168_18 贈郭將軍

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-060卷168_18 贈郭將軍(卷九(一)六二三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8279

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744年-集09字解集 a古風五十九首之三十七,b豳歌行,c題東谿公幽居,d贈韋祕書子Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8274

孟浩然

李白詩

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-32 全唐詩339_ 4 #6遊青龍寺贈崔大補闕-#6 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8280

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・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

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index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-76#4 奉送王信州崟北歸#4 杜詩詳注(卷一九(四)一六六三)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8287

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767年-集-5 【字解集】 a秋行官張望督促東渚耗・b阻雨不得歸瀼西甘林 杜詩詳注・字解 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8234

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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744-060168_18 贈郭將軍(卷九(一)六二三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8279

(郭子儀将軍に贈る詩)

将軍は血気盛んな青年期に西域武威より来たって朝廷に出仕し、やがて銀臺門を掌って、紫微を護衛することになる。かくて、夜明けのころ、剣を拂い、それから、宮闕にはいってゆき、夕暮れになると、鞭を垂れ、酒に酔い、静かに馬を歩ませて帰ってゆく。家に着くと、愛子は風に臨んで、玉笛を吹き、美人は、羅衣をつけて月華に舞う、歌舞の趣と興を風流に楽しむ。そのむかしは、雄豪をもって世に名を鳴しめたものだが、それはもはやゆめとしたものであるが、いまでは閑職に居て相変わらず御奉公をなされている。そこで、何時か日を決め、春の日差しの中で一緒に酒を飲み友に酔いたいものと思って居るところである。

大明宮の圖003 

744-060 -

贈郭將軍(卷九(一)六二三) -

全唐詩卷168_18

李白集校注(一)六二三)

李太白集巻八17

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8279

 

 

贈郭將軍

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微。

平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。

疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉。
詩文(含異文)     

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微【將軍豪蕩有英威,昔掌銀臺護紫微】。

平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。

疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉【今日相逢俱失路,何年灞上弄春暉】。

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

(一)六二三)

168_18

巻八17

詩題

贈郭將軍(卷九(一)六二三)

文體

五言古詩  

 

詩序

 

     初句

將軍少年出武威

天寶三年   744   44

 

作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)  

及地點

涼州 (隴右道東部 涼州 涼州別名:武威、武威郡      

 

銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

 

紫微殿 (京畿道 京兆府 長安)           

 

 

交遊人物/交遊地點

郭將軍      書信往來

李白集校注タイトル 

 贈郭將軍

(郭子儀将軍に贈る詩)

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微。

将軍は血気盛んな青年期に西域武威より来たって朝廷に出仕し、やがて銀臺門を掌って、紫微を護衛することになる。

平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

かくて、夜明けのころ、剣を拂い、それから、宮闕にはいってゆき、夕暮れになると、鞭を垂れ、酒に酔い、静かに馬を歩ませて帰ってゆく。

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。

家に着くと、愛子は風に臨んで、玉笛を吹き、美人は、羅衣をつけて月華に舞う、歌舞の趣と興を風流に楽しむ。

疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉。

そのむかしは、雄豪をもって世に名を鳴しめたものだが、それはもはやゆめとしたものであるが、いまでは閑職に居て相変わらず御奉公をなされている。そこで、何時か日を決め、春の日差しの中で一緒に酒を飲み友に酔いたいものと思って居るところである。

(郭將軍に贈る)

將軍 少年に武威に出で,銀臺に入り掌て紫微を護す。

平明 劍を拂って天に朝して去り,薄暮 鞭を垂れて 酒に醉うて歸る。

愛子 風に臨んで玉笛を吹き,美人 月に向って羅衣を舞わしむ。

疇昔 雄豪 夢裡の如し,相逢う 且つ春暉に醉んと欲す。

  贈郭將軍

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微【將軍豪蕩有英威,昔掌銀臺護紫微】。

平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。

疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉【今日相逢俱失路,何年灞上弄春暉】。

一作今日相逢俱失路何年灞上弄春暉殿。 唐時涼州亦謂之武威郡𨽻隴右道

大明圖紫宸 側有右銀臺門左銀臺門紫微天子所居之也。 

天有紫微宮王者象之故亦謂之紫微。 藝文類聚日將暮曰薄暮

左傳嚋昔之羊子為政杜預註疇昔猶前日也。 

晉書劉琨與范陽祖納俱以雄豪著名

 

長安城図 作図00

 

 

《贈郭將軍》 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈郭將軍

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微【將軍豪蕩有英威,昔掌銀臺護紫微】。

平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。

疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉【今日相逢俱失路,何年灞上弄春暉】。

 


(下し文)
(郭將軍に贈る)

將軍 少年に武威に出で,銀臺に入り掌て紫微を護す。

平明 劍を拂って天に朝して去り,薄暮 鞭を垂れて 酒に醉うて歸る。

愛子 風に臨んで玉笛を吹き,美人 月に向って羅衣を舞わしむ。

疇昔 雄豪 夢裡の如し,相逢う 且つ春暉に醉んと欲す。

(現代語訳)
(郭子儀将軍に贈る詩)

将軍は血気盛んな青年期に西域武威より来たって朝廷に出仕し、やがて銀臺門を掌って、紫微を護衛することになる。

かくて、夜明けのころ、剣を拂い、それから、宮闕にはいってゆき、夕暮れになると、鞭を垂れ、酒に酔い、静かに馬を歩ませて帰ってゆく。

家に着くと、愛子は風に臨んで、玉笛を吹き、美人は、羅衣をつけて月華に舞う、歌舞の趣と興を風流に楽しむ。

そのむかしは、雄豪をもって世に名を鳴しめたものだが、それはもはやゆめとしたものであるが、いまでは閑職に居て相変わらず御奉公をなされている。そこで、何時か日を決め、春の日差しの中で一緒に酒を飲み友に酔いたいものと思って居るところである。


(訳注)

贈郭將軍

1. (郭子儀将軍に贈る詩)

2. 郭子儀(かく しぎ、697 - 781年)は、中国、唐朝に仕えた軍人・政治家。玄宗、粛宗、代宗、徳宗の4代に仕えた。客家人[要出典]。安史の乱で大功を立て、以後よく異民族の侵入を防いだ。盛唐〜中唐期を代表する名将。憲宗(在位805 - 820年)の皇后郭氏は子儀の孫である。郭子儀 史書をひともいても、出生はもちろん幼少年期から青壮年期に至るまで、その来歴はほとんど記録に残されていない。地方長官の子息であったが、早くに父を喪ったのか、「蔭官」(父祖の功によって官職に就くこと)によって政界入りを果たした形跡はなく、武挙(官僚を選ぶ科挙と同じく武官を選ぶ試験)において優秀と認められて仕官を果たすが(新書・本伝「武挙の異等なるを以て左衛長史に補さる」および徐松 /孟二冬 補正『登科記考補正』巻27)、その後、単于副都護、振遠軍使に累進していったのは、おそらく中年期以降のことであろうと推測されるだけである。

唐代のみならず中国史上の大人物であり、後世画題として珍重されるほど有名人となるが、このように典型的な晩成型の人物であった。史書によると、玄宗の天宝8年(749年)に木剌山に横塞軍と安北都護府を設置した際、横塞軍使に命じられているのが、年号の確認できる最も早い時期の経歴であり、ときに既に53歳であった。李吉甫撰『元和郡県図志』巻4・天徳軍の条によると、「天宝八年、張斉丘 又た西可敦城に横塞軍を置き、又た中受降城より横塞軍を移して理む」と見え、呉廷燮撰『唐方鎮年表』(以下「年表」という)巻1によると、翌天宝9年まで節度使であった張斉丘(あるいは「張斉邱」とも)の配下にあったようである。

李白は安史の乱では粛宗の弟の永王李璘に従ったが、永王が叛いたためにその臣下であった李白もまた囚われの身となり、罪に服すこととなったが、郭子儀は李白の無罪を説いて李白の助命を請うた。そのため、死罪から流罪に軽減された。郭子儀は若年のころに、李白に命を救われたことがあったという。

 

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微。

将軍は血気盛んな青年期に西域武威より来たって朝廷に出仕し、やがて銀臺門を掌って、紫微を護衛することになる。

3. 銀臺 銀臺門宮門名。 唐の時、翰林院、學士院は銀台門の附近に在る,後因銀台門を以て代て翰林院を指す。 李白 《贈從弟南平太守之遙》詩之一: “承恩初入 銀臺門  著書獨在金鑾殿。(恩を承()けて初めて 入る銀台門、書を著してひとり金鑾殿にあり。天子に翰林の役を仰せつかって初めて銀台門を通過でき翰林院に入れる。書をしたためるとそれを天子のいる金鑾殿に一人で持参できるのだ。

4. 紫微 紫微垣(しびえん)のことで、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の中垣をいう。天の北極を中心とした広い天区、あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。「紫微」「紫微宮(しびきゅう)」「紫宮(しきゅう)」「紫垣(しえん)」ともいい、天帝の在所とされたため、転じて皇宮、朝廷の異称ともなった。

星官としての紫微垣は、天における中央の宮殿を囲う藩垣(城壁)の形に象っており、その中枢には天の北極が位置する。

 

平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

かくて、夜明けのころ、剣を拂い、それから、宮闕にはいってゆき、夕暮れになると、鞭を垂れ、酒に酔い、静かに馬を歩ませて帰ってゆく。

 

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。

家に着くと、愛子は風に臨んで、玉笛を吹き、美人は、羅衣をつけて月華に舞う、歌舞の趣と興を風流に楽しむ。

5. 舞羅衣 霓裳羽衣の曲 唐の玄宗が楊玉環のために作ったとされる曲。霓裳羽衣の曲は玄宗が婆羅門系の音楽をアレンジした曲と言われる。玄宗は愛妾である楊玉環のお披露目の際、この曲を群臣に披露し、群臣に楊玉環が特別な存在であると意識させた。

『霓裳羽衣舞』は唐代舞踊を代表する演目で、「霓裳」とは虹のように美しいもすそ(スカート)、「羽衣」は鳥の羽のように軽い衣のこと。唐の玄宗皇帝が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った。

楽史「楊太真外伝」によると、玄宗が三郷駅に登り、女几山を望んだ時に作曲したものである説と、玄宗が、仙人の羅公遠に連れられ、月宮に行き、仙女が舞っていた曲の調べをおぼえて作らせた説双方が記されている。楊貴妃もこれに合わせて、舞うのを得意としたという。しかし、玄宗期に起こった安史の乱以降、この曲は国を傾けた不祥の曲であると忌まれ、楽譜も散逸してしまった。 白居易の「長恨歌」にも曲名が登場する。「漁陽鼙鼓動地來、驚破霓裳羽衣曲。」(漁陽の鼙鼓【へいこ】 地を動【どよ】もして来たり、驚破す 霓裳羽衣の曲。)

 

疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉。

そのむかしは、雄豪をもって世に名を鳴しめたものだが、それはもはやゆめとしたものであるが、いまでは閑職に居て相変わらず御奉公をなされている。そこで、何時か日を決め、春の日差しの中で一緒に酒を飲み友に酔いたいものと思って居るところである。

6. 疇昔 過去のある日。昔。また,昨日。《文選.左思.詠史詩八首之一》:「雖非甲冑士,疇昔覽穰苴。」(甲冑の士に非ずと雖も,疇昔には穰苴を覽たり。)我は甲冑をつける武人ではないが、かねて穰苴の兵法書を読み心得ている。

7. 雄豪 雄々しく強いこと。また、その人や、そのさま。

8. 夢裡 夢の中。夢中。

9. 春暉 春の太陽の光。
安史の乱期 勢力図 002