746-024卷一七六 魯郡堯祠送竇明府薄華還西京-#7(卷十六(二)九八五)

 

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魯郡堯祠送竇明府薄華還西京-#7

#27§6-6元和聖德詩

九日五首 其三

溪沙八首其八

樂府詩二首其一 #2

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中国古代史女性論

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

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index-7[810年~811 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

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杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

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杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

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(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

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杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

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746-024卷一七六 魯郡堯祠送竇明府薄華還西京-#7(卷十六(二)九八五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9869

堯の魂魄が、未だ死んでいなくて、墳墓の奥から、杯を傾けようと、言おうものなら、いとしたら、伝説上の人物である帝堯や帝舜の時代に公平な裁判をおこなった人である皋陶に命じ、天下通津裏まで、掃き清めて頂き、そして、ただちに青天に上って、浮雲を拂ってもらえば、これから先、夜中とこしえに明るくしてもらったとしても、堯の魂魄がどこへ行ったか分からないことだろう。

山簡が、襄陽の習家の高揚池のほとりにおいて痛飲したというが、、それはまことに瑣瑣なことで、あの山公が酩酊したといったとしても、これは、近隣の小競り合いに構っておれないという、山公の賢さであって、どうしてわれらのこの酒宴は、竇華明府が都に帰る壮行の宴であることに影響があろうか。

竹林の七賢は、風流放誕の生涯を恣にしたが、今はどこに行ってしまったか、王羲之氏は、蘭亭に修禊し、雄筆を以てその序を書いて、千年にわたって伝えているが、そんなことは決して誇るに足らないことである。

 

746-024 

魯郡堯祠送竇明府薄華還西京

(卷十六(二)九八五) -#2

全唐詩 176-16

李白集校注卷十六(二)九八五

李太白集巻十六16

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9834

 

魯中送二從弟赴舉之西京

〈一作「送族弟鍠」〉

魯客向西笑,君門若夢中。霜凋逐臣髮,日憶明光宮。

復羨二龍去,才華冠世雄。平衢騁高足,逸翰凌長風。

舞袖拂秋月,歌筵聞蚤鴻。送君日千里,良會何由同。

 

卷一八二 魯中都東樓醉起作(卷二三(二)一三二九)         昨日東樓醉,還應     五言絶句

182-04 魯中都東樓醉起作

魯中都東樓醉起作

昨日東樓醉,還應倒接

阿誰扶上馬,不省下樓時。

 

卷一八三 魯東門觀刈蒲(卷二四(二)一四一七)         魯國寒事早,初霜   古詩十句

183-20 魯東門觀刈蒲 

魯國寒事早,初霜刈渚蒲。揮鐮若轉月,拂水生連珠。此草最可珍,何必貴龍鬚。

織作玉牀席,欣承清夜羅衣能再拂,不畏素塵蕪。             

 

卷一七五 魯郡堯祠送五之琅琊(卷十六(二)九八五)  堯沒三千,青松   五言律詩

                175-015

堯沒三千,青松古廟存。送行奠桂酒,拜舞清心魂。

日色促歸人,連歌倒芳樽。馬嘶俱醉起,分手更何言。

 

卷一七六-04 魯郡堯祠送張十四遊西北(卷十七(二)一○○一)猛虎伏尺草 古詩十句

魯郡堯祠送張十四遊西北

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

有如張公子,骯髒在風塵。

豈無橫腰劒,屈彼淮陰人。

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

歸來泰山上,當與爾爲鄰。

 

卷一七六 魯郡堯祠送竇明府薄華還西京(卷十六(二)九八五)朝策犁眉騧     雑言古詩8分割

               175-16

朝策犂眉騧,舉鞭力不堪。

扶愁疾向何處,角巾微服堯祠南。

長楊掃地不見日,石門噴作金沙潭。

#2

笑誇故人指境,山光水色青於藍。

廟中往往來擊鼓,堯本無心爾何苦。

門前長跪雙石人,有女如花日歌舞。

#3

銀鞍繡轂往復迴,簸林蹶石鳴風雷。

遠煙空翠時明滅,白鷗歷亂長飛雪。

紅泥亭子赤闌干,碧流環轉青錦湍。

#4

深沈百丈洞海底,那知不有蛟龍蟠。

君不見綠珠潭水流東海,綠珠紅粉沈光彩。

綠珠樓下花滿園,今日曾無一枝在。

#5

昨夜秋聲閶闔來,洞庭木落騷人哀。

遂將三五少年輩,登高遠望形神開。

生前一笑輕九鼎,魏武何悲銅雀臺。

#6

我歌白雲倚牕牖,爾聞其聲但揮手。

長風吹月度海來,遙勸仙人一杯酒。

酒中樂酣宵向分,舉觴酹堯堯可聞。

#7

何不令繇擁篲橫八極,直上青天揮浮雲。

高陽小飲真瑣瑣,山公酩酊何如我。

竹林七子去道,蘭亭雄筆安足誇。

#8

堯祠笑殺五湖水,至今顦悴空荷花。

爾向西秦我東越,暫向瀛洲訪金闕。

藍田太白若可期,爲余掃灑石上月。

 


卷一七九 攜妓登梁王棲霞山孟氏桃園中(卷二十(二)一一六一)碧草已滿地   雑言古詩2分割

碧草已滿地,柳與梅爭春。  179-08

謝公自有東山妓,金屏笑坐如花人。

今日非昨日,明日還復來。

白髮對綠酒,強歌心已摧。

君不見梁王池上月,昔照梁王樽酒中。

梁王已去明月在,黃鸝愁醉啼春風。

分明感激眼前事,莫惜醉臥桃園東。

 

卷一七一 贈從弟冽(卷十二(一)七九九)      楚人不識鳳,重價            五言古詩 4分割

贈從弟冽                   巻171-012

楚人不識鳳,重價求山雞。             

獻主昔云是,今來方覺迷。             

自居漆園北,久別咸陽西。             

風飄落日去,節變流鶯啼。             

桃李寒未開,幽關豈來蹊。             

逢君發花萼,若與青雲齊。             

及此桑葉綠,春蠶起中閨。             

日出布穀鳴,田家擁鋤犁。             

顧余乏尺土,東作誰相攜。             

降霖雨,公輸造雲梯。             

羌戎事未息,君子悲塗泥。             

報國有長策,成功羞執珪。             

無由謁明主,杖策還蓬藜。             

他年爾相訪,知我在磻溪。             

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷十六(二)九八五

卷一七六-16

十五16

詩題

魯郡堯祠送竇明府薄華還西京

文體

雜言古詩

 

詩序

0

     初句

朝策犂眉騧

天寶四年  746  46

作地點

東魯・魯郡(河南道 / 兗州 / 魯郡) 堯祠

及地點

河北道、各地にて游

 

 

 

交遊人物/交遊地點

交遊人物/交遊地點

縣令竇明府  (東魯・魯郡(河南道 / 兗州 / 魯郡)

 

魯郡堯祠送竇明府薄華還西京

(魯郡の堯祠において送別の宴が開かれ、竇華明府が西京、長安に帰るを送った際の詩である。)

朝策犂眉騧,舉鞭力不堪。

あしたに、いにしえの駿馬の名「犂眉騧」にも比すべき名馬に乗り、鞭うって千里のたびに向かおうと思うが、病気のため臥せていたので、鞭を挙げる力さえないから、馬を走らせることができない。

扶愁疾向何處,角巾微服堯祠南。

ここで、無理強いして、つまり、疾病を助けてどこへ行くかといえば、角巾を戴き、ことさらに微服をきて、堯祠の南に向かうのは、竇明府の餞宴場所に急いで行くためである。

長楊掃地不見日,石門噴作金沙潭。

しだれ柳の枝条が土手を掃くほどに垂れて、日の光さえ届かないほどである、石門から流れる水は、噴き出て、そこに日がさして、金沙潭となって輝いている。

(魯郡の堯祠に竇明府薄華の西京に還えるを送る)

朝に 犂眉の騧に策ち,鞭を舉げて 力 堪えず。

いて 愁疾を扶け 何れの處に向わん,角巾 微服 堯祠の南。

長楊 地を掃うて 日を見ず,石門 噴いて作る 金沙の潭。

 

#2

笑誇故人指境,山光水色青於藍。

そこで、絶叫を指して故人に向かい、この景色は誇るべきものと高笑いし、山光水色、相い映じて「藍よりも靑し」と見えるのである。

廟中往往來擊鼓,堯本無心爾何苦。

堯祠の廟中においては行ったり来たり多くの参詣者が来ては、鼓をたたく、元来、堯は無心であるのに、参詣者は、何を苦しんでそんな真似をどうしてするのであろうか。

門前長跪雙石人,有女如花日歌舞。

その廟まえには、二つの石人が長跪しているし、そこら辺りには、花のような女が集められて、毎日、歌舞を演じ、雅楽を奏じ、賑やかなのである。

#2

笑って誇る 故人の境をし,山光 水色 藍よりも青し。

廟中 往往 來たって鼓を擊つ,堯 本もと 無心 爾 何ぞ苦む。

門前 長跪す 石人雙り,女有り 如花のく 日に歌舞す。

 

#3

銀鞍繡轂往復迴,簸林蹶石鳴風雷。

その中の貴人公子の人たちは、銀鞍にまたがり、繡轂を轉じて、しきりに往来し、そして、その車馬は林を簸い、石につまずくような勢いで、遙かに聞こえてくる風雷の鳴る音のようである。

遠煙空翠時明滅,白鷗歷亂長飛雪。

眺めれば、遠くにたなびく煙か、雲か、空翠の色は、時には明滅している、白鷗が飛び起ってゆくのはまるで、雪が横殴りに飛ぶように見える。

紅泥亭子赤闌干,碧流環轉青錦湍。

それから、廟には丹塗りの亭子は、赤い欄干をめぐらして、その下には、碧流がぐるぐると環轉し、少し流れて、早瀬には青錦を晒し流すようである。

#3

銀鞍 繡轂 往き復た迴えり,林を簸い 石に蹶いて 風雷を鳴らす。

遠くの煙 翠くする空 時に明滅し,白鷗は 歷亂し 長く雪を飛ばす。

紅泥の亭子には 赤い闌干あり,碧流は 環轉し 青錦湍。

 

#4

深沈百丈洞海底,那知不有蛟龍蟠。

百丈の深さの淵は、洞海の海の底にも通じるのかと怪しまれ、そこには、どういうわけか、蛟龍が潜んで、蟠っているかもしれない。

君不見綠珠潭水流東海,綠珠紅粉沈光彩。

晉の侍中石崇が豪奢をほしいままにしたという、その邸宅のあたりには、綠珠潭という淵潭があり、その流れは東海にすすぐ流れであったが、その南に、あった綠珠樓に寵愛する綠珠が禍のもとになり、そこには紅粉の装いもいつしか消え、沈光彩は水の底深く沈んでしまった。

綠珠樓下花滿園,今日曾無一枝在。

その名と同じ綠珠樓が有り、楼の下には、花がいっぱいに咲き乱れ、園中をいっぱいにあふれたものであるが、それも今日では、その絵で一本さえも残っていない。

#4

深沈 百丈 洞海の底,那ぞ知らん 蛟龍の蟠るを有らざるを。

君見ずや 綠珠 潭水 東海に流れ,綠珠の紅粉 光彩を沈む。

綠珠 樓下に 花は滿園につ,今日 曾て 一枝在るも無し。

 

#5

昨夜秋聲閶闔來,洞庭木落騷人哀。

時は秋で、昨夜は秋の颯風が天に続く門をぬけて秋聲をおこしていたが、洞庭湖上、木の葉は乱れ落ち、汨羅に沈んだ屈原も悲哀の情に堪えないことであろう。

遂將三五少年輩,登高遠望形神開。

そこで、成人になろうとする若者の輩を引き連れて、高いところに登って眺めると、悲哀の上を吹き散らして、形神ともに開らかれるように感じる景色が広がっているのである。

生前一笑輕九鼎,魏武何悲銅雀臺。

非常に貴重な九鼎でさえも、大したものではないと、生前には一笑に付し去るということがよいので、魏の武帝などは、区区として、その名位に固執し、臨終に際してもあの銅雀臺を着にかけ、なんと悲しんだという。

#5

昨夜 秋聲 閶闔より來り,洞庭 木落ちて 騷人哀む。

遂に 三、五の少年輩をもって,登高 遠望し 形神 開く。

生前 一笑 九鼎を輕んじ,魏武 何ぞ悲む 銅雀臺。

#6

我歌白雲倚牕牖,爾聞其聲但揮手。

だから、窓に寄りかかり、我々は白雲に向かって声高らかにうたいあげる、なんじはその声を聴いたなら、ただ手を揮えばよいのである。

長風吹月度海來,遙勸仙人一杯酒。

そうして、そこには、長風颯然、月に向かって吹きあげた風は海を渡って吹いてきたのであり、湖の風流な景色は、遙か東海の三山より、仙人をも呼び下して、一杯の酒を勧めようと思うところである。

酒中樂酣宵向分,舉觴酹堯堯可聞。

こうして、酒宴も酣になり、すでに夜中近くになろうというのに、羽觴を挙げて堯帝に一献傾けるといって酒を勧め、堯帝が之を聞くか聞かないか問題なく酒を飲むのである。

 

#6

我は 白雲を歌い 牕牖に倚る,爾は 其の聲を聞いて 但だ 手を揮う。

長風 月を吹いて 海を度って來る,遙に仙人に勸む 一杯の酒。

酒中樂 酣わにして 宵 分に向う,觴を舉げて堯に酹し 堯 聞く可し。

#7

何不令繇擁篲橫八極,直上青天揮浮雲。

堯の魂魄が、未だ死んでいなくて、墳墓の奥から、杯を傾けようと、言おうものなら、いとしたら、伝説上の人物である帝堯や帝舜の時代に公平な裁判をおこなった人である皋陶に命じ、天下通津裏まで、掃き清めて頂き、そして、ただちに青天に上って、浮雲を拂ってもらえば、これから先、夜中とこしえに明るくしてもらったとしても、堯の魂魄がどこへ行ったか分からないことだろう。

高陽小飲真瑣瑣,山公酩酊何如我。

山簡が、襄陽の習家の高揚池のほとりにおいて痛飲したというが、、それはまことに瑣瑣なことで、あの山公が酩酊したといったとしても、これは、近隣の小競り合いに構っておれないという、山公の賢さであって、どうしてわれらのこの酒宴は、竇華明府が都に帰る壮行の宴であることに影響があろうか。

竹林七子去道,蘭亭雄筆安足誇。

竹林の七賢は、風流放誕の生涯を恣にしたが、今はどこに行ってしまったか、王羲之氏は、蘭亭に修禊し、雄筆を以てその序を書いて、千年にわたって伝えているが、そんなことは決して誇るに足らないことである。

#7

何ぞ繇をて 篲を擁し 八極に橫たえ,直ちに 青天に上って 浮雲を揮はしめざる。

高陽の小飲 真に瑣瑣,山公 酩酊 何ぞ我に如かん。

竹林の七子 去道 かなり,蘭亭の雄筆 安んぞ誇るにらん。

#8

堯祠笑殺五湖水,至今顦悴空荷花。

爾向西秦我東越,暫向瀛洲訪金闕。

藍田太白若可期,爲余掃灑石上月。

 

 

《魯郡堯祠送竇明府薄華還西京》現代語訳と訳註解説

(本文)

#7

何不令繇擁篲橫八極,直上青天揮浮雲。

高陽小飲真瑣瑣,山公酩酊何如我。

竹林七子去道,蘭亭雄筆安足誇。

 

(下し文)

#7

何ぞ繇をして 篲を擁し 八極に橫たえ,直ちに 青天に上って 浮雲を揮はしめざる。

高陽の小飲 真に瑣瑣,山公 酩酊 何ぞ我に如かん。

竹林の七子 去道 かなり,蘭亭の雄筆 安んぞ誇るに足らん。

 

(現代語訳)

堯の魂魄が、未だ死んでいなくて、墳墓の奥から、杯を傾けようと、言おうものなら、いとしたら、伝説上の人物である帝堯や帝舜の時代に公平な裁判をおこなった人である皋陶に命じ、天下通津裏まで、掃き清めて頂き、そして、ただちに青天に上って、浮雲を拂ってもらえば、これから先、夜中とこしえに明るくしてもらったとしても、堯の魂魄がどこへ行ったか分からないことだろう。

山簡が、襄陽の習家の高揚池のほとりにおいて痛飲したというが、、それはまことに瑣瑣なことで、あの山公が酩酊したといったとしても、これは、近隣の小競り合いに構っておれないという、山公の賢さであって、どうしてわれらのこの酒宴は、竇華明府が都に帰る壮行の宴であることに影響があろうか。

竹林の七賢は、風流放誕の生涯を恣にしたが、今はどこに行ってしまったか、王羲之氏は、蘭亭に修禊し、雄筆を以てその序を書いて、千年にわたって伝えているが、そんなことは決して誇るに足らないことである。

 

 

(訳注)

魯郡堯祠送竇明府薄華還西京

1.  (魯郡の堯祠において送別の宴が開かれ、竇華明府が西京、長安に帰るを送った際の詩である。)

 

#7

何不令繇擁篲橫八極,直上青天揮浮雲。

堯の魂魄が、未だ死んでいなくて、墳墓の奥から、杯を傾けようと、言おうものなら、いとしたら、伝説上の人物である帝堯や帝舜の時代に公平な裁判をおこなった人である皋陶に命じ、天下通津裏まで、掃き清めて頂き、そして、ただちに青天に上って、浮雲を拂ってもらえば、これから先、夜中とこしえに明るくしてもらったとしても、堯の魂魄がどこへ行ったか分からないことだろう。

16. 繇 皋陶(こうよう)は古代中国の伝説上の人物。帝堯や帝舜の時代に公平な裁判をおこなった人物として知られる。 司法をつかさどる官吏(司空・司寇)として力をふるったといい、どのような事件に対しても公平な裁決につとめたされる。その判決には、正しい者を判別して示すという霊獣である獬豸(かいち)を使ったともいい、後の時代に司法官のかぶる帽子を獬豸冠(かいちかん)と称することの由来にもなっている。

17. 擁篲橫 箒を抱えて、横に払って蹴散らす。

18. 八極 四方と四隅。東・西・南・北、乾(けん)・坤(こん)・艮(ごん)・巽(そん)の八方。また、八方の遠い土地。

 

高陽小飲真瑣瑣,山公酩酊何如我。

山簡が、襄陽の習家の高揚池のほとりにおいて痛飲したというが、、それはまことに瑣瑣なことで、あの山公が酩酊したといったとしても、これは、近隣の小競り合いに構っておれないという、山公の賢さであって、どうしてわれらのこの酒宴は、竇華明府が都に帰る壮行の宴であることに影響があろうか。

19. 高陽 水經註に「襄陽侯習郁、、依范蠡養魚法、作大陂、陂長六十歩、廣四十歩、又作石伏逗引大池水於宅北、作小魚池。池長七十歩、廣十二歩、西、枕大道、東二邉、限以髙堤、楸竹夾植、蓮芡覆水、是游宴之名處也。」とある。 

瑣瑣 こまごまとしているさま。わずらわしいさま。

20. 山公 山簡は字を季倫といい、司徒山濤の子である。永嘉三年(三〇九)、出向して征南将軍、都督荊・湘・交・広四州諸軍事、仮節となり、襄陽に駐屯した。そのころ四方で騒乱が起こって天下は崩壊し、王朝の威信は振るわず、朝廷でも在野でも危惧する者があった。(しかし)山簡は年が暮れるまで優雅に遊び暮らし、ひたすら酒に溺れ続けた。習氏一族は荊州の豪族であり、立派な庭園や池を所有していた。山簡は遊行に出かけるとなると、その池の側へ行くことが多く、酒宴を開いてはすぐに酔っぱらって「これぞ我の高陽池だ!」と言った。子供たちはこう歌った。「山公どちらへお出かけかしら?高陽池へと行くんだよ。日暮れにゃ潰れて車で帰り、泥酔していて訳も分からぬ。ときには乗馬もやるけれど、白い頭巾を逆さにかぶる。鞭を振りふり葛強に『幷州どのはいかが?』とお訊ね。」葛強は幷州に住まいする山簡のお気に入りの部将である。そのころ楽府勤めの楽人たちの多くが沔漢へと避難していた。宴会の日、補佐官のなかに、彼らに演奏させてはと勧める者があったが、山簡は「社稷が傾いているのにお救いすることもできずにいる。(我は)晋にとっては罪人なのだ。どうして楽しむ余裕などがあるだろう?」と言い、涙を流して怒りをつのらせた。同座した者はみな恥ずかしく思った。

 

竹林七子去道,蘭亭雄筆安足誇。

竹林の七賢は、風流放誕の生涯を恣にしたが、今はどこに行ってしまったか、王羲之氏は、蘭亭に修禊し、雄筆を以てその序を書いて、千年にわたって伝えているが、そんなことは決して誇るに足らないことである。

21. 竹林七子 後漢(ごかん)末から魏()を経て西晋(せいしん)に至る間(2世紀末から4世紀初め)に、文学を愛し、酒や囲碁や琴(こと)を好み、世を白眼視して竹林の下に集まり、清談(せいだん)を楽しんだ、阮籍(げんせき)、山濤(さんとう)、向秀(しょうしゅう)、阮咸(げんかん)(以上河南省)、康(けいこう)(安徽(あんき)省)、劉伶(りゅうれい)(江蘇(こうそ)省)、王戎(おうじゅう)(山東省)の7人の知識人たちに与えられた総称。彼らは、魏晋の政権交替期の権謀術数の政治や社会と、形式に堕した儒教の礼教を批判して、偽善的な世間の方則(きまり)の外に身を置いて、老荘の思想を好んだ方外の士である。彼らの常軌を逸したような発言や奇抜な行動は、劉義慶(ぎけい)の『世説新語』に記されている。そこには、たとえば、阮籍は、母の葬式の日に豚を蒸して酒を飲んでいたが、別れに臨んでは号泣一声、血を吐いた、とある。彼らの態度は、人間の純粋な心情をたいせつにすべきことを訴える一つの抵抗の姿勢であり、まったくの世捨て人ではなかった。すなわち、康は素志を貫いて為政者に殺され、山濤は出仕して能吏の評判が高かった。

22. 蘭亭雄筆 何延之蘭亭始末記「蘭亭者晉右將軍稽内史琅琊王羲之所書之序也。右軍綿美胄蕭散名賢雅好山水尤善草𨽻、以晉穆帝永和九年暮春三月三日、宦山隂、與太原山統孫綽廣漢王彬之、陳郡謝安、髙平郄曇、太原王釋支遁、并其子凝之、徽之、操之等、四十有二人、修祓禊之禮於山隂之蘭亭、揮毫製序、興樂而書、用蠶繭紙、鬚筆遒媚勁健、絶代更無。」