745-028-#3巻178-16 酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招(卷十九(二)一一一五)
745-028-#3巻178-16 酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招(卷十九(二)一一一五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8873
俄然、お手紙をを拝見するに及んで飢渴に等しい平生相思の情を慰めるものであった。さてこれから、いよいよ出発するのである、馬に鞭うって、山月を望みつつ、馳せてゆくとやがて途が付きて、元丹邱の庵の階墀に到着するそこで、一たび会面すれば、さながら、仙界の瓊樹の枝を見たような感じがするに違いない。君を憶って、そして慕って遠路であることもいとわず出かけてきたけれど思ったより早く行き着いたのは誠に嬉しい。
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酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招 (卷十九(二)一一一五) -#3 |
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全唐詩巻178-16#3 |
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李白集校注卷十九(二)一一一五#3 |
李太白集巻一五-19#3 |
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黃鶴東南來,寄書寫心曲。倚松開其緘,憶我腸斷續。
不以千里遙,命駕來相招。
#2
中逢元丹丘,登嶺宴碧霄。對酒忽思我,長嘯臨清飆。
蹇予未相知,茫茫綠雲垂。
#3
俄然素書及,解此長渴飢。策馬望山月,途窮造階墀。
喜茲一會面,若睹瓊樹枝。憶君我遠來,我歡方速至。
#4
開顏酌美酒,樂極忽成醉。我情既不淺,君意方亦深。
相知兩相得,一顧輕千金。且向山客笑,與君論素心。
卷別 | 李白集校注 | 全唐詩 | 李太白集 |
卷十九(二)一一一五 | 巻178-16 | 巻一八-16 | |
詩題 | 酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招(卷十九(二)一一一五) | ||
文體 | 五言古詩 | | |
詩序 | 0 | ||
初句 | 黃鶴東南來,寄 | 天寶四年 745年 45歲 | |
作地點 | 潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽) | ||
及地點 | 無 | ||
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交遊人物/交遊地點 | 岑勛 | 當地交遊(都畿道 河南府 潁陽) | |
交遊人物/交遊地點 | 元丹丘 | 當地交遊(都畿道 河南府 潁陽) |
酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招-#1
(岑勛という人が、使いを持って起居を候せしめ、そして元丹邱のところで酒宴をして待っているから、ぜひ来いという意味を詩に言い表して特に招請したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。)
黃鶴東南來,寄書寫心曲。
黃鶴が一羽、東南より飛び來り、君からの書面を届けて、細々とした御心使いのほどを写してあった。
倚松開其緘,憶我腸斷續。
そこで、松の木樹に倚りかかり、その封を開いて読んでみると、私の様なものをわざわざお心にかけて、心腸が断続されるような趣も明らかに見える。
不以千里遙,命駕來相招。
殊に千里の遠きにかかわらず、駕を命じ、特に使いを以て招かれたのは官舎の言葉もない程である。
(岑勛 尋ねられ 元丹丘に就き 酒に對して相い待ち 以詩をって招かるるに酬ゆ)-#1
黃鶴 東南より來り,書を寄せて 心曲を寫す。
松に倚って 開其の緘をけば,我を憶うて 腸 斷續するを。
以千里の遙なるを,駕を命じて 來って相い招く。
中逢元丹丘,登嶺宴碧霄。
中にも、元丹邱におあいになったとかで、山の嶺に登って、さながら碧霄の上のようなところで宴をひらいたのだ。
對酒忽思我,長嘯臨清飆。
そして折から、酒に対して、我を思い出で、長嘯して清風に向い、やがてこちらに向って音信を寄せられたものと推察する。
蹇予未相知,茫茫綠雲垂。
ああ、自分は、このような事は、一向知らず、青天のもと、茫茫として綠雲の垂るるところにたっている。
#2
中に元丹丘に逢い,嶺に登って 碧霄に宴す。
酒に對して忽ち我を思い,長嘯 清飆に臨む。
蹇たる予が未だ相い知らず,茫茫として 綠雲垂る。
#3
俄然素書及,解此長渴飢。
俄然、お手紙をを拝見するに及んで飢渴に等しい平生相思の情を慰めるものであった。
策馬望山月,途窮造階墀。
さてこれから、いよいよ出発するのである、馬に鞭うって、山月を望みつつ、馳せてゆくとやがて途が付きて、元丹邱の庵の階墀に到着する
喜茲一會面,若睹瓊樹枝。
そこで、一たび会面すれば、さながら、仙界の瓊樹の枝を見たような感じがするに違いない。
憶君我遠來,我歡方速至。
君を憶って、そして慕って遠路であることもいとわず出かけてきたけれど思ったより早く行き着いたのは誠に嬉しい。
#3
俄然とした 素書及び,此の長渴 飢解く。
馬に策って 山月を望み,途 窮って階墀に造【いた】る。
茲の一會面を喜び,瓊樹の枝を睹るが若し。
君を憶うて我遠く來り,我 歡んで方に 速かに至る。
《酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招》現代語訳と訳註解説
(本文)
#3
俄然素書及,解此長渴飢。策馬望山月,途窮造階墀。
喜茲一會面,若睹瓊樹枝。憶君我遠來,我歡方速至。
(下し文)
#3
俄然とした 素書及び,此の長渴 飢解く。
馬に策って 山月を望み,途 窮って階墀に造【いた】る。
茲の一會面を喜び,瓊樹の枝を睹るが若し。
君を憶うて我遠く來り,我 歡んで方に 速かに至る。
(現代語訳)
俄然、お手紙をを拝見するに及んで飢渴に等しい平生相思の情を慰めるものであった。
さてこれから、いよいよ出発するのである、馬に鞭うって、山月を望みつつ、馳せてゆくとやがて途が付きて、元丹邱の庵の階墀に到着する
そこで、一たび会面すれば、さながら、仙界の瓊樹の枝を見たような感じがするに違いない。
君を憶って、そして慕って遠路であることもいとわず出かけてきたけれど思ったより早く行き着いたのは誠に嬉しい。
(訳注)
酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招-#1
1. (岑勛という人が、使いを持って起居を候せしめ、そして元丹邱のところで酒宴をして待っているから、ぜひ来いという意味を詩に言い表して特に招請したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。)
2. 岑勛 隠遁者の
3. 元丹丘 元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。
#3
俄然素書及,解此長渴飢。
俄然、お手紙をを拝見するに及んで飢渴に等しい平生相思の情を慰めるものであった。
策馬望山月,途窮造階墀。
さてこれから、いよいよ出発するのである、馬に鞭うって、山月を望みつつ、馳せてゆくとやがて途が付きて、元丹邱の庵の階墀に到着する
喜茲一會面,若睹瓊樹枝。
そこで、一たび会面すれば、さながら、仙界の瓊樹の枝を見たような感じがするに違いない。
7. 瓊樹枝 ①像上の木の名。玉を生ずるという珍しい木。崑崙山の西にあるという。《李商隠・南朝》「誰言瓊樹朝朝見、不及金蓮歩歩来」(誰か言ふ瓊樹朝朝に見はると、及ばず金蓮の歩歩来たりしに」②玉のように美しい木。③人格がすぐれていることのたとえ。
南 朝
玄武湖中玉漏催、鶏鳴埭口繍襦廻。
誰言瓊樹朝朝見、不及金蓮歩歩來。
敵国軍營漂木柹、前朝神廟鎖煙煤。
満宮学土皆顔色、江令當年只費才。
楽遊園に造った玄武湖で宋の文帝は、行楽し、玉の水時計に急かされ時を惜しんで遊び耽った。楽遊園の堤は鶏鳴埭と名づけられるほど南斉の武帝は行幸し、お付の官女たちの短いうす絹の襦袢が旋舞するのに興じた。誰が言うのか、陳後主の張貴妃や孔貴嬪、光り輝く宝玉のように美しい樹が朝な朝な立ち現われる美しさと荒淫。それが一足歩む度に美しき黄金の蓮が咲かせた南斉東昏侯の潘妃にしたことが劣るなどというのか。敵国である隋の陣営は、木くずを流して戦艦建造中と警告したのに、対する陳朝では、先帝の祭祀の日も後宮から出ず荒淫に耽り、霊廟もすすけたままだった。千人以上の宮女たちをあつめ、宮廷に女学士を選定し、いずれ劣らぬ美貌揃いであふれた。尚書令の江総は、当時、後主の荒淫の賛辞にひたすら詩文の才能を費したのである。
南朝(南斉の武帝と陳の後主)李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集
南 朝
地險悠悠天險長、金陵王気應瑤光。
休誇此地分天下、只得徐妃半面粧。
地勢の恵み自然の要害によるはるかかなたまでの領土、天から気候、風土の恵みにより、長い距離移動、穀物生産による豊かな国。金陵という名は、昔から王気漂う運気の強いところ、天界の斗宿とも合致応じている。
これだけの国力があって、自分の国を誇れるまではない、漢民族が南を制しているだけで天下を二分されたままだ。ご自分の王妃、徐妃でさえ顔の半分だけに化粧をして馬鹿にされたと同様、たかだか全土の半分しか領土にし得なかったということだ。
南朝(梁・元帝) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 47
憶君我遠來,我歡方速至。
君を憶って、そして慕って遠路であることもいとわず出かけてきたけれど思ったより早く行き着いたのは誠に嬉しい。
8. 君 元丹邱。