745年 n集-09 【字解集】a. 對雪獻從兄虞城宰b. 題雍丘崔明府丹灶c. 贈華州王司士d. 贈任城盧主簿潛 e. 贈崔侍郎 

 

2017105

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年 n集-09 【字解集】a. 對雪獻從兄虞城宰b. 題雍丘崔明府丹灶c. 贈華州王司士d. 贈任城盧主簿潛 e. 贈崔侍郎 漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9195

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745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

06年-147 昌黎先生 巻八-03鬥雞聯句【案:韓愈、孟郊】-#2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9168

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806年-集17-133 韓昌黎集字解集秋雨聯句【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9064

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-141#21 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#21§7.-3注(1155) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9183

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767年-集-19 【字解集】 ・H提封 I鸚鵡 J孤雁 K鷗 L猿 M麂 N雞 O黃魚 P白小  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8998

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

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花間集 訳注解説 (258)回目毛文錫巻五33河滿子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9177 (10/05)

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花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

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●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉集-018【字解集】 e. 悼亡詩二首其一 f. 悼亡詩二首其二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9164

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玉集-015【字解集】  雜詩五首 【字解集】    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8932

●薛濤の全詩

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745年 n集-09 【字解集】a. 對雪獻從兄虞城宰b. 題雍丘崔明府丹灶c. 贈華州王司士d. 贈任城盧主簿潛 e. 贈崔侍郎 漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9195

 

 


 

 

【字解集】c. 贈華州王司士

贈華州王司士

1.(華州の司士参軍事王某を誉め讃える詩を贈る)

唐代の華州は、華陰郡と云い、関内道に属し、上州にかかる。上州の佐には、司士参軍事一人あって、從七品下に属していた。

 

淮水不濤瀾高,盛德未泯生英髦。

昔、郭璞は、王導のために卜して、「淮水の流れが途絶えて絶水することが無い限り、王氏は絶滅しない」といったが、実際に淮水の流れは堪える事は無く、波瀾波濤は続いているし、王氏の先代の名だたる人々の盛徳は亡びるどころかなお、厳存し、ここに君の様な「英髦」というべき士中の俊を産出している。

2. 淮水不 晉書王導傳 「初,王導渡淮,使郭璞筮之,卦成,璞曰:「吉,無不利。淮水,王氏滅。」其後子孫繁衍,竟如璞言。」(初め,王導 淮を渡り,郭璞を使て之を筮せむ,卦成る,璞曰く:「吉,利ならざる無し。淮水ゆれば,王氏滅せむ。」其の後子孫 繁衍,竟に璞の言の如し。)とある。

3. 英髦 毛中の長毛をいう。

 

知君先負廟堂器,今日還須贈寶刀。

君は佩刀を為し、必ず三公に登るべき廟堂の器を負うた人であるから、晋の呂虔の王祥におけるにならい、宝刀を解いて君に贈ろうとするのだ。

4. 贈寶刀 《晉書‧王祥傳》初,呂虔有佩刀,工相之,以為必登三公,可服此刀。虔謂祥曰:『苟非其人,刀或為害。卿有公輔之量,故以相與。』(初め,呂虔 佩刀有り,工之を相す,以為へらく必ず三公に登り,此の刀を服す可し。虔 祥に謂って曰く:『苟しくも其の人に非ざれば,刀 或は害を為さむ。卿 公輔の量有り,故に以て相い與えん。』)とある。

 

 

 

 

 

 

【字解集】d. 贈任城盧主簿潛

贈任城盧主簿

(任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)

1 この詩は、李白が任城に往った時、その縣令から、物質的には随分好過されたのであるが、その人が除りわけの分かった人物でもなかったらしく、そこで不満で堪まらず、やがて辭して去ろうとするとき、この詩を作って、主簿の盧潜といふものに贈ったのである。

この詩は、全篇が比喩であって、海鳥を以て自ら此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相憐むの意に本づいて、惜別に及んだのである。

河南道、州、任城縣、魯門東 

2 兗州 兗州は山東省西南部の魯西南平原に位置する。東には曲阜の孔子ゆかりの「三孔」を仰ぎ,西には梁山県の水滸伝ゆかりの沼沢地(梁山泊)があり、北には泰山がそびえ、南には微山湖を望むため、「東文、西武、北岱、南湖」と呼ばれる。また、「杜甫」ゆかりの地である少陵台もある。いま、全市の総面積は651平方キロメートルで農地面積は60万畝ほど。泗河が南西から北東に流れ、その西北岸に兗州の中心市街地がある。昔の県城内には府河という小さな川が流れ、九仙橋や中御橋などが架かる。

3 任城 唐時代、兗州に属した、今の山東省済寧州治。秦に対する合従連衡を説いた蘇秦が〈亢父(こうほ)の険〉と呼び,斉国防御の要地としたのもこの地である。漢代には任城県が置かれ,後漢には任城国となり,以後州郡の中心となった。《唐書地理志に「河南道州有任城縣」(河南道、州に任城縣が有る)と記してある。 

杜甫《巻一07與任城許圭簿遊南池》

224_17 《與任城許主簿游南池(池在濟寧州境)》杜甫 

秋水通溝洫,城隅進小船。晚涼看洗馬,森木亂鳴蟬。 

菱熟經時雨,蒲荒八月天。晨朝降白露,遙憶舊青氈。 

(任城の許主簿と南池に遊ぶ)

秋水溝洫に通ず、城隅より小船を進む。晩涼に洗馬を看る、森木に鳴蝉乱る。

菱は熟す時を経たるの雨、蒲は荒る八月の天。晨朝白露降らん、遙に憶う舊青氈。

176_3 《魯郡東石門送杜二甫》李白 

酔別復幾日、登臨徧池臺。何言石門路、重有金樽開。

秋波落泗水、海色明徂徠。飛蓬各自遠、且尽林中盃。

 (魯郡の東 石門にて杜二甫を送る)

酔別(すいべつ)()た幾日(いくにち)ぞ、登臨(とうりん)池台(ちだい)に徧(あまね)し。

何ぞ言わん石門(せきもん)の路(みち)、重ねて金樽(きんそん)の開く有らんと。

秋波(しゅうは)泗水(しすい)に落ち、海色(かいしょく) 徂徠(そらい)に明かなり。

飛蓬(ひほう)各自(かくじ)遠し、且(しばら)く林中(りんちゅう)の盃(はい)を尽くさん。

・魯郡 いまの山東省兗州市。・石門 いまの山東省曲阜県の東北、泗水の岸にあった。

4 主簿 主簿は記録を掌る官。また、唐の官制として、縣令の佐に主簿が有って其の位は丞の下、尉の上に在り、京縣には二人、從八品、畿縣上縣には正九品、中縣下縣には從八品おのおの一人ということ。

 

海鳥知天風,竄身魯門東。

《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。

5 海鳥 海鳥は、海洋に生息する鳥の総称。 沿岸部に棲息する鳥は水鳥に含める。 大洋を飛び回るアホウドリ、カツオドリ、ネッタイチョウなどが代表。 繁殖時には陸に巣を作る。いくつかの種は、孤島で集団繁殖をする。ここでは、集団から脱逃したものをいう。

竄身 竄:もぐる。逃げ隠れる。「竄入」遠隔地へ追放する。「流竄(りゅうざん・るざん文章を書き改める。「改竄」。

魯門東 魯の東の城門。魯は、中国の王朝名・地名。地名としての魯は現在の中国山東省南部を指す。山東省全体の略称としても用いられる。 王朝としての魯は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。代々の魯公の爵位は侯爵であり、姓は姫である。首府は曲阜。周公旦の子伯禽が成王によって封ぜられて成立した。

特に、初句4句は《莊子、外篇、至樂)「昔者海鳥止於魯郊,魯侯御而觴之於廟,奏九韶以為樂,具太牢以為膳。鳥乃眩視憂悲。不敢食一臠,不敢飲一杯,三日而死。此以己養養鳥也,非以鳥養養烏也。」(昔者、海鳥 魯の郊に止まる,魯侯 御【むか】えて 之を廟に觴し,九韶を奏して以て樂と為し,太牢を具えて 以て膳と為す。鳥 乃ち眩視憂悲す。敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず,三日にして死す。此れ己れが養を以て鳥を養うなり,鳥の養を以て烏を養うに非ざるなり。)に基づく。

 

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。

6. 臨觴不能飲 海鳥に対する接し方ではないため、盃に臨みのむことしない、「眩視憂悲。不敢食一臠,不敢飲一杯。」相手のことを無視し、自分の思いで歓待した。鳥の養い方でなく、人間の歓待方法でもてなしたこと。

 

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。

7. 煙霜誰與同 同じく《莊子、外篇、至樂》「夫以鳥養養鳥者、宜栖之深林、遊之壇陸、浮之江湖、食之 、隨行列而止、委蛇而處。」(夫れ鳥を養う以て鳥を養う者は、宜しく之を深林に栖せ、之を壇陸に遊せ、之を江湖に浮せ、之に を食わせ、行列に隨いて止まり、委蛇して處しむべし。)と、のんびりとしたそれぞれにあった、環境の中に住まわせてやることが養うことである。

 

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

 

 

 

 

 

 

【字解集】e. 贈崔侍郎

贈崔侍御
1. (侍御史崔成甫にこの詩を贈って、自分が仕官できるよう手助けをしてほしいと、懇嘱してきたものに対して、この時の感慨を述べたものである)

2. 侍御・侍郎 李白集或作“侍御”。崔侍御

3. 崔侍御 即崔成甫,官校書郎,再尉関輔,貶湘陰。有《澤畔吟》,李白爲之序。其爲陝縣尉時,韋堅爲陝郡太守,兼水陸轉運使,潭望春楼下。成甫因得体歌爲得宝歌,韋堅命舟人歌之,成甫又廣爲十,今不傳。存詩一首。

李白の交際のあった崔氏について有名なのは、崔宗之があり、李白の詩にも、杜甫にも登場する。

飲中八仙は、中唐初めの8人の酒豪(賀知章、汝陽郡王李璡(李憲の長子)、李適之、崔宗之、蘇晋、李白、張旭、焦遂)。また彼らを謳った杜甫の詩『飲中八仙歌』の略。

「宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』
宗之 崔宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。○瀟灑 さっぱりしたさま。○腸 さかずき。○白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。○ しろいさま。○玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。○臨風前 風の前に立っている。

 

長劍一杯酒,男兒方寸心。

長剣を手にすれば、一杯の酒を傾けることになるし、男児が方寸の心を披くときには豪侠の徒となるものであり、我々はそう思ってこれまで来た。

 

洛陽因劇孟,托宿話胸襟。

その昔、洛陽の街で、任侠の大物の劇孟に比すべき君に遭い、その家に逗留し、胸襟を開いて語り明かした。

8. 劇孟 漢の洛陽の侠者。ここでは、劇孟のごとき大親分。漢書、「劇孟たる者は、洛陽の人なり。周人、商賈を以て資と為し。劇孟は俠を以て顯わる。」とある。

 

但仰山嶽秀,不知江海深。

君の風骨を仰げば、山岳の秀でたるようなものであり、その交情は、江海さえ深いとは言えないほどである。

 

長安複攜手,再顧重千金。

その後、長安において、又相遭うて手を携えたのであるが、その再会の嬉しさは、その価値は“千金より重し”という計り知れないものである。

9. 重千金 千金:1大金,千金,非常に価値があるもの.⇒一千金 yī nuò qiān jīn .用例千金难买((成語))=幾ら大金を積んでも買えない,その価値は計り知れない.曹植《失題(有美一人)》詩「一顧千金重,何必珠玉錢?」とある。

 

君乃輶軒佐,予叨翰墨林。

とかくするうち、君は、輶軒の副使となって、外に出でて、予は、叨りに翰林院に待詔として大明宮におり、一朝隔絶してしまっていた。

10. 輶軒 《風俗通》に「周/秦、常にの八月を以て輶軒の使を遣し、異代の方言を求め、還り奏して之を籍として秘室に藏す。」とある。按ずるに、太白は、《崔公澤畔吟詩序》作り、中佐憲車の語有るをみれば、是れ崔、甞て事を以て使副と為す。故に曰う、君、乃ち、輶軒の佐は軒轅を作る者は是に非らず。と解している。

11. 叨 ① だらしなくする。② 混同する。

12. 翰墨 叨に翰林院に待詔として長安大明宮に勤めていたことを言う。翰墨  筆と墨。  書画・詩文を書くこと。また,詩文や書画。  文芸に関すること。文事。張協詩「寄辭翰墨林。」とあり、張銑の註に「翰筆也。文辭に寄せるを謂い、筆墨の林とは、林とう言うは多く謂うなり。

 

#2

高風摧秀木,虛彈落驚禽。

しかも、自分は、とかく当世に容れられず、秀でた木が高風に摧かれるようなもので、しばしばものに怯えた鳥が、空玉でも射落とされるのと同じようなもので、朝廷での妬み、嫉みを受け、脅迫して長安を追い出されてしまった。

13. 高風摧秀木 李康の《運命論》に「木、林に於て秀ずれば風、必ず之を摧く。」とあるに基づく。李善註に「秀は出づ也。」とあり、劉良註に「木、高ければ林上に出でる者は故に風吹いて先折する也。」とある。

14. 虛彈落驚禽 怯えた鳥が、空玉でも射落とされる。隋、袁朗の詩に「危絃斷客心、虛彈落驚禽。」とあり、「戰國に用い、更に事に嬴す。」とある。

 

不取回舟興,而來命駕尋。

予が、都を追われて興を逸し、友にも遭わず、ただちにただちに舟を還したというような風流の意味ではなく、放逐の憂き目にあったので君を思って千里の遠きにあっても駕を命じて、急いで訪ねてまいったのである。

15. 回舟 《世新語‧任誕》(回舟興王子猷が山陰に居,夜大雪があり, 忽憶して剡溪に戴安道在り, 即ち小船に乘じて之を訪う。門口に到って進みて返す。 人其故を問う, 王曰く: “吾本と興に乘じて行く, 興盡して返し, 何ぞ必ず戴を見る。”

16. 命駕 世に「嵇康、安と善し、一每び相い思う 千里、駕を命ず。」とあるに基づく。

 

扶搖應借力,桃李願成陰。

そもそも、大鵬であっても、扶搖の風を借りなければ翼を動かす力はなく、桃李も春の日の煕煕たるに遭って成長しなければ、陰影をなすこともできない。だから君に、扶搖の風をもって桃李が影を為すが子とくなるための力添えを懇嘱する詩題である。

17. 扶搖 莊子摶「扶揺して上ること九萬里」とある。

18. 桃李 『史記・李将軍列伝』にある「桃李不言 下自成蹊」【桃李(とうり)もの言わざれども、下おのずから蹊(こみち)を成す】

 

笑吐張儀舌,愁為莊舄吟。

昔、張儀はこの舌が残っておればそれだけで十分といったが、自分もまたその通りで、表面では笑いながら談笑しているが、莊舄は病気ながら故郷を思って越聲をなしたというが、予は流寓の身であるから、同じように故郷を思い愁えぬわけではない。

19. 張儀舌 【史記張儀列伝第十】後記

20. 莊舄吟 史記に「越人莊舄、楚に仕えて執珪たり、頃有りて病む。楚王曰く舄は故越の鄙人なり。今、楚に仕えて、執珪富貴、亦た、越を思うや否や。中謝曰く凡そ人の故を思う、其の病に在るなり。彼、越を思うて則ち、越聲、越を思わざれば則ち楚聲、人を使し、往いて之を聽く。猶お越聲を尚ぶなり。」王粲、登樓賦に「莊舄は顯して越吟す。笑うて吐き、張儀の舌談笑をす、之美愁莊舄吟を為す。

 

誰憐明月夜,腸斷聽秋砧。

時はいま秋で、この明月の夜に、夫を思って擣つ砧の声を聴けば断腸の思いをし、その愁苦に対して誰がそれを憐れんでくれるのであろうか、願わくば予の子の不遇を憐れみ、力を貸していただきたいのである。

秋砧 冬支度で、布をやわらかくするために砧で布をうつおとをいう。『搗衣(擣衣)』 杜甫700295首目、杜甫ブログ415回目》 出征している夫の妻が衣をうつことをのべる。その妻のこころを代ってのべたさまである。秋の風物詩である。 擣衣亦知戍不返,秋至拭清砧

搗衣(擣衣)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩