卷163_4 陽春歌(卷四(一)二八六)
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2017年2月17日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
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744年-集07字解集 a相逢行-b陌上贈美人-c古風其八-d秋夜獨坐懷-e怨歌行-f望終南山寄紫閣隱者Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8159 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
767年-74#4 秋行官張望督促東渚耗(一作刈)稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問#4 杜詩詳注(卷一九(四)一六五五)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8197 |
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767年-集-4字解 【字解集】 a灩澦・ b七月一日題終明府水樓・c行官張望補稻畦水歸 字解集 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8173 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
105)回目 浣溪沙五首 /菩薩鬘五首 / 歸國遥三首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8192 (02/17) |
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105)回目 浣溪沙五首 /菩薩鬘五首 / 歸國遥三首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8192 (02/17) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
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744年-053卷163_4 陽春歌(卷四(一)二八六)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8189
(宮中における春日行楽の行状をのべたもの)
長安の春は、いとも長閑けく晴れ渡って煕煕たる白日は、空に輝く、緑に煙る楊柳は、そよ吹く東風に垂れている。後宮のうちにおいて披香殿前の花は、初めて紅にほころび、花の香りが流れ渡り、花の色は、いよいよ鮮やかに、繡戶にその影を映している。繡戶の中には、幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、やがて、奥御殿においては、趙飛燕にも負けない容貌の皇后が、いとも軽い感じで掌上の舞をおどり、未央宮の中で第一であると称された李夫人のような妃嬪が歌を唄うとまことに世に類を見ないものであろう。聖天の君主の喜びは申すまでもなく、太平の日に際し、百年三萬六千日、日ごと日ごと、かくのごとく歓楽を極められるので、年々歳々、時々刻々、時は移りかわるが、君主の恩徳の機運は変わらず、歓楽も少しも衰えることはなく、まことにめでたいものである。
744年-053 - |
陽春歌(卷四(一)二八六) - |
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全唐詩卷163_4 |
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李白集校注(一)二八六) |
李太白集巻三04 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8189 |
陽春歌
長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。
披香殿前花始紅,流芳發色繡戶中。
繡戶中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人絕世歌。
聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
(一)二八六) | 卷163_4 | 巻三04 | |
詩題 | 陽春歌(卷四(一)二八六) | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 長安白日照春空 | 天寶三年 744年 44歲 | |
作地點 | 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) | ||
及地點 | 長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都 | ||
| 披香殿 (京畿道 京兆府 長安) | ||
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交遊人物/交遊地點 | 0 |
陽春歌
(宮中における春日行楽の行状をのべたもの)
長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。
長安の春は、いとも長閑けく晴れ渡って煕煕たる白日は、空に輝く、緑に煙る楊柳は、そよ吹く東風に垂れている。
披香殿前花始紅,流芳發色繡戶中。
後宮のうちにおいて披香殿前の花は、初めて紅にほころび、花の香りが流れ渡り、花の色は、いよいよ鮮やかに、繡戶にその影を映している。
繡戶中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人絕世歌。
繡戶の中には、幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、やがて、奥御殿においては、趙飛燕にも負けない容貌の皇后が、いとも軽い感じで掌上の舞をおどり、未央宮の中で第一であると称された李夫人のような妃嬪が歌を唄うとまことに世に類を見ないものであろう。
聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。
聖天の君主の喜びは申すまでもなく、太平の日に際し、百年三萬六千日、日ごと日ごと、かくのごとく歓楽を極められるので、年々歳々、時々刻々、時は移りかわるが、君主の恩徳の機運は変わらず、歓楽も少しも衰えることはなく、まことにめでたいものである。
(陽春歌)
長安の白日 春空を照らす,綠楊 煙を結んで嫋風に桑す。
披香殿の前 花 始めて紅に,流芳 色を發す 繡戶の中。
繡戶の中,相い經過す,飛燕皇後 輕身の舞,紫宮夫人 絕世の歌。
聖君 三萬六千日,歲歲年年 樂を奈何。
李太白集注 錢塘 王琦 撰
陽春歌 |
宋吳邁逺作陽春歌 梁沈約作陽春曲 此詩似擬之而作 |
長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。 |
披香殿前花始紅,流芳發色繡戶中。 |
繡戶中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人絕世歌。 |
聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。 |
三輔黄圖:未央宮有披香殿。 雍錄:慶善官有披香殿。 |
鮑照詩「文忩繡户垂羅幕。」 趙后外傳飛燕縁主家大人得入宫召幸自此特幸號趙皇后。 獨異志趙飛燕身輕能為掌上舞。 |
西京賦「正紫宫於未央。」 薛綜註:天有紫微宫王者象之。 李善註:辛氏三秦記曰未央宫一名紫微宮然未央為總稱紫宫其中别名。 |
漢書「孝武李夫人、本以倡進。初夫人兄延年、性知音、善歌舞、武帝愛之。 延年侍上起舞歌曰:北方有佳人。絶世而獨立。一顧傾人城。再顧傾人國。寧不知傾城與傾國。佳人難再得。上嘆息曰、世、豈有此人乎。平陽主、因言延年有女弟。上乃召見之、實妙麗善舞、由是得幸。 |
李太白集分類補註 蕭士贇 補註
陽春歌士贇曰歌録陽春歌楚曲也。 即時景二十五曲之一 |
長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。披香殿前花始紅,流芳發色繡戶中。 |
士贇曰、班固、西都賦、曰 「後宫則有掖庭椒房披香發越注云長安有披香殿」 |
繡戶中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人絕世歌。 |
聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。齊賢曰漢書李延年故倡也。 |
女弟得幸號李夫人初夫人兄延年善歌舞武帝愛之延年侍上起。 舞歌曰 「北方有佳人絶世而獨立一顧傾人城再。」 |
顧傾人國不知傾城與傾國佳人難再得上嘆曰世豈有此人乎。 平陽主因言有女弟上召見之實妙麗善舞由是得幸生昌邑。 |
王士贇曰 西京雜記 漢孝成皇后趙飛燕體輕弱行步進退色如紅玉擅寵後宫。 漢書 趙飛燕體輕能掌上舞。 |
『陽春歌』 現代語訳と訳註解説
(本文)
陽春歌
長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。
披香殿前花始紅,流芳發色繡戶中。
繡戶中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人絕世歌。
聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。
(下し文)
(陽春歌)
長安の白日 春空を照らす,綠楊 煙を結んで嫋風に桑す。
披香殿の前 花 始めて紅に,流芳 色を發す 繡戶の中。
繡戶の中,相い經過す,飛燕皇後 輕身の舞,紫宮夫人 絕世の歌。
聖君 三萬六千日,歲歲年年 樂を奈何。
(現代語訳)
(宮中における春日行楽の行状をのべたもの)
長安の春は、いとも長閑けく晴れ渡って煕煕たる白日は、空に輝く、緑に煙る楊柳は、そよ吹く東風に垂れている。
後宮のうちにおいて披香殿前の花は、初めて紅にほころび、花の香りが流れ渡り、花の色は、いよいよ鮮やかに、繡戶にその影を映している。
繡戶の中には、幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、やがて、奥御殿においては、趙飛燕にも負けない容貌の皇后が、いとも軽い感じで掌上の舞をおどり、未央宮の中で第一であると称された李夫人のような妃嬪が歌を唄うとまことに世に類を見ないものであろう。
聖天の君主の喜びは申すまでもなく、太平の日に際し、百年三萬六千日、日ごと日ごと、かくのごとく歓楽を極められるので、年々歳々、時々刻々、時は移りかわるが、君主の恩徳の機運は変わらず、歓楽も少しも衰えることはなく、まことにめでたいものである。
(訳注)
陽春歌
1. (宮中における春日行楽の行状をのべたもの)
2. 陽春歌 教坊の曲、相和歌辭の歌。宋の呉邁遠《陽春歌》、梁の沈約《陽春曲》に擬して作ったもの。
長安白日照春空,綠楊結煙桑嫋風。
長安の春は、いとも長閑けく晴れ渡って煕煕たる白日は、空に輝く、緑に煙る楊柳は、そよ吹く東風に垂れている。
披香殿前花始紅,流芳發色繡戶中。
後宮のうちにおいて披香殿前の花は、初めて紅にほころび、花の香りが流れ渡り、花の色は、いよいよ鮮やかに、繡戶にその影を映している。
3. 披香殿 漢の未央宮の奥御殿。《西京賦》「後宮則昭陽飛翔,增成合驩,蘭林披香,鳳皇鴛鸞。」三輔黄圖:未央宮有披香殿。 雍錄:慶善官有披香殿。
張衡)《西京賦》(16)(華麗な後宮) 後宮には、昭陽殿・飛翔殿・増成殿・合辞殿とあり、つづいて蘭林殿・披香殿・凰皇殿・鴛鸞殿がある。いかにも柔軟優美で華麗な女官がむらがり集まって、ここで、感嘆しては後をふりかえり、目をとめて美人たちが見るところである。だから後宮の館室、それに宿衛の官舎も休暇の宿舎も、五彩の色で飾り、織細で手がこんでいる。
張平子(張衡)《西京賦》(16)(華麗な後宮)#7-1 文選 賦<114―(16)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1053 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3813
4. 繡戶 薄絹に刺繍を施されたとびら。鮑照詩「文忩繡户垂羅幕。」
繡戶中,相經過,飛燕皇後輕身舞,紫宮夫人絕世歌。
繡戶の中には、幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、やがて、奥御殿においては、趙飛燕にも負けない容貌の皇后が、いとも軽い感じで掌上の舞をおどり、未央宮の中で第一であると称された李夫人のような妃嬪が歌を唄うとまことに世に類を見ないものであろう。
5. 相經過 幾多の宮女が往来するのも、引きを切らず、
6. 飛燕 趙 飛燕は、前漢成帝の皇后。元名を宜主と称した。 正史である『漢書』での趙飛燕に関する記述は非常に簡単なものであるが、稗史においては美貌をもって記述されており、優れた容姿を表現する環肥燕瘦の燕痩が示すのが趙飛燕である。趙后外傳飛燕縁主家大人得入宫召幸自此特幸號趙皇后。 獨異志趙飛燕身輕能為掌上舞。
7. 輕身舞 軽い感じで掌上の舞をおどること。
8. 紫宮夫人絕世歌 紫宮は未央宮の別称、絶世の歌手李延年の妹が絶世の美人であった。
漢書「孝武李夫人、本以倡進。初夫人兄延年、性知音、善歌舞、武帝愛之。 延年侍上起舞歌曰:北方有佳人。絶世而獨立。一顧傾人城。再顧傾人國。寧不知傾城與傾國。佳人難再得。上嘆息曰、世、豈有此人乎。平陽主、因言延年有女弟。上乃召見之、實妙麗善舞、由是得幸。」(孝武李夫人、本以倡進。初夫人兄延年、性知音、善歌舞、武帝愛之。 延年侍上起舞歌曰:北方有佳人。絶世而獨立。一顧傾人城。再顧傾人國。寧不知傾城與傾國。佳人難再得。上嘆息曰、世、豈有此人乎。平陽主、因言延年有女弟。上乃召見之、實妙麗善舞、由是得幸。)
<紫宮夫人絕世歌>
漢の武帝が晩年愛した女性に李夫人がいた。武帝が秋風辞の中で「佳人を懷うて忘る能はず」と歌ったその佳人であるとされる女性だ。彼女の一家は倡と呼ばれる芸能民だった。李延年は李夫人の兄である。何かの罪を得て、宮刑を受けたが、その後歌人として近侍していた。歌舞をよくし、新声変曲と呼ばれる新しい音楽を作り出し、その才能を以て武帝の寵を受けた。或る時、新しい曲を作って武帝の前で披露した。それが「絶世傾国の歌」である。武帝は、この歌に歌われたのが、李延年の妹であると聞かされ、婦人として迎えることとしたのである。
絶世傾国の歌
北方有佳人、絶世而獨立。
一顧傾人城、再顧傾人國。
寧不知傾城與傾國、佳人難再得。
北方に佳人有り、絶世にして獨立す。
一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。
寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや、佳人は再びは得がたし。
北方とは、李延年の故郷河北をさす。そこに絶世の美人がいて、城を傾け国を傾けさせるほど美しいといわれる。傾城傾国の憂いはもとより知らぬわけではないが、かかる佳人は二度とは得られないでしょう、こう李延年は歌う。皇帝に自分の妹を売り込んでいるのである。
聖君三萬六千日,歲歲年年奈樂何。
聖天の君主の喜びは申すまでもなく、太平の日に際し、百年三萬六千日、日ごと日ごと、かくのごとく歓楽を極められるので、年々歳々、時々刻々、時は移りかわるが、君主の恩徳の機運は変わらず、歓楽も少しも衰えることはなく、まことにめでたいものである。
9. 三萬六千日 百年。詩的表現では、50年を過ぎるものを言う。その意味で、人生百年という事。