卷182_50 2 憶東山二首其二(卷二三(二)頁一三六二)
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2017年2月19日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-055卷182_50 2 憶東山二首其二(卷二三(二)頁一三六二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8201 |
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744年-集07字解集 a相逢行-b陌上贈美人-c古風其八-d秋夜獨坐懷-e怨歌行-f望終南山寄紫閣隱者Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8159 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
806年-30 全唐詩339_ 2 #1鄭群贈簟【案:群嘗以侍御史佐裴均江陵,愈陽山移江陵法曹,與群同僚。】-#1 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8202 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
767年-74#1 阻雨不得歸瀼西甘林#1 杜詩詳注(卷一九(四)一六五九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8215 |
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767年-集-4字解 【字解集】 a灩澦・ b七月一日題終明府水樓・c行官張望補稻畦水歸 字解集 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8173 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集 訳注解説 巻二-42 (107)回目韋莊二十二首 -1542 應天長二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8204 (02/19) |
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fc2 |
Blog |
105)回目 浣溪沙五首 /菩薩鬘五首 / 歸國遥三首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8192 (02/17) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
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744年-055卷182_50 2 憶東山二首其二(卷二三(二)頁一三六二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8201
(長安に居て、過ぎし日、會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔い、思って作ったものである。)その二
私は今謝安が東山で芸妓とともに過ごしことと同じように、妓女を携えて、この宅址を訪れた、長嘯して浮世の人たちをまったく藐視していたものであった。そこで、東山の客としていたひとびとに報じたいと思っているもので、時期が来れば門を開き、白雲を拂って、神仙の場として奇麗にし、其処に参ろうとするので待っていてもらいたいものである。
744年-055 - |
憶東山、二首其二(卷二三(二)頁一三六二) - |
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全唐詩卷182_50 2 |
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李白集校注二(卷二三(二)頁一 |
李太白集巻二二39 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8201 |
憶東山,二首 其一
不向東山久,薔薇幾度花。白雲還自散,明月落誰家。
憶東山,二首之二
我今攜謝妓,長嘯絕人群。欲報東山客,開關掃白雲。
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
二(卷二三(二)頁一 | 卷182_50 2 | 巻二二39 | |
詩題 | 憶東山、二首其二(卷二三(二)頁一三六二) | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 我今攜謝妓,長 | 天寶三年 744年 44歲 | |
作地點 | 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) | ||
及地點 | 東山 (江南東道 越州 上虞縣) 別名:謝安山 | ||
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交遊人物/交遊地點 | 0 |
憶東山二首 其一
(會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔って作ったものである。)
不向東山久,薔薇幾度花。
自分は、敬愛する謝安の空しく残る宅址のある會稽の東山に向わないときめて、随分久しい、薔薇洞の名をつけた庭一面の薔薇の花は、幾回の春を経ただろうか。
白雲還自散,明月落誰家。
同じように堂の名にした白雲は、そのまま自然に散じたままだろうか、明月を望むあの堂からの月は、今宵誰が家を照らすのだろうか。薔薇、白雲、明月、そのものは、依然としてあるも、宅址荒廃したまま、傍らの堂も、今は跡方の無くむなしいものである。
(憶東山二首 其一)
東山に向わざること久しく,薔薇 幾度か 花 さく。
白雲 また自ら散ず、明月 誰が家に落つ。
憶東山,二首之二
我今攜謝妓,長嘯絕人群。
欲報東山客,開關掃白雲。
(長安に居て、過ぎし日、會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔い、思って作ったものである。)その二
私は今謝安が東山で芸妓とともに過ごしことと同じように、妓女を携えて、この宅址を訪れた、長嘯して浮世の人たちをまったく藐視していたものであった。
そこで、東山の客としていたひとびとに報じたいと思っているもので、時期が来れば門を開き、白雲を拂って、神仙の場として奇麗にし、其処に参ろうとするので待っていてもらいたいものである。
我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。
其二
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。
欲報東山客。 開關掃白云。
(下し文)
(憶東山,二首の二)
我 今 謝妓を攜え、 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報ぜんと欲っし、關を開いて 白云を掃へ。
(現代語訳)
憶東山,二首之二(長安に居て、過ぎし日、會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔い、思って作ったものである。)その二
私は今謝安が東山で芸妓とともに過ごしことと同じように、妓女を携えて、この宅址を訪れた、長嘯して浮世の人たちをまったく藐視していたものであった。
そこで、東山の客としていたひとびとに報じたいと思っているもので、時期が来れば門を開き、白雲を拂って、神仙の場として奇麗にし、其処に参ろうとするので待っていてもらいたいものである。
(訳注)
憶東山,二首之二
8.(長安に居て、過ぎし日、會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔い、思って作ったものである。)その二
李白が長安に居て、会稽、紹興滞在中のことをおもい、作ったものである。朝廷に召される前に訪れたところ。謝安をまねて遊んだことを思い出したもの。
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。
私は今謝安が東山で芸妓とともに過ごしことと同じように、妓女を携えて、この宅址を訪れた、長嘯して浮世の人たちをまったく藐視していたものであった。
9 攜謝妓 晉の時代の謝安は、あざなを安石といい、四十歳になるまで浙江省の東山という山にこもって、ゆうゆうと寝てくらし、朝廷のお召しに応じなかった。当時の人びとは寄ると彼のうわさをした。「安石が出てこないと、人民はどうなるんだ」。時期が来るまで、待っている賢者というものは、一喜一憂しない。敵を油断させる方法にも幾通りもある。ここに言う「芸妓を携えて」というのは、国外のみならず国内にも敵がおり、国を建てなおすにも相手の状況の分析を行い、時機が到来して立ち上がったのであるが、東山に白雲堂、明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、かれが妓女をつれて宴をもよおした所といわれ、妓女と酒を飲んで時期を待っていたことを言う。謝安について李白『送裴十八図南歸嵩山其二』「謝公終一起、相與済蒼生。」とあり、送裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164
また、李白『梁園吟』「東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。」とある。
274 《卷十六11送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈(改訂)》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <274> Ⅰ李白詩1552 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6308
10 長嘯 李白が長嘯という語を使うのはそれを機に行動を起こす場合の言葉としている李白42 梁園吟.。
經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216
李白『經亂後將避地剡中留贈崔宣城」(乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る)では、安禄山の叛乱軍を小馬鹿にして長嘯している。
雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
何意上東門。胡雛更長嘯。
(双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。)
○東門 洛陽の門。○胡雛 こすう胡雛 五胡十六国の時代、後趙の帝位に就いた羯の石勒の故事。少年の頃、物売りをしているとその声を聞いた王衍は、「さきの胡雛、吾れその声視の奇志有るを観る。恐らくは将に天下の息をなさん」と言って収監しようとしたがすでに去ったあとだった(『晋書』載記四)。「胡雛」はえびすの幼子。胡人の子供に対する蔑称。ここでは李白から見て蔑称の胡の子供並みであると安禄山のことを示す。
また、李白 『贈王大勧入高鳳石門山幽居』
贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200
投躯寄天下、長嘯尋豪英。(躯を投げて天下に寄せ、長嘯して豪英を尋ねんとす。) 天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
李白『游泰山六首其一』
李白 112 游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山) |
天門一長嘯。萬里清風來。 天門に一たび長噴すれば、万里より清風釆たる
天への門に向かって一たび長く唄い叫んだ、すると万里の先より清々しい風が吹いて釆た
使い方としては「長嘯して~する」、ということである。
11 絕人群 絕は、藐視することであり、人群は浮世の人たちをいう。
欲報東山客。 開關掃白云。
そこで、東山の客としていたひとびとに報じたいと思っているもので、時期が来れば門を開き、白雲を拂って、神仙の場として奇麗にし、其処に参ろうとするので待っていてもらいたいものである。
12 東山客 謝安と同じ志を持っているもの、隠遁生活している人々。李白の心に思うこと。
13 開關 関は門とおなじ、門を開く、時期が来れば門を開きたいということ。
14 白云 天上にあるもの、手に届かないものであり、温かく見守るものの象徴としている。あるいは、希望を覆い隠すもの、あるいは隠棲生活の場所を示すもの。
李白『憶東山二首 其一』憶東山二首其一 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -269
不向東山久。 薔薇几度花。
白云還自散。 明月落誰家。
白雲は李白の希望、夢であった。白雲に対する明月は玄宗皇帝をあらわす
祧波一步地。 了了語聲聞。
闇與山僧別。 低頭禮白云。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。