望終南山寄紫閣隱者(卷十三(一)八三○)
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2017年2月11日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-048卷172_5 望終南山寄紫閣隱者(卷十三(一)八三○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8153 |
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744年-集06 【字解集】 送族弟綰・送程劉二侍御・前有樽酒行・春日行Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8099 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
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806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
767年-72#2 行官張望補稻畦水歸#2 杜詩詳注(卷一九(四)一六五四)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8161 |
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767年-集-4字解 【字解集】 a槐葉冷淘・ b上後園山腳・c季夏送鄉弟韶字解 杜詩詳注Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8131 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集訳注解説 (99)回目韋莊二十二首-8《巻二35 菩薩鬘五首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8156 (02/11) |
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Blog |
91)回目皇甫松十一首 《天仙子/浪濤沙/楊栁枝/摘得新/夢江南/採蓮子 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8108 (02/03) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
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玉集-07 秦嘉妻答詩・飲馬長城窟行・飲馬長城窟行 【字解集】 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8133 |
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744年-048卷172_5 望終南山寄紫閣隱者(卷十三(一)八三○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8153
(終南山を望み山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せた詩)
門を出でて南方を臨めば、終南山が見えるので、首を延ばして、じつと見惚れて居る間に、
無限の思いに沈むのである。終南山辺りのうっそうとした木々の蒼翠は、日日眼前に在って、格別珍らしくもないが、その秀色は、何とも名づけ難く、従って、いくら見ても、見あきもしない。そこは、時時白雲が起るところであり、天際に舒卷し、愈々、趣ありげの景色なのである。丁度、沸き起こるその白雲の如く、それが有ろうが有るまいが事物に応じて起こる感興を深くするのは変わるものでなく、茲に立つもの、その心は、それに伴って、物に執着せず、毎毎興を託することを深くするのである。あわれ、何の時か、山中に分け入って、紫閣峰下の幽人を尋ね、ともに、蹤跡を晦まして、高峰の間に住むことが出来るか。恨むらくは、われ塵縁未だ尽きることなく、今に尚齷齪として、風塵中にまごついて居るので、隠者輩に対して、まことに愧じ入る次第である。
744年-048 - |
望終南山寄紫閣隱者(卷十三(一)八三○) - |
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全唐詩卷172_5 |
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李白集校注卷十三(一)八三○ |
李太白集巻12-05 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8153 |
744-048
望終南山寄紫閣隱者(卷十三(一)八三○)
出門見南山,引領意無限。
秀色難為名,蒼翠日在眼。
有時白雲起,天際自舒卷。
心中與之然,託興每不淺。
何當造幽人,滅跡棲絕巘?
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
卷十三(一)八三○ | 卷172_5 | 巻12-05 | |
詩題 | 望終南山寄紫閣隱者(卷十三(一)八三○) | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 出門見南山,引 | 天寶三年 744年 44歲 | |
作地點 | 目前尚無資料 | ||
及地點 | 終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山 | ||
| 紫閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) | ||
交遊人物/交遊地點 | | ||
交遊人物/交遊地點 | | ||
交遊人物/交遊地點 | 紫閣隱者 |
望終南山寄紫閣隱者
(終南山を望み山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せた詩)
出門見南山,引領意無限。
門を出でて南方を臨めば、終南山が見えるので、首を延ばして、じつと見惚れて居る間に、
無限の思いに沈むのである。
秀色難為名,蒼翠日在眼。
終南山辺りのうっそうとした木々の蒼翠は、日日眼前に在って、格別珍らしくもないが、その秀色は、何とも名づけ難く、従って、いくら見ても、見あきもしない。
有時白雲起,天際自舒卷。
そこは、時時白雲が起るところであり、天際に舒卷し、愈々、趣ありげの景色なのである。
心中與之然,託興每不淺。
丁度、沸き起こるその白雲の如く、それが有ろうが有るまいが事物に応じて起こる感興を深くするのは変わるものでなく、茲に立つもの、その心は、それに伴って、物に執着せず、毎毎興を託することを深くするのである。
何當造幽人,滅跡棲絕巘。
あわれ、何の時か、山中に分け入って、紫閣峰下の幽人を尋ね、ともに、蹤跡を晦まして、高峰の間に住むことが出来るか。恨むらくは、われ塵縁未だ尽きることなく、今に尚齷齪として、風塵中にまごついて居るので、隠者輩に対して、まことに愧じ入る次第である。
(終南山を望み 紫閣隱者に寄す)
門を出でて 南山を見,領を引いて 意 限り無し。
秀色 名を為し難し,蒼翠 日に眼に在り。
時 有って白雲起り,天際 自ら舒卷す。
心中 之れと然り,興を託する每に淺からず。
望終南山寄紫閣隠者 李白集校注 錢塘 王琦 撰 |
史記正義 「括地志云、終南/山一名中南山一名太乙山一名南山一名橘山一名楚山 |
一名秦山一名/周南山一名地肺山在雍州萬年縣南五十里。」 |
圖書編 「終南乃關中南山、西起隴鳯、東踰商洛、綿亘千里有餘、其南北、亦然。 |
隨地異名、總言之則曰南山耳。」 |
西安志 「紫閣峰乃終南/山之一峰也」 詳見五巻註 |
出門見南山,引領意無限。 |
秀色難為名,蒼翠日在眼。 |
有時白雲起,天際自舒卷。 |
心中與之然,託興每不淺。 |
何當造幽人,滅跡棲絕巘。 |
後漢書 「昔人之隠、遭時、則放聲、滅/跡、巢棲茹薇。」 |
張協七命 「發絶巘遡長風。」 張銑註:絶巘髙峰/也。 巘語蹇切年上聲 |
『望終南山寄紫閣隱者』 現代語訳と訳註解説
(本文)
望終南山寄紫閣隱者
出門見南山,引領意無限。
秀色難為名,蒼翠日在眼。
有時白雲起,天際自舒卷。
心中與之然,託興每不淺。
何當造幽人,滅跡棲絕巘。
(下し文)
(終南山を望み 紫閣隱者に寄す)
門を出でて 南山を見,領を引いて 意 限り無し。
秀色 名を為し難し,蒼翠 日に眼に在り。
時 有って白雲起り,天際 自ら舒卷す。
心中 之れと然り,興を託する每に淺からず。
何ぞ當に幽人に造【いた】り,跡を滅して 絕巘に棲む。
(現代語訳)
望終南山寄紫閣隱者
(終南山を望み山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せた詩)
門を出でて南方を臨めば、終南山が見えるので、首を延ばして、じつと見惚れて居る間に、
無限の思いに沈むのである。
終南山辺りのうっそうとした木々の蒼翠は、日日眼前に在って、格別珍らしくもないが、その秀色は、何とも名づけ難く、従って、いくら見ても、見あきもしない。
そこは、時時白雲が起るところであり、天際に舒卷し、愈々、趣ありげの景色なのである。
丁度、沸き起こるその白雲の如く、それが有ろうが有るまいが事物に応じて起こる感興を深くするのは変わるものでなく、茲に立つもの、その心は、それに伴って、物に執着せず、毎毎興を託することを深くするのである。
あわれ、何の時か、山中に分け入って、紫閣峰下の幽人を尋ね、ともに、蹤跡を晦まして、高峰の間に住むことが出来るか。恨むらくは、われ塵縁未だ尽きることなく、今に尚齷齪として、風塵中にまごついて居るので、隠者輩に対して、まことに愧じ入る次第である。
(訳注)
望終南山寄紫閣隱者
(終南山を望み山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せた詩)
1 終南山 史記正義に「括地志に云ふ、終南山、一名中南山、一名太乙山、一名南山、一名橘山、一名楚山、一名秦山、一名周南山、一名地肺山、雍州萬年縣南五十里に在り」とあり、圖書編に「終南は乃ち関中の南山、西は隴鳳より起り、東は商洛をこえ、綿亙千里有除、その南北、亦た然り、地に随って名を異にす、総じて、之を言へば南山といふのみ」とある。それから西安志に「紫閣峰は、すなわち終南山の一峰なり」とあって、その詩は、前に見えて居る。この詩は山色を望み・山中の紫閣峰邊に住んで居る隠者輩に寄せたのである。
○終南 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、2000~2900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高2000~2900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。
2 紫閣 紫閣連終南 紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある、杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤【いい】たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。)長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。
紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崷崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。
李白 《君子有所思行》(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)
紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。
紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。
紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。
743年(25)李白345-#1 巻四02-《君子有所思行》(紫閣連終南,) 紀頌之のブログ
出門見南山,引領意無限。
門を出でて南方を臨めば、終南山が見えるので、首を延ばして、じつと見惚れて居る間に、
無限の思いに沈むのである。
3 出門 高適《田家春望》(田園の家、春の眺め。)「出門何所見、春色滿平蕪。可歎無知己、高陽一酒徒。」(門を出でて何の見る所ぞ、春色、平蕪に 滿つ。歎ず 可し、知己 無きを、高陽の一酒徒。)城門を出て、郊外へ行ったが、何も見るものがない、春の気配が、草原一面に満ちているだけである。嘆かわしいことは、私を理解してくれる者がいないことだ。高陽の一酒徒となって悶々としている。
高適の詩は、春のけだるさを田園の景色に見るものがないということで強調します。春の気配が草原一面にあるが、理解してくれるものは誰もいない。賢人の集まりで酒を飲み交わすことにしよう。古来、権力者に対する、賢人は、酒を酌み交わして、談義した。
4 引領 首を伸ばして眺めること、強調表現。
秀色難為名,蒼翠日在眼。
終南山辺りのうっそうとした木々の蒼翠は、日日眼前に在って、格別珍らしくもないが、その秀色は、何とも名づけ難く、従って、いくら見ても、見あきもしない。
5. 蒼翠 樹木が青々と茂っていること。山の中腹を言う翠微という状況の山がさらに木々が茂り、静かな隠棲者が隠れ住むようなイメージの語句である。翠微:1山の中腹。八合目あたりのところ。2薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。(青山)
有時白雲起,天際自舒卷。
そこは、時時白雲が起るところであり、天際に舒卷し、愈々、趣ありげの景色なのである。
6 有時白雲起,天際自舒卷 この二句は道教隠遁者の道と一体となる修行をして仙人となる神髄をいうもの。
7 舒卷 ① のばし広げることとまき固めること。転じて,時勢に応じて身を処すこと。 ② 書物を開くこと。
心中與之然,託興每不淺。
丁度、沸き起こるその白雲の如く、それが有ろうが有るまいが事物に応じて起こる感興を深くするのは変わるものでなく、茲に立つもの、その心は、それに伴って、物に執着せず、毎毎興を託することを深くするのである。
8. 心中與之然 《荘子:斉物論第二》 「人謂之不死,奚益!其形化,其心與之然,可不謂大哀乎?人之生也,固若是芒乎?」(人は之れ死なずと謂うも,奚【いずく】んぞ益あらん!其の形 化し,其の心 之れと然り,大哀と謂わざるべけんや?人の生るるや,固より是くの若く芒【くら】きか?)死んでいない、生きているよと世間から言われても、何の得があろうか。これは身体が衰えて、老人になると。心もそれに伴う事だから、大きな悲劇というべきであろう。人がこの世にあるときは、もともとかくも愚かなのであろうか。
9. 託興 事物に応じて起こる感興。興趣に任せる。
何當造幽人,滅跡棲絕巘。
あわれ、何の時か、山中に分け入って、紫閣峰下の幽人を尋ね、ともに、蹤跡を晦まして、高峰の間に住むことが出来るか。恨むらくは、われ塵縁未だ尽きることなく、今に尚齷齪として、風塵中にまごついて居るので、隠者輩に対して、まことに愧じ入る次第である。
10. 滅跡 消滅蹤跡。後漢書に「昔人之隠、遭時、則放聲、滅/跡、巢棲茹薇。」(昔の人之に隠るる、時に遭えば、則ち聲を放ち、/跡を滅し、巢棲 薇を茹う。)文選·李陵·《答蘇武書》「滅跡掃塵,斬其梟帥。」(跡を滅して塵を掃き,其れを斬り梟帥す。)とあるに基づく。
11. 棲絕巘 絶壁の上の山頂。世俗を断ち切った山の頂に隠棲すること。張協の七命に「發絶巘遡長風。」(絶巘に發し長風に遡う。) 張銑註:絶巘髙峰也。(絶巘は髙峰なり。)