745年 n-33 贈崔侍郎【贈崔侍御】(卷九(一)六五一)

 

 

201793

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

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杜甫詩(1)736~751年  53

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杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

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(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

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杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

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杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

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745年 n-33 贈崔侍郎【贈崔侍御】(卷九(一)六五一)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9041

(侍御史崔成甫にこの詩を贈って、自分が仕官できるよう手助けをしてほしいと、懇嘱したものである)

黄河に居る三尺の鯉はもともと孟津にいたのである。水經などには、龍門を上って、黄河を遡ろうとしたが登れず、龍に化身できなかったとしている。龍に化身できなかったので、むなしく額を転じて帰り来たって、やむを得ず、その他多数の凡魚とともに、元の所に住んでいるのである。自分も才覚・才学もあり、青雲の志もあるけれどそれが報われることなく、この鯉のように、蓬蒿の下にしのんでいるが、崔侍御史は東海の人で、わが旧知であるから、どうか、一見して、力添えし、とりなしてもらいたい。かくて風濤の勢いを以て私を助けてくれたなら、はるか遠く黄河の源流にまで遡り、彼の仙郷であるところの崑崙の墟をも凌ぎたいと思っている。ただ、この龍門が生きることへの分かれ目であるため、ひとえに貴殿の御助力を切に望むところである。 

745年 n-33

贈崔侍御(卷九(一)六二八) 

全唐詩卷168_22

李白集校注)六二八)

李太白集巻一37

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9041

 

 贈崔侍郎

黃河三尺鯉,本在孟津居。

點額不成龍,歸來伴凡魚。

故人東海客,一見借吹噓.

風濤儻相因,更欲淩崑墟。

 

168_22 《贈崔侍郎》李白 

黃河二尺鯉,本在孟津居。點額不成龍,歸來伴凡魚。 

故人東海客,一見借吹噓。風濤倘相見,更欲淩昆墟。 

 

744-062  (卷九(一)六五一)   卷168_34

贈崔侍郎

長劍一杯酒,男兒方寸心。洛陽因劇孟,托宿話胸襟。 

但仰山嶽秀,不知江海深。長安複攜手,再顧重千金。 

君乃輶軒佐,予叨翰墨林。高風摧秀木,虛彈落驚禽。 

不取回舟興,而來命駕尋。扶搖應借力,桃李願成陰。 

笑吐張儀舌,愁為莊舄吟。誰憐明月夜,腸斷聽秋砧。 


  

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

(卷九(一)六二八)

卷168_22

巻八26

詩題

贈崔侍郎(卷九(一)六二八)

文體

五言古詩  

 

詩序

【贈崔侍郎】

     初句

黃河三尺鯉,本

天寶三年   745年   45

 

作地點

兗州(河南道 / 兗州 / 兗州) 

及地點

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下

 

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下

 

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     

交遊人物/交遊地點

 

交遊人物/交遊地點

崔成甫    當地交遊(河南道 兗州 兗州)

關中 絵地図00 
 

贈崔侍郎

(侍御史崔成甫にこの詩を贈って、自分が仕官できるよう手助けをしてほしいと、懇嘱したものである)

黃河三尺鯉,本在孟津居。

黄河に居る三尺の鯉はもともと孟津にいたのである。水經などには、龍門を上って、黄河を遡ろうとしたが登れず、龍に化身できなかったとしている。

點額不成龍,歸來伴凡魚。

龍に化身できなかったので、むなしく額を転じて帰り来たって、やむを得ず、その他多数の凡魚とともに、元の所に住んでいるのであ。

故人東海客,一見借吹噓.

自分も才覚・才学もあり、青雲の志もあるけれどそれが報われることなく、この鯉のように、蓬蒿の下にしのんでいるが、崔侍御史は東海の人で、わが旧知であるから、どうか、一見して、力添えし、とりなしてもらいたい。

風濤儻相因,更欲淩崑墟。

かくて風濤の勢いを以て私を助けてくれたなら、はるか遠く黄河の源流にまで遡り、彼の仙郷であるところの崑崙の墟をも凌ぎたいと思っている。ただ、この龍門が生きることへの分かれ目であるため、ひとえに貴殿の御助力を切に望むところである。

 

崔侍郎に贈る)

黃河 三尺の鯉,本と孟津の居に在る。

額を點じて龍と成たず,歸り來って 凡魚を伴う。

故人 東海の客,一見して吹噓を借る。

風濤 儻し 相い因らば,更に崑墟を淩がんと欲す。

 

  贈崔侍御蕭本/作郎

黃河三尺鯉,本在孟津居。

點額不成龍,歸來伴凡魚。

故人東海客,一見借吹噓.

風濤儻相因,更欲淩崑墟。

繆本下多何當赤車使再往召相如二句度。 

水經註 「爾雅云、鱣鮪也。出鞏穴、三月則、上龍門。

得度則為龍矣。否則額而還。」白氏六帖「大鯉魚登龍門、化為龍。不登者額、暴腮矣。」

太平廣記「龍門山在河東界禹鑿山斷如門一里餘黄河自中流下兩岸不通車馬毎暮春之際有黄鯉魚逆

流而上得上者便化為龍。

林登云 龍門之下毎歳季春有黄鯉魚、自海及諸川爭來赴之一中登龍門者不過七十二初登龍門

即有雲雨隨之天火自後燒其尾乃化為龍矣其龍門水浚箭湧下流七里深三里出。

三秦記水經註魏土地記曰梁山北有龍門山大禹所鑿通孟津河口廣八/十歩巖際鐫跡遺功尚存尚書正

義孟津孟是地名津是津處在孟地置津謂之孟津杜預云盟津河内河陽/縣南孟津也在洛陽城北都道所

湊古今常以為津武王渡之近世以來呼為武濟盧思道孤鴻賦剪拂吹嘘/長其光價。 

山海經 「海内崑崙之墟在西北帝之下都崑崙之墟方八百里高萬仞。」

初學記「楚國先賢傳曰神龍朝發崑崙之墟暮宿於孟諸超騰雲漢之表婉轉。」 四瀆之裏區/墟音

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00 

《贈崔侍郎》現代語訳と訳註解説
(本文)
 
  
贈崔侍御【贈崔侍郎】

黃河三尺鯉,本在孟津居。

點額不成龍,歸來伴凡魚。

故人東海客,一見借吹噓.

風濤儻相因,更欲淩崑墟。

 

(下し文)
(崔侍御に贈る【崔侍郎に贈る】)

黃河 三尺の鯉,本と孟津の居に在る。

額を點じて龍と成たず,歸り來って 凡魚を伴う。

故人 東海の客,一見して吹噓を借る。

風濤 儻し 相い因らば,更に崑墟を淩がんと欲す。

 

(現代語訳)

(侍御史崔成甫にこの詩を贈って、自分が仕官できるよう手助けをしてほしいと、懇嘱したものである)

黄河に居る三尺の鯉はもともと孟津にいたのである。水經などには、龍門を上って、黄河を遡ろうとしたが登れず、龍に化身できなかったとしている。

龍に化身できなかったので、むなしく額を転じて帰り来たって、やむを得ず、その他多数の凡魚とともに、元の所に住んでいるのである。

自分も才覚・才学もあり、青雲の志もあるけれどそれが報われることなく、この鯉のように、蓬蒿の下にしのんでいるが、崔侍御史は東海の人で、わが旧知であるから、どうか、一見して、力添えし、とりなしてもらいたい。

かくて風濤の勢いを以て私を助けてくれたなら、はるか遠く黄河の源流にまで遡り、彼の仙郷であるところの崑崙の墟をも凌ぎたいと思っている。ただ、この龍門が生きることへの分かれ目であるため、ひとえに貴殿の御助力を切に望むところである。

 

(訳注) 

贈崔侍郎

1. (侍御史崔成甫にこの詩を贈って、自分が仕官できるよう手助けをしてほしいと、懇嘱したものである)

2. 侍御・侍郎 李白集或作“侍御”。崔侍御

3. 崔侍御 即崔成甫,官校書郎,再尉関輔,貶湘陰。有《澤畔吟》,李白爲之序。其爲陝縣尉時,韋堅爲陝郡太守,兼水陸轉運使,潭望春楼下。成甫因得体歌爲得宝歌,韋堅命舟人歌之,成甫又廣爲十,今不傳。存詩一首。

李白の交際のあった崔氏について有名なのは、崔宗之があり、李白の詩にも、杜甫にも登場する。

飲中八仙は、中唐初めの8人の酒豪(賀知章、汝陽郡王李璡(李憲の長子)、李適之、崔宗之、蘇晋、李白、張旭、焦遂)。また彼らを謳った杜甫の詩『飲中八仙歌』の略。

「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』
宗之 崔宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。○瀟灑 さっぱりしたさま。○腸 さかずき。○白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。○ しろいさま。○玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。○臨風前 風の前に立っている。

 

黃河三尺鯉,本在孟津居。

黄河に居る三尺の鯉はもともと孟津にいたのである。水經などには、龍門を上って、黄河を遡ろうとしたが登れず、龍に化身できなかったとしている。

4. 三尺鯉 全唐詩には、二尺となっている。水經註に「爾雅に云う、鱣は鮪なり。鞏穴を出でて、三月になれば、則ち龍門に上る。度るを得れば則ち龍と為る。否らざれば、則ち額をじて還らん。」白氏六帖に「大鯉魚、龍門に登り、化して龍と為る。登らざる者は、額をじて腮を暴す矣。」とあり、太平廣記には、龍門山は、河東の界に在り、禹鑿の山、斷えて、門の如きこと、一里餘り、黄河、中より流れ下り、兩岸には車馬を通さず、暮春の際ごとに、黄鯉魚有り、流に逆って上り、上り得る者は、便ち化して龍と為る。」とある。つづいて林登が云う、「龍門の下には歳季春の毎に、黄鯉魚が有り、海及び/諸川により、爭い來って之に赴く。一の中、龍門に登る者は七十二も過ぎず、初めて龍門に登る、即ち雲雨有り、隨って之れ天火自後、其の尾を燒き、乃ち化し龍と為るなり。」

5. 孟津 :古い黄河の津渡名で,今河南孟津縣東北に在り、孟縣の西南にある。

三秦記、水經の註に「魏土地記に曰う、梁山の北に龍門山有り、大禹、鑿の通ずる所の孟津河口に、廣さ八十歩、巖際の鐫跡、遺功、尚お、存す。」とあり、 尚書正義に「孟津、孟は是れ地名なり、津は是れ、津處なり、孟地の在って、津を置く、之れを孟津と謂う。」杜預は云う、盟津河内、河陽/縣、南孟津也。洛陽の城北都道に在り、湊とする所は古今、常に以て津と為し、武王 之を渡る。近世以來、武濟盧の思道と為すと呼ぶ。」とある。  

 

點額不成龍,歸來伴凡魚。

龍に化身できなかったので、むなしく額を転じて帰り来たって、やむを得ず、その他多数の凡魚とともに、元の所に住んでいるのである。

點額不成龍,歸來伴凡魚の二句 。

 

故人東海客,一見借吹噓.

自分も才覚・才学もあり、青雲の志もあるけれどそれが報われることなく、この鯉のように、蓬蒿の下にしのんでいるが、崔侍御史は東海の人で、わが旧知であるから、どうか、一見して、力添えし、とりなしてもらいたい。

6. 吹噓. 吹き上げる、取り持つ、世話をする。ここっでは、旧知であるから、力添えしくれて、吹き上げてもらえるようとりなしてもらいたいという意。孤鴻賦「剪拂吹嘘、長其光價。」

 

風濤儻相因,更欲淩崑墟。

かくて風濤の勢いを以て私を助けてくれたなら、はるか遠く黄河の源流にまで遡り、彼の仙郷であるところの崑崙の墟をも凌ぎたいと思っている。ただ、この龍門が生きることへの分かれ目であるため、ひとえに貴殿の御助力を切に望むところである。

7. 崑墟 仙郷であるところの崑崙の墟をいう。山海經に「海内崑崙の墟は、西北帝の下都の崑崙の墟に在り、方八百里、高きこと萬仞なり。」とあり、初學記に「楚國先賢傳に曰う、神龍、朝に崑崙の墟を發し、暮には孟諸に宿し、雲漢の表に超騰し、四瀆の裏に婉轉す。」とある。 

李白の足跡0000