184_11 題東谿公幽居

 

 

2017226

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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杜甫詩(1)736~751年  53

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杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

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杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

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杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

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744-058184_11 題東谿公幽居(卷二五(二)一四五一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8243

(今は、杜陵の東に隠者となっておられる東谿公の幽居を尋ねて題したもの)

東谿公は杜陵の賢人で合って、従来、清廉潔白を以て称せられたが、ひとたび隠遁して、この東谿にその庵を築いてから自分とずいぶん親しくなったのである。其のお宅は、青山に近く、謝朓の別荘とおなじようである、また、門には緑柳が垂れかかっているところから、陶淵明の五柳を思わせるようでもある。その眺めは、いつ見てもよいのであるが、それでも、二月三月のころは、好鳥の春を迎えると、その盛りには、後院で歌い、落花は、酒を勧める風情になり、そして、前簷に舞い踊るのである。そこに来客が訪れ、ここに留まれば酒をふるまい、肴としては、腥葷なく、ごちそうを飾った大盤には水晶の色になっている塩の塊があるだけであり、その淡泊清雅であるところは全く趣があるものである。

李白集校注タイトル 

744-058 -

題東谿公幽居(卷二五(二)一四五一) -

全唐詩卷184_11

李白集校注卷二五(二)一四五一

李太白集巻二四12

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8243


 

744-058

題東谿公幽居(卷二五(二)一四五一)

杜陵賢人清且廉,東谿卜築將淹。

宅近青山同謝朓,門垂碧柳似陶潛。

好鳥迎春歌後院,飛花送酒舞前簷。

客到但知留一醉,盤中祇有水精鹽。

 

184_11 《題東溪公幽居》李白 

杜陵賢人清且廉,東溪蔔築將淹。 

宅近青山同謝門垂碧柳似陶潛。

好鳥迎春歌後院,飛花送酒舞前簷。 

客到但知留一醉,盤中只有水晶鹽。 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷二五(二)一四五一

184_11

巻二四12

詩題

題東谿公幽居(卷二五(二)一四五一)

文體

七言律詩

 

詩序

0

     初句

杜陵賢人清且廉

天寶三年   744   44

 

作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)  

及地點

杜陵 (京畿道 京兆府 萬年別名:杜墅、少陵

 

東溪 (京畿道 京兆府 萬年)

 

青山 (江南西道 宣州 當塗別名:謝公山

 

 

交遊人物/交遊地點

東谿公

書信往來(京畿道 京兆府 萬年)

大明宮正面 003 

題東谿公幽居(題東溪公幽居)

(今は、杜陵の東に隠者となっておられる東谿公の幽居を尋ねて題したもの)

杜陵賢人清且廉,東溪卜築將淹。

東谿公は杜陵の賢人で合って、従来、清廉潔白を以て称せられたが、ひとたび隠遁して、この東谿にその庵を築いてから自分とずいぶん親しくなったのである。

宅近青山同謝朓,門垂碧柳似陶潛。

其のお宅は、青山に近く、謝朓の別荘とおなじようである、また、門には緑柳が垂れかかっているところから、陶淵明の五柳を思わせるようでもある。

好鳥迎春歌後院,飛花送酒舞前簷。

その眺めは、いつ見てもよいのであるが、それでも、二月三月のころは、好鳥の春を迎えると、その盛りには、後院で歌い、落花は、酒を勧める風情になり、そして、前簷に舞い踊るのである。

客到但知留一醉,盤中祗有水晶鹽。

そこに来客が訪れ、ここに留まれば酒をふるまい、肴としては、腥葷なく、ごちそうを飾った大盤には水晶の色になっている塩の塊があるだけであり、その淡泊清雅であるところは全く趣があるものである。

(東溪公の幽居に題す)

杜陵の賢人 清且つ廉,東谿卜築  將に淹せんとす。

宅は近青山にくして 謝朓に同じく,門は碧柳を垂れて 陶潛に似たり。

好鳥 迎春をえて 後院に歌い,飛花 酒を送って 前簷に舞う。

客到って 但だ知る 留めて 一醉するを,盤中には 祗だ 水晶鹽のみ有り。

 

 

  題東谿公幽居(題東溪公幽居)

杜陵賢人清且廉,東谿卜築將淹。

宅近青山同謝朓,門垂碧柳似陶潛。

好鳥迎春歌後院,飛花送酒舞前簷。

客到但知留一醉,盤中祗有水晶鹽。

雍録杜陵在長安/東南二十里

留也滯也。也。」 

方輿勝覧「青山在當塗縣東南三十里齊宣城太守謝朓築室於山南遺趾猶存絶頂有謝公池唐天寳間改為謝公山山下有青草市一名謝先/家市

南史陶潛少有髙趣宅邉有五柳樹故嘗著五栁生傳盖以自况

梁書「中天竺國有真鹽色正白如水精」 魏書太宗賜崔浩御縹醪酒十斛水精戎鹽一兩」

金樓子「胡中白鹽産于山崖映日光明如水精/胡人以供國厨名君王鹽亦名玉華鹽。」

巫山十二峰002 

《題東溪公幽居》現代語訳と訳註解説
(
本文)
 
題東谿公幽居

杜陵賢人清且廉,東谿卜築將淹。

宅近青山同謝朓,門垂碧柳似陶潛。

好鳥迎春歌後院,飛花送酒舞前簷。

客到但知留一醉,盤中祗有水晶鹽。

 

(下し文)
(東溪公の幽居に題す)

杜陵の賢人 清且つ廉,東谿卜築  將に淹せんとす。

宅は近青山にくして 謝朓に同じく,門は碧柳を垂れて 陶潛に似たり。

好鳥 迎春をえて 後院に歌い,飛花 酒を送って 前簷に舞う。

客到って 但だ知る 留めて 一醉するを,盤中には 祗だ 水晶鹽のみ有り。

 

(現代語訳)

(今は、杜陵の東に隠者となっておられる東谿公の幽居を尋ねて題したもの)

東谿公は杜陵の賢人で合って、従来、清廉潔白を以て称せられたが、ひとたび隠遁して、この東谿にその庵を築いてから自分とずいぶん親しくなったのである。

其のお宅は、青山に近く、謝朓の別荘とおなじようである、また、門には緑柳が垂れかかっているところから、陶淵明の五柳を思わせるようでもある。

その眺めは、いつ見てもよいのであるが、それでも、二月三月のころは、好鳥の春を迎えると、その盛りには、後院で歌い、落花は、酒を勧める風情になり、そして、前簷に舞い踊るのである。

そこに来客が訪れ、ここに留まれば酒をふるまい、肴としては、腥葷なく、ごちそうを飾った大盤には水晶の色になっている塩の塊があるだけであり、その淡泊清雅であるところは全く趣があるものである。

 

(訳注)

題東谿公幽居(題東溪公幽居)

1.(今は、杜陵の東に隠者となっておられる東谿公の幽居を尋ねて題したもの)

2. 東溪 杜陵の東側にある谷合を言う。

3. 東溪公 人物未詳ではあるが、隠者であり、その幽居を尋ねて題したのである。

 

杜陵賢人清且廉,東谿卜築將淹。

東谿公は杜陵の賢人で合って、従来、清廉潔白を以て称せられたが、ひとたび隠遁して、この東谿にその庵を築いてから自分とずいぶん親しくなったのである。

4. 杜陵 雍録に「杜陵在長安東南二十里。」とある。杜陵とは前漢の宣帝の陵墓で長安の(城郭の右下)東南にある。小高い丘の上にあり、見晴らしが良いところだ。五陵は長安の北東から北西にかけて、渭水の横門橋わたって東から陽陵(景帝)、長陵(高祖)、安陵(恵帝)、平陵(昭帝)、茂陵(武帝)と咸陽原にある。杜陵からの距離は、30km~50km。李白《杜陵絶句》「南登杜陵上、北望五陵間。秋水明落日、流光滅遠山。」(南のかた杜陵の上に登り、北のかた五陵の間を望む。秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す)

5. 淹 ひさしい。ひさしくとどまる。韻「淹留也滯也。也。」 

 

宅近青山同謝朓,門垂碧柳似陶潛。

其のお宅は、青山に近く、謝朓の別荘とおなじようである、また、門には緑柳が垂れかかっているところから、陶淵明の五柳を思わせるようでもある。

6. 靑山 方輿勝覧に「青山は當塗縣の東南三十里に在り、齊の宣城の太守の謝朓、室を於山南に築き、遺趾、猶お存す、絶頂に謝公池有り、唐の天寳間、改めて謝公山と為す、山下に青草市有り、一名、謝先家の市。」

7. 謝朓 中国南北朝時代、南斉の詩人。字は玄暉。陳郡陽夏の人。同族の謝霊運・謝恵連とともに、六朝時代の山水詩人として名高く、あわせて「三謝」と称される。また謝霊運と併称して「二謝」と呼ぶこともあり、その場合は、謝霊運を「大謝」と呼ぶのに対し、謝朓を「小謝」と呼ぶ。宣城太守に任じられ、この地で多くの山水詩を残したことから、「謝宣城」とも呼ばれる。竟陵王・蕭子良の西邸に集った文人「竟陵八友」の一人であり、同じく八友の仲間である沈約・王融らとともに「永明体」と呼ばれる詩風を生み出した。山水詩の分野において、謝朓は同族の謝霊運が開拓した山水描写を継承するとともに、それをより一層精緻なものへと洗練させていった。さらに謝霊運の山水詩が、前代の「玄言詩」の影響を受け、自然の中から哲理や人生の教訓を引き出そうとすることによって、しばしば晦渋さや生硬さを免れないのに対し、謝朓の山水詩は、山水描写と自らの情感とを巧みに融合させた、より抒情性豊かなものとなっている。このような精巧で清澄な描写と抒情性に富んだ風格は、山水詩以外の分野でも発揮されており、謝朓の詩の基調となっている。

8. 陶潛 陶 淵明は、中国の魏晋南北朝時代、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字が淵明。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。潯陽柴桑の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。現存する陶淵明の作品は、詩・散文を合わせて130余首が伝えられる。その中でも「田園詩」と呼ばれる、江南の田園風景を背景に、官吏としての世俗の生活に背を向け、いわゆる晴耕雨読の生活を主題とする一連の作品は、同時代および後世の人々から理想の隠逸生活の体現として高い評価を得た。

南史に「陶潛、少にして髙趣有り、宅邉に五柳樹有り、故に嘗て五栁生傳を著し、盖し以て自ら况す。」とある。

 

好鳥迎春歌後院,飛花送酒舞前簷。

その眺めは、いつ見てもよいのであるが、それでも、二月三月のころは、好鳥の春を迎えると、その盛りには、後院で歌い、落花は、酒を勧める風情になり、そして、前簷に舞い踊るのである。

9. 簷 (1) ,ひさし房檐家の軒.(2) 物の覆いの張り出した部分帽檐儿帽子のつば.檐沟雨どい.

 

客到但知留一醉,盤中祗有水晶鹽。 
そこに来客が訪れ、ここに留まれば酒をふるまい、肴としては、腥葷なく、ごちそうを飾った大盤には水晶の色になっている塩の塊があるだけであり、その淡泊清雅であるところは全く趣があるものである。

10. 水晶鹽 梁書に「中天竺國、真鹽有り、色正白、水精の如し」とあり、 魏書に「太宗、崔浩に、御縹醪酒十斛、水精戎鹽一兩を賜う。」とあり、金樓子には、「胡中、白鹽、山崖に于いて産す、日に映じて、光明、水精の如し、胡人、以て國厨に供し、君王鹽と名づけ、亦た、玉華鹽と名づく。」とあるに基づいて趣のある表現をしたものである。