745年 n集-13 【字解集】鳴皋歌送岑徵君(卷七(一)五○六)

 

 

2017109

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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皋歌送岑徵君 《李白》

 

 

字解集 訳注解説

 

 

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卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

岑徵君(卷七(一)五

166-13

巻一九21

詩題

鳴皋歌送岑徵君(卷七(一)五○六)

文體

雜言古詩

 

詩序

時梁園三尺雪,在清泠池作。

     初句

若有人兮思鳴皋

天寶四年  745  45

 

作地點

宋州(河南道 / 宋州 / 宋州)

及地點

鳴皋山 (都畿道 河南府 鳴皋山) 別名:明皋山

 

梁園 (河南道 宋州 宋城) 別名:梁苑

 

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下

 

 

交遊人物/交遊地點

岑勛

當地交遊(河南道 宋州 宋州)

 

鳴皋歌送岑徵君 #1

1.(友人の岑勛が鳴皋山に隠遁するのに送る“鳴皋山の歌”をつくったもの)

2. 鳴皋 《太平寰宇記》「鳴山河南府伊陽縣東三十五里に在り、伊陽縣は本と陸渾の地、唐の先天元年十二月、陸渾縣を割いて伊陽縣を置く。伊水の陽に在り、伊水を去ること一里。《元和郡縣志》:鳴山は河南府陸渾縣の東北十五里に在る河南通志》鳴山、在河南府嵩縣東北五十里、一名九山、昔、有白鶴鳴其上故名。

3.  岑徵君・岑勛 隠遁者の友人である。

王琦の解に「世に、顔魯公書する所の西京千福寺多寳佛塔碑を傳う、乃ち天寳十一載建つ所、其の文は、為南陽の岑勛所撰するところ、疑らくは卽ち此人、勛。

〔鳴皐歌、送等徴君〕原注に「時に梁園三尺の雪、清冷池に在りて作る」とある。

「鳴皐」は山の名。「元和郡県志」に「鳴皐山は河南府陛渾県の東北十五里に在り」とあり、「河南通志」には「鳴皐山は河南府嵩県の東北五十里に在り、一に九皐山と名づく、昔日鶴有り、其の上に鳴く、散に名づく」とある。岑徴君がその山に帰るのを送る歌である。「岑徴君」は、琴が姓、徴君とはかつて朝廷に徴されたが任官しなかった人に対する尊称。この岑徴君が誰かということについては、有名な詩人の琴参であろうとする説(清の王埼)と、岑参だと断定する説(久保天随)と、岑参ではあるまいと否定する説(青木正児)とにわかれている。この詩と同じ人を送った作に「送卑徴君帰鳴皐山」(琴徴君の鳴皐山に帰るを送る)という詩がある。

 

〔時梁園三尺雪,在清泠池作。〕

744年天宝三年3月、長安を追放され、洛陽、梁園を経て齊州など歩き翌年12月にこの地にいて、隠遁者の友人である岑勛を送る送別の快の日に雪が降ったもので、魏の阮籍が詠懐詩にうたった蓬池、そこは清泠の池であり、この詩はここで作ったもの。〕 

4. 梁園 梁園 梁苑は、前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省開封府商丘市東南5kmに在った。宋の都となった。『史記』巻五十八「梁孝王世家」の「史記正義」「吟」は、詩歌の一体。この詩は、第一次在京期の後、長安を離れて梁園に遊んだおり、三十一歳の作と考えられる。梁の孝王が築いた園の名。現・河南省東部、商丘の東にある。竹が多く、修竹園とも呼ばれた。宮室の庭園。『史記・世家・梁孝王』に「孝王,竇太后少子也,愛之,賞賜不可勝道。於是孝王築東苑,方三百餘里。廣陽城七十里。」とある。王昌齡の『梁苑』「梁園秋竹古時煙,城外風悲欲暮天。萬乘旌旗何處在,平臺賓客有誰憐。

169 -#1(改訂版) 《巻06-12 梁園吟 -#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31

5. 清泠池 「清冷池」は池の名。「太平窯宇記」に「清冷池は宋州宋城県の東北二里に在り。梁の孝三の故官、釣台有り、之を清冷台と謂う。今清冷池と号す」とあり、「神州古史考」に「清冷池は帰徳府城の東、梁園の内に在り」という。宋城はいまの商郎市で、昔、梁の都の所在地であった。孝王の梁国は開封にあったので、両地は大分離れているが、この二倍の地域を梁園の名で呼んだのであろう。(青木正児説に従う。)《太平寰宇記》淸泠池、在宋州宋城縣東北二里、梁孝王故宮有釣臺謂之淸泠臺、今號淸泠池神州古史考淸泠池、在歸德府城東梁園内。魏の阮籍の「詠懐詩、其の十六〔陳伯君『阮籍集校注』(中華書局)による〕」に、「蓬池(梁園付近の池)の上を徘徊し、還って大梁(開封)を望む」とあるのをさす。「徘徊蓬池上、還顧望大梁。綠水揚洪波、曠野莽茫茫。走獸交橫馳、飛鳥相隨翔。是時鶉火中、日月正相望。朔風厲嚴寒,陰氣下微霜。羈旅無疇匹,俛仰懷哀傷。」

 

若有人兮思鳴皋,阻積雪兮心煩勞。

ここに岑勛君という人がいて、鳴皋山に隠遁しようといっているが、積雪が三尺もあって、この雪に阻まれて心が痛むほどに煩勞している。

6 “〔若有人今〕「楚辞」九歌・山鬼篇に「人有るが若し、山の阿(若有人兮山之阿))山の懐に誰かがいるようだ。”とあるのに基づく。「兮」は特に意味はないが歌のリズムをととのえる役目をもつ助字。「楚辞」にはよく用いられる。この作は楚辞のスタイルを楽府にとりいれた一風かわった作風である。

7. 煩勞 心身をわずらわせること。また,わずらわしい仕事や苦労。〔心煩労〕張衡の「四愁詩」(「文選」巻二十九)に「何為れぞ菱を懐いて心煩労する(何為懐憂心煩労)」とあるのに本づく。気苦労すること。

 

洪河凌競不可以徑度,冰龍鱗兮難容

隠遁地の鳴皋山に行こうとするには、前に淮河左岸一条の大河があり、渡って行けそうにないし、今や、寒気冷気の為に凌競と凍ってしまっているから、まるで、龍の鱗が逆立ったようになっていて、船が入ることなどできそうにないのである。

8. 洪河 洪河也は洪汝河と称す,是れ淮河左岸一条の支流なり,河南省南部に位す

9. 凌競  氷が競い合うように凍って恐懼のさま、寒さに戦慄するところ。〔洪河〕大河。〔凌兢〕寒さがきびしくてふるえあがること。楊雄の「甘泉賦」(「文選」巻七)に「闇関に馳せて凌萩に入る(馳閤閑而入凌兢)」とあり、服慶の注に「凌兢は恐憾なり」とあり、顔師古の注には「凌祝とは寒涼戟粟の処を言う也」とある。揚雄《甘泉賦》:閶闔に馳せて凌兢に入る。 註に:凌兢は恐懼なり 顔師古の註に:凌兢に入る者は、寒凉 戰栗の處と言うなり。

10. 徑度 渡る道。

11. 冰龍鱗 龍の鱗が逆立ったように河が凍っている様子を言う。渡るにも危険であることをいう。氷が鋸の歯のようにぎざぎざになって、鱗のようであること。

12.  小舟。刀のような形をした小船。

 

邈仙山之峻極兮,聞天籟之嘈嘈。

仙山である鳴皋山は、邈然として遠くに隔たり、いかにも峻険であり、天籟の響きが、嘈嘈と聞こえてくるのである。

13. 天綾 天然の音響。「荘子」斉物論篇に、人攣地攣天範の説明がある。人観は、人が楽器をかなでて発する音、地顔は、大地の発する響き、すなわち風の声である。天範とは、人攣地積のほかにさらに天顔とよばれる別の敏きがあるのではなくて、地租を地租として聞き、人範を人箱として聞くことが、そのまま天範だという(福永光司「荘子内篇」朝日新聞社、新訂中国古典選、参照)。

14. 嘈嘈 谷あいに吹く強風によっていろんな音が混ざっていること。声の衆いさま。ざわざわ。


#2

霜厓縞皓以合沓兮,若長風扇海湧滄溟之波濤。

積雪の積もった白色の土層の上にさらに積もって縞皓となって合沓と重なり合っていて、その有様は、長風が海を仰いで、滄溟の波濤を湧かしたっているので容易に足を入れることはできないのである。

13. 霜厓 崖のように凍った状態、滝全体が凍っているようす。霜が置いたようにまっしろく雪が積った崖。

14. 縞皓 どちらの字も白である。潔白な貌。縞はしろぎぬ(白𥿻)皓はしろい。

15. 合沓 はるかとおくまでかさなっているさま。山がかさなりあって高いさま。謝桃の「敬亭山」(「文選」巻二十七)の詩に「合沓して雲と斉し(合沓与雲斉)」とある。

 

玄猨綠羆,舔〈餂〉〈音演〉崟岌。

山中には、黒い手長猿だの、綠羆とかいうけものがいて、舔とした長い舌を吐き、崟岌と険しい崖のようなところに寄りかかって生息している。

16. 玄猨 牡の黒い手長猿。黒い猿。司馬相加の「上林賦」(「文選」巻七)に「玄猿素雌」とあり、李善の注に「玄猿は猿の雄なる者、玄き色なり」とある。

17. 綠羆 縁のひぐま。「西京雑記」に「熊熊は毛に緑光あり、皆長さ二尺なる者、直百金」とある。《西京雜記》熊羆の毛は綠光で有る、皆、長さ二尺なる者、直百金。とある。

18. 舔【てんえん】 長い舌を吐く貌・

19. 崟岌 峰と続く山が高いさま。笈は高いさま。危は高くあやういこと。

 

危柯振石,駭膽慄魄,羣呼而相號。

樹木がや岩石の間に彷徨っているのであり、そのに大雪が降って、さながら滄溟の波濤を湧かしたっているのに似ているというありさまを見ると、いずれも胆を驚かし、魄を慄わせて羣呼して互いを呼び合っている。

20. 駭膽 きもをおどろかせてみだれる。

21. 慄魄 魄を慄わせる。

#3

峯崢嶸以路,挂星辰於巖

また、向こうに聳えているあの峰は、崢嶸として険しい、だからもう行くべき道もない。その巖の狭間には、小石が星辰を散じたように見える。このように鳴皋山は険阻で大変なところだというに。

22. 崢嶸 山や谷のけわしさ。「険は―を排するに似たり」〈東海散士・佳人之奇遇〉人生のけわしさ。

23. 星辰 星座。【星辰崇拝】太陽・月・星を、神秘的な力をもつものとして尊びあがめる思想。また、それに伴う儀礼。

24.  岩山。穀は、山に小さい岩が多く露出していること。

 

送君之歸兮,動鳴之新作。

それでもそこに還るという君をこうして送行して、新たに鳴皋山の歌を作ろうとしているのである。

 

交鼓吹兮彈絲,觴清泠之池閣。

そうであるから鼓吹に彈絲の音楽を合奏しながら、古くから前漢の文帝の子梁孝王や魏の阮籍が詩を作り遊んだ清泠の池閣において送別の宴を催しているのである。

25. 弾糸 弦楽器。

26. 清泠之池閣 池のほとりの楼閣。前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。詩にある平臺は梁園にあり、また阮籍は梁園付近の蓬池に遊んだところであり、魏の阮籍の「詠懐詩、其の十六〔陳伯君『阮籍集校注』(中華書局)による〕」に、「蓬池(梁園付近の池)の上を徘徊し、還って大梁(開封)を望む」とあったところである。

#4

君不行兮何待,若反顧之黃鶴。

しかし君は鳴皋山に行こうという志は捨てていないというのに、君は行こうとしないで何を待つのか、このような送別の宴を催せば名残惜しそうに、まるでふりかえる黄鶴のようにしきりに地を反顧して、去りがたいようにしてるのと同じようではないか。

27. 君不行兮何待 《楚辞・九歌・湘君篇》に「君不行兮夷猶(君行かずして夷猶す)」湘君は来ないでぐずついている。とあるのに倣った。

28. 返顧之黄鶴 蘇武の詩(「文選」巻二十九)に「黄鶴一遠別、千里顧徘徊(黄鶴一たび遠く別れ、千里に顧みて徘徊す)」とあるのをふまえたもの。鵠は鶴に似て蒼黄色の大鳥をいう。

 

掃梁園之羣英,振大雅於東洛。

山に還ってしまえばそれっきり、世俗と縁を断つのであるから、梁園にむらがっている英才たちを一掃するような大作を出し、この汴州梁州、地方から洛陽に至るいったいに大雅のような詩を大聲を震わせてから山に入ろうというのであろう。

29.  梁園之羣英 「史記」梁孝王世家に、梁の孝王が東苑を築造し、三百余里四方の広大な御苑であったが、四方の豪傑を招きよせ、華山以東の遊説の士はすべて至らぬものはなかった、と記されている。

30. 大雅 「詩経」のうちもっとも荘重な詩が集められた部分で、周の王室に関する作が多い。李白は「古風其一」において、その調べを尊重し、復活させたいといっている。

 

巾征軒兮歷阻折,尋幽居兮越巘崿。

君が山に入る時は、遠行の車にとばりをかけて出発し、つづら折りの山道を通り、己の幽居と爲似たるべき格好の場所を尋ねつつ、けわしい崖をこえてゆき、しずかな住み家をたずねるのである。

31. 巾 とばりを車にかぶせること。

32. 征軒 遠行の車。

33. 阻折 つづら折りの山道。

34. 巘崿 「文選」巻二十二謝霊運の《晩出西射堂》()「連鄣疊巘崿,青翠杳深沈。」(連なれる障【しきり】は巘崿【けんがく】を畳み、青翠【せいすい】は沓【かさ】なりて深沈【しんしん】たり。)連峰を遮る崖は畳のようにかさなっている、山の緑は茂り重なってうっそうとしている。とあり、李善の注に「囁巘崿は崖の別名」とある。

晚出西射堂 #1 謝霊運<17>  詩集 381

#5

盤白石兮坐素月,琴松風兮寂萬壑。

大盤のような白石の上にあぐらをかいて素月を賞し、月光をあびて、琴にまがう嵆康の作である「風入松の曲」をひけば、静かなよろずの谷の間を吹きわたって瑟瑟たる響きを聞かれることであろう。

35. 素月 白い月の光。明るい月の光。

36. 松風 琴の曲に「風入松」と題する曲があって、晋の嵆康の作曲と伝えられる。

 

望不見兮心氛氳,蘿冥冥兮霰紛紛。

そして山中に卜居すると、これを下界から望めば、今度君に遭おうと思ってもそれができないから、心は氛氳となって曇りがちになってとても愁えることであろう。それはどうかといえば、ひかげのかずらはくろぐろと茂り霰がばらばらと降ってきて、顔を向けることもできない

28. 氛氳 気のさかんなさま。謝恵連の「文選」巻十三《雪賦》に「氛氳蕭索」とあり、李善の注に「氛氳は盛なる貌」という。

29 蘿 女蘿、ひかげのかずら。

30. 霰 あられ。「詩経」毛伝に「霰は暴雪なり」とあり、また鄭虔に「将に大いに雪を雨らさんとするとき、始めは必ず微温にして、雪は上より下り、温気に遇いて持つ、之を霰と謂う。久くして寒さ勝てば則ち大いに雪ふる」とある。

 

水橫洞以下淥,波小聲而上聞。

澄める水が洞穴に満ち下へしみこんでいて、その波は小さい音をたてて上までかすかに聞えてくる

31. 水横洞 水が洞穴に充満すること。

#6

虎嘯谷而生風,龍藏溪而吐雲。

それの実か恐ろしい虎は、谷にうそぶいて風を生じ、竜は谷間にかくれて雲を吐く

32. 虎嘯谷而生風,龍藏溪而吐雲 「推南子」天文訓に「虎嘯いて而谷風至り、龍舉って景雲屬す。」といい《管輅傳》「龍は陽の精、潛を以て陰と爲す。幽靈上通、和氣神を感じ、二物相扶く、故に能く雲を興す。虎は陰の精にして、陽に居り、木に依って長嘯すれば、巽林に動く。二氣相い感ず。故に能く風を運す。とあるに基づく。

 

 

寡鶴清唳,飢鼯嚬呻。

連れ合いをなくした鶴は高く飛びながら清らかな声を上げて鳴き、飢えたむささびは眉をひそめてはやしのなかで坤いている。

33. 寡鶴清唳,飢鼯嚬呻 謝桃の「敬亭山詩」(「文選」巻二十七)に「独鶴万朝唳、飢鼯此夜啼。」(独鶴は方に朝に唳き、飢鼯は比に夜に啼く。)とあるのを用いた。謝朓詩 「獨鶴方朝唳飢鼯此夜啼。」韻唳鶴鳴也。

34. 清唳 清らかな声を上げて鳴く

35. 飢鼯 飢えたむささび。 本草に「鼯鳥名、一名䴎䑕一名夷由、一名は飛生鳥、狀、蝙蝠の如し、肉翅、尾に連り、大きさ鳶のし、毛は紫色、好んで夜に飛ぶ。但し能く下に向い、上に向う能わず、恒に夜鳴く、鳴聲人の呼ぶが如し、湖嶺山中に多く之れ有り」

36. 嚬呻 顔をしかめて、苦しんでうめく。

 

魂獨處此幽默兮,愀空山而愁人。

そういうところに塊然とただひちりで、ひとりばっちで幽默を守って奥深くひっそりした所におり、人けのない山にいたずらにしおたれていれば悲しくもなり、ひとをうれえしむばかりである。

37. 魂獨 身も心も一人でいること。塊然とただひちりで、ひとりばっち。

38. 愀 顔色を変える。うれえているさま。

 

雞聚族以爭食,鳳孤飛而無隣。

今の世間は清濁賢愚を顛倒し、ここにいたところで、詰まらないので、にわとりのようなものが多くの仲間をあつめて食物を争って、とびまわっている、一方、鳳は一羽で飛んでつれがないばかりか誰も構ってくれるものがない。鶏は得意になり、鳳凰の方は、失意になっている。

39. 雞聚族以爭食,鳳孤飛而無隣 李白《古風 其四十》に全く同じことが述べられている。「鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。」鳳は飢うるも 粟を啄(つい)ばまず、食う所は 唯だ琅玕(ろうかん)。焉んぞ能く 群発と与(とも)に、刺蹙(せきしゅく)して 一餐(いっさん)を争わん。鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。

7

蝘蜓嘲龍,魚目混珍。

やもりといわれる蝘蜓が勢いを増してきたという事で龍を嘲ってばかにしており、魚の目玉とは、誰でも一見して、その価値がわかるにもかかわらず魚目が珍重されて真珠などの中にまじっている。

40. 蝘蜓 やもり、別宮、又の名を壁宮。爾雅翼:「蝘蜓は蜥蜴に似て、灰褐色、人家屋壁間に在り、狀、龍に似たりと雖も、人の玩習とする所。故に淮南に云う:禹南して江を濟り、黄龍舟を負う、禹、龍を視ること猶お蝘蜓のごとし、龍亡げて去る。 之れを蝘蜓に比すは、畏るるに足らずと言う。揚子云う:蝘蜓を執って龜龍を嘲ると、葢し之を陋とするなり。 一名 守宮といい、又の名を壁特に善く蝎を捕う、俗には蝎虎と號す。

41. 魚目混珍 魚目は価値のないものであるが、形が丸いから、珍珠の中に交じることがあるという事。 李善の文選註に:雒書に曰く:秦、金鏡を失い、魚目珠に入る。 鄭𤣥曰く:魚目珍珠を亂る。 

 

母衣錦,西施負薪。

それから、母はみにくいおんなをいい、その醜婦が立派な錦衣を着るようなことがあり、反対に、言うまでもないことだが、西施は美人だがその彼女のような美人が薪を背負っていることがあるのである。このように賢愚清濁がすべて顛倒しているか世俗であるから山に隠遁しようというのであろう。

42. 母衣錦 尚書大傳に:黄帝の妃、母、四妃の班に最も下する。貌、甚だ醜にして最も賢、心毎に自ら退く」とある。淮南子、説山篇に:母は美き所に有り。高誘の註に:母、古えは之を醜女という。

43. 西施負薪 呉越春秋に:越王、相者を國中に使し、苧蘿山に薪を鬻ぐのを之を女に得たり、西施鄭旦と曰う。

 

若使巢由桎梏於軒冕兮,亦奚異乎夔龍蹩於風塵。

むかし、巣父と許由は、その天分に従がって山中に住んでいたのであるが、それを無理矢理引っ張り出してりっぱな禮冠をいだかせて、軒車に乗せるようなことをすれば、隠者のみに桎梏をはめ、しばりつけさせて苦しめるようなものである。つまり、單由に軒冕にせしめるのは

夔龍を風塵にせしめると同じく、それぞれが適した場所に居なければただ苦しむばかりという事である。

44.  巢由 許由と巣父のこと。許由は、中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすぎ、箕山に隠れてしまったという。堯から帝位を譲る申し出を受けた一人であり、高士として知られる巣父(そうほ)は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、許由が耳をすすぐのを見て「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

45. 桎梏 「桎」は足かせ、「梏」は手かせの意》人の行動を厳しく制限して自由を束縛するもの。

46 軒冕 禮冠をいだかせて、軒車に乗せる。

47. 夔龍 夔龍とも呼ばれる龍神の一種。ここでは、三皇五帝の舜の賢臣。

48. 蹩 施行の貌、びっこをひく。莊子:《馬蹄篇》蹩して仁を爲し、踶跂して義を爲し。「廣韻」に:蹩は、旋り行く貌、一に曰う跛なり。」

49. 風塵 𤣥禮記の註:桎梏今械也。 在足曰桎在手曰梏。 巢、由以隱居自樂爲志、夔龍以行道濟/時爲志。若使巢、由羈身於軒冕之中、與夔龍廢棄於風塵之内無異。是皆不適其志願也。

#8

哭何苦而救楚,笑何誇而却秦。

慟哭したことによってなんとうまく成功した人もあるが、大笑いしたことによってなんと名誉を揚げたものがいる。それは、まず、申包胥は楚国が危ないからと言って、秦に行って援軍要請を行い、秦の朝廷において七日七夜泣き明かしたことで秦王は、兵を派遣し、その破滅をすくったという事であり、魯仲連は邯鄲の圍城において、談笑しつつ秦軍を退けたという。

50. 哭何苦而救楚 戦国時代の楚の申包胥の故事。「史記」伍子胥列伝に見える。呉王闔廬の九年、呉の兵が楚の都の郢に攻め入り、楚の昭王は都から逃げ出した。申包胥は秦へ向い危急をうったえ救いを求めたが、許されなかった。包胥は秦の王の庭さきで昼も夜も泣きつづけ、七日七夜やめなかった。秦の哀公はあわれに思い、戦車五百台を派遣して、楚を救った。

51. 笑何誇而却秦 斉の魯仲達の故事。「史記」魯仲達列伝に見える。魯仲連は斉の人であるが、たまたま趙の国に遊んでいたとき、秦の大軍が超を攻め、趙の都の郡部を包囲した。魯仲達は趙の平原君のために、梁の客将、新垣衍に面会して秦に追従してはならないことを説いた。新垣衍が魯仲連の人物に敬服し、完全に説得されたことを聞いた秦の大将は、わざわざ軍を五十里も後退させた。そこへ折よく魏の信陵君が秦軍を攻撃したので、秦は退却し、趙は救われた。

 

吾誠不能學二子沽名矯節以耀世兮,固將棄天地而遺身。

ともかく、申包胥、魯仲連の二子は、名誉を沽ラスことになるために、節操を枉げて、世間に輝かしたものにすぎないのであるから真似などすることではない。もとより天地をすててどこまでも、この身を忘れようと考えで、岑勛君は鳴皋山に行かれるのである。

 

白鷗兮飛來,長與君兮相親。

こうして岑勛訓が山中に入った後は、「列子」黄帝篇にいうように、白いかもめがとんできて、いつまでも君と親しんで相手をしてくれることだろう。とても考えのないものは、高士の隠者のお相手はできないことであろうから。

52. 白鷗 海辺の人が無心に白鴎と遊んだという「列子」黄帝篇の故事を用いた。杜甫《客至》「舍南舍北皆春水,但見群鷗日日來。」(舍南 舍北  皆みな 春水,但ただ見る 群鷗ぐんおうの  日日に來きたるを。)群鷗:(害意が無いのを見抜いて)群をなして(集まってくる)カモメ。『列子・黄帝篇』に「海辺の人で、カモメがすきな者がいて、毎朝海辺へ行って、カモメと遊んでいた。集まってくるカモメの数は百に止まらなかった。そこで、その者の父親が、『わたしは、カモメがお前に付き随って遊んでいるという噂を聞いているが、お前、そのカモメを取ってこい。わたしがあそんでやろう』と言った。そこで、息子は翌朝海辺へ行って(言われたとおりに捕まえようとしたが)カモメは降りては来なかった。」『列子・黄帝篇』「海上之人有好鴎鳥者,毎旦之海上,從鴎鳥游。鴎鳥之至者,百住而不止。其父曰:『吾聞鴎鳥皆從汝游,汝取來,吾玩之。』明日之海上,鴎鳥舞而不下也。」とある。

 

 歌送岑徴君

  原註:時 梁園三尺雪、在淸泠池作。 《元和郡縣志》:鳴山在河南府陸渾縣東北十五里。

 鳴 《河南通志》鳴山、在河南府嵩縣東北五十里、一名九山、昔、有白鶴

  其上故名。 《太平寰宇記》淸泠池、在宋州宋城縣東北二里、梁孝王故宮、

  有釣臺謂之淸泠臺、今號淸泠池神州古史考淸泠池、在歸德府城東梁園内。

若有人兮、思鳴阻積雪兮心煩勞。洪河凌兢不可以徑度、冰龍鱗兮難容

邈仙山一作神仙之峻極兮、聞天籟之嘈嘈。

霜崖縞皓以合沓兮、若長風一作虹扇海湧滄溟之波濤。

𤣥猿緑羆、舔崟岌;繆本作岌危一作岑危繆本/作咆柯振石、駭膽慄魄;羣呼而相號。

峰崢嶸以路絶、挂星辰於巖

若有人兮 《楚辭・山鬼》若有人兮山之阿。 

煩勞張衡《四愁詩》「何爲懐憂心煩勞」 

洪河《文選・班固・西都賦》: 帶以洪河涇、渭之川。向註:洪河、大河也。

凌競 揚雄《甘泉賦》:馳閶闔而入凌兢服。 註:凌兢恐懼也 

顔師古註:凌兢者言寒凉戰栗之處也。 

龍鱗 冰龍鱗者冰有鋸齒參差如鱗也。 

  㑹舠小船也、形如刀。集韻或作周通作刀。詩:曽不容刀。 

釋名云:二百斛以上曰艇、三百斛曰刀。

天籟 《莊子・齊物編:子游曰:『地籟則衆竅是已、人籟則比竹是已、敢問天籟。』

   子綦曰:「夫吹萬不同、而使其自已也。天籟謂空中因風氣作聲不假物、而成者也。

縞 埤蒼嘈嘈聲衆也、

 鮑照詩:霜崖土膏謝朓詩合沓與雲。 齊向註:合沓高貌袁宏三

名臣贊洪飇扇海二溟揚波

玄猿綠羆 上林賦:𤣥猿素雌。 李善註:𤣥猿猿之雄者𤣥色也。

《西京雜記》熊羆毛有綠光、皆長二尺者直百金。

 吐舌貌  

 《木華海賦》戛巖釋名山多小石曰㟼㟼堯也毎石堯堯獨處而出見也。

縞音  稿崟 音吟  舔音餂音演

送君之歸兮、動鳴之新作。交鼔吹兮彈絲、觴淸泠之池閣。

君不行兮何待?若返顧之黄鵠。掃梁園之羣英、振大雅於東洛。

巾征軒兮歴阻折、尋幽居兮越巘 盤白石兮坐素月、琴松風兮寂一作/萬壑

 

蘇武/詩黄

鵠一逺别千里顧徘徊庾信詩黄鵠一反顧徘徊應悽/然史記梁孝王築東苑方三百餘里招延四方豪傑自

山以東游之士莫不畢至江淹賦金閨之諸彦蘭/臺之羣英孔叢子巾車命駕鄭𤣥周禮巾車註巾猶衣

也李善文選註軒車通稱也巾征軒者以帷蒙征車之/上也謝靈運詩連嶂疊巘李善註巘崖之

莊月賦素月流天白帖琴曲有風入松樂府詩集琴集/曰風入松晉嵇康所作也 巘語蹇切年上聲崿音諤

望不見兮心氛蘿冥冥兮霰紛紛水横洞以下淥波小聲而上聞。

 虎嘯谷而生風、龍藏溪而吐雲。 冥一作/鶴淸唳飢鼯嚬呻、

 

 

蕭本/作魂獨處此幽默兮、愀一作/空山而一作/愁人。

謝惠連雪賦氛蕭索李善註氛盛貌毛/萇詩傳霰暴雪也鄭箋曰將大雨雪始必微

温雪自上下遇温氣而摶謂之霰久而寒勝則大雪矣/淮南子虎嘯而谷風至龍舉而景雲屬管輅傳龍

陽精以潛爲陰幽靈上通和氣感神二物相扶故能興/雲虎者陰精而居於陽依木長嘯動於巽林二氣相感

故能運風謝朓詩獨鶴方朝唳飢鼯此夜啼韻唳鶴/鳴也按 本草鼯鳥名一名䴎䑕一名夷由一名飛

鳥狀如蝙蝠肉翅連尾大如鳶毛紫色好夜飛但能/向下不能向上恒夜鳴鳴聲如人呼湖嶺山中多有之

平氛音分又音焚於云切聲唳音麗愀音悄又音秋

雞聚族以爭食、鳳孤飛而無鄰。蝘蜓嘲龍、魚目混珍。母衣錦、西施負薪。

使巢由桎梏於軒冕兮、亦奚異於夔龍蹩於風塵。 

何苦而救楚、笑何誇而却秦。

吾誠不能學二子沽名矯節以耀世兮

固將棄天地而遺身白鷗兮飛來長與君兮相親

蝘蜓 爾雅翼:蝘蜓似蜥蜴、灰褐色、在人家屋壁間、狀雖似龍、人所玩習。故淮南云:

禹南濟於江、黄龍負舟、禹視龍猶蝘蜓、龍亡而去。 比之蝘蜓、言不足畏。揚子云:

執蝘蜓而嘲龜龍、葢陋之也。 一名守宮、又名壁善捕蝎、俗號蝎虎。 

魚目 李善文選註:雒書曰:秦失金鏡、魚目入珠。 鄭𤣥曰:魚目亂珍珠。 

母 尚書大傳:黄帝妃、母於四妃之班、最下貌甚醜而最賢心毎自退

淮南子説山篇:母有所美。高誘註:母古之醜女。 

負薪 呉越春秋:越王使相者於國中得苧蘿山鬻薪之女曰西施鄭旦、

風塵 𤣥禮記の註:桎梏今械也。 在足曰桎在手曰梏。 莊子:蹩爲仁、踶跂爲義。

   廣韻:蹩旋行貌、一曰跛也。巢、由以隱居自樂爲志、夔龍以行道濟/時爲志。

   若使巢、由羈身於軒冕之中、與夔龍廢棄於風塵之内無異。是皆不適其志願也。

救楚 戰國策:與楚戰於/栢舉、三戰入郢、棼冒勃蘇曰、:「吾披堅執敵而死、

此猶一卒也。 不若奔諸侯』 於是贏糧潛行、上崢山、踰深溪、蹠穿膝暴、

七日而薄秦王之朝。 鶴立不轉、畫吟宵哭、七日不得告、水漿無入口、瘨而殫悶、

旄不知人。 秦王聞而走之、冠帶不相及、左捧其首、右濡其口、勃蘇乃蘇。

秦王身問之;『子孰誰也?』

棼冒勃蘇對曰:『臣非異、楚使新造執丘棼冒勃蘇。與楚戰於栢舉、三戰入郢、

寡君身出、大夫悉屬、百姓離散、使下臣來告亡、且求救。』秦王・・・・遂出革車千乘、

卒萬人、屬之子蒲子虎下塞以東與呉人戰於濁水而大敗之。

救楚 文選左太冲思、詠史詩:、『吾慕魯仲連、談笑却秦軍。』

 

詳見二巻註 晁補之曰;李白天才俊麗、不可矩矱、然要長於詩、而文非其所能也。

賦近於文、故白大鵬賦辭非不壯、不若其詩盛行於世。 至鳴歌一篇、本末楚辭也、

而世誤以爲詩。 因爲出之。 其畧曰:蝘蜓嘲龍、魚目混珍。 母衣錦、西施負薪。

此諄諄放屈原卜居及賈誼弔屈原語、而白才自逸蕩、故或離而去之云。

楚辭後語曰:白天才絶出、尤長於詩、而賦不能及晉、魏、獨此篇近楚辭、

然歸來子猶以爲白才自逸蕩、故或離而去之、亦爲知言云。

蝘音偃蜓音殄音模蹩匹減切篇入聲又别躠音薩/又音屑