【字解集】 a.留別王司馬嵩  B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 

 

 

2017525

の紀頌之5つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-021-#4巻169-05 訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈(卷十(一)六七二)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8765

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745-004 a.【字解集】秋夜與劉碭山泛宴喜亭池  b.古風五十九首之二十二 c.情寄從弟邠州長史昭 d.草創大還贈柳官迪 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之8706

孟浩然

李白詩

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

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諸葛亮 出師表

曹植詩65

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李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-93 先生-巻八-01#12城南聯句 §2 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8772

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745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8772

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-112#2 寄韓諫議#2 杜詩詳注((卷一七(四)一五○八) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8785

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767年-集-13 【字解集】・a.-第五弟豐獨在江左近二首 ・b.-秋風二首 ・c.-送李功曹之荊州 ・d.-送王十六判官 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8660

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

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花間集 訳注解説 (201)回目張泌 《巻四28 浣渓沙十首 其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8774 (05/25)

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花間集 訳注解説 (199)回目巻四 牛嶠-3 【字解集】 a.菩薩蠻七首  b.酒泉子 c.定西番 d.玉樓春 e.西溪子 f.江城子二首 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8762 (05/24)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

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玉-巻二17 樂府二首其二種瓜東井上 -#2〔魏明帝〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8775

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玉集-013【字解集】  樂府三首 ・樂府 棄婦篇の【字解集】   〔曹植〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8746

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745-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩  B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8771

 

終南山06 

【字解集】 a.留別王司馬嵩  B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 

745-05【字解集】005

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8639

 三峡 巫山十二峰001

 


【字解集】 a.留別王司馬嵩 

留別王司馬嵩 -#1

1. (李白が長安を去るにあたって、王嵩に留別したもの。)

2. 王司馬嵩 王嵩が司馬というだけで、何の司馬かわかっていない。漢の時代には軍事を統括する名誉役職名でもあった。時代によっては太尉とも。((大)司馬、御史大夫、丞相もしくは太尉、司空、司徒をもって三公と称する。

3. 魯連賣談笑 魯仲連は、趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、談笑して秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助け秦軍をしりぞけた。

魯仲連(約西元前305年~西元前245年)戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。・延州 季札(きさつ、生没年不詳)は、中国春秋時代の呉で活躍した政治家。姓は姫。呉の初代王寿夢の少子。清廉賢哲を以って知られ、延陵の季子として知られる。

戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。秦が趙を囲んだ時、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いた。仲連時に趙にいて、使いを責めて帰し、秦軍をして恐れて十五里退かせた。田単が斉の王に申し上げて爵を賜わろうとしたが、仲連は海辺の地に逃がれた。戦国時代の斉の国の人で、義侠の士として有名である。伝記は「史記」の列伝に見える。つね日ごろ、人とはちがった大志を抱き、仕官せず職にもつかなかった。たまたま趙の国に遊んでいた時、紀元前二四七年、秦の軍隊が趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助けた。同時に、魏の国の王子信陵君もまた、兵を率いて秦を攻撃したので、秦は退却し、趙は救われた。郡部の包囲が解かれたのち、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。魯仲連は辞退した。平原君はそこで千金をおくろうとした。魯仲連は笑って言った。「天下に貴ばれる士たる者は、人のために患を排し、難をとき、紛乱を解して、しかも何も受取らないものです。もしも報酬を受取るなら、それは商人です。」何も受け取らないで立去り、生涯ふたたび現われなかった。李白『古風五十九首 其十』

孟浩然《述祖徳詩 二首 其一》#1

達人貴自我、高情蜀天雲。

兼抱済物性、而不纓垢氛。

段生藩魏國、展季救魯人。

弦高犒晉師、仲連却秦軍。

臨組乍不緤、對珪寧肯分。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<8> 述祖徳詩 二首(2)其一 詩集 365

4. 陶朱 越玉句践を助げて呉を滅した(前473年)。後范蟸は五湖(太湖)に浮かんで越を去り野に隠れ、名を鴟夷子皮と変えて産を成し、自ら陶の朱公と号した。

 

5. 南陽子 南陽躬耕の人であった諸葛孔明。

6. 梁甫吟 梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

7. 偃蹇 驕傲おごりたかぶること。また、そのさま。
8.  逐漸衰退。《文選·范曄<樂游應詔詩>》:“聞道雖已積,年力互頽侵。”張銑注:“謂年力老弱不能行也。

 9. 佐明主 聖明の君主を補佐する。

10. 託知音 “心をよく知っている友。親友。知りあい。知人。”に託す。

《知音》中国の春秋時代、伯牙は琴の名人として知られ、鍾子期はその親友で、いつも伯牙の琴の音を聴いていた。鍾子期は伯牙の琴の一番の理解者でもあった。2人の友情は鍾子期が死ぬまで続いたが、鍾子期が死んでから伯牙は、琴を壊して、自分が死ぬまで再び琴を弾くことはなくなった。というのも、自分の琴の音色を理解してくれる友がこの世の中にはいなくなってしまったからである。 このことから知音は「親しい友、恋人、奥さん」を指すようになった。

11. 上蔡 李斯のこと。 李 斯(り し、? - 紀元前208年)は、中国秦代の宰相。字は通古[1]。子は李由ら。法家にその思想的基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。

楚の北部にある上蔡(現在の河南省駐馬店市上蔡県)の人。

若い頃は小役人として楚に仕えていた。李斯は厠で人の糞尿を食らい人の姿を見て逃げ出すネズミと、兵糧庫の中で人の姿におびえずのうのうと兵糧を食うネズミを見て、「人が居る環境だけで人の賢さなど価値が決まってしまうのか」と嘆き、儒家の荀子の門を叩いた。同門に韓の公子・韓非がおり、共に荀子から学び、秦に入って呂不韋の食客となり、呂不韋からその才能を絶賛され推薦を受けて、秦王政(後の始皇帝)に仕えて、その近侍になった。

李斯は政の命令で他国に潜入し、各国の王族と将軍の間の離間を行い功績を立てて、客卿(他国出身の大臣)となった。

紀元前237年、順調に出世していた李斯だが、この頃に嫪(ろうあい)という他国出身者が反乱を起こしたために、国内で他国出身者の評判が悪くなり、やがて他国人の追放令(逐客令)が出た。このままでは困る李斯は、手紙を政に出して追放令の撤回を求めた。この「諫逐客書」は実に理路整然とした名文で、後に文選にも収録されているほどである。政もこの名文に説得されて追放令の撤回を決めた。

実力者の呂不韋が自決した後に、ますます政の信頼が厚くなった李斯だが、その地位を脅かす者がやって来た。かつての同門であった韓非である。政はその前に韓非の著作である『韓非子』を読んで、「この作者と親しく出来るのなら、死んでも悔いは無い。」と言う程に傾倒していたので、もしこのまま韓非が登用されてしまえば自分の地位は非常に危うくなる、と考えた李斯は政に韓非の讒言を吹き込んで投獄させて、獄中にいる韓非に毒を渡して有無を言わせずに逸早く死に追い詰めてしまった。

こうして、ライバルを蹴落とした李斯は、秦の富国強兵の政策を積極的に献策を行い、紀元前221年に遂に秦は中国を統一し、政は始皇帝となった。

秦の統一後に始皇帝は丞相の王綰、御史大夫の馮劫ら重臣から、周の制度である封建制を採り入れ、始皇帝の公子達を各地の王として封じるようにとの進言があった。だが、李斯はそれに猛反対して、周が何故滅んだかの理由を具体的に述べて、なお一層強い郡県制への移行を説いた。また、政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

紀元前210年の秋7月に、始皇帝が巡幸途中で死去し、李斯は趙高と共に偽詔を作って、胡亥を即位させ二世皇帝として、元の太子扶蘇を自決させた(一説では李斯は趙高に恫喝されて、止むなく胡亥の帝位をしぶしぶ認めたといわれる)。

偉大な始皇帝が死んだ事で基盤が揺れてしまった秦帝国に対して、翌年についに陳勝・呉広の乱を初めとして反乱が続発し、国内は大混乱になった。この時になっても二世皇帝は遊び呆けて、宮廷の外の状況を知らない有様だった。李斯はこれを何とか諌めようとしたが、これを逆手に取った趙高の策略で二世皇帝の不興を買い、李斯は追い詰められてゆくことになった。

紀元前208年、李斯は右丞相馮去疾と将軍馮劫と共に阿房宮の造営などの圧迫政策を止めるように二世皇帝に告げたが断られ、馮去疾と馮劫は自害した。それからも再三二世皇帝に申し入れをしたが、かえって二世皇帝の怒りを買い趙高に讒言され捕らえれ、趙高に執拗な拷問を受けた。拷問に耐えられず趙高が捏(で)っち上げた罪(楚の項梁の軍勢に討ち取られた李斯の長男で三川郡の太守の李由が生前楚軍と内通していたという罪)を認めてしまい、市で腰斬に処された。その時に李斯は共に曳き立てられた次男(名は不詳)に対して「わしは以前にお前と故郷の上蔡で黄色い猟犬を連れて来て、兎狩りをよくやっておったが、またやりたい夢はもう適わんのう…」と無念そうに述べたという。やがて李斯の一族は全て殺された。なお李斯の息子は始皇帝の皇女を娶り、彼の娘は始皇帝の公子に嫁いでいたと伝わる。

李斯は法家理論の完成者韓非に対して、法家の実務の完成者とされる。李斯は韓非を謀殺した事や偽詔で扶蘇を殺した事、他にも儒者を徹底的に弾圧した焚書坑儒に深く関わったため、後世の評判は非常に悪いが、秦の中国統一において最も大きな役割を果たしていた。司馬遷も、史記において李斯が道を誤らなければその功績は周公、召公に比肩したであろうとしている。

賣畚向嵩岑 王孟の故事。王莽が幼い時は貧賤であった。魚を畚で売って歩いた。仙人に賺されて嵩山の天辺に登り、その身を渓山の間に分け入り、幽居を卜したという。

 

 

 

 

 

【字解集】 B.商山四皓  

商山四皓  #1

1. (憧れの四皓の商山に隠棲したことをたたえた詩)

2. 【解説】起首八句は、四皓が商山に隠れたこと、李白はその環境にあこがれを持っていることを述べ、次の、「秦人失金鏡,漢祖昇紫極」の八句は、太子を助け、其の位を動かしめざりしことを述べ、末四句は、四皓の高士ぶりは、万世の後の世まで語り伝えられるものであるとほめたたえる。《巻二一30過四皓墓》も同時期の作である。

商山は、雍勝畧に「商山は、商州を去る東南九十里、一名を楚山といい、一名、商洛山、形、商字の如し、湯、以て國號と為し、郡、以て名と為す。漢の四皓の隠れたる處なり。」とあり、盛𢎞之は、州記に曰う、「商州上洛縣に商山有り、其の地、險阻なり、林壑深邃にし、四皓の隱るる、と。」ある。

髙士傳に「四皓は、皆、河内軹人也。或は汲に在り。一に曰く東園公、二に曰く甪里先生、三に曰く綺里季、四に曰く夏黄公、皆道を修め、己を潔くし、義に非らざれば動かず、秦の始皇の時、秦政の暴虐を見、乃ち退いて藍田山に入り、而して歌を作って曰く、

莫莫髙山。深谷逶。曄曄紫芝。可以療飢。唐虞世吾将安歸。

駟焉髙葢。其憂甚大。富貴之畏人。不如貧賤而肆志。

乃ち共に商洛に入り、地肺山にれ、以て天下の定まるを待つ。秦 敗るるに及び、漢髙、聞いて-之を徴せども至らず、深く自ら終南山に匿れ、已を屈するに能わず。」とあり、次に漢紀に「上、太子を廢せんと欲す。后、之を聞き、留侯を使て、太子の為に計らしむ。留侯曰く、上の致す能わざるところの者四人有り、曰く東園公、夏黄公、甪里先生、綺里季、皆逃れて山中に在り。然れども、上、之を髙しとす、今、太子をして、辭を卑くくし、安車、此の四人を迎えて来らしめ、以て客と為し、時に隨えて入朝すれば、則ち一助なり、と。后、其の計にい、四人、果して來る。年 皆八十、鬚眉皓白、故に之を四皓と謂う。讌して置酒に及びて、太子侍し四人從う。上、怪しんで之を問う。四人前んで對え、各の姓名を言う。上、乃ち驚いて曰く、吾、公等を召せども、詔を奉せず、今太子に侍する者は何ぞ。

四人は對えて曰く、陛下は喜んで罵り、士を輕んず、臣等、義として辱めを受けず、故に亡し、今、太子仁孝、人を愛し士を敬し、天下頸を延べ、太子の為に死するを願わざるなりと聞く。臣等、故に来る。上曰く、公等を煩はす、幸いに卒に太子を調せよ、と。四人は退く。上、、戚夫人を召し、指示して曰く、吾、太子を易えんと欲す、彼の四人の者、之が輔と為り、羽翼已に成る、揺動し難き也、と。太子、遂に定まる。」とある。

3. 昂藏 たかまる志気をかくしている。

4. 南山 商山 (山南東道 商州 商州)のこと。別名には、地肺山、楚山、商顏という。

5. 偃臥【えんが】うつぶして寝ること。腹ばうこと。病気療養を指す。隠遁して己を自然に隠すという意。《漢東紫陽先生碑銘(卷三○(二)一七三四詩文補遺)》「東京大唐□□宮三請固辭偃臥」洛陽の金堂天堂道教寺觀に三度請われて召されても、固く辞退して苦竹院に隠遁し続ける。

・三請 三請孔明的故事『三請孔明』又稱『三顧茅蘆』・固辭 強くすすめられても固く辞退すること。・偃臥 うつぶして寝ること。腹ばうこと。隠遁者を言う。

744年-070-#6全唐文卷0350-24 漢東紫陽先生碑銘(卷三○(二)一七三四詩文補遺)

6. 松雪間 隠棲の場所を比喩的に言う。

7. 冥翳 何となく薄暗く、自然の覆われる。

8. 青靄 仙郷、隠棲地に流れる、青もや。青靄、表裏紫霄。廣韻、靄雲狀。

9. 龍虎方戰爭 各々が強く争い、戦う事を比喩する。秦漢の間に群雄争いが起こり、天下草堂が激しかったことを言う。《文選〔文章巻45〕.班固.答賓戲【賓ひんの戲たわむるに答える】》:「於是七雄虓闞,分裂諸夏,龍戰虎爭。」也作「龍爭虎鬥」。 各強爭鬥(是に於いて七雄虓闞【こうかん】,諸夏を分裂し,龍戰虎爭す。)也作「龍爭虎鬥【りょうそうことう】」。 比れ各の強爭鬥するを

10. 金鏡 金鏡は明道をうなり尚書考靈曜秦失 金鏡註曰、金鏡明道也。

11. 漢祖 劉 邦は、前漢の初代皇帝。 沛県の亭長であったが、反秦連合に参加した後に秦の都咸陽を陥落させ、一時は関中を支配下に入れた。その後項羽によって西方の漢中へ左遷され漢王となるも、東進して垓下に項羽を討ち、前漢を興した。正式には廟号が太祖、諡号が高皇帝であるが、通常は高祖と呼ばれることが多い。

12.紫極 天帝の居る所の意の「紫微垣(しびえん)」から、天子の居所。禁中。紫禁。極、王者所居之。 曹植表情注于皇居、心注乎紫極。

13. 陰虹 口先巧みに主君にへつらう、心のよこしまな臣下をいう。漢の戚夫人に喩える。春秋に、潜潭巴虹出日旁、后妃、隂脅主。楊齊賢註に隂虹、以て戚夫人にう。

14. 前星 心三星のひとつ、太子を指す。 書に、「心三星、天王の正位也。中星を明堂と曰い、天子の位、前星は太子為り、後星は庶子為り。」心三星與中國遠古時代軍隊體制をいい、これは、  心三星“太子”、“天王”、“庶子”又、分名爲“心前星”、(“心中星”)、“心後星”。這些名體現了早期中國的軍隊體制をいう,即ち王家軍隊由父子三人統帥,具體分工是れを:太子統領前軍,君王統領中軍,庶子統領後軍ということである

15. 淪匿 :隱藏、隱沒。

16. 佐明聖 高祖の寵妃戚夫人が上盈太子を廃して自が産んだ趙王如意を立てようとしたので、太子の生母呂后が之を悲しみ張良を召して之を謀る、張良即ち商山に四皓を訪ひ其出廬を促したことをいう。

漢紀に「上、太子を廢せんと欲す。后、之を聞き、留侯を使て、太子の為に計らしむ。留侯曰く、上の致す能わざるところの者四人有り、曰く東園公、夏黄公、甪里先生、綺里季、皆逃れて山中に在り。然れども、上、之を髙しとす、今、太子をして、辭を卑くくし、安車、此の四人を迎えて来らしめ、以て客と為し、時に隨えて入朝すれば、則ち一助なり、と。后、其の計にい、四人、果して來る。年 皆八十、鬚眉皓白、故に之を四皓と謂う。讌して置酒に及びて、太子侍し四人從う。上、怪しんで之を問う。四人前んで對え、各の姓名を言う。上、乃ち驚いて曰く、吾、公等を召せども、詔を奉せず、今太子に侍する者は何ぞ。

四人は對えて曰く、陛下は喜んで罵り、士を輕んず、臣等、義として辱めを受けず、故に亡し、今、太子仁孝、人を愛し士を敬し、天下頸を延べ、太子の為に死するを願わざるなりと聞く。臣等、故に来る。上曰く、公等を煩はす、幸いに卒に太子を調せよ、と。四人は退く。上、、戚夫人を召し、指示して曰く、吾、太子を易えんと欲す、彼の四人の者、之が輔と為り、羽翼已に成る、揺動し難き也、と。太子、遂に定まる。」とある。

17. 倏起 “突然であるようす。にわかであるようす。 「 忽然 ( こつぜん ) 【倏忽】しゅっこつ時間のきわめて短いさま。たちまち。にわか。 【倏ち】たちまちすみやか。あっという間。すぐ。”におこる。

18. 窈冥 ①物事が奥深くてはかりしれないさま。〔淮南子・覧冥〕②薄暗いさま。「窈冥昼晦=窈冥にして昼晦し」〔史記・項羽〕

19. 合元化(玄化)帝王の徳化。造化の神の偉大な働き。本来ある姿に合致する。道德教化。《文選·曹植·責躬詩》:「玄化滂流,荒服來王。」《文選·潘岳·楊荊州誄》:「茫茫海岱,玄化未周。」

20. 天衢 都の大路。杜甫《自京赴奉先縣詠懷五百字》「天衢陰崢嶸、客子中夜発。」長安の都大路はどんより曇っていて暗い厚い雲がおおっている。こんな日の夜中になって旅客として長安を出発した。

 

 

【参考】

商山四皓:室町時代-塵添壒囊鈔五

秦の始皇帝の時、国難を避けて商山に匿れた四人の老高士のこと、四皓とは鬚眉皓白、故にこれを四皓といふ、その四人は、東園公、綺里季、夏黄公、甪里先生で、漢高祖その名を聞き招聘したが応ぜず、偶々高祖の寵妃戚夫人が上盈太子を廃して自が産んだ趙王如意を立てやうとしたので、太子の生母呂后が之を悲しみ張良を召して之を謀る、張良即ち商山に四皓を訪ひ其出廬を促したこと、史記留僕世家、前漢書にあり、又、『塵添壒囊鈔』に記す処精しい、左に之を引く。

四皓と云ふは皆皓の字を付くる名歟、非爾には、皓は皜の字也、又は皞共書く、皜は胡老の友、白色也と釈せり、四人共に年老いて白髪なる故に是れを四皓と云ふ也、譬へば秦の世の乱を遁れて商洛山に隠れ居るなり、仍商山の四皓といふ、其の名、園公、甪里先生、綺里季、夏黄公也、漢の世に出仕ふる故に漢の四皓と云ふ、高祖の嫡男恵帝を太子と定め給ふと云へ共、愛する戚夫人が子趙王如意をいとほしみて恵帝を捨て如意を太子とせんとし給ひしに、恵帝の母呂后驚きて張良に云ひ合せ給ふに、張良申して曰く是れゆゝしき大事也、但高祖の召仕はいやと思食す者四人ありと云へ共、高祖の御心余りに侈りて人をあなどり給ふ故に漢の臣たらじとて未だ商山に隠居し侍べり、此の事をいみじく口惜く思食せ共不叶して年を経たり、所詮彼等を何にもして召出して太子の輔佐の臣とし給はゞ、君も動し給はじと申しければ呂后兎角して招き寄びて太子に付給へり、其の後高祖宴会し給ひけるに太子出給ふ時、彼の四人伴にありければ、奇みてあれは何人ぞと問ひ給ふに各其の名を謁りけり、其の時高祖大に驚きて我汝を求むる事年久し、何ぞ今我子の賎きに出仕ふると、四皓が申さく、君は人をあなどり給ふ故に不仕、太子は其の性穏にして人生の機に足り給へり、然れば率土の皇民皆以て太子の御為には一命を軽くすべしと承る間、我等も参り仕ふと申しければ、高祖戚夫人に向ひて、彼の四人已に太子を輔佐す、羽翼更に動じ難しとて、恵帝に定りければ、戚夫人涙を流すと云へり、是れ併しながら張良が計ごとに出たり。 

 

 

 

 

 

【字解集】C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈

訪道安陵遇蓋寰為余造真籙臨別留贈 #1

1. (李白は、安陵縣の道觀で、北海の高天師に従がって道術の修業をして、道籙を授かった時、かねてからの交際相手の蓋寰という道家がやはり、道を学ぶため、この道觀にいたが、この人が、天師に銘ぜられて道籙を書いてくれたので、李白は別れに臨み、この詩を蓋寰に贈って、謝意を表した。)

2. 安陵 唐の時、徳州平原郡の有安陵縣は河北道𨽻す。安陵 (河北道南部 德州 安陵)        

3. 真籙道籙 道教のいわば、守り札のようなもので、修行するにつれて、だんだん貴いものを授けられるもの。道教的符籙。凡入道的人必受籙。隋書、道經の者は云う、其の道を受くるの法、初めに、五千文籙を受け、次に三洞籙を受け、次洞𤣥籙を受け、次に上清籙を受く。 籙は皆、素書、諸天曹官屬佐吏の名を紀すること、多少有り。 又、諸符有り、其の間に錯在す。 文章詭怪、世の識受せざる所の者。必ず先ず、齋し、然る後、金環一、并びに、諸贄幣を齎らし、以て師に見ゆ。師、其の贄を受け、籙を以て之に授く。仍って、金環を剖き、各の其の半ばを持し、云うて以て約を爲し、弟子、籙を得、/緘して之を佩ぶ。」 とある。

4. 蓋寰 道家の付き合い人物であるが、不明の人物。

5. 清水見白石 古艶歌行に 「語卿且勿盼、水清石自見。」とあるに基づく。

6. 青童 神話傳中の仙童をいう。 太平廣記 「漢元壽二年八月己酉南岳真人赤君西城王君及諸青童並從王母降於茅盈室」とある。

7. 懸河 勢いよく流れる川。傾斜の急な早瀬の川。懸河の弁水を上から流すように、とどこおりなく弁舌を振るうこと。晉書郭象能清言太尉王衍每云聽象語如懸河瀉水/注而不竭

8. 微言 微妙な言葉。意味の深い言葉。それとなく言うこと。かすかにつぶやくこと。漢書 昔仲尼沒而微言絶。 顔師古註精微要妙之言耳

9. 談論 談話と議論。また、互いに意見を述べて話し合うこと。

10. 神聰聰慧 きわめてかしこい。聰明慧穎。

11. 平原客 平原郡中の幕府の賓客たち。平原 (河北道南部 德州 平原) 鮑照詩、奇聲振朝邑髙價服村平原客、謂平原郡中

12. 北海仙 北海の高天師の如貴をさし、李白は、齊州において、高天師から道籙を授ったのであるが、それは、葢寰が之の書を書いて真籙を造ったものであった。北海の仙とは、謂北海の高天師如貴、太白於齊州、高天師請うて、道籙を授り、故に、葢寰之書を爲し、真籙を造る也。

13. 蕊珠宮 九天上昇上清白闕丹城、寥陽殿が蘂珠である。西昇經 遂に徧歴し九天上昇し、上は清白闕、丹城蘂珠なり。梁の丘子黄庭内景經の註に蘂珠は上清の境の闕の名なり。真靈位業圖に太和殿有り、寥陽殿は蘂珠なり。

14. 丹田 臍下三寸のところをいう。黄庭外景經 丹田の中に精氣微。 梁丘子註に臍下三寸是れ也。

15. 玉闕 腎中の白氣、上、肺と連る。黄庭内景經に「肺部の華葢を似て下り童子有りて玉闕に坐る。 梁の丘子註に玉闕ちは、腎中の白氣上與肺連也。

16. 七元 ありがたい道經の一種で、それにいろいろの名がある。雲笈七籤に引く太微黄書八巻に上經靑眞小童、これを名づけて、七元豁落という。」とある。上經青真小童名之爲豁落七元。

17. 八角 道教の經典,總稱は道藏を為し,道教の一經を為し,古時候、又、以て「雲笈」、「天章」、「寶文」、「神書」、「玉緯」、「金函」、「仙經」、「丹書」、「道書」等で雅名を稱呼す。

18. 三災 世界は成立期(成劫),存続期(住劫),破壊期(壊劫),空漠期(空劫)の 4期(→四劫)が無限に循環するとされ,存続期に人々のうえに現れる 3種の災厄(小の三災)と,破壊期の終末に世界を破壊する 3種の災厄(大の三災)とをいう。小の三災とは,刀兵災(互いに凶器で殺害する),疾疫災(悪病が流行する),飢饉災(干魃による飢饉)の三つ。大の三災とは,火災,水災,風災の三つ。

19. 璿璣 北極星を基本にして天体を観測する器俱をいう。古時測天文的儀器。《書經.舜典》:「在璿璣玉衡,以齊七政。」也作「旋璣」、「璇璣」、「璿機」。

20. 虛無齊始終 宇宙は、始めも終わりもなく、限りなく続いていること。生ある者があの世からこの世へと生まれ、苦しみを味わい、再び死んであの世へ戻っていくという輪廻が無限であること。

21. 北羅酆 北方である羅酆の山。道教傳中的山名。 傳為酆都大帝統領的鬼所。 後附會為四川省豐都縣的平都山, 指為冥府所在之地。 晉葛洪《枕中書》: “ 張衡、 楊雲為北方鬼帝, 治羅酆山。

22. 萬乘墳 乗の尊位にいた帝王でさえも、その墓は決して長く存せず

23. 一科蓬 一叢の蓬

24. 華嵩 五岳の崋山と嵩山のこと。