卷168_15 贈盧徵君昆弟(卷九(一)六四九)
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2017年3月10日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-064卷168_15 贈盧徵君昆弟(卷九(一)六四九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8315 |
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744年-集09字解集 a古風五十九首之三十七,b豳歌行,c題東谿公幽居,d贈韋祕書子Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8274 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
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806年-集07- 【字解集】・a. 豐陵行 ・b. 遊青龍寺贈崔大補闕 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8287 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
767年-77#4 甘林#4 杜詩詳注(卷一九(四)一六六七)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8323 |
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767年-集-6 【字解集】 ・a.又上後園山腳 ・b.奉送王信州崟北歸 杜詩詳注()Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8300 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集 訳注解説 (125)回目韋莊二十五首《巻三-10天仙子五首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8318 (03/10) |
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花間-010字解集115)回目韋莊a應天長/b.荷葉盃/c.清平樂四首/d.望逺行/ 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8252 (02/29) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
玉-041§4 古詩 爲焦仲卿妻作§4-#1〔無名氏〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻一ブログ 8319 |
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744年-064卷168_15 贈盧徵君昆弟(卷九(一)六四九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8315
(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)
明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。
744年-064 -#1 |
贈盧徵君昆弟(卷九(一)六四九) -#1 |
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全唐詩卷168_15#1 |
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李白集校注昆弟(卷九(一)六四#1 |
李太白集巻八36#1 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8315 |
贈盧徵君昆弟
明主訪賢逸,雲泉今已空。二盧竟不起,萬乘高其風。
河上喜相得,壺中趣每同。
#2
滄州即此地,觀化遊無窮。水落海上清,鼇背睹方蓬。
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
昆弟(卷九(一)六四 | 卷168_15 | 巻八36 | |
詩題 | 贈盧徵君昆弟(卷九(一)六四九) | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | 【贈崔侍郎】 | ||
初句 | 明主訪賢逸,雲 | 天寶三年 744年 44歲 | |
作地點 | 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) | ||
及地點 | 無 | ||
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交遊人物/交遊地點 | | ||
交遊人物/交遊地點 | | ||
交遊人物/交遊地點 | 盧徵君昆弟 書信往來 |
贈盧徵君昆弟 #1
(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)
明主訪賢逸,雲泉今已空。
明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。
二盧竟不起,萬乘高其風。
しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。
河上喜相得,壺中趣每同。
盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。
滄州即此地,觀化遊無窮。
水落海上清,鼇背睹方蓬。
與君弄倒景,攜手凌星虹。
(盧徵君の昆弟に贈る)
明主 賢逸を訪い,雲泉 今 已に空し。
二盧 竟に起たず,萬乘 其の風を高し。
河上 相い得るを喜び,壺中 趣 每に同じゅうす。
#2
滄州 即ち此の地,化を觀て 無窮に遊ぶ。
水落ちて 海上清く,鼇背に 方蓬を睹る。
君と倒景を弄し,手を攜えて星虹を凌がん。
贈盧徵君昆弟 錢塘 王琦 撰 |
後漢書黄憲初舉孝亷又辟公府/友人勸其仕憲亦不拒之暫到京師而還竟無所就年四十八 |
終天下號曰徵君後/世徵君名始此蕭註以盧徵君即是盧鴻考唐書 |
及他書所載鴻事都不言其/有弟同隱恐此盧又是一人 |
明主訪賢逸,雲泉今已空。二盧竟不起,萬乘高其風。河上喜相得,壺中趣每同。 |
滄州即此地,觀化遊無窮。水落海上清,蕭本作水/落海上清 |
鼇背覩方蓬。與君弄倒影、攜手凌星虹。 |
神仙傳河上公者莫知其姓字漢文帝時公結草為/菴於河之濵帝讀老子經頗好之有所不解數事時 |
人莫能道之聞時皆稱河上公解老子經義乃使齎所/不決之事以問公曰道尊德貴非可遥問也帝即幸其 |
菴躬問之帝曰普天之下莫非王土率土之濵莫非王/臣子雖有道猶朕民也公即撫掌坐躍冉冉在虚空中 |
去地數丈俛而荅曰予上不至天中不累人下不居地/何臣民之有帝下車稽首公乃授素書二巻與帝曰予 |
註此經以來一千二百餘年凡傳三人連子四矣言畢/失所在壺中見本巻註莊子吾與子觀化而化及我我 |
又何惡焉陳子昻詩平生倦游者觀化久無窮鼇/背方蓬見四巻註倒影見二巻註星虹見七巻註 |
《贈盧徵君昆弟》 現代語訳と訳註解説
(本文)
贈盧徵君昆弟
明主訪賢逸,雲泉今已空。
二盧竟不起,萬乘高其風。
河上喜相得,壺中趣每同。
滄州即此地,觀化遊無窮。
水落海上清,鼇背睹方蓬。
與君弄倒景,攜手凌星虹。
(下し文)
(盧徵君の昆弟に贈る)
明主 賢逸を訪い,雲泉 今 已に空し。
二盧 竟に起たず,萬乘 其の風を高し。
河上 相い得るを喜び,壺中 趣 每に同じゅうす。
滄州 即ち此の地,化を觀て 無窮に遊ぶ。
水落ちて 海上清く,鼇背に 方蓬を睹る。
君と倒景を弄し,手を攜えて星虹を凌がん。
(現代語訳)
贈盧徵君昆弟#1(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)
明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。
しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。
盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。
滄州即此地,觀化遊無窮。
水落海上清,鼇背睹方蓬。
贈盧徵君昆弟
(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)
1 盧徵君 盧鴻を征士の尊稱、徵君と号されたのと同じような人物として盧徵君兄弟をいう。《新唐書》卷一百九十六〈隱逸列傳‧盧鴻〉“盧鴻字顥然,其先幽州范陽人,徙洛陽。博學,善書籀。廬嵩山。玄宗開元初,備禮徵再,不至。五年,詔曰:「鴻有泰一之道,中庸之德,鉤深詣微,確乎自高。詔書屢下,每輒辭託,使朕虛心引領,于今數年。雖得素履幽人之介,而失考父滋恭之誼,豈朝廷之故與生殊趣邪?將縱欲山林,往而不能反乎?禮有大倫,君臣之義不可廢也。今城闕密邇,不足為勞,有司其齎束帛之具,重宣茲旨,想有以翻然易節,副朕意焉。」鴻至東都,謁見不拜,宰相遣通事舍人問狀,答曰:「禮者,忠信所薄,臣敢以忠信見。」帝召升內殿,置酒。拜諫議大夫,固辭。復下制,許還山,歲給米百斛、絹五十,府縣為致其家,朝廷得失,其以狀聞。將行,賜隱居服,官營草堂,恩禮殊渥。鴻到山中,廣學廬,聚徒至五百人。及卒,帝賜萬錢。鴻所居室,自號寧極云。”(盧鴻は字を顥然,其の先は幽州范陽の人,洛陽に徙【うつ】る。博學,善く籀を書す。嵩山に廬す。玄宗開元の初,禮を備えて徵すこと再,至らず。五年,詔して曰く:「鴻 泰一の道有り,中庸の德,詣微を鉤深し,確乎自ら高す。詔書屢ば下し,每に輒ち託を辭し,朕 虛をして心 領を引き,今に于て數年。素履 幽人の介を得ると雖も,而て父滋恭の誼を失考し,豈に朝廷に之き故に與生殊趣邪?將に山林に縱欲し,往き能反せずや?禮 大倫に有り,君臣の義 廢す可からざるなり。今 城闕密邇し,勞を為すに足らず,司有り其の齎 帛の具を束し,重ねて茲の旨を宣し,想う有り 以て翻然易節 朕の意を,副えんや。」鴻 東都に至り,謁見して拜せず,宰相 遣通事舍人問狀,答えて曰く:「禮者,忠信所薄,臣敢以忠信見。」帝 召して內殿に升り,置酒す。諫議大夫に拜せらる,固辭す。復た制を下し,山に還えるを許し,歲に米百斛、絹五十を給し,縣に府し 其の家に致るを為し,朝廷得失し,其れ以て狀聞す。將て行き,隱居の服を賜い,草堂を官營す,禮に恩渥をし殊にす。鴻 山中に到り,廣く廬に學び,聚徒至五百人に。卒するに及び,帝 萬錢を賜う。鴻 居る所の室,自ら寧極と號すと云う。)
2 徵君, 征君 征士の尊稱。 《後漢書‧黃憲傳》「友人勸其仕, 憲亦不拒之, 暫到京師而還, 竟無所就。 年四十八終, 天下號曰徵君。」(友人 其の仕を勸む, 憲 亦た之を拒まず, 暫く京師に到りて還る, 竟に就く所無く。 年四十八にして終る, 天下に號して徵君と曰う。)
明主訪賢逸,雲泉今已空。
明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。
3 雲泉 雲が生じるのは、巌洞の泉湧くところであるということ。
二盧竟不起,萬乘高其風。
しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。
4 二盧 征士である盧徵君兄弟のこと。
5 萬乘 万乗の天子。
河上喜相得,壺中趣每同。
盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。
6 河上 河上公。河上公とは如何なる人物であるのか。河上公注『老子』につけられた、葛玄の序という文章によると、河上公は姓名未詳。前漢の文帝の時に黄河の岸辺に隠居して、『老子』を読み解いていた。文帝は、河上公が『老子』に通じていると聞いて召し寄せようとしたが、「そんなことでは道や徳は教えられない」と河上公が上京を拒むので、しかたなく文帝みずからが出向いてその非礼を責めたところ、河上公は手を打ってふわりと虚空に浮かび上がり、自分は帝王の指図を受けぬと宣言する。そこで文帝は河上公が神人であると悟り、礼を尽くして教えを乞うたところ、河上公は『老子道徳経章句』二巻を文帝に授け、「これをよく研究すれば、『老子』は分かるだろう。余がこの経に注をつけて以来、千七百年になるが、伝授したのは、あなたを含めて四人だけだ。人には見せるな」と言った。伝授を終えると、河上公はどこかに消えた、と。葛玄の序はそのように説く。河上公もまた、謎に満ちた人物である。
神仙傳「河上公者,莫知其姓名也。漢孝文帝時,結草為庵於河之濱,常讀老子道德經。時文帝好老子之道,詔命諸王公大臣州牧在朝卿士,皆令誦之,不通老子經者,不得陛朝。帝於經中有疑義,人莫能通,侍郎裴楷奏雲:陜州河上有人誦老子。即遣詔使賫所疑義問之,公曰:「道尊德貴,非可遙問也。」帝即嘉幸詣之,公在庵中不出,帝使人謂之曰:「溥天之下,莫非王土,率土之濱,莫非王民,域中四大,而王居其一,子雖有道,猶朕民也,不能自屈,何乃高乎?朕能使民富貴貧賤。」須臾,公即拊掌坐躍,冉冉在空虛之中,去地百余尺,而止於虛空,良久,俛而答曰:「余上不至天,中不累人,下不居地,何民之有焉?君宜能令余富貴貧賤乎?」帝大驚,悟知是神人,方下輦稽首禮謝曰:「朕以不能,忝承先業,才小任大,憂於不堪,而誌奉道德,直以暗昧,多所不了,惟願道君垂湣,有以教之。」河上公即授素書老子道德章句二卷,謂帝曰:「熟研究之,所疑自解。余著此經以來,千七百余年,凡傳三人,連子四矣,勿視非人!」帝即拜跪受經,言畢,失公所在。遂於西山築臺望之,不復見矣。論者以為文帝雖耽尚大道,而心未純信,故示神變以悟帝,意欲成其道,時人因號河上公。」
神仙傳「河上公は,其の姓名を知る莫し也。漢の孝文帝の時,草を結び庵を河の濱を為る,常に老子は道德經を讀む。時に文帝 老子の道を好み,詔命して諸王公大臣州牧 朝卿士在り,皆 之を誦ぜ令む,老子經を通ぜざる者,陛朝を得ず。帝 經中に疑義有り,人は能く通ずること莫れ,侍郎裴楷 奏して雲う:陜州河上 人有り 老子を誦す。即ち遣詔使 疑義を賫所し 之を問う,公曰く:「道は尊く德は貴し,遙に問う可きに非ざる也。」と。帝 即ち嘉び幸にして之を詣し,公 庵中に在りて出でず,帝 人を使し 之を謂うて曰く:「溥天の下,王土非ざるは莫く,率土の濱,王民非ざるは莫し,域中四大,而して王居其一は,子 道有りと雖も,猶お朕の民なり,不能自屈,何乃高乎?朕能使民富貴貧賤。」と。須臾して,公 即ち掌を拊して坐躍すれば,冉冉として空虛の中に在り,地を去ること百余尺,而して虛空に止み,良久,俛して答えて曰く:「余 上 天に至らず,中 人に累せず,下 地に居らず,何の民か之れ有らんと?君 宜く能く余 富貴貧賤か?」と。帝 大いに驚き,是れ神人を悟知し,方に輦を下りて稽首し禮謝して曰く:「朕 以て能わず,忝承して先業し,才は小 任は大,憂 堪えず,而して誌は道德を奉り,直ちに以て暗昧し,多所 了らず,惟だ願うは道君垂湣,有 以て之を教う。」河上公 即ち素書、老子道德章句二卷を授け,帝に謂うて曰く:「熟して之を研究し,所疑 自ら解す。余 此經を著して以來,千七百余年,凡そ三人に傳え,子を連ねて四と,視る勿れ人に非らず!」帝 即ち拜跪して經を受け,言畢って,公在る所を失う。遂に 西山 臺を築き 之を望み,復た見るなし。論者 以て文帝を為し 耽すと雖も 尚お大道,而して心 未だ純信せず,故に神變を示し以て帝を悟り,意 其の道を成さんと欲し,時に人に因り河上公と號す。」と。
7 壺中趣 壺中有天。 現実の世俗的生活の中に自らが創っている別天地。自分だけの時間と世界をもてる幸せを大切にしたいもの。後漢書に「費長房が役所の二階から何気なく町中の老商人を眺めていた。仕事を終えた老商人があたりを見回し、ポンと壺に入り込んでしまった。不思議に思った彼が翌日、老商人を問い詰めた。『見られたか。じゃ仕方がない。ついておいで』と大きな壷の中に誘った。壷の中は彼が見たこともない別天地だった。」という故事による。老商人の壺中有天は、彼の現実の生活、その人生の中に開けている楽しみであって、費長房のものでないということに留意すべきであると。
《後漢書》卷八十二下《方術傳·費長房傳》“費長房者,汝南人也。曾為市掾。市中有老翁賣藥,懸一壺於肆頭,及市罷,輒跳入壺中。……翁知長房之意其神也,……長房遂欲求道,而顧家人為憂。翁乃斷一青竹,度與長房身齊,使懸之舍後。家人見之,即長房形也,以為縊死,大小驚號,遂殯葬之。……長房辭歸,翁與一竹杖,曰:「騎此任所之,則自至矣。既至,可以杖投葛陂中也。」又為作一符,曰:「以此主地上鬼神。」長房乘杖,須臾來歸,自謂去家適經旬日,而已十餘年矣。……遂能醫療疾,鞭笞百鬼,及驅使社公。……後東海君來見葛陂君,因淫其夫人,於是長房劾繫之三年,而東海大旱。長房至海上,見其人請雨,乃謂之曰:「東海君有罪,吾前繫於葛陂,今方出之使作雨也。」於是雨立注。長房曾與人共行,見一書生黃巾被裘,無鞍騎馬,下而叩頭。長房曰:「還它馬,赦汝死罪。」人問其故,長房曰:「此狸也,盜社公馬耳。」又嘗坐客,而使至宛市鮓,須臾還,乃飯。或一日之閒,人見其在千里之外者數處焉。後失其符,為眾鬼所殺。”
(費長房は,汝南の人也。曾て市掾を為す。市中に老翁賣藥する有り,肆頭に一壺に懸り,市罷に及び,輒ち跳んで壺中に入る。……翁 長房の意、其の神を知る也,……長房 遂に道を求めんと欲す,而して家人をて憂を為す。翁 乃ち一び青竹を斷じ,度と長房とに身を齊し,之を懸け舍後とせん。家人 之を見,即ち長房の形なり,以て縊死と為す,大小 驚いて號し,遂に殯して之を葬す。……長房 辭して歸り,翁と一に竹杖す,曰く:「騎して此の任所に之く,則ちら自る至矣。既ち至って,以て葛陂の中に杖を投じすべしなり。」又 一符を作る為し,曰く:「以て此の主地は鬼神に上る。」長房 杖に乘り,須臾して來り歸えり,自謂う家を去って經旬に適く日,而して已に十餘年。……遂に能く醫療疾し,百鬼に鞭笞し,驅して社公に及ぶ。……後に東海君來り葛陂君を見る,因に其の夫人を淫し,是に於いて長房は劾繫すること之れ三年,而して東海大いに旱す。長房海上に至り,其人が雨を請うを見て,乃ち之を謂うて曰く:「東海君罪有り,吾 葛陂に前繫す,今 方に之に出づれば雨を作さしむるなり。」是に於て雨注き立つ。長房 曾て人に與え共に行き,一書を見て黃巾の被裘を生ず,騎馬するに鞍無く,下りて頭を叩く。長房曰く:「它馬還り,汝死罪を赦さる。」人問うて其れ故に,長房曰く:「此れ狸なり,社公の馬耳を盜む。」又嘗坐客し,而して宛市の鮓に至らしむ,須臾して還り,乃ち飯。或いは一日之を閒く,人は其れを見て 千里の外に在る者は數處なり。後に其の符を失い,眾鬼 殺す所と為す。)
に基づく。