古風五十九首之三十七(卷二(一)一五九)
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2017年2月21日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-056巻161_37 「燕臣昔慟哭」詩(古風五十九首之三十七)(卷二(一)一五九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8213 |
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744年-集08【字解集】 a古風五十九首之五十六 b朝下過盧郎 c登太白峰 d古風三十九 e陽春歌 f憶東山二首其二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8207 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
767年-74#3 阻雨不得歸瀼西甘林#3 杜詩詳注(卷一九(四)一六五九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8221 |
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767年-集-4字解 【字解集】 a灩澦・ b七月一日題終明府水樓・c行官張望補稻畦水歸 字解集 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8173 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集 訳注解説 巻二-44 (109)回目韋莊二十二首 -17荷葉盃二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8216 (02/21) |
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Blog |
105)回目 浣溪沙五首 /菩薩鬘五首 / 歸國遥三首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8192 (02/17) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
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744年-056巻161_37 「燕臣昔慟哭」詩(古風五十九首之三十七)(卷二(一)一五九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8213
(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)
鄒衍は燕国に忠誠を尽くしたにもかかわらず獄につながれ、その時点を仰いで、慟哭すると真夏である五月というのに、秋に降りるはずの霜が飛んだという。また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。
744年-056 - |
「燕臣昔慟哭」詩(古風五十九首之三十七) (卷二(一)一五九) - |
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全唐詩巻161_37 |
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李白集校注古風五十九首之三十七 |
李太白集巻一37 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8213 |
古風,五十九首之三十七
燕臣昔慟哭、五月飛秋霜。庶女號蒼天、震風擊齊堂。
精誠有所感、造化為悲傷。
而我竟何辜、遠身金殿旁。浮云蔽紫闥、白日難回光。
群沙穢明珠、眾草凌孤芳。古來共嘆息、流淚空沾裳。
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
古風五十九首之三十七 | 巻161_37 | 巻一37 | |
詩題 | 「燕臣昔慟哭」詩(古風五十九首之三十七)(卷二(一)一五九) | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 燕臣昔慟哭,五 | 天寶三年 744年 44歲 | |
作地點 | 婺州(江南東道 / 婺州 / 婺州) | ||
及地點 | 金華 (江南東道 婺州 金華) | ||
| 崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山) | ||
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交遊人物/交遊地點 | 0 | ||
交遊人物/交遊地點 | 0 |
古風,五十九首之三十七
(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)
燕臣昔慟哭、五月飛秋霜。
鄒衍は燕国に忠誠を尽くしたにもかかわらず獄につながれ、その時点を仰いで、慟哭すると真夏である五月というのに、秋に降りるはずの霜が飛んだという。
庶女號蒼天、震風擊齊堂。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
精誠有所感、造化為悲傷。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。
#2
而我竟何辜、遠身金殿旁。
浮云蔽紫闥、白日難回光。
群沙穢明珠、眾草凌孤芳。
古來共嘆息、流淚空沾裳。
(古風,五十九首之三十七)
燕臣 昔 慟哭すれば、五月 秋霜を飛ばす。
庶女 蒼天に 號けべば、震風 齊堂を擊つ。
精誠 感ずる所有り、造化 為に悲傷。
而して我 竟に何んぞ辜【つみ】か、身を遠ざく金殿の旁。
浮云【ふうん】 紫闥【したつ】を蔽い、白日 光を回らし難し。
群沙 明珠を穢【けが】し、眾草 孤芳 凌【しの】ぐ。
古來 共に嘆息、流淚 空しく裳を沾【うるお】す。
古風,五十九首之三十七 |
燕臣昔慟哭、五月飛秋霜。庶女號蒼天、震風擊齊堂。 |
精誠有所感、造化為悲傷。 |
而我竟何辜、遠身金殿旁。浮云蔽紫闥、白日難回光。 |
群沙穢明珠、眾草凌孤芳。古來共嘆息、流淚空沾裳。 |
論衡「鄒衍無罪見、拘于燕當夏五月仰天而嘆天為隕霜」 |
淮南子「庶女叫天雷霆下擊景公臺隕支體傷折海水大出」 |
髙誘註「庶賤之女齊之寡婦無子不嫁事姑謹敬姑無男有女女利母財令母嫁婦婦終不肯女殺母以誣婦/婦不能自明寃結叫天天為行雷霆下擊景公之臺隕壞毁景公之支體海水為之大溢出也。 |
江淹 「上建平王/書賤臣叩心飛霜擊于燕地庶女告天振風襲于齊堂 |
江淹詩 「列坐金殿側孔融詩讒邪害公正浮雲翳白日/崔駰達㫖攀台階闚紫闥 |
曹植、求通親親表注「心皇極結情紫闥」 劉良註「皇極紫闥天子所居也。」 |
孤芳芳草之孤生者 |
蕭士贇曰此詩其遭髙力士譖於貴妃而放黜之時所作乎浮雲比力士紫闥比中宫白日比/明皇羣沙衆草以喻小人明珠孤芳以喻君子 |
『古風,五十九首之三十七』 現代語訳と訳註
(本文)
古風,五十九首之三十七
燕臣昔慟哭、五月飛秋霜。
庶女號蒼天、震風擊齊堂。
精誠有所感、造化為悲傷。
(下し文)
(古風,五十九首之三十七)
燕臣 昔 慟哭すれば、五月 秋霜を飛ばす。
庶女 蒼天に 號けべば、震風 齊堂を擊つ。
精誠 感ずる所有り、造化 為に悲傷。
(現代語訳)
(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)
鄒衍は燕国に忠誠を尽くしたにもかかわらず獄につながれ、その時点を仰いで、慟哭すると真夏である五月というのに、秋に降りるはずの霜が飛んだという。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。
(訳注)
古風,五十九首之三十七
1. (この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)
2. 【解説】 高力士は、李白によって、脱靴の恥を懐き、清平楽の詞の語を摘まんで楊貴妃に譖し、法遂せられたのである。
燕臣昔慟哭、五月飛秋霜。
鄒衍は燕国に忠誠を尽くしたにもかかわらず獄につながれ、その時点を仰いで、慟哭すると真夏である五月というのに、秋に降りるはずの霜が飛んだという。
3. 燕臣 鄒衍(前305-前240)天地万物は陰陽二つの性質を持ち、その消長によって変化する(日・春・南・男などが陽、月・秋・夜・女・北などが陰)とする陰陽説と、万物組成の元素を土・木・金・火・水とする五行説とをまとめ、自然現象から世の中の動き、男女の仲まであらゆることをこの陰陽五行説によって説明。彼の説は占いや呪術とも結びついて後世に多大な影響を与えた。どれほど影響があるかは「陽気」「陰気」という言葉や、曜日の名前を思い浮かべればすぐわかる。
4. 飛秋霜 秋に降りる霜が降り、風に飛んだ。
庶女號蒼天。 震風擊齊堂。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
5. 庶女 斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられた。淮南子に「庶女、天に叫んで雷霆下り擊ち、景公臺より隕ち、支體傷折し、海水大に出づ。」とあり、髙誘の註に「庶賤の女は、齊の寡婦、子無けれども嫁せげず、姑に事へて謹敬。姑、男無くして女有り、女、母の財を利せんとし、母をして婦を嫁せしむ。婦、終に肯んず。女、母を殺して、以て婦を誣う。婦、自ら寃結を明らかにする能わず、天に叫ぶ。天、為に雷霆を行り、下って景公の臺を擊つて隕壞し、景公の支體を毁し、海水、之が為に大いに溢出するなり。」とある。
6. 齊堂 景公の御殿、高殿。中国春秋時代の斉の君主。(在位は紀元前547-490年)前君であった兄の荘公が崔杼の妻との密通の果てにそれを怒った崔杼に殺され、崔杼によって擁立された。 紀元前546年に政権を握っていた崔杼が倒れ、その後の内部抗争の末に景公は晏嬰を宰相に据えた。 景公は暗君として描かれることが多いが、斉は景公の時代に隆盛を迎える。晏嬰が死する時の景公の姿にその人柄がよく表れている。
精誠有所感。 造化為悲傷。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。
7. 造化 1 天地万物を創造し育てること。また、それをなす者。造物主。「造化の神」2 造物主によってつくられたもの。自然。「造化の妙」万物を創造化育するという意味から出た言葉で,天地の間の万物が生々流転しながら永遠に存続する作用ないし働きをいう。転じて,天地の間の一切万物を創造する造物主,あるいはそれによって創造された天地,自然,宇宙のことをも意味する。古く《荘子》大宗師篇に,万物に生死の変化を無限にくりかえさせる偉大な自然の働きの意味で〈造化〉という言葉が用いられているが,宋代の儒学ではもっと広く,宇宙の形而上学的絶対者としての〈太極〉が,万物を生成する根元的な創造力であると解釈されている。
8. 悲傷 痛ましい出来事にあって,深く悲しむこと。