745-006-#3 山人勸酒(卷四(一)二九○)

 

 

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(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

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杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

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745-006-#3 山人勸酒(卷四(一)二九○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8555

その時、高祖は、太子を代えようと思って居たが、最早仕方が無いといって愈いよ断念し、寵姫の戚夫人を顧み、かういふ老翁達が出てきて、太子の羽翼となって、これを輔佐するということであって見れば、汝の生んだ趙王如意を立てて太子とすることは到底出家せぬと仰せられ、ついに太子を廃することを断念せられた。かくて、國本幸に動かす、漢は四百年の帝祚を保つことができた。そこで、初めて安心したというので、四皓は、元の商山に帰り、さながら、泛然たる雲の無心なるが如く、そんな事はまるで知らぬ様な顔をして居た。かくて、商山にかえりし後は、いにしえの隠者たる巣父・許由に向って一杯を献じ、これを弔うことを禁じ得なかったので、その心では、お前さん達は、耳を洗ったらして、住いには相違ないが、毫も天下の事に干與せず、独善主義を守って居たのは、同情し兼ねると思って居たのであろう。それから又、巣父・許由の隠れたといふ嵩山を望み、君達も、我等も、ともに世を避けた人であるが、どちらが神仙としての本文であろうかと、意気相傾けて、浩歌したことであろう。

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 745-006-#3 -#3

山人勸酒(卷四(一)二九 -#3

全唐詩卷一六三07#3

李白集校注(卷四(一)二九○)#3

李太白集巻三07#3

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8555

紅葉004宮島0007 

詩文(含異文):山人勸酒

蒼蒼雲松,落落綺皓。春風爾來為阿誰,蝴蝶忽然滿芳草。秀眉霜雪顏桃花【秀眉雪霜桃花貌】,骨青髓綠長美好【青髓綠髮長美好】。稱是秦時避世人,勸酒相歡不知老。各守麋鹿志【各守兔鹿志】,恥隨龍虎爭。欻起佐太子,漢王乃復驚【漢皇乃復驚】。顧謂戚夫人,彼翁羽翼成。歸來商山下【歸來南山下】,泛若雲無情。舉觴酹巢由,洗耳何獨清【洗耳何太清】。浩歌望嵩嶽,意氣還相傾【意氣遙相傾】。

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

(卷四(一)二九○)

卷一六三07

巻三07

詩題

山人勸酒(卷四(一)二九○)

文體

五言古詩  

 

詩序

0

     初句

蒼蒼雲松,落落

天寶四年  745  45

 

作地點

商州(山南東道 / 商州 / 商州)

及地點

商山 (山南東道 商州 商州別名:南山、地肺山、楚山、商顏

 

寫及地點:

交遊人物/交遊地點

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高

交遊人物/交遊地點

 

交遊人物/交遊地點

 

李白集校注タイトル坊間道路断面図 

745-06

山人勸酒(卷四(一)二九○)   全唐詩/163 -7

山人勸酒-#1

(商山の四皓を叙し、漢の太子の逸話を述べ、あわせて、唐の太子についての自分の思いを述べたもの)

蒼蒼雲松,落落綺皓。 

蒼蒼として雲のいる松の樹の聳え立つ、その下には、落落たる綺里季を筆頭にした商山の四皓が憩うて居る。

春風爾來為阿誰,蝴蝶忽然滿芳草。

この四皓らは、隠棲の山人であるから、その楽しみとする所も、世人とは異なって、遥かに高尚なものであろうが、春風は四皓らのためにふくわけでなく、誰のためというわけでなく、何時しか春になれば、自然に芳草は生じ、蝴蝶は其処に戯れるのである。四皓の四人もこれを見て、面白く感じるものであろう。

秀眉霜雪顏桃花,骨青髓綠長美好。 

ただ、この四人の秀でたる眉は霜雪を積んで白く、顔は桃の花のごとく鮮やかに輝いている、そして、金丹を練って服しているから、骨は青く、髄は緑で、顔色はとこしえに美しく変わることはない。

#2

稱是秦時避世人,勸酒相歡不知老。 

この四皓は秦の始皇帝の末期ごろ、暴政を避けて、商山に隠れたのであり、世俗を立ったのであるが、この春景色を見れば、やはり楽しいと見え、互いに酒を進めて歓談し、おいてゆくのも認識することはなかったのである。

各守麋鹿志,恥隨龍虎爭。

四皓等は、糜鹿の野性を守って、人間界に遠ざかり、秦の末から項羽の亡ぶるまで、龍寵虎の争いがたえなかったが、その中に立ち変るを愧じて、長く山中に暮らして居たのである。

欻起佐太子,漢王乃複驚。 

ところが、一朝、時運の到來するや、忽然としで起ち、再び世の中へ出てきて、漢の太子を助けた。

#3

顧謂戚夫人,彼翁羽翼成。

歸來商山下,泛若雲無情。

舉觴酹巢由,洗耳何獨清。

浩歌望嵩嶽,意氣還相傾。

 

(山人 酒を勸む)

蒼蒼たる雲松,落落たる綺皓。

春風 爾 來って阿誰【あすい】の為にする,蝴蝶 忽然として芳草に滿つ。

秀眉は霜雪 顏は桃花,骨は青く髓は綠なり 長しえに美好なり。

#2

是を稱して  “秦時世を避けるの人”と,酒を勸め 相い歡んで 老いを知らず。

各おの麋鹿の志を守り,龍虎の爭に隨うを恥ず。

ち起って太子を佐け,漢王 乃ち複た驚く。

#3

顧みて戚夫人に謂う,彼の翁羽 翼 成れり、と。

歸り來る 商山の下,泛として雲の情無きが若し。

觴を舉げて 由にす,耳を洗う 何ぞ獨り清き。

浩歌して 嵩嶽を望めば,意氣 還た相い傾く。

 

 

《山人勸酒》現代語訳と訳註解説

(本文) 
#3

顧謂戚夫人,彼翁羽翼成。

歸來商山下,泛若雲無情。

舉觴酹巢由,洗耳何獨清。

浩歌望嵩嶽,意氣還相傾。

 

(下し文)
#3

顧みて戚夫人に謂う,彼の翁羽 翼 成れり、と。

歸り來る 商山の下,泛として雲の情無きが若し。

觴を舉げて 巢由に酹す,耳を洗う 何ぞ獨り清き。

浩歌して 嵩嶽を望めば,意氣 還た相い傾く。

 

(現代語訳)

その時、高祖は、太子を代えようと思って居たが、最早仕方が無いといって愈いよ断念し、寵姫の戚夫人を顧み、かういふ老翁達が出てきて、太子の羽翼となって、これを輔佐するということであって見れば、汝の生んだ趙王如意を立てて太子とすることは到底出家せぬと仰せられ、ついに太子を廃することを断念せられた。

かくて、國本幸に動かす、漢は四百年の帝祚を保つことができた。そこで、初めて安心したというので、四皓は、元の商山に帰り、さながら、泛然たる雲の無心なるが如く、そんな事はまるで知らぬ様な顔をして居た。

かくて、商山にかえりし後は、いにしえの隠者たる巣父・許由に向って一杯を献じ、これを弔うことを禁じ得なかったので、その心では、お前さん達は、耳を洗ったらして、住いには相違ないが、毫も天下の事に干與せず、独善主義を守って居たのは、同情し兼ねると思って居たのであろう。

それから又、巣父・許由の隠れたといふ嵩山を望み、君達も、我等も、ともに世を避けた人であるが、どちらが神仙としての本文であろうかと、意気相傾けて、浩歌したことであろう。

 

(訳注) 
山人勸酒

(商山の四皓を叙し、漢の太子の逸話を述べ、あわせて、唐の太子についての自分の思いを述べたもの)

1 王琦の註によると、「此題、未だ始る所を詳らにせず、而して、樂府詩集、太白の是の作を編して琴曲歌辭中に入る」とあり、古い詩があって、それに基づき、倣ってつくったものであろうからこのような詩形になったと思われる。

#3

顧謂戚夫人,彼翁羽翼成。

その時、高祖は、太子を代えようと思って居たが、最早仕方が無いといって愈よ断念し、寵姫の戚夫人を顧み、かういふ老翁達が出てきて、太子の羽翼となって、これを輔佐するということであって見れば、汝の生んだ趙王如意を立てて太子とすることは到底出家せぬと仰せられ、ついに太子を廃することを断念せられた。

10. 戚夫人 戚夫人は、秦末から前漢初期の人物。高祖劉邦の側室で、劉如意の生母。一説によると名は懿。上体を後ろに大きく反らす楚舞を得意とし、劉邦とは遠征中に碁を打ったともいわれる。 定陶の人で、紀元前208年頃、楚漢戦争中に劉邦に見初められ、その寵愛を一身に受け、劉如意を生む。

 

歸來商山下,泛若雲無情。

かくて、國本幸に動かす、漢は四百年の帝祚を保つことができた。そこで、初めて安心したというので、四皓は、元の商山に帰り、さながら、泛然たる雲の無心なるが如く、そんな事はまるで知らぬ様な顔をして居た。

11. 商山 通典に「商州上洛願に南山あり、亦失地肺山と名づけ、亦圭楚山と名づく、四時の陰るろところ」とあり、邁鑑地理適確に「商山は商州南路慮南一里に在り」と記してみろ。

 

舉觴酹巢由,洗耳何獨清。

かくて、商山にかえりし後は、いにしえの隠者たる巣父・許由に向って一杯を献じ、これを弔うことを禁じ得なかったので、その心では、お前さん達は、耳を洗ったらして、住いには相違ないが、毫も天下の事に干與せず、独善主義を守って居たのは、同情し兼ねると思って居たのであろう。

12. 巢由 茶盆と許由.逸士修に「某父に義時の陰人、年老い、樹を以て某となして、その上に痕わ。故に人波して某父と馬す。勇の許由に譲るや、由、以て某父に告ぐ。某父日く.汝、何ぞ汝の形を隙し、汝の光を萩ぜざる、菅が友に非ざるなり、と。乃ち其替わ撃って之ね下す。許由、憤然として自得せず、乃ち清給の水に遇うて、そり耳を淡ひ、その日毎拭うて日く、さきに言を開く、菅が友に負けりと。蓬に去って相見えず」とある。許由は前に見岬。

 

浩歌望嵩嶽,意氣還相傾。

それから又、巣父・許由の隠れたといふ嵩山を望み、君達も、我等も、ともに世を避けた人であるが、どちらが神仙としての本文であろうかと、意気相傾けて、浩歌したことであろう。

13. 萬嶽 即ち常山、五嶽り「初登記に「嵩高山に五番の中岳なり、南に許由山あり、高大四編、その北に穎水あり、勇、許由わ略す、その慶、なほ噂嘩あり」と記してある.

 

 

山人勸酒

蒼蒼雲松,落落綺皓。

春風爾來為阿誰,蝴蝶忽然滿芳草。

秀眉霜雪顏桃花,骨青髓綠長美好。

稱是秦時避世人,勸酒相歡不知老。

各守麋鹿志,恥隨龍虎爭。

欻起佐太子,漢王乃復驚。

顧謂戚夫人,彼翁羽翼成。

歸來商山下,泛若雲無情。

舉觴酹巢由,洗耳何獨清。

浩歌望嵩嶽,意氣還相傾。

 

 

 

(山人 酒を勸む)

蒼蒼たる雲松,落落たる綺皓。

春風 爾 來って阿誰【あすい】の為にする,蝴蝶 忽然として芳草に滿つ。

秀眉は霜雪 顏は桃花,骨は青く髓は綠なり 長しえに美好なり。

#2

是を稱して  “秦時世を避けるの人”と,酒を勸め 相い歡んで 老いを知らず。

各おの麋鹿の志を守り,龍虎の爭に隨うを恥ず。

欻ち起って太子を佐け,漢王 乃ち複た驚く。

#3

顧みて戚夫人に謂う,彼の翁羽 翼 成れり、と。

歸り來る 商山の下,泛として雲の情無きが若し。

觴を舉げて 巢由に酹す,耳を洗う 何ぞ獨り清き。

浩歌して 嵩嶽を望めば,意氣 還た相い傾く。