745-020-#1 商山四皓(卷二二(二)一二九三)

 

 

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

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745-020-#1 商山四皓(卷二二(二)一二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8723

(憧れの四皓の商山に隠棲したことをたたえた詩)

秦時、白髪の四人の「四皓」は、楚の商山(南山)の傍らにいて、道を窮め、たかまる志気をかくした。隠遁して己を松雪の自然に隠し、同化したので、何となく薄暗く、自然の覆われ、見つけることができないほどのものであった。隠棲地は仙郷であり、窓に雲が流れ、青もやが部屋を抜け、中を拂う、石壁は翠色を横たえ、更に、自然に同化していった。

 

 

 745-020-#1 -#1

商山四皓(卷二二(二)一二九三) -#1

全唐詩巻181-26#1

李白集校注(卷二二(二)一二九#1

李太白集巻二一30#1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8723

 

詩文(含異文)     商山四皓

白髮四老人,昂藏南山側。偃臥松雪間,【偃蹇松雪間】冥翳不可識。

雲窗拂青靄,石壁橫翠色。龍虎方戰爭,於焉自休息。

秦人失金鏡,漢祖昇紫極。陰虹濁太陽,前星遂淪匿。

一行佐明聖【一行佐明兩】,倏起生羽翼。功成身不居,舒卷在胸臆。

窈冥合元化,茫昧信難測。飛聲塞天衢,萬古仰遺則。

 

商山四皓  #1

白髮四老人,昂藏南山側。偃臥松雪間,冥翳不可識。

雲窗拂青靄,石壁橫翠色。

#2

龍虎方戰爭,於焉自休息。秦人失金鏡,漢祖昇紫極。

陰虹濁太陽,前星遂淪匿。

#3

一行佐明聖,倏起生羽翼。功成身不居,舒卷在胸臆。

窈冥合元化,茫昧信難測。飛聲塞天衢,萬古仰遺則。

李白集校注タイトル 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

(卷二二(二)一二九

181-26

巻二一30

詩題

商山四皓(卷二二(二)一二九三)

文體

五言古詩  

 

詩序

0

     初句

白髮四老人,昂

天寶四年  745  45

 

作地點

商州(山南東道 / 商州 / 商州)

及地點

商山 (山南東道 商州 商州別名:南山、地肺山、楚山、商顏

 

 

交遊人物/交遊地點

 

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交遊人物/地點:

 

 

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商山四皓  #1

(憧れの四皓の商山に隠棲したことをたたえた詩)

白髮四老人,昂藏南山側。

秦時、白髪の四人の「四皓」は、楚の商山(南山)の傍らにいて、道を窮め、たかまる志気をかくした。

偃臥松雪間,冥翳不可識。

隠遁して己を松雪の自然に隠し、同化したので、何となく薄暗く、自然の覆われ、見つけることができないほどのものであった。

雲窗拂青靄,石壁橫翠色。

隠棲地は仙郷であり、窓に雲が流れ、青もやが部屋を抜け、中を拂う、石壁は翠色を横たえ、更に、自然に同化していった。

(商山の四皓)  #1

白髮の四老人,昂藏 南山の側。

偃臥す 松雪の間,冥翳 識る可からず。

雲窗 青靄【せいあい】を拂い,石壁 橫翠色をう。

 

都畿道河南道01 

  商山四皓

 雍勝畧「商山、去商州東南九十里、一名楚山、一名商洛山、形、如商字、湯、以為國號、

 郡、以為名。漢四皓隠處。」 盛𢎞之、州記曰、「商州上洛/縣有商山、其地險阻、

林壑深邃、四皓隱焉。」

白髪四老人、昻藏南山側。偃蹇繆本/作卧松雲繆本/作雪間、冥翳不可識。

雲忩拂青靄、石壁横翠色。龍虎方戰爭、於焉自休息。秦人失金鏡、漢祖昇紫極。

陰虹濁太陽、前星遂淪匿。一行佐明兩、/本作/蕭本/作倏起生羽翼。

功成身不居、舒巻在窅冥合元許本/𤣥化、茫昧信難測。

飛聲塞天衢、萬古仰遺跡。

髙士傳「四皓者皆河内軹人也。或在汲。一曰東園公、二曰甪里先生、三曰綺里季、四曰夏黄公、

皆修道、潔己、非義不動、秦始皇時、見秦政暴虐、乃退入藍田山、而作歌曰、

莫莫髙山。深谷逶。曄曄紫芝。可以療飢。唐虞世吾将安歸。駟焉髙葢。其憂甚大。 

富貴之畏人。不如貧賤而肆志。

乃共入商洛、地肺山、以待天下定。及秦敗、漢髙、聞而徴之不至、深自匿終南山、

不能屈已」

漢紀「上、欲廢太子。后聞之、使留侯、為太子計。留侯曰、上有所不能致者四人、

曰東園公、夏黄公、甪里先生、綺里季、皆逃在山中。

然上髙之、今、令太子、卑辭、安車、迎此四人来、以為客、時隨入朝、則一助也。

后、從其計、四人、果來。年皆八十、鬚眉皓白、故謂之四皓。及讌置酒、太子侍四人從。

上怪而問之。四人前對、各言姓名。上、乃驚曰、吾、召公等、不奉詔、今侍太子者何。

四人對曰、陛下喜罵、輕士、臣等、義不受辱、故亡、今、聞太子仁孝、愛人

敬士、天下莫不延頸、願為太子死者。臣等、故来。上曰、煩公等、幸卒調太子。

人退。上、召戚夫人、指示曰、吾、欲易太子、彼四人者、為之輔、羽翼已成、難揺動也。

太子遂定。」

 

陸機、周孝侯碑、昻藏寮采之上。後漢紀 太原周黨偃蹇自髙詳十七巻註

鮑照、登大雷岸與妹書左右 青靄、表裏紫霄。廣韻、靄雲狀。 

班固、答戲分裂諸夏龍戰虎爭 尚書考靈曜秦失 金鏡註曰、金鏡明道也。

極、王者所居之曹植表情注于皇居心注乎、紫極春秋、潜潭巴虹出日旁

后妃隂脅主楊齊賢註隂虹、以戚夫人、

書、心三星天王正位也。中星曰明堂天子位前星為太子後星為庶子。

周易、「明兩作離、大人以繼明照于四方、」虞翻註、「兩謂日月也。

作成也。日月在天、動成萬物、故稱作矣。或以日與火為明兩作也。」 

盧諶詩「日磾效忠飛聲有漢。漢書、攀龍附並乗天衢。

 

 

 

《商山四皓》現代語訳と訳註解説
(
本文)
 
商山四皓  #1

白髮四老人,昂藏南山側。

偃臥松雪間,冥翳不可識。

雲窗拂青靄,石壁橫翠色。

 

(下し文)
(商山の四皓)  #1

白髮の四老人,昂藏 南山の側。

偃臥す 松雪の間,冥翳 識る可からず。

雲窗 青靄【せいあい】を拂い,石壁 橫翠色をう。

 

(現代語訳)

(憧れの四皓の商山に隠棲したことをたたえた詩)

秦時、白髪の四人の「四皓」は、楚の商山(南山)の傍らにいて、道を窮め、たかまる志気をかくした。

隠遁して己を松雪の自然に隠し、同化したので、何となく薄暗く、自然の覆われ、見つけることができないほどのものであった。

隠棲地は仙郷であり、窓に雲が流れ、青もやが部屋を抜け、中を拂う、石壁は翠色を横たえ、更に、自然に同化していった。

 

(訳注) 
商山四皓  #1

1. (憧れの四皓の商山に隠棲したことをたたえた詩)

2. 【解説】起首八句は、四皓が商山に隠れたこと、李白はその環境にあこがれを持っていることを述べ、次の、「秦人失金鏡,漢祖昇紫極」の八句は、太子を助け、其の位を動かしめざりしことを述べ、末四句は、四皓の高士ぶりは、万世の後の世まで語り伝えられるものであるとほめたたえる。《巻二一30過四皓墓》も同時期の作である。

商山は、雍勝畧に「商山は、商州を去る東南九十里、一名を楚山といい、一名、商洛山、形、商字の如し、湯、以て國號と為し、郡、以て名と為す。漢の四皓の隠れたる處なり。」とあり、盛𢎞之は、州記に曰う、「商州上洛縣に商山有り、其の地、險阻なり、林壑深邃にし、四皓の隱るる、と。」ある。

髙士傳に「四皓は、皆、河内軹人也。或は汲に在り。一に曰く東園公、二に曰く甪里先生、三に曰く綺里季、四に曰く夏黄公、皆道を修め、己を潔くし、義に非らざれば動かず、秦の始皇の時、秦政の暴虐を見、乃ち退いて藍田山に入り、而して歌を作って曰く、

莫莫髙山。深谷逶。曄曄紫芝。可以療飢。唐虞世吾将安歸。

駟焉髙葢。其憂甚大。富貴之畏人。不如貧賤而肆志。

乃ち共に商洛に入り、地肺山にれ、以て天下の定まるを待つ。秦 敗るるに及び、漢髙、聞いて-之を徴せども至らず、深く自ら終南山に匿れ、已を屈するに能わず。」とあり、次に漢紀に「上、太子を廢せんと欲す。后、之を聞き、留侯を使て、太子の為に計らしむ。留侯曰く、上の致す能わざるところの者四人有り、曰く東園公、夏黄公、甪里先生、綺里季、皆逃れて山中に在り。然れども、上、之を髙しとす、今、太子をして、辭を卑くくし、安車、此の四人を迎えて来らしめ、以て客と為し、時に隨えて入朝すれば、則ち一助なり、と。后、其の計にい、四人、果して來る。年 皆八十、鬚眉皓白、故に之を四皓と謂う。讌して置酒に及びて、太子侍し四人從う。上、怪しんで之を問う。四人前んで對え、各の姓名を言う。上、乃ち驚いて曰く、吾、公等を召せども、詔を奉せず、今太子に侍する者は何ぞ。

四人は對えて曰く、陛下は喜んで罵り、士を輕んず、臣等、義として辱めを受けず、故に亡し、今、太子仁孝、人を愛し士を敬し、天下頸を延べ、太子の為に死するを願わざるなりと聞く。臣等、故に来る。上曰く、公等を煩はす、幸いに卒に太子を調せよ、と。四人は退く。上、、戚夫人を召し、指示して曰く、吾、太子を易えんと欲す、彼の四人の者、之が輔と為り、羽翼已に成る、揺動し難き也、と。太子、遂に定まる。」とある。

 

白髮四老人,昂藏南山側。

秦時、白髪の四人の「四皓」は、楚の商山(南山)の傍らにいて、道を窮め、たかまる志気をかくした。

3. 昂藏 たかまる志気をかくしている。

4. 南山 商山 (山南東道 商州 商州)のこと。別名には、地肺山、楚山、商顏という。

 

偃臥松雪間,冥翳不可識。

隠遁して己を松雪の自然に隠し、同化したので、何となく薄暗く、自然の覆われ、見つけることができないほどのものであった。

5. 偃臥【えんが】うつぶして寝ること。腹ばうこと。病気療養を指す。隠遁して己を自然に隠すという意。《漢東紫陽先生碑銘(卷三○(二)一七三四詩文補遺)》「東京大唐□□宮三請固辭偃臥」洛陽の金堂天堂道教寺觀に三度請われて召されても、固く辞退して苦竹院に隠遁し続ける。

・三請 三請孔明的故事『三請孔明』又稱『三顧茅蘆』・固辭 強くすすめられても固く辞退すること。・偃臥 うつぶして寝ること。腹ばうこと。隠遁者を言う。

744年-070-#6全唐文卷0350-24 漢東紫陽先生碑銘(卷三○(二)一七三四詩文補遺)

6. 松雪間 隠棲の場所を比喩的に言う。

7. 冥翳 何となく薄暗く、自然の覆われる。

 

雲窗拂青靄,石壁橫翠色。

隠棲地は仙郷であり、窓に雲が流れ、青もやが部屋を抜け、中を拂う、石壁は翠色を横たえ、更に、自然に同化していった。

8. 青靄 仙郷、隠棲地に流れる、青もや。青靄、表裏紫霄。廣韻、靄雲狀。

 

 

商山四皓:室町時代-塵添壒囊鈔五

秦の始皇帝の時、国難を避けて商山に匿れた四人の老高士のこと、四皓とは鬚眉皓白、故にこれを四皓といふ、その四人は、東園公、綺里季、夏黄公、甪里先生で、漢高祖その名を聞き招聘したが応ぜず、偶々高祖の寵妃戚夫人が上盈太子を廃して自が産んだ趙王如意を立てやうとしたので、太子の生母呂后が之を悲しみ張良を召して之を謀る、張良即ち商山に四皓を訪ひ其出廬を促したこと、史記留僕世家、前漢書にあり、又、『塵添壒囊鈔』に記す処精しい、左に之を引く。

四皓と云ふは皆皓の字を付くる名歟、非爾には、皓は皜の字也、又は皞共書く、皜は胡老の友、白色也と釈せり、四人共に年老いて白髪なる故に是れを四皓と云ふ也、譬へば秦の世の乱を遁れて商洛山に隠れ居るなり、仍商山の四皓といふ、其の名、園公、甪里先生、綺里季、夏黄公也、漢の世に出仕ふる故に漢の四皓と云ふ、高祖の嫡男恵帝を太子と定め給ふと云へ共、愛する戚夫人が子趙王如意をいとほしみて恵帝を捨て如意を太子とせんとし給ひしに、恵帝の母呂后驚きて張良に云ひ合せ給ふに、張良申して曰く是れゆゝしき大事也、但高祖の召仕はいやと思食す者四人ありと云へ共、高祖の御心余りに侈りて人をあなどり給ふ故に漢の臣たらじとて未だ商山に隠居し侍べり、此の事をいみじく口惜く思食せ共不叶して年を経たり、所詮彼等を何にもして召出して太子の輔佐の臣とし給はゞ、君も動し給はじと申しければ呂后兎角して招き寄びて太子に付給へり、其の後高祖宴会し給ひけるに太子出給ふ時、彼の四人伴にありければ、奇みてあれは何人ぞと問ひ給ふに各其の名を謁りけり、其の時高祖大に驚きて我汝を求むる事年久し、何ぞ今我子の賎きに出仕ふると、四皓が申さく、君は人をあなどり給ふ故に不仕、太子は其の性穏にして人生の機に足り給へり、然れば率土の皇民皆以て太子の御為には一命を軽くすべしと承る間、我等も参り仕ふと申しければ、高祖戚夫人に向ひて、彼の四人已に太子を輔佐す、羽翼更に動じ難しとて、恵帝に定りければ、戚夫人涙を流すと云へり、是れ併しながら張良が計ごとに出たり。