745-022 寓言三首(卷二四(二)一三九一)  其一(頁一三九一)

 

 

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

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745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8771

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韓愈 哲学・儒学「五原」

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-112#3 寄韓諫議#3 杜詩詳注((卷一七(四)一五○八) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8791

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杜甫詩(1)736~751年  53

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(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

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745-022 寓言三首(卷二四(二)一三九一)  其一(頁一三九一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8765

(何か託する思いを自分の身世の感を述べた三首の一)

むかし、周公が政を摂した時、成王はなお幼弱であったから、自ら斧扆を背にして立ち、天下の諸公を明堂に朝せしめ、成王は悚懼していたにすぎなかった。之より先、武王が不豫であった時、その平癒を祈るがために、自ら爪を切って河岸に投じたという事もあったくらいで、一身を以て国家の難に変わろうとした。周公はかくのごとく賢者であり、聖人であるにかかわらず、羣小からそねまれて、讒慝に遭い、おまけに、成王は、人君としてなお癡騃たるを免れることはない。一時、周公を疎外したものだから、天風にわかに起こって、大木を抜き、せっかく熟しかかった稲も、みな臥してしぼんでしまった。それは、管叔蔡叔のふたりが、蒼蠅のような小人を扇動したからで、周公が鴟鴞の詩を作って、感遇の思いを寄せられたのももっとも至極なことである。それから、成王は金滕の筐を開いて、周公の書いたものを発見しその忠信を感ぜられたからよかったが、もし金滕をかなければ、周公は、いつまでも、寃をおうて、せっかくの忠信を誰も明らかにしてくれず、終古の怨みを残したに相違ない。

 

 745-022 -#1

寓言三首(卷二四(二)一三九一)  其一-#1

全唐詩巻183-05#1

李白集校注(卷二四(二)一三九#1

李太白集巻二三-24#1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8765

 


長安城夾城01
詩文
(含異文)     寓言,三首之一

周公負斧扆,成王何夔夔。武王昔不豫,剪爪投河湄。賢聖遇讒慝,不免人君疑。天風拔大木,禾黍咸傷萎。管蔡扇蒼蠅,公賦鴟鴞詩。金滕若不,忠信誰明之。

 

詩文(含異文)     寓言,三首之二

搖裔雙彩鳳,婉孌三青禽。往還瑤臺裡,鳴舞玉山岑。以歡秦娥意,復得王母心。區區精衛鳥,銜木空哀吟【銜木空沈吟】。

 

詩文(含異文)     寓言,三首之三

長安春色歸,先入青門道。綠楊不自持,從風欲傾倒。海燕還秦宮,雙飛入簾櫳。相思不相見,託夢遼城東。

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

(卷二四(二)一三九

183-05

巻二三-24

詩題

寓言三首(卷二四(二)一三九一)  其一(頁一三九一)

文體

五言古詩  

 

詩序

0

     初句

周公負斧扆,成

天寶四年  745  45

 

作地點

目前尚無資料

及地點

 

 

 

 

 

 

交遊人物/交遊地點

0

李白集校注タイトル大明宮正面 003 

寓言,三首之一

(何か託する思いを自分の身世の感を述べた三首の一)

周公負斧扆,成王何夔夔。

むかし、周公が政を摂した時、成王はなお幼弱であったから、自ら斧扆を背にして立ち、天下の諸公を明堂に朝せしめ、成王は悚懼していたにすぎなかった。

武王昔不豫,剪爪投河湄。

之より先、武王が不豫であった時、その平癒を祈るがために、自ら爪を切って河岸に投じたという事もあったくらいで、一身を以て国家の難に変わろうとした。

賢聖遇讒慝,不免人君疑。

周公はかくのごとく賢者であり、聖人であるにかかわらず、羣小からそねまれて、讒慝に遭い、おまけに、成王は、人君としてなお癡騃たるを免れることはない。

天風拔大木,禾黍咸傷萎。

一時、周公を疎外したものだから、天風にわかに起こって、大木を抜き、せっかく熟しかかった稲も、みな臥してしぼんでしまった。

管蔡扇蒼蠅,公賦鴟鴞詩。

それは、管叔蔡叔のふたりが、蒼蠅のような小人を扇動したからで、周公が鴟鴞の詩を作って、感遇の思いを寄せられたのももっとも至極なことである。

金滕若不,忠信誰明之。

それから、成王は金滕の筐を開いて、周公の書いたものを発見しその忠信を感ぜられたからよかったが、もし金滕をかなければ、周公は、いつまでも、寃をおうて、せっかくの忠信を誰も明らかにしてくれず、終古の怨みを残したに相違ない。

 

寓言,三首之一

周公斧を負い,成王 何んぞ夔夔たる

武王 昔 不豫,爪を剪って河のに投ず

賢聖 讒慝に遇い,人君の疑を免れず。

天風 大木を拔き,禾黍 咸な傷萎す。

管蔡 蒼蠅を扇り,公は賦す 鴟詩。

金滕 若しかずんば,忠信 誰か之を明かにせん。

 

 

  寓言三首

 

周公負斧扆,成王何夔夔。武王昔不豫,剪爪投河湄。

賢聖遇讒慝,不免人君疑。天風拔大木,禾黍咸傷萎。

管蔡扇蒼蠅,公賦鴟鴞詩。金滕若不,忠信誰明之。

逸周書 成王嗣 弱未能踐天子之位    

周公攝政、君天下弭 亂六年而天下大治、乃方國諸侯於宗周、大諸侯明堂之位、天子之位

負斧扆、南面立。」 

禮記、明堂位、昔者周公朝諸侯於明堂之位、天子負斧依南而立。鄭康成注、負之言背也。

斧依為斧丈屏風於牖之間、周公於前立焉、孔頴達。

禮記正義、天子、當依而立者依狀如屏風以絳為質髙八尺東西當牖之間繡為斧文也。

亦曰斧依故覲禮曰天子設斧依於牖之間左右凡天子冕負斧依鄭注云依如今綈素屏風也。

有繡斧文所以示/威也。爾雅云牖之間謂之扆郭注云窻東西也。

此諸解是設依於廟堂牖之間天子見諸侯則依而立負之而南面以對諸侯也扆依古字通用書舜典夔

夔齋慄孔安國傳夔夔悚懼貌尚書既克商二年王有疾弗豫二公曰我其為王穆卜周公曰未可以戚我先

王公乃自以為功為三壇同墠為壇於南方北面周公立焉植璧秉珪乃告太王王季文王公歸納册於金縢

之匱中王翼日乃瘳武王既喪管叔及其羣弟流言於國曰公將不利於孺子周公乃告二公曰我之弗辟我

無以告我先王周公居東二年則罪人斯得於後公乃為詩以貽王名之曰鴟鴞王亦未敢誚公秋大熟未穫

天大雷電以風禾盡偃大木斯邦人大恐王與大夫盡弁以金滕之書得周公所自以為功代武王之

王執書以泣曰昔公勤勞王家惟予冲人勿及知今天動威以彰周公之徳惟朕小子其親迎我國家禮亦宜

之王出郊天乃雨反風禾則盡起則大熟 

史記列傳、昔周成王初立未離襁褓周公旦負王以朝卒定天下及成王有病甚殆周公旦自揃其爪以沈於河。

曰王未有識是旦執事有罪殃旦受其不祥乃書而藏之

記府及王能治國有賊臣言周公旦欲為亂矣王若不備必有大事王乃大怒周公旦走而奔於楚成王觀

於記府得周公旦沈書乃流涕曰孰謂周公旦欲為亂乎殺言之者而反周公旦魯世家亦載此事太白此詩

盖合二事而互言之蕭士贇曰此懼讒詩也隠括金縢之事以申其意 扆隠綺切衣上聲同倚

 

 

  其二

遙裔雙綵鳳婉孌三青禽往還瑶臺裡鳴舞玉山岑以

歡秦娥意復得王母心區區繆本作/驅驅精衛鳥銜木空哀吟

盧思道詩丰茸雞樹遙裔鶴烟稠毛萇詩傳婉孌/少好貌山海經三青鳥皆西王母使也詳六巻注瑶

臺玉山皆西王母之居見五巻注江淹詩願乗青鳥翼/徑出玉山岑秦娥謂秦穆公女弄玉也見六巻注精衛

銜木填海見一巻大鵬賦注蕭士贇曰此刺當時出入/掖取媚后妃公主以求爵位者綵鳳青禽以比佞

瑶臺玉山以比掖秦娥以比公主王母以比后妃精/衛銜木以比小臣懐區區報國之心盡忠竭誠而不見

知其意微而顯/矣 裔音曳

 

 

  其三

長安春色歸先入青門道緑楊不自持從風欲傾倒海

燕還秦雙飛入簾櫳相思不相繆本/作可見託夢遼城東

雍錄青門在漢都城為東面南來第一門即邵平種瓜/之地也謝惠連詩升月照簾櫳文櫳房室之疏也

置遼西遼東二郡因在遼水之西東而名在唐時遼西/為柳城郡及北平郡之東境遼東為安東都護府之地

外與奚契丹室韋靺鞨諸夷相接皆邊城也有兵戍之/蕭士贇曰此閨思詩也良人從軍滔滔不歸感時觸物

而動懐人之思者歟綠楊海燕以起興/也婉然國風之體所謂聖於詩者此哉

 

 

 

《寓言,三首之一》現代語訳と訳註解説
(
本文)
 
寓言,三首之一

周公負斧扆,成王何夔夔。

武王昔不豫,剪爪投河湄。

賢聖遇讒慝,不免人君疑。

天風拔大木,禾黍咸傷萎。

管蔡扇蒼蠅,公賦鴟鴞詩。

金滕若不,忠信誰明之。

 

(下し文)
寓言,三首之一

周公斧を負い,成王 何んぞ夔夔たる

武王 昔 不豫,爪を剪って河のに投ず

賢聖 讒慝に遇い,人君の疑を免れず。

天風 大木を拔き,禾黍 咸な傷萎す。

管蔡 蒼蠅を扇り,公は賦す 鴟詩。

金滕 若しかずんば,忠信 誰か之を明かにせん。

 

(現代語訳)

(何か託する思いを自分の身世の感を述べた三首の一)

むかし、周公が政を摂した時、成王はなお幼弱であったから、自ら斧扆を背にして立ち、天下の諸公を明堂に朝せしめ、成王は悚懼していたにすぎなかった。

之より先、武王が不豫であった時、その平癒を祈るがために、自ら爪を切って河岸に投じたという事もあったくらいで、一身を以て国家の難に変わろうとした。

周公はかくのごとく賢者であり、聖人であるにかかわらず、羣小からそねまれて、讒慝に遭い、おまけに、成王は、人君としてなお癡騃たるを免れることはない。

一時、周公を疎外したものだから、天風にわかに起こって、大木を抜き、せっかく熟しかかった稲も、みな臥してしぼんでしまった。

それは、管叔蔡叔のふたりが、蒼蠅のような小人を扇動したからで、周公が鴟鴞の詩を作って、感遇の思いを寄せられたのももっとも至極なことである。

それから、成王は金滕の筐を開いて、周公の書いたものを発見しその忠信を感ぜられたからよかったが、もし金滕をかなければ、周公は、いつまでも、寃をおうて、せっかくの忠信を誰も明らかにしてくれず、終古の怨みを残したに相違ない。

 

(訳注) 
寓言,三首之一

1. (何か託する思いを自分の身世の感を述べた三首の一)

2.  寓言 自己の思いを、具体的実に託し、事実を借りていうこと。

 

周公負斧扆,成王何夔夔。

むかし、周公が政を摂した時、成王はなお幼弱であったから、自ら斧扆を背にして立ち、天下の諸公を明堂に朝せしめ、成王は悚懼していたにすぎなかった。

3. 周公  中国、周の政治家。文王の子。名は旦。兄の武王を助けて殷(いん)を滅ぼし、武王の死後、幼少の成王を助けて王族の反乱を鎮圧。また、洛邑(洛陽)を建設するなど周王室の基礎を固めた。礼楽・制度を定めたといわれる。

4. 斧扆 当時の家屋構造は,後世のように壁による間仕切りがきちっとなされていなかった。〈屛風〉の語が熟するのは漢代からで,それ以前は〈斧扆(ふい)〉〈斧依〉が屛風にあたる。屛風の面に斧文が刺繡されていて,これによりかかるものであったので斧扆と呼ばれた。

5. 成王 周朝の第2代の王。武王の子。「成王」とは諡号ではなく、生前からの称号である。易姓革命後、わずか2年で崩御してしまった父の武王の後を継いで即位する。成王誦は即位した時はまだ幼少であったので、実際の政務は母の邑姜、叔父の周公旦、太公望呂尚、召公奭(燕の開祖)らが後見した。成王が成長すると、自ら政務を執るも、『史記』周本紀によると、若くして崩御したと記されている。

 

武王昔不豫,剪爪投河湄。

之より先、武王が不豫であった時、その平癒を祈るがために、自ら爪を切って河岸に投じたという事もあったくらいで、一身を以て国家の難に変わろうとした。

6. 武王 周朝の創始者。殷を滅ぼし、周を立てた。文王の次子。同母兄に伯邑考、同母弟に管叔鮮、周公旦、蔡叔度、霍叔処、康叔封らがいる。父の西伯昌(文王)が死んだあと、呂尚(太公望)や周公旦を左右に父の事業の継承に励んだ。

7. 剪爪 成王が病で何もできないとき、周公旦は自分の爪を切って川に沈めたという事。史記列傳に、「昔周の成王、初めて立つ未だ襁褓を離れず、周公旦、王に負うて以て朝卒し、天下を定む。成王病い有り、甚だ殆きに及び周公旦、自ら其の爪を揃り、以て河に沈む。」と見えることに。基づく。

 

賢聖遇讒慝,不免人君疑。

周公はかくのごとく賢者であり、聖人であるにかかわらず、羣小からそねまれて、讒慝に遭い、おまけに、成王は、人君としてなお癡騃たるを免れることはない。

 

天風拔大木,禾黍咸傷萎。

一時、周公を疎外したものだから、天風にわかに起こって、大木を抜き、せっかく熟しかかった稲も、みな臥してしぼんでしまった。

 

管蔡扇蒼蠅,公賦鴟鴞詩。

それは、管叔蔡叔のふたりが、蒼蠅のような小人を扇動したからで、周公が鴟鴞の詩を作って、感遇の思いを寄せられたのももっとも至極なことである。

8. 管蔡、鴟鴞 周の武王が崩御し、子の成王が立ったが、まだ幼かったので、弟の周公旦が国政を代行した。しかし、その弟である管叔と蔡叔らは周公旦を疑い、殷の帝辛(紂王)の子である武庚禄父とともに反乱を起こして成周を攻撃しようとした。そこで周公旦は成王の命により出兵して反乱軍を討ち、首謀者である管叔と武庚禄父を誅殺し、蔡叔を放逐した。

9. 鴟鴞詩 周公旦が親鳥の言葉に託して、我が子を自分の兄弟鴟鴞詩に比し、武庚が弟たちをそそのかし、三監の乱を起こしたことに喩えた。鴟梟・鴟鴞 ① フクロウの異名。  奸悪かんあくな人をたとえていう語。 《詩經國風鴟鴞》「鴟鴞鴟鴞,既取我子,無毀我室!恩斯勤斯,鬻子之閔斯。」のことをいう。

 

金滕若不,忠信誰明之。

それから、成王は金滕の筐を開いて、周公の書いたものを発見しその忠信を感ぜられたからよかったが、もし金滕をかなければ、周公は、いつまでも、寃をおうて、せっかくの忠信を誰も明らかにしてくれず、終古の怨みを残したに相違ない。

10. 周公旦(しゅうこう たん)は、中国周王朝の政治家。姓は姫、諱は旦。魯の初代の公である伯禽の父。呂尚(太公望)や召公奭と並ぶ、周建国の功臣の一人である。武王の死により、武王の少子(年少の子)の成王が位に就いた。成王は未だ幼少であったため、旦は燕の召公と共に摂政となって建国直後の周を安定させた。

その中で三監の乱(中国語版)が起きた。殷の帝辛の子の武庚(禄父)は旦の三兄の管叔鮮と五弟の蔡叔度、さらに八弟の霍叔処ら三監に監視されていた。だが、霍叔処を除く二人は旦が成王の摂政に就いたのは簒奪の目論見があるのではと思い、武庚を担ぎ上げて乱を起こしたのである。反乱を鎮圧した旦は武庚と同母兄の管叔鮮を誅殺し、同母弟の蔡叔度は流罪、霍叔処は庶人に落とし、蔡叔度の子の仲胡に蔡の家督を継がせた。

その後、7年が経ち成王も成人したので旦は成王に政権を返して臣下の地位に戻った。その後、雒邑(洛陽)を営築し、ここが周の副都となった。

また旦は、礼学の基礎を形作った人物とされ、周代の儀式・儀礼について書かれた『周礼』、『儀礼』を著したとされる。旦の時代から遅れること約500年の春秋時代に儒学を開いた孔子は魯の出身であり、文武両道の旦を理想の聖人と崇め、常に旦のことを夢に見続けるほどに敬慕し、ある時に夢に旦のことを見なかった(吾不復夢見周公)ので「年を取った」と嘆いたという。

「周公」の称号については旦は周の故地である岐山に封じられて周の公(君主)となったのでこう呼ばれるのではないかとの説もある。また、武王が崩御した後に旦は本当は即位して王になっており、その後成王に王位を返したのではないかとの説もある。