公佐成王,金縢功不刋。推心輔王政,二叔反流言。
待罪居東國,泣涕常流連。皇靈大動變,震雷風且寒。
拔樹偃秋稼,天威不可干。素服開金縢,感悟求其端。
公旦事既顯,成王乃哀嘆。吾欲竟此曲,此曲悲且長。
今日樂相樂,別後莫相忘。
怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033
怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033
・溫庭筠《清平樂二首其一》「新歲清平思同輦,爭那長安路遠。」(新しい歳に変わっても、世の中が清らかに治まっていても、彼女らは、漢の班捷伃が「同輦を辞」したような思いでいる。何せ、天子の寵愛を爭おうとしても天子の入る長安までの道のりは遠いのである。)
1-62-410《清平樂二首其一》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-593-1-62-(410) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4512
十五入漢宮,花顏笑春紅。
班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。
4. 十五 十数歳に達した「良家の子女」は、後宮のある種の選抜をへて多数宮廷に入ったのであるが、彼女たちの中のほんの少しの者だけが幸運を得て妃嬢に列し、大多数の者は名もなき宮女のままで生涯を終えたのである。このように良家の子女を選抜するのが、宮廷女性の主要な来源であり、宮廷女性の中で少なからざる比率を占めていた。
5. 入漢宮 『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。八十一御妻の皇后を除き、総称として「妃嬪」と呼ぶ。妃嬪選抜に漏れたものは、宮女として、二十二歳程度で解放される。
皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。
君王選玉色,侍寢金屏中。
君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。
6. 君王 班捷伃、趙飛燕の時、前漢十一代皇帝、成帝(在位期間, 前33年 - 前7年の24年間)である。
7. 選玉色 君王が直接に妃嬪を選定することはないが、宮女の中のものを妃賓に抜擢することは通常のこととしてあった。
8. 侍寢金屏中 そうして、一度になるか長期的な寵愛を得ることになるかは、寝牀のこととなってゆく。
薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。
かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。
9. 薦枕 ベッドに誘うこと。
10. 夕月:蛾眉などと同じようにつかわれ、,三日月、蛾の触角のように細長く曲がってくっきりと目立つ,美人の眉のことをいい、美人の女性をさす。 3前後, 夕月 (ゆうづき), 夕方見える月のことで,三日月を指すことが多い。
寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。
しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。
11. 趙飛燕 前漢末期の皇帝である成帝(在位前32~前7)の皇后。卑賤(ひせん)の生まれから身をおこして陽阿主(ようあしゆ)に仕え、そこで歌舞を習得し、偶然陽阿主の家を訪れた成帝の目に留まって妹とともに後宮入りし、ついには皇后となった。しかし前漢王朝きっての放恣(ほうし)な皇帝が、ある夜突然死去したために、成帝とその夜をともにした妹に嫌疑がかかり妹は自殺に追い込まれてしまう。やがて宮廷内で王莽(おうもう)の勢力が伸張すると、飛燕もただの庶人に格下げされて、妹の後を追う。このように卑賤の身から一転して後宮の栄華をほしいままにし、最後には凋落(ちょうらく)の道をたどる趙飛燕姉妹の波瀾(はらん)の生涯は、やがて文学作品『趙飛燕外伝』となった。この作品は、彼女の血縁者から直接聞き取りの形で書き上げられたと伝えられるが、実際には後世の偽作とされる。
趙合徳:成帝の妃で婕妤から昭儀に進んだ。姉である趙皇后(趙飛燕)の妹で、姉と共に皇帝の寵愛を欲しいままにしたと言われる。成帝とその夜をともにしていた時、突然死去したために、嫌疑がかかり自殺においこまれた。合徳に関する記述の殆どは後漢~唐代の頃に書かれたと思われる『飛燕外伝』にある。