744年-集11字解集 A.古風五十九首之四十 B.古風五十九首之四十四 C.早夏于將軍叔宅
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2017年3月22日 |
の紀頌之5つの校注Blog |
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 |
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Ⅰ李白詩 |
(李白集校注) |
744年-集11字解集 A.古風五十九首之四十 B.古風五十九首之四十四 C.早夏于將軍叔宅Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8387 |
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744年-集11字解集 A.古風五十九首之四十 B.古風五十九首之四十四 C.早夏于將軍叔宅Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8388 |
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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 |
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Ⅲ 杜詩 |
詳注 |
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767年-集-7 【字解集】 ・a.甘林 ・b.暇日小園散病將種秋菜督勒 杜詩詳注 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354 |
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 |
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Ⅳブログ詩集 |
漢・唐・宋詞 |
花間集 訳注解説(137)回目 韋莊二十五首《巻3-21 女冠子二首 其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8390 (03/22) |
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Blog |
花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336 (03/14) |
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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 |
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Ⅴ.唐五代詞詩・女性 |
・玉臺新詠 |
玉-041§7 古詩 爲焦仲卿妻作§7-#1〔無名氏〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻一ブログ 8391 |
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744年-集11字解集 A.古風五十九首之四十 B.古風五十九首之四十四 C.早夏于將軍叔宅Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8387
古風,五十九首之四十【字解集】
古風,五十九首之四十
鳳饑不啄粟,所食唯琅玕。焉能與群雞,刺蹙爭一餐。
朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。
幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
(卷二(一)一六三) | 巻161_40 | 巻一40 | |
詩題 | 「鳳飢不啄粟」詩(古風五十九首之四十)(卷二(一)一六三) | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 鳳飢不啄粟,所 | 天寶三年 744年 44歲 | |
作地點 | 目前尚無資料 | ||
及地點 | 崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山) | ||
| 三門 (都畿道 陜州 三門) 別名:砥柱 | ||
交遊人物/交遊地點 | 0 |
(古風,五十九首の四十)
鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅玕【ろうかん】。
焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。
朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。
帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。
幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。
恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。
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其四十 錢塘 王琦 撰 |
鳯饑不啄粟所食唯琅玕焉能與羣雞刺蹙一作/蹙促争一 |
飡朝鳴崑丘樹夕飲砥柱湍歸飛海路逺獨宿天霜寒 |
幸遇王子晉結交青雲端懹恩未得報感别空長嘆藝/文 |
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類聚莊子曰吾聞南方有鳥其名為鳳所居積石千里/天為生食其樹名瓊枝髙百仞以璆琳琅玕為實天又 |
為生離珠一人三頭逓卧逓起以伺琅玕淮南子鳯凰/曽逝萬仞之上翺翔四海之外過崑崙之疏圃飲砥柱 |
之湍瀨山海經西海之南流沙之濵赤水之後黑水之/前有大山名曰崑崙之丘元和郡縣志底柱山俗名三 |
門山在陜州硤石縣東北五十里黄河中禹貢曰𨗳河/積石至于龍門又東至于底柱註云河水分流包山而 |
過山見水中若柱然也又以禹理洪水山陵當水者破/之以通河三穿既決河出其間有似於門故亦謂之三 |
門水經註王子晉好吹鳯笙招延與道士浮丘同/逰伊洛之浦 啄音卓刺音七飡同餐砥同底 |
古風,五十九首之四十
1.(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)
2 鳳凰 姫を鳳、雌を凰といい、想像上の動物。聖人が天子の位にあれば、それに応じて現われるという瑞鳥である。形は、前は臍、後は鹿、くびは蛇、尾は魚、もようは竜、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似、羽の色は五色、声は五音に中る。梧桐に宿り、竹の実を食い、酵泉の水を飲む、といわれる。李白自身を指す。
3 粟 穀物の総称。賄賂が平然となされていたことを示す。
4 所食唯琅玕 楊齊賢は離騷の注に曰う「南方有鳥其名為鳳天為生樹名/曰瓊枝高百二十仞大三十圍以琳琅為實」(南方に鳥有り、其の名を鳳と為す。天 為めに樹を生じ、名づけて瓊枝と曰う。高さ百二十仞、大きさ三十圍、琳琅を以て實と為す。)にもとづく。・琅玕 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。即ち竹の実。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける俸禄を意味する。
5 羣鶏 宮廷の官吏、宦官、宮女をさす。
6 刺蹙 こせこせ。齷齪とする。
7 崑邱樹 崑崙山の絶頂にそびえる木。「山海経」に「西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前、大山あり、名を足寄の邸という」とある。朝の朝礼、天子にあいさつする。山海經「西海之南流沙之濵赤水之後黑水之前有大山名曰崑崙之丘。」(西海の南、流沙の濵、赤水の後、黑水の前、大山有り。名を崑崙の丘と曰う。)
8 砥柱濡 湖は早瀬。砥柱は底柱とも書き、黄河の流れの中に柱のように突立っている山の名。翰林院での古書を紐解き勉学する。元和郡縣志「底柱山、俗名三門山、在陜州硤石縣東北五十里黄河中。禹貢曰“𨗳河積石至于龍門又東至于底柱註云河水分流包山而過山見水中若柱然也”」(底柱山、俗名三門、山は陜州硤石縣の東北五十里、黄河中に在り。禹貢 曰く“河に積石を𨗳いて龍門に至り、又、東 底柱に至る。註に云い河水分流、山を包んで過ぐ。山は水中に見われ、柱の若く然るなり”)とある。
9 朝鳴二句「淮南子」に「鳳凰、かって万仞の上に逝き、四海の外に翔翔し、崑崙の疏圃を過ぎ、砥柱の湍瀬に飲む」とあるのにもとづく。
10 海路遠 仙境は東海、滄海の上はるか先に泛ぶ三山の島ということ。
11 王子晉 むかしの仙人。周の霊王の王子で、名は晋。笙を吹いて鳳の鳴きまねをするのが好きで、道士の浮邱という者といっしょに伊洛(いまの河南省)のあたりに遊んでいたが、ついには白鶴に乗って登仙したといわれる。《列仙傳》曰「周靈王太子名晉好吹笙作鳳鳴遊伊洛間/道士浮丘公接上嵩高山三十年後乘白鶴在緱氏山頭舉手謝時/人數日去」に見える。13の字解を参照。
12 青雲 青雲の志、立身出世。
13 この二句 元の蕭士贇の《補註》曰「此詩似/太白自比。之作太白雖帝族非凡輩可儕、然孤寒疎逺、知章、薦之方能致身金鑾、䝉帝知遇可、謂「結交青雲端矣」此恩未報臨別之時安能/不感嘆哉」(士贇は曰う“此詩は太白 自ら比するに似たり。之作は太白は雖帝族にして凡輩の儕しゅうす可きに非ずとも、然れども孤寒疎逺、知章、之を薦めて、方に能く身を金鑾に致し、帝の知遇を䝉る、「交りて青雲の端を結ばんや」と謂う可し。此の恩、未だ報せず、別に臨んで之の時、安んぞ能く感嘆せざらんや”)
古風,五十九首之四十四
744年-068 - | 「綠蘿紛葳蕤」詩(古風五十九首之四十四) (卷二(一)一六九) - | |
全唐詩巻161_44 | ||
李白集校注(卷二(一)一六九) | 李太白集巻一44 | 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8351 |
古風,五十九首之四十四
綠蘿紛葳蕤,繚繞松柏枝。草木有所託,歲寒尚不移。
奈何夭桃色,坐歎葑菲詩。玉顏豔紅彩,雲髮非素絲。
君子恩已畢,賤妾將何為。
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
(卷二(一)一六九) | 巻161_44 | 巻一44 | |
詩題 | 「綠蘿紛葳蕤」詩(古風五十九首之四十四)(卷二(一)一六九) | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 綠蘿紛葳蕤,繚 | 天寶三年 744年 44歲 | |
古風,五十九首之四十四
綠蘿は葳蕤【いすい】紛たり,繚繞【りょうじょう】す松柏の枝。
草木 託する所有り,歲寒 尚【こいねが】わくば移らざらん。
夭桃の色を奈何せん,坐して歎ず 葑菲の詩。
玉顏 紅彩豔なり,雲髮 素絲に非ず。
君子 恩 已に畢る,賤妾 將に何をか為さんとす。
其四十四 錢塘 王琦 撰 |
綠蘿紛葳蕤,繚繞松柏枝。草木有所託,歲寒尚不移。奈何夭桃色,坐歎葑菲詩。 |
玉顏豔紅彩,雲髮非素絲。君子恩已畢,賤妾將何為。 |
郭璞詩 「綠蘿結髙林」 吕向註「緑蘿/松蘿也。」陸機、文賦「「紛葳蕤以馺遝」 |
吕向註「紛葳蕤盛美貌廣韻繚繞纒也。」 |
詩小雅「蔦與女/蘿施於松栢廣雅女蘿松蘿也。詩國風「桃之夭夭灼灼其華 |
毛傳曰「天天其少壯也。」 |
詩國風「習習谷風以隂以雨黽勉同心不宜有怒采葑采菲無以下體徳音莫違 |
及爾同死序云谷風刺夫婦失道也。 |
衛人化其上淫于新婚而棄其舊室夫婦離絶國俗傷敗焉。 江淹詩「庭樹發紅彩張銑註紅彩花也。 |
詩國風鬒髪如雲。 毛傳曰如/雲言美長也。 王融詩 「騷首亂雲髪」 |
江淹詩君子恩未畢。 古詩 賤妾亦何為𤦺按古稱色衰愛弛。 |
此詩則謂色未/哀而愛巳弛有感而發其寄諷之意深矣。 菲音斐 |
古風,五十九首之四十四
1. (この詩は、詩経の語句を巧みに、点綴し、それによって棄てられる側の思いを述べ、飽きられるだけで、男の多情で、託している女性が棄てられる棄婦怨を、託して宮使いしているものも同様に捨てられるものであると述べている。)
2. 【解説】・《詩経、邶風、谷風》「詩序に、「谷風は夫婦の道を失ふを刺【そし】るなり。衛人其の上に化し、新昬【しんこん】に淫して、其の旧室を棄つ。夫婦離絶し、国俗傷敗す。」とあり、怒り、怨み、嫉みを訴えた棄婦怨,民歌である。
古来、「七去、三不出」〔(1)無子(男子についていう),(2)姦淫,(3)舅姑(しゆうとしゆうとめ)につかえず,(4)口舌多言,(5)盗窃,(6)嫉妬,(7)悪疾(らい病の類)で,このうち一つに該当するとき,夫は妻を離婚できる。三不去とは,(1)妻が舅姑の喪を守りおえた場合,(2)貧賤のときに妻を娶り現在富貴となっている場合,(3)妻の実家がすでにない場合で,このうち一つに該当するときは,七出の事由があろうとも離婚は許されない。〕がある。
・魏・曹植「棄婦篇」棄婦篇 曹植 魏詩<56-#1> 女性詩707 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2083
・李白《去婦詞【棄婦詞】》「古來有棄婦,棄婦有歸處。今日妾辭君,辭君遣何去。」
3. 綠蘿 姫葛。
4. 葳蕤 ふさふさと垂れているさま。
5. 松柏枝 邱陵地の墳墓の東西に植える。五行思想で、東に松、西に柏。
6. 有所託 託する所を知っている。
7. 夭桃色 《詩経、国風・周南》「桃之夭夭、灼灼其華。」(桃の夭夭たる、灼灼たり其の華)に基づく。
8. 葑菲詩 《詩経、邶風、谷風》「習習谷風,以陰以雨。黽勉同心,不宜有怒。」(習習たる谷風、以て陰(くも)り以て雨ふる。黽勉(びんべん)として心を同じくして、怒ること有る宜からず。【末尾に全文】
《詩経、邶風、谷風》 | |
習習谷風、以陰以雨。 | 習習たる谷風、以て陰【くも】り以て雨ふる。 |
黽勉同心、不宜有怒。 | 黽勉【びんべん】として心を同じくして、怒ること有る宜からず。 |
采葑采菲、無以下體。 | 葑【ほう】を采り菲を采るに、下體を以てすること無かれ。 |
德音莫違、及爾同死。 | 德音違うこと莫くば、爾と死を同じくせん。 |
吹き止まぬ烈しい風、空は曇り雨も降る/心合わせて働いて、今さら怒ることはない/蕪(かぶら)や大根とるのにも、根や茎だけではあるまいに/優しい言葉を違わねば、貴方といっしょしぬまでも。
9. 素絲 白い糸、変じた白髪頭をいう。玉顏・紅彩・雲髮について離縁の原因にすることはできない。
10. 恩已畢 恩が、既に終われば、棄てられるもの。
11. 將何為 もはや、何とも致し方のないということ。
《詩経、邶風、谷風》 | |
習習谷風、以陰以雨。 | 習習たる谷風、以て陰【くも】り以て雨ふる。 |
黽勉同心、不宜有怒。 | 黽勉【びんべん】として心を同じくして、怒ること有る宜からず。 |
采葑采菲、無以下體。 | 葑【ほう】を采り菲を采るに、下體を以てすること無かれ。 |
德音莫違、及爾同死。 | 德音違うこと莫くば、爾と死を同じくせん。 |
吹き止まぬ烈しい風、空は曇り雨も降る/心合わせて働いて、今さら怒ることはない/蕪(かぶら)や大根とるのにも、根や茎だけではあるまいに/優しい言葉を違わねば、貴方といっしょしぬまでも。
行道遲遲、中心有違。 | 道を行くこと遲遲たり、 中心違(そむ)くこと有り。 |
不遠伊邇、薄送我畿。 | 遠からずして伊(こ)れ邇し、 薄(しばら)く我を畿に送る。 |
誰謂荼苦、其甘如薺。 | 誰か荼(にがな)を苦しと謂う、其の甘きこと薺(なずな)の如し。 |
宴爾新昏、如兄如弟。 | 爾の新昬〔昏〕を宴(たの)しみ、 兄の如く弟の如し。 |
去られて行けばとぼとぼと/心惑うて行きかねる/遠く送ってくれずとも/せめて門まで遅れかし/この苦しみに較べれば/苦い茶(にがな)も薺(なずな)の甘さ/新妻ばかりを宴(たの)しんで/兄弟のような睦まじさ |
涇以渭濁、湜湜其沚。 | 涇は渭を以て濁れるも、湜湜(しょくしょく)たる其の沚(なぎ |
宴爾新昏、不我屑以。 | 爾の新昬〔昏〕を宴しみ、我を屑しとし以(とも)にせず。 |
毋逝我梁、毋發我笱。 | 我が梁に逝くこと毋かれ、我が笱(うえ)を發(ひら)くこと毋か |
我躬不閱、遑恤我後。 | 我が躬すら閱(い)れられず、我が後を恤うるに遑あらんや |
涇(けい)は渭(い)に合えば濁り川/それでも沚(なぎさ)は澄んでいる/新妻だけを宴んで/いまは私に眼もくれぬ/私の梁(やな)に近づくな/私の筍(かご)を発(あば)くなと/跡を気づかうひまもない/今はわが身さえ閲(い)れられぬ
就其深矣、方之舟之。 | 其の深きに就いて、 之に方(いかだ)し之に舟す。 |
就其淺矣、泳之游之。 | 其の淺きに就いて、 之を泳(くぐ)り之を游(およ)ぐ。 |
何有何亡、黽勉求之。 | 何か有り何か亡き、 黽勉として之を求む。 |
凡民有喪、匍匐救之。 | 凡そ民喪有れば、 匍匐して之を救う。 |
自分のこれまで苦心して持ってきた家を、新しい女が入って来て、勝手にするのを嘆くことば。渉(わた)りに水が深ければ/筏を浮かべ舟に乗り/渉りに水の浅ければ、/くぐり游(およ)ぐもなんのその/有るもの無いもの気をくばり/辛苦を厭わず求めきて/ひとに不幸のあるときは/つい駆け出しても手伝った
不我能慉、反以我為讎 | 我を能く慉(やしな)わず、反って我を以て讎とす。 |
既阻我德、賈用不售。 | 旣に我が德を阻け、賈(あきもの)用って售(う)られざる |
昔育恐育鞫及爾顛覆。 | 昔育いするに育い鞠(きわ)まり、爾と顚覆せんことを恐る。 |
既生既育、比予于毒。 | 旣に生き旣に育えば、 予を毒に比す。 |
伝うのも、夫の家を大事に思えばこそ今さら私をいとしまず/いっそ仇を見るように/心づくしを振り捨てて/顧みもせぬ棚ざらし/苦しい中に二人して/ようよう育てて来たものが/どうやら伸びた今になり/邪魔な私はどくのよう
我有旨蓄、亦以御冬。 | 我に旨き蓄(たくわえ)有り、 亦以て冬を御(ふせ)がん。 |
宴爾新昬、以我御窮。 | 爾の新昬を宴(たの)しみ、我を以て窮まれるに御(あ)たらしむ。 |
有洸有潰、既詒我肄。 | 洸たる有り潰たる有り、 旣に我が肄(い)を詒(のこ)す。 |
不念昔者、伊余來塈。 | 昔、伊(こ)れ余が來り 塈(いこ)いしことを念わざらん。 |
うまい漬菜もたくわえて/冬の用意もしていたに/新妻ばかりを宴しんで/私は苦労を見るばかり/怒ったりまた罵ったり/こうまで私を苦しめる/あれほど私をいとしんだ/昔の事も忘れたか
早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)
744年-069 -#1 | 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序 (卷二七(二)一五七五) -#1 | |
全唐文文/卷0349-5#1 | ||
李白集校注卷二七(二)一五七五#1 | 李太白集未掲載#1 | 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8357 |
文/卷0349-5 744-069
早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)
易曰:觀乎人文,以化成天下。
窮此道者,其惟傅侯耶!
侯篇章驚新,海內稱善。
五言之作,妙絕當時。
#2
陶公愧田園之能,謝客慚山水之美。
佳句籍籍,人為美談。
前許州司馬宋公蘊冰清之姿,重傅侯玉潤之德。
妻以其子,鳳皇于飛,潘楊之好,斯為睦矣。
#3
僕不佞也,忝于芳塵。
宴同一筵,心契千古。
清酌連曉,玄談入微。
歡攜無何,旋告睽拆。
#4
將軍叔雄略蓋古,英明動神。
天王貴宗、誕育賢子。
八龍増秀以列次、五色相輝而有文。
㑹言髙樂、曉餞金門洗徳、絃觴怡顔。
#5
朱明草木已盛,且江嶂若畫,賞盈前途,
自然屏間坐遊,鏡裏行到,
霞月千里,足供文章之用哉!
征帆空懸,落日相逼,
二季揮翰,詩其贈焉。
卷別 | 李白集校注 | 全唐文 | 李太白集 |
卷二七(二)一五七五 | 文/卷0349-5 | 未掲載 | |
詩題 | 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五) | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | | ||
初句 | 易曰:觀乎人文 | 天寶三年 744年 44歲 | |
作地點 | 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) | ||
及地點 | 兗州(河南道 / 兗州 / 兗州) | ||
| 洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下 | ||
| 長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都 | ||
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交遊人物/交遊地點 | 傳靄 當地交遊(河南道 兗州 兗州) |
早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序
(卷二七(二)一五七五)
1. (夏間もないころ、将軍の叔父さんのお宅で、兄弟や友人たちが集まって、江南に行く)
2. 昆季 兄弟をいい、 長兄は昆と為し, 末弟を季と為す。
3. 傅八 友人の傅靄のこと。この人物は未詳。李白は、この詩の2年後《淮海對雪贈傅靄》「朔雪落吳天,從風渡溟渤。梅樹成陽春,江沙浩明月。興從剡溪起,思繞梁園發。寄君郢中歌,曲罷心斷絕。」(淮海 雪に對し、傅靄に贈る。【淮海 雪に對し、孟浩然に贈る。】)朔雪 吳天に落ち,風に從って 溟渤を渡る。海樹 陽春を成し,江沙 明月よりも浩たり。興は剡溪より起り,思いは 梁園を繞って發す。君に郢中の歌を寄す,曲 罷んで 心 斷絕す。)
とある。
4. 觀乎人文,以化成天下 易経「賁亨、柔來而文剛、故亨。分剛上而文柔、故小利有攸往。天文也。文明以止人文也。觀乎天文以察時變、觀乎人文以化成天下。」(賁は亨る。柔の来たりて剛を飾る。故に亨る。剛を分ち上りて柔を飾る。故にすこし行く所あるに利あり。天文なり。文明もって止るは人文なり。天文を観じてもって時の変を察し、人文を観じてもって天下を化成す。)
5. 人文 人間・人為の所産を研究の対象とすることであり、またそれを可能にする人間本性をいうものである。
6. 化 《荘子》大宗師篇にいう造化のこと。万物を創造化育するという意味から出た言葉で,天地の間の万物が生々流転しながら永遠に存続する作用ないし働きをいう。転じて,天地の間の一切万物を創造する造物主,あるいはそれによって創造された天地,自然,宇宙のことをも意味する。古く《荘子》大宗師篇に,万物に生死の変化を無限にくりかえさせる偉大な自然の働きの意味で〈造化〉という言葉が用いられているが,宋代の儒学ではもっと広く,宇宙の形而上学的絶対者としての〈太極〉が,万物を生成する根元的な創造力であると解釈されている。
7. 窮此道 うした道家の道を窮めるもの。
8. 陶公 陶潜、陶淵明のこと。魏晋南北朝時代、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字が淵明。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。潯陽柴桑の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。晴耕雨読の生活を主題とする一連の作品は、同時代および後世の人々から理想の隠逸生活の体現として高い評価を得た。
9. 田園之能 田園の持っている自然の能、ポテンシャル。
10. 謝客 謝靈運、謝朓、などを指すが、ここでは山水詩人の謝靈運を言う。東晋・南朝宋の詩人・文学者。本籍は陳郡陽夏。魏晋南北朝時代を代表する詩人で、山水を詠じた詩が名高く、「山水詩」の祖とされる。 六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。
11. 慚山水之美 謝靈運は山水を美しい表現で歌い上げたことを言う。。
12. 佳句 1 詩歌の、よい文句。2 すぐれた俳句。陶潜、謝靈運の山水詩の後世に多大な影響を与えた優れた句を言う。
13. 籍籍 口々に言いはやすさま。「名声―たる詩人」、がやがやと騒がしいさま。 「声名-として世に噪げり」。
14. 美談 美しい話。聞いて感心するようなりっぱな行いの話。
15. 前許州司馬宋公蘊 前の許州司馬の宋蘊のこと。許州は潁川郡、許昌郡をいう。隋朝が成立すると許州は3郡を管轄した。605年(大業元年)に広州が廃止されると、その管轄県の一部が移管されている。607年(大業3年)、豫州邵陵県を統合、更に郡制施行に伴い許州は潁川郡と改称され下部に14県を管轄した。司馬は元々軍事をつかさどる官職のことである。
16. 冰清 晋書巻三十六 衞玠伝「玠妻父樂廣,有海內重名,議者以為「婦公冰清,女婿玉潤。」
衛玠は字を叔寶という.年五歳にして,風神<態度や精神が>秀れて異なっていた.祖父の衛瓘は曰く:「此兒はに於いて異を有せり,吾を顧みるに年老いたり,其の成長を見ざるのみ耳!」總角して羊車に乗って市に入ると,見た者は皆以って為すに玉人であるとし,之を觀る者で都を傾けた.驃騎将軍の王濟は,衛玠之舅であった也,爽<颯爽?>としていて風姿を有していたが,衛玠に見える毎に,輒ち歎じて曰く:「珠玉が側に在ると,我が形が穢らわしいのを覚るわい.」又た嘗つて人に語って曰く:「衛玠と<与>同遊すると,その冏<あき>らかなること明珠之側に在るが若く,朗然として人を照らす.」長ずるに及び,玄理を言うを好んだ.其の後に體羸を多く病んだため,母は恒<つね>に其の語を禁じた.遇有勝日(偶然体調の良い日が有って?),親友が時に一言を請うたが,咨嗟しないことが無かった,以為入微(その語が精妙を極めていたからである).琅邪出身の王澄は高名を有しており,少なきより推服する所であった,衛玠の言を聞く毎に,輒ち嘆息して絶倒した.故の時の人が之を語り為して曰く:「衛玠が道を談ずると,平子が絶倒する.」王澄及び王玄、王濟は並んで盛名を有していたが,皆衛玠の下に出たため,世が云うに「王家の三子は,衛家の一兒に如かず」といわれた.衛玠の妻の父である樂廣は,海内に重名を有していたため,議者は以って為すに「婦公冰清,女玉潤(娘の父は冰<こおり>の清きよう,その夫は玉の潤うよう)」とした.
17. 重傅侯玉潤之德 このくは、前の許州司馬がその地において徳のある施政を置くなったことに、李白の友人が傅靄が、“玉が潤うほどの徳”をもった人物であるから、前任者と同じように良い評判となるというほどの意。
18. 妻 前句に指していう「婦公冰清」ということ。
19. 鳳皇于飛 左傳 莊二十二年 初,懿氏が妻敬仲を卜す,其妻之を占いて,曰く:「吉,是れ謂、鳳皇が飛ぶに於いて,和して鏘鏘と鳴くなり。杜預の注に「雄は鳳と曰い、雌は凰と曰う。雄雌は俱に相い和して飛び、鏘鏘と鳴く。然猶敬仲夫妻は相い隨い齊に適く。聲譽有り。」とある。
天明を邀(むか)えた 梧桐(あおぎり)の丘から鏘鏘(そうそう)と鳴く聲(こえ)が届いたら 紅月(あかつき)燃え逝く斯(か)かる星の 天空(そら)を惑う幾億の魄霊(はくれい)を明(あか)き心で束ねて生と死の理(ことわり)を 来世(あす)に伝えて舞い上がれ.
○鏘鏘の用語解説 - 1 玉や金属が触れ合って鳴り響くさま。 ... 鏘然。2 盛んなさま。「服装から何から、だれが見ても硬派中の―たる ..3鳳凰ほうおうの鳴くさま。
20. 潘楊之好,斯為睦矣 潘氏と楊氏との婚姻を重ねたこと、古くから誼しみを通じていたことを言う。文選、潘嶽の《楊仲武の誄》に「潘楊の睦まじき、自ら來れること有り。盖し、岳乃ち楊の壻なり。故に「潘楊之睦」という。《文選.沈約.奏彈王源》に「其為虛託,不言自顯,王滿連姻,寔駭物聽。潘楊之睦,有異於此。」(其の虛託為る,言わずして自ら顯わる。王滿の姻を連ぬるや,寔【まこと】に物聽を駭かす。潘楊の睦まじき,此に異なる有り。)とあるに基づくものである。
21. 不佞 とは。意味や解説、類語。[名・形動]才能のないこと。また、そのさま。「―な(の)輩 (やから) 」[代]一人称の人代名詞。男性が自分をへりくだっていう語。不才。
22. 芳塵 立派な人物が集まることを言う。謝靈運《石門新營所住四面高山迴溪石瀨脩竹茂林詩》「芳塵凝瑤席,清醑滿金樽。」(芳塵【ほうじん】瑤席【ようせき】に凝【こ】もり、清醑【うまざけ】は金の樽に満つ。)立派な人の宴席には、においの良い塵が立派な玉飾りの御御座席に固まるものであり、清酒のうま酒は金の大盃に満たされるものだ。
23. 清酌 宗廟祭祀所用的清酒。《禮記.曲禮》:「酒曰清酌。」に基づく。
24. 玄談 1 奥深い話。深遠な話。特に老荘の道についていう。2 仏典を講義するに先立って、題号や撰者、大意などを説明すること。開題。
25. 入微 非常に細かい点に及ぶ,非常に細かい.
26. 旋告 旋回する発言。たちまち発する言葉。「旋告结束」たちまち終わりを告げる.
27. 睽拆 「睽」そむける。にらむ。はなれる。「拆」解析する。排泄する.
28. 雄略 雄大な計略、知略。
29. 英明 才知がすぐれて、物事の道理に明るいこと。
30. 天王 1 神の呼称; 2 王位・皇位; 3 地名; 4 その他; 5 関連項目. 神の呼称[編集]. 仏教. 天部(仏教の神)。
31. 貴宗 貴き祖先、貴き宗家。
32. 八龍 《後漢書、荀韓鍾陳列伝》に「有子八人:儉、緄、靖、燾、汪、爽、肅、專、並有名稱、時人謂之八龍。」(荀淑には)八人の息子が居て、儉、緄、靖、燾、汪、爽、肅、專、みな名稱(名声)があって、当時の人はこれを「八龍」と名付けた。とあって、こちらは「並有名稱」(みな名声があった)を理由としている。「荀爽兄弟八人、時人謂之八龍。舊居豪里、縣令苑康曰昔高陽氏有才子八人。署其里曰高陽里。」荀爽に八人の兄弟がいて、当時の人はこれを八龍と名付けた。昔、西豪里に住んでいて、県令の苑康が言うに昔、高陽氏には才高き息子八人がいた、その里を高陽里とさだめた。とあって、ここでは才子(才高き息子)だったため「八龍」と呼ばれた。
33. 㑹言 一堂に会して詠えば
34. 髙樂 高らかに、散楽、雅楽を奏でる
35. 曉餞 あかつきのはなむけ。
36. 金門 漢代,未央宮(びおうきゆう)の門の一。武帝は文学の士をここに出仕させ顧問とした。魯般門。金門。金馬。
37. 洗徳 徳を積む修業をする。
38. 絃觴 瑟琴と酒杯。陶潜《雜詩十二首其四》「觴弦肆朝日,樽中酒不燥。」(觴弦朝日に肆【ほしいまま】にし,樽中の酒 燥【かわ】かず。)朝日の射す中で、飲酒や琴をならべて、ほしいままにして、徳利の中には酒が満たされていることで乾くこともない。
39. 怡顔 やわらいだ顔つき。
40. 朱明 夏の異称、季節 夏。
41. 江嶂 大江とみね、ついたてのようにさえぎりたつ山。
42. 賞盈 旅程中の景色は称賛の声がいっぱいに盈る。
43. 鏡裏 鏡裏謂江明若鏡。鏡:①山水詩人のお手本のうち。②物の映った鏡のうち。鏡の中。③鏡のうら。
44. 詩其 この詩のはじめに陶淵明、謝靈運の詩を示し、特に謝靈運詩は、文選「行旅」に多く見える。同じように傅靄に詩を作って贈ってくれというものである。
早夏於繆本於字下/多一江字將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序 |
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易曰觀乎人文、以化成天下。窮此道者、其惟傅侯耶。 |
侯篇章驚當作/警新、海内稱善。五言之作、妙絶當時。 |
陶公愧田園之能、謝客慚山水之羙。北齊/書雕蟲之羙獨步當時 |
陶淵明詩 「多言田園之適」 佳句籍籍、人為羙談。 |
謝靈運詩「多言山水之趣」 靈運小字客兒詳十六巻注 |
前許州司馬宋公藴氷清之姿、重傅侯玉潤之徳。 |
妻以其子、鳳凰于飛、潘楊之好、斯為睦矣。 |
唐時、許州潁川郡𨽻河/南道州設司馬一人從 五品下劉孝標、 |
世説注、衛玠別傳、玠娶樂廣女裴叔道曰妻婦有 氷清之姿壻有璧潤之望所謂秦晉之匹也。 |
左傳 初懿氏卜妻敬仲其妻占之曰吉是謂鳳凰于飛和鳴鏘鏘。 |
杜預注 雄曰鳳雌曰凰雄雌俱飛相和而鳴鏘鏘然猶敬仲夫妻相隨適齊有聲譽 |
潘岳楊仲武誄潘楊之睦有自來矣盖岳乃楊之壻也。 故云潘楊之睦 |
僕不佞也、忝於芳塵。宴同一筵、心契千古。 |
清酌連曉、𤣥談入微。歡攜無何、郭本/作間旋告暌拆。一本作柝/繆本作坼 |
將軍叔雄舊本皆作英/今依劉本畧葢古、英明洞神。 |
天王貴宗、誕育賢子。八龍増秀以列次、五色相輝而有文。 |
㑹言髙樂、曉餞金門洗徳、絃觴怡顔。 |
上下似有缺文爽。後漢書、荀淑有子八人儉緄靖燾汪 肅專益有名稱時人 |
謂之八龍初荀氏舊里名西豪潁隂令苑康以為昔髙/陽氏有才子八人 |
今荀氏亦有八子故改其里曰髙陽里 |
朱明草木已盛、且江嶂若畫、賞盈前途、自然屏間坐逰、 |
鏡裏行到、霞月千里、足供文章之用哉。屏間謂列嶂如屏 鏡裏謂江明若鏡 |
征帆空懸、落日相逼、二季揮翰、詩其贈焉。 |
荘子《外篇 達生篇 第十九》
梓慶削木為鐻,鐻成,見者驚猶鬼神。魯侯見而問焉,曰:「子何術以為焉?」對曰:「臣工人,何術之有!雖然,有一焉。臣將為鐻,未嘗敢以耗氣也,必齊以靜心。齊三日,而不敢懷慶賞爵祿;齊五日,不敢懷非譽巧拙;齊七日,輒然忘吾有四枝形體也。當是時也,無公朝,其巧專而外骨消;然後入山林,觀天性;形軀至矣,然後成見鐻,然後加手焉;不然則已。則以天合天,器之所以疑神者,其是與?」
魯の梓人【しじん・木工師】の慶が木の細工をして楽器をつるす木組みの架け桁を作った。人々は余りに立派な出栄えに鬼神が作ったようだと驚いた。魯の殿様はそれを見ると慶に向ってたずねた「そなた、どんな技術でこんなすばらしい物が作れたのだ」。
慶は答えて言う「私がしがない細工師です。格別な技術などどうしてありましょう。けれどもこんな事はあります。私が架け桁を作ろうとするときは、いつでも内なる精気を決して損なう事のないようにしています。必ず精進潔斎して心を落ち着けるのです。
三日も潔斎すると立派なものを作って褒美を貰おうとか官爵や利禄を得ようなど思わなくなり、五日の間潔斎すると、世間の評判や出来の善し悪しも気にかからなくなり、七日の間潔斎すると、どっしり落ち着いて自分の手足や肉体の事を忘れてしまうのです。こうなると心にはお上の存在も無くなり、その技巧が集中されて外から心を乱すものは消え去るのです。そこで初めて山林に入り、自然本来のありのままの形で架け桁を作るのにぴったりな材木を探し、完成された架け桁を心に思い描いて、それから初めて手を下すのです。そうでなければ手を下しません。つまり心の自然なありようで、材木の自然なありように合わせるのでして、私の細工ものが神業にもまぎらわしいとされる理由は、そのためでありましょう」。