2017616

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年-07 【字解集】007 a.過四皓墓 b.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招 c.鳴皋歌奉餞從翁清歸五崖山居Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8903

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745年-06 【字解集】006 【字解集】 a.寓言三首  b.登廣武古戰場懷古 c.單父東樓秋夜送族弟沈之秦Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8844

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-115 先生-巻八-01#34城南聯句 §8-2 【韓愈、孟郊】【此首又見張籍集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8904

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745年-05 【字解集】005 【字解集】 a.留別王司馬嵩 B.商山四皓  C.訪道安陵遇蓋寰為予造真籙臨別留贈 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8772

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-130五律  洛陽(卷一七(四)一五二五)五律 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8917

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767年-集-17 【字解集】  ・解悶十二首 杜詩詳注( Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8882

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (223)回目張泌 《巻四48 南歌子三首 其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8906

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花間集 訳注解説 (219)回目張泌 《張泌【字解集】 ―2 a. 臨江仙 b. 女冠子 c.河傳二首 D.酒泉子二首 E.子 F.思越人 》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8882 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二24 樂府詩七首 其五明月篇 -#1〔傳玄〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8907

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玉集-014【字解集】  樂府二首 【字解集】詠懷詩二首    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8806

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.14 薛濤 《酬人雨後玩竹 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ8908

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

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-07 【字解集】007 a.過四皓墓   b.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招   c.鳴皋歌奉餞從翁清歸五崖山居Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8903

 

 

河南府汝州許州襄陽 地図01李白の足跡図 01關中 絵地図00

【字解集】 a.過四皓墓  

過四皓墓 #1

1.(四皓の墓を通り過ぎるとき、これを弔う気持ちを表して作ったもの)

2. 四皓墓 太平寰宇記に 「四皓の墓は商州上洛縣西四里に在り。」といい、 雍勝畧に「四皓の墓は商州の西四里、金雞原に在り。」といっている。

745-020-#1 商山四皓(卷二二(二)一二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8723

3. 商洛 商山と洛水の間。陝西省の東南部に位置し、渭南市、西安市、安康市、河南省、湖北省に接する。  市名は区内に位置する商山、洛水による。李白《春陪商州裴使君遊石娥溪(卷二十(二)一一七○)(巻19-22)》「剖竹商洛間,政成心已閑。」(竹を剖く 商洛の間,政成って 心 已に閑なり。)かくて、符を割いて商洛の地の長官になり、心は清閑であり、施政はよくなされているのである

4. 園綺 東園公、綺里季の“四皓”をいう。秦末隱士東園公、夏黃公、綺里季、甪里の四人。

5. 雲蘿 隠棲の場所を比喩的に言う。

6. 鍊金鼎 金丹を錬る鼎。

7. 玉泉 美しい水がわき出ている泉。ここは、隠棲者がいて金丹を錬って修行をしていたが、今誰もいなくて荒れ果てていることを言う。

8. 木魅 賈公彦周禮疏魅人靣獸身而四足好感人山林異氣所生為人害説文魅老精物也。

9. 山精 抱朴子山精之形如小兒而獨足走向後喜来犯人人入山若夜聞人音聲大語其名曰跂知而呼之即不敢犯人也。 一名熱内亦可兼呼之又有山精如鼓赤色亦一足其名曰暉

異苑𤣥中記山精如人一足長三四尺食山蟹夜出晝藏鮑照蕪城賦木魅山鬼野城狐風嘷雨嘯昏見晨

10. 紫芝 植物名。多孔菌科靈芝屬。生於枯朽的樹木的根際。マンネンタケ.紫芳草。靈芝などの仙草。・商山四皓。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。画題とされる。また、・龐德公 東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。李白《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄》「涉雪搴紫芳,濯纓想清波。」(雪を涉って紫芳を搴り,纓を濯って清波を想う。雪が積もっている間を渉って、紫芝などの仙草を摘み、冠の纓をあらって清波を懐かしく思うのである。

149-4 《答長安崔少府叔封,遊終南翠微寺,太宗皇帝金沙泉見寄 (4)Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <149-4> Ⅰ李白詩1345 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5273

11. 青史 歴史や記録のこと。殺青(さっせい)、汗青(かんせい)、汗簡(かんかん)ともいう。紙が発明される以前の古代中国では、青竹で簡札(竹簡)をつくり、これを火であぶって油を抜き、青みをとってから、これに漆で字を書いて書物としていたので、この名がある。李白(りはく)の「四皓(しこう)の墓を過ぐるの詩」に「青史に旧名伝わる」とあり、白楽天の「浩歌行(こうかこう)」に「青史の功名何(いず)れの処(ところ)にかある」とあるのは、いずれも青史の語を歴史の意に用いたものである。

青史 李善の註に「漢書に青史子有り、音義に曰く古しえの史官、事を記す。

 

 

 

 

 

【字解集】 b.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招  

酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招-#1

1. (岑勛という人が、使いを持って起居を候せしめ、そして元丹邱のところで酒宴をして待っているから、ぜひ来いという意味を詩に言い表して特に招請したことにより、これに答えて作り、そして後から行くというものである。)

2.  岑勛 隠遁者の友人である。

王琦の解に「世に、顔魯公書する所の西京千福寺多寳佛塔碑を傳う、乃ち天寳十一載建つ所、其の文は、為南陽の岑勛所撰するところ、疑うらくは卽ち此人、勛。

3. 元丹丘 元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

 

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6.潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

13-13

14.江上寄元六林宗

739年開元二十七年39

09-01

15.秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

741年開元二十九年

06-07

9. 西嶽雲臺歌送丹丘子

743年天寶二年

18-11

8. 以詩代書答元丹丘

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 

 以上の十三首+二首である。

 743年(56)李白 卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》(西嶽崢嶸何壯哉,) kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7118

4. 心曲 細々とした心の思い。  《詩経、秦風、小戎》「在其板屋、亂我心曲.」(その板屋に在りて 我が心曲を亂る)西域の板屋に寝起きされてさぞかし不自由な生活をされていることだろう、それを思えばわが心も千々に乱れるのである。

 5. 命駕 世説「嵆康、呂安と善し、一たび相思禹ごとに、千里駕をめいず。」とあり、李白《贈崔侍御》「不取回舟興。 而來命駕尋。」(回舟の興を取らず、爾来、駕を命じて尋ぬ。)とつかう

6. 蹇予 発語の助詞。《楚辞 九歌第二 雲中君》「蹇將憺兮壽宮、與日月兮齊光。」(蹇、まさに寿宮に憺んぜんとして、日月と光を斉しくす。)

7. 瓊樹枝 ①像上の木の名。玉を生ずるという珍しい木。崑崙山の西にあるという。《李商隠・南朝》「誰言瓊樹朝朝見、不及金蓮歩歩来」(誰か言ふ瓊樹朝朝に見はると、及ばず金蓮の歩歩来たりしに」②玉のように美しい木。③人格がすぐれていることのたとえ。

南 朝 
玄武湖中玉漏催、鶏鳴埭口繍襦廻。
誰言瓊樹朝朝見、不及金蓮歩歩來。
敵国軍營漂木柹、前朝神廟鎖煙煤。
満宮学土皆顔色、江令當年只費才。

楽遊園に造った玄武湖で宋の文帝は、行楽し、玉の水時計に急かされ時を惜しんで遊び耽った。楽遊園の堤は鶏鳴埭と名づけられるほど南斉の武帝は行幸し、お付の官女たちの短いうす絹の襦袢が旋舞するのに興じた。誰が言うのか、陳後主の張貴妃や孔貴嬪、光り輝く宝玉のように美しい樹が朝な朝な立ち現われる美しさと荒淫。それが一足歩む度に美しき黄金の蓮が咲かせた南斉東昏侯の潘妃にしたことが劣るなどというのか。敵国である隋の陣営は、木くずを流して戦艦建造中と警告したのに、対する陳朝では、先帝の祭祀の日も後宮から出ず荒淫に耽り、霊廟もすすけたままだった。千人以上の宮女たちをあつめ、宮廷に女学士を選定し、いずれ劣らぬ美貌揃いであふれた。尚書令の江総は、当時、後主の荒淫の賛辞にひたすら詩文の才能を費したのである。

(南斉の武帝と陳の後主)李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集

南 朝 
地險悠悠天險長、金陵王気應瑤光。
休誇此地分天下、只得徐妃半面粧。

地勢の恵み自然の要害によるはるかかなたまでの領土、天から気候、風土の恵みにより、長い距離移動、穀物生産による豊かな国。金陵という名は、昔から王気漂う運気の強いところ、天界の斗宿とも合致応じている。
これだけの国力があって、自分の国を誇れるまではない、漢民族が南を制しているだけで天下を二分されたままだ。ご自分の王妃、徐妃でさえ顔の半分だけに化粧をして馬鹿にされたと同様、たかだか全土の半分しか領土にし得なかったということだ。

南朝(梁・元帝) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 47

8. 君 元丹邱。

 

 

 

 

 

【字解集】 c.鳴皋歌奉餞從翁清歸五崖山居

鳴皋歌奉餞從翁清歸五崖山居#1

1. (李白の叔父で、李淸という人が、五崖峡に隠居するというのでこの詩を作り、隠居の場所が、鳴山ということで、鳴歌と題したもの。)

2. 鳴皋 太平寰宇記「鳴山河南府伊陽縣東三十五里に在り、伊陽縣は本と陸渾の地、唐の先天元年十二月、陸渾縣を割いて伊陽縣を置く。伊水の陽に在り、伊水を去ること一里。

3. 從翁 父の兄弟、叔父を言う。

4. 五崖 鳴皋山中の渓谷のどこかである。

5. 素月 明月。

6.  側身西望 張衡、四愁詩に「側身西望涕沾裳」

7. 麒麟閣 太平御覽「漢殿疏に曰く、「麒麟閣は蕭何造る、以て秘書を藏し、賢臣を畫く。」

8. 伊陽 伊陽縣は本と陸渾の地、唐の先天元年十二月、陸渾縣を割いて伊陽縣を置く。伊水の陽に在り、伊水を去ること一里。

9. 草聖 法書要錄に「𢎞農の張芝、高尚にして仕えず、草書を善くし、精勁絶倫、家の衣帛、必ず先づ書して後に練る。池に臨んで書を學ぶ。池水盡く黒し。每に書して云う。匆匆、草書に暇らずと。人、之を草聖と謂う。とあるに基づく。

10. 翠雲裘 仙人の着る緑色のふかふかの皮衣ということである。宋玉諷賦に、「主人之女、翳承日之華、披翠雲之裘。」 とあるに基づく。

11. 袖拂紫煙去 この二句は、叔父の棲むところ、叔父のいでたちを言う。

さてここを去り、間もなくすれば嵩山の奥深いところへ、嵩山の太室、少室の間に行かれるであろうから、その時は、私がここにいることを思い出してくれれば「相思」の間柄であるから、彼の有名な「三花の樹」を折って、送り届けてもらいたいものである。

12. 嵩少間 嵩山の72峰の中核をなす、太室と少室の間のあたりを言うのであろう。隠遁の場所として昇天するに良い場所を言う。水經に嵩高 中岳と爲し、潁川陽城縣の西北に在り。」とあり、酈道元の註に「爾雅に曰く、山大にして高きを嵩と曰う。合して之を言えば、嵩高爲り、分って之を名づくれば、二室爲り。西南を少室と爲し、東/北を太室と爲す。」とある。河南省中部,属伏牛山系,地登封市西北面,是五岳的中岳。积约为450平方公里,嵩山又分少室山和太室山两部分,共72峰,最高峰天峰高达1512米,峻极峰海拔1494米,古曰:“嵩高岳,峻极于天

相思 元来男女の思いに使う場合が多いが、李白は平然と多く使う。相思相愛ばかりでなく片思いの一方的な思いの場合もある。李白《巻八29贈參寥子》「相思在何處、桂樹青云端。」(相思 何れの處に在からん、桂樹 青云の端にある。ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。

李太白集315 巻八29贈參寥子  Ⅰ李白詩1811 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7595

13. 為折 木を折って思いと遂げるという事。

14. 三花樹 貝多樹。一年に三回美しい花を咲かせる樹。道教總廟三清宮の三清道祖道教經典にいう。三花樹、卽貝多樹也。齊民要術に「嵩山記に曰く嵩寺中、忽ち思惟樹有り、卽ち貝多也。 昔、人有り、貝多樹の下に坐して思惟す。 因って以て名づく。 漢の道士、外國より來る。子をもって西山の脚下において種う。極めて高大、今、四樹有り、一年に三たび花さく。」とある。