卷180_9 登太白峰(卷二一(二)一二一九)
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2017年2月15日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-051卷180_9 登太白峰(卷二一(二)一二一九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8177 |
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744年-集07字解集 a相逢行-b陌上贈美人-c古風其八-d秋夜獨坐懷-e怨歌行-f望終南山寄紫閣隱者Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8159 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
806年-29 全唐詩338_26 #3憶昨行和張十一 -#3 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8178 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
767年-73#2 秋行官張望督促東渚耗(一作刈)稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問#2 杜詩詳注(卷一九(四)一六五五)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8185 |
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767年-集-4字解 【字解集】 a灩澦・ b七月一日題終明府水樓・c行官張望補稻畦水歸 字解集 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8173 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集訳注解説 (103)回目韋莊二十二首-12《巻二39 歸國遥三首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8180 (02/15) |
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91)回目皇甫松十一首 《天仙子/浪濤沙/楊栁枝/摘得新/夢江南/採蓮子 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8108 (02/03) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
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玉集-07 秦嘉妻答詩・飲馬長城窟行・飲馬長城窟行 【字解集】 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8133 |
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744年-051卷180_9 登太白峰(卷二一(二)一二一九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8177
(夜、太白山に登って作ったもの)
秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。
744年-051 - |
登太白峰(卷二一(二)一二一九) - |
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全唐詩卷180_9 |
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李白集校注二一(二)一二一九) |
李太白集巻二十09 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8177 |
卷180_9 《登太白峰》李白
西上太白峰,夕陽窮登攀。
太白與我語,為我開天關。
願乘泠風去,直出浮雲間。
舉手可近月,前行若無山。
一別武功去,何時複見還。
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
二一(二)一二一九) | 卷180_9 | 巻二十09 | |
詩題 | 登太白峰(卷二一(二)一二一九) | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 西上太白峰,夕 | 天寶三年 744年 44歲 | |
作地點 | 太白山(京畿道 / 岐州 / 太白山) | ||
及地點 | 太白山 (京畿道 岐州太白山) 別名:太白峰 | ||
| 武功 (京畿道 京兆府 武功) |
登太白峰
(夜、太白山に登って作ったもの)
西上太白峰,夕陽窮登攀。
秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。
太白與我語,為我開天關。
空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。
願乘泠風去,直出浮雲間。
願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。
舉手可近月,前行若無山。
山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。
一別武功去,何時復見還。
こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。
(太白峰に登る)
西のかた太白峰に上り、夕陽 登攀【とうはん】を窮む。
太白 我と語り、我が為に天関を開く。
願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。
手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。
一たび別れて武功に去り、何れの時か 復た更に還【かえ】らん。
登太白峯 |
一統志「太白山、在陜西武功縣南九十里、山極髙、上、恒積雪、望之皓然、諺云、武功太白去天三百。山下軍行、不得鳴鼔角、鳴、則疾風暴雨立至。上有洞、即道書第十一洞天。又有太白神祠、山半有横雲、如瀑布則㴻雨人常以為候騐。語曰、南山瀑布、非朝即暮。」 |
西上太白峰,夕陽窮登攀。太白與我語,為我開天關。 |
願乘泠風去,直出浮雲間。舉手可近月,前行若無山。 |
一別武功去,何時復見還。 |
爾雅「山西曰夕陽。山東曰、朝陽邢昺疏日即陽也。」 |
夕始得陽、故名夕陽詩「大雅公劉云度其夕陽豳居允荒是也。」 |
莊子 「列子御風而行泠然善也。」 郭象註「泠然輕妙之貌。」 泠音/零 |
《登太白峰》 現代語訳と訳註解説
(本文)
登太白峰
西上太白峰,夕陽窮登攀。
太白與我語,為我開天關。
願乘泠風去,直出浮雲間。
舉手可近月,前行若無山。
一別武功去,何時復見還。
(下し文)
(太白峰に登る)
西のかた太白峰に上り、夕陽 登攀【とうはん】を窮む。
太白 我と語り、我が為に天関を開く。
願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。
手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。
一たび別れて武功に去り、何れの時か 復た更に還【かえ】らん。
(現代語訳)
(夜、太白山に登って作ったもの)
秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。
空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。
願わくば、清冷な風に乗って、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。
山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。
こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。
(訳注)
登太白峰
(太白峰に登る)
1.(夜、太白山に登って作ったもの)
2.・太白峰 太白山のこと。長安の西方80kmにある3767m、陝西省武功県、の南にある山の名。標高もあり、山頂には年中積雪がある。 五嶽より圧倒的に高い。古来、五嶽を基本として地方を9つに分けて考えられていた世界観からすれば太白山はその世界を外れた天に続く山とされていたのだろう。 陝西省関中道郿縣の南にあり、上に洞窟がある。道教でいう第十一洞天の霊場である。
古風,五十九首之五
太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世絕。
中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。
我來逢真人,長跪問寶訣。粲然啟玉齒,授以練葯說。
銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。
吾將營丹砂,永世與人別。
Index-23 Ⅲ-1-364 《古風,五十九首之五》Ⅲ-1 744年天寶三年44歳 364<Index-23> Ⅰ李白詩1149 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4293
一統志に「太白山、在陜西武功縣南九十里、山極髙、上、恒積雪、望之皓然、諺云、武功太白去天三百。山下軍行、不得鳴鼔角、鳴、則疾風暴雨立至。上有洞、即道書第十一洞天。又有太白神祠、山半有横雲、如瀑布則㴻雨人常以為候騐。語曰、南山瀑布、非朝即暮。」(太白山、陜西武功縣南九十里に在り、山 極めて髙く、上、恒に積雪、之を望めば皓然たり、諺に云う、武功太白、天を去ること三百、と。山下軍行、鼔角を鳴らすを得ず、鳴らせば、則ち疾風暴雨、立ちどころに至る。上に洞有り、即ち道書第十一洞天。又太白神祠有り、山半に横雲有り、瀑布の如くなれば、則ち㴻雨、人、常に以て候騐と為す。語に曰く、南山の瀑布、朝に非ざれば即ち暮。)とある。
・終南太一 終南山は南山、秦嶺ともいう。長安の正面、渭水の南にあり。太一は終南山から秦嶺山脈中の一番高峰の太白山とする。「終南山は泰嶺山脈の全体の名と見ると、太一山はその山脈中の一山、武功県の太白山なりといぅ(『読史方輿紀要』)。陝西省南部を東西によこぎる断層山脈。平均標高2000~3000m,最高峰の太白山(3767m)をはじめ,《詩経》にみえる終南山(2604m),玉泉山(1291m)などの山峰がある。渭河と漢水の分水嶺をなし,北側は急峻な断層崖のため,古来,渭水盆地では〈南山〉と称し〈九州の名阻,天下の険峻〉とよんだ。
西上太白峰,夕陽窮登攀。
西のかた太白峰に上り、夕陽 登攀【とうはん】を窮む。
秦嶺山脈中の西にある、一番高峰の太白山に上ろうとする。夕日がかかるころ懸命になって登攀する。
3. 夕陽 爾雅「山西曰夕陽。山東曰、朝陽邢昺疏日即陽也。」
太白與我語,為我開天關。
太白 我と語り、我が為に天関を開く。
空に太白星が爛然として天にかかり、我がために天関を開くというように見える。
願乘泠風去,直出浮雲間。
願わくば泠風に乗じて去り、直ちに浮雲の間を出でん。
願わくば、列子が清冷な風に乗って去ったように、直ちに浮雲の間より出て、一っ跳びで山頂にたどり着きたいと思ったのである。
4. 泠風去 《莊子‧逍遙遊》:「夫列子御風而行,泠然善也。(夫の列子風に御して行く,泠然として善しなり。)彼の列子は風に乗って旅行したが、ふわりとして具合がいい。
舉手可近月,前行若無山。
手を挙げれば月に近づく可く、前行 山無きが若し。
山頂では、手をあげれば、月に届くほど近くなったようで、前行すれば辺りには山が無いようである。
一別武功去,何時復見還。
一たび別れて武功に去り、何れの時か 復た更に還【かえ】らん。
こうして太白山の下り、麓の武功の街に別れを告げて、また今度いつの日かここに帰って来るか、あるいはこのまま仙界に行ってしまおうかと思ったのである。
5. 武功 陝西省咸陽市に位置する県。太白山の登山口の街。
登太白峰
西上太白峰,夕陽窮登攀。太白與我語,為我開天關。
願乘泠風去,直出浮雲間。舉手可近月,前行若無山。
一別武功去,何時復見還。