746-024卷一七六 魯郡堯祠送竇明府薄華還西京-#8(卷十六(二)九八五)

 

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魯郡堯祠送竇明府薄華還西京-#8

1#28§6-7元和聖德

九日五首 其四

訳注解説 (344)回目顧【字解集】-4

樂府詩二首其一 #3擬相逢狹路間〔荀 昶

題隱霧亭

李白詩

韓愈詩

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玉臺新詠

中国古代史女性論

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

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【字解集】 18. 夢遊天姥吟留別 19.魯中送二從弟赴舉之西京 20.魯中都東樓醉起作 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9805

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

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・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

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index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

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index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

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韓愈 哲学・儒学「五原」

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

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746-024卷一七六 魯郡堯祠送竇明府薄華還西京-#8(卷十六(二)九八五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9876

ここに堯祠に立って、遙かなる五湖を思いやれば、いにしえに、呉越戦争に勝った後、范蠡が舟を泛べて遠く去ったことを笑いをうかべるが、今日に至れば、湖中には憔悴したようにしか見えない、蓮の花が空しく残っているばかりで、寂寥のありさまが広がっている。

ここに、現実に戻れば、爾は西秦、長安に還るに際し、我は、東越、会稽に向かい、しばらくの間、瀛州の仙人の金闕を訪れようと思っている。

長安に還れば、藍田山の玉、秦嶺山脈の最高峰の太白山があり、隠遁者の多い処であり、いつかそこに行くことを約束したいものであり、仙道を学ぶことになれば、余がために大石の面を月下に掃除しておいてほしい、いつか行こうと思うところである。

 

746-024 

魯郡堯祠送竇明府薄華還西京

(卷十六(二)九八五) -#8

全唐詩 176-16

李白集校注卷十六(二)九八五

李太白集巻十六16

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9876

 

魯中送二從弟赴舉之西京

〈一作「送族弟鍠」〉

魯客向西笑,君門若夢中。霜凋逐臣髮,日憶明光宮。

復羨二龍去,才華冠世雄。平衢騁高足,逸翰凌長風。

舞袖拂秋月,歌筵聞蚤鴻。送君日千里,良會何由同。

 

卷一八二 魯中都東樓醉起作(卷二三(二)一三二九)         昨日東樓醉,還應     五言絶句

182-04 魯中都東樓醉起作

魯中都東樓醉起作

昨日東樓醉,還應倒接

阿誰扶上馬,不省下樓時。

 

卷一八三 魯東門觀刈蒲(卷二四(二)一四一七)         魯國寒事早,初霜   古詩十句

183-20 魯東門觀刈蒲 

魯國寒事早,初霜刈渚蒲。揮鐮若轉月,拂水生連珠。此草最可珍,何必貴龍鬚。

織作玉牀席,欣承清夜羅衣能再拂,不畏素塵蕪。             

 

卷一七五 魯郡堯祠送五之琅琊(卷十六(二)九八五)  堯沒三千,青松   五言律詩

                175-015

堯沒三千,青松古廟存。送行奠桂酒,拜舞清心魂。

日色促歸人,連歌倒芳樽。馬嘶俱醉起,分手更何言。

 

卷一七六-04 魯郡堯祠送張十四遊西北(卷十七(二)一○○一)猛虎伏尺草 古詩十句

魯郡堯祠送張十四遊西北

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

有如張公子,骯髒在風塵。

豈無橫腰劒,屈彼淮陰人。

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

歸來泰山上,當與爾爲鄰。

 

卷一七六 魯郡堯祠送竇明府薄華還西京(卷十六(二)九八五)朝策犁眉騧     雑言古詩8分割

               175-16

朝策犂眉騧,舉鞭力不堪。

扶愁疾向何處,角巾微服堯祠南。

長楊掃地不見日,石門噴作金沙潭。

#2

笑誇故人指境,山光水色青於藍。

廟中往往來擊鼓,堯本無心爾何苦。

門前長跪雙石人,有女如花日歌舞。

#3

銀鞍繡轂往復迴,簸林蹶石鳴風雷。

遠煙空翠時明滅,白鷗歷亂長飛雪。

紅泥亭子赤闌干,碧流環轉青錦湍。

#4

深沈百丈洞海底,那知不有蛟龍蟠。

君不見綠珠潭水流東海,綠珠紅粉沈光彩。

綠珠樓下花滿園,今日曾無一枝在。

#5

昨夜秋聲閶闔來,洞庭木落騷人哀。

遂將三五少年輩,登高遠望形神開。

生前一笑輕九鼎,魏武何悲銅雀臺。

#6

我歌白雲倚牕牖,爾聞其聲但揮手。

長風吹月度海來,遙勸仙人一杯酒。

酒中樂酣宵向分,舉觴酹堯堯可聞。

#7

何不令繇擁篲橫八極,直上青天揮浮雲。

高陽小飲真瑣瑣,山公酩酊何如我。

竹林七子去道,蘭亭雄筆安足誇。

#8

堯祠笑殺五湖水,至今顦悴空荷花。

爾向西秦我東越,暫向瀛洲訪金闕。

藍田太白若可期,爲余掃灑石上月。

 

卷一七九 攜妓登梁王棲霞山孟氏桃園中(卷二十(二)一一六一)碧草已滿地   雑言古詩2分割

碧草已滿地,柳與梅爭春。  179-08

謝公自有東山妓,金屏笑坐如花人。

今日非昨日,明日還復來。

白髮對綠酒,強歌心已摧。

君不見梁王池上月,昔照梁王樽酒中。

梁王已去明月在,黃鸝愁醉啼春風。

分明感激眼前事,莫惜醉臥桃園東。

 

卷一七一 贈從弟冽(卷十二(一)七九九)      楚人不識鳳,重價            五言古詩 4分割

贈從弟冽                   巻171-012

楚人不識鳳,重價求山雞。             

獻主昔云是,今來方覺迷。             

自居漆園北,久別咸陽西。             

風飄落日去,節變流鶯啼。             

桃李寒未開,幽關豈來蹊。             

逢君發花萼,若與青雲齊。             

及此桑葉綠,春蠶起中閨。             

日出布穀鳴,田家擁鋤犁。             

顧余乏尺土,東作誰相攜。             

降霖雨,公輸造雲梯。             

羌戎事未息,君子悲塗泥。             

報國有長策,成功羞執珪。             

無由謁明主,杖策還蓬藜。             

他年爾相訪,知我在磻溪。             

太白山001


卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷十六(二)九八五

卷一七六-16

十五16

詩題

魯郡堯祠送竇明府薄華還西京

文體

雜言古詩

 

詩序

0

     初句

朝策犂眉騧

天寶四年  746  46

作地點

東魯・魯郡(河南道 / 兗州 / 魯郡) 堯祠

及地點

河北道、各地にて游

 

 

 

交遊人物/交遊地點

交遊人物/交遊地點

縣令竇明府  (東魯・魯郡(河南道 / 兗州 / 魯郡)

 

魯郡堯祠送竇明府薄華還西京

(魯郡の堯祠において送別の宴が開かれ、竇華明府が西京、長安に帰るを送った際の詩である。)

朝策犂眉騧,舉鞭力不堪。

あしたに、いにしえの駿馬の名「犂眉騧」にも比すべき名馬に乗り、鞭うって千里のたびに向かおうと思うが、病気のため臥せていたので、鞭を挙げる力さえないから、馬を走らせることができない。

扶愁疾向何處,角巾微服堯祠南。

ここで、無理強いして、つまり、疾病を助けてどこへ行くかといえば、角巾を戴き、ことさらに微服をきて、堯祠の南に向かうのは、竇明府の餞宴場所に急いで行くためである。

長楊掃地不見日,石門噴作金沙潭。

しだれ柳の枝条が土手を掃くほどに垂れて、日の光さえ届かないほどである、石門から流れる水は、噴き出て、そこに日がさして、金沙潭となって輝いている。

(魯郡の堯祠に竇明府薄華の西京に還えるを送る)

朝に 犂眉の騧に策ち,鞭を舉げて 力 堪えず。

いて 愁疾を扶け 何れの處に向わん,角巾 微服 堯祠の南。

長楊 地を掃うて 日を見ず,石門 噴いて作る 金沙の潭。

 

#2

笑誇故人指境,山光水色青於藍。

そこで、絶叫を指して故人に向かい、この景色は誇るべきものと高笑いし、山光水色、相い映じて「藍よりも靑し」と見えるのである。

廟中往往來擊鼓,堯本無心爾何苦。

堯祠の廟中においては行ったり来たり多くの参詣者が来ては、鼓をたたく、元来、堯は無心であるのに、参詣者は、何を苦しんでそんな真似をどうしてするのであろうか。

門前長跪雙石人,有女如花日歌舞。

その廟まえには、二つの石人が長跪しているし、そこら辺りには、花のような女が集められて、毎日、歌舞を演じ、雅楽を奏じ、賑やかなのである。

#2

笑って誇る 故人の境をし,山光 水色 藍よりも青し。

廟中 往往 來たって鼓を擊つ,堯 本もと 無心 爾 何ぞ苦む。

門前 長跪す 石人雙り,女有り 如花のく 日に歌舞す。

 

#3

銀鞍繡轂往復迴,簸林蹶石鳴風雷。

その中の貴人公子の人たちは、銀鞍にまたがり、繡轂を轉じて、しきりに往来し、そして、その車馬は林を簸い、石につまずくような勢いで、遙かに聞こえてくる風雷の鳴る音のようである。

遠煙空翠時明滅,白鷗歷亂長飛雪。

眺めれば、遠くにたなびく煙か、雲か、空翠の色は、時には明滅している、白鷗が飛び起ってゆくのはまるで、雪が横殴りに飛ぶように見える。

紅泥亭子赤闌干,碧流環轉青錦湍。

それから、廟には丹塗りの亭子は、赤い欄干をめぐらして、その下には、碧流がぐるぐると環轉し、少し流れて、早瀬には青錦を晒し流すようである。

#3

銀鞍 繡轂 往き復た迴えり,林を簸い 石に蹶いて 風雷を鳴らす。

遠くの煙 翠くする空 時に明滅し,白鷗は 歷亂し 長く雪を飛ばす。

紅泥の亭子には 赤い闌干あり,碧流は 環轉し 青錦湍。

 

#4

深沈百丈洞海底,那知不有蛟龍蟠。

百丈の深さの淵は、洞海の海の底にも通じるのかと怪しまれ、そこには、どういうわけか、蛟龍が潜んで、蟠っているかもしれない。

君不見綠珠潭水流東海,綠珠紅粉沈光彩。

晉の侍中石崇が豪奢をほしいままにしたという、その邸宅のあたりには、綠珠潭という淵潭があり、その流れは東海にすすぐ流れであったが、その南に、あった綠珠樓に寵愛する綠珠が禍のもとになり、そこには紅粉の装いもいつしか消え、沈光彩は水の底深く沈んでしまった。

綠珠樓下花滿園,今日曾無一枝在。

その名と同じ綠珠樓が有り、楼の下には、花がいっぱいに咲き乱れ、園中をいっぱいにあふれたものであるが、それも今日では、その絵で一本さえも残っていない。

#4

深沈 百丈 洞海の底,那ぞ知らん 蛟龍の蟠るを有らざるを。

君見ずや 綠珠 潭水 東海に流れ,綠珠の紅粉 光彩を沈む。

綠珠 樓下に 花は滿園につ,今日 曾て 一枝在るも無し。

 

#5

昨夜秋聲閶闔來,洞庭木落騷人哀。

時は秋で、昨夜は秋の颯風が天に続く門をぬけて秋聲をおこしていたが、洞庭湖上、木の葉は乱れ落ち、汨羅に沈んだ屈原も悲哀の情に堪えないことであろう。

遂將三五少年輩,登高遠望形神開。

そこで、成人になろうとする若者の輩を引き連れて、高いところに登って眺めると、悲哀の上を吹き散らして、形神ともに開らかれるように感じる景色が広がっているのである。

生前一笑輕九鼎,魏武何悲銅雀臺。

非常に貴重な九鼎でさえも、大したものではないと、生前には一笑に付し去るということがよいので、魏の武帝などは、区区として、その名位に固執し、臨終に際してもあの銅雀臺を着にかけ、なんと悲しんだという。

#5

昨夜 秋聲 閶闔より來り,洞庭 木落ちて 騷人哀む。

遂に 三、五の少年輩をもって,登高 遠望し 形神 開く。

生前 一笑 九鼎を輕んじ,魏武 何ぞ悲む 銅雀臺。

#6

我歌白雲倚牕牖,爾聞其聲但揮手。

だから、窓に寄りかかり、我々は白雲に向かって声高らかにうたいあげる、なんじはその声を聴いたなら、ただ手を揮えばよいのである。

長風吹月度海來,遙勸仙人一杯酒。

そうして、そこには、長風颯然、月に向かって吹きあげた風は海を渡って吹いてきたのであり、湖の風流な景色は、遙か東海の三山より、仙人をも呼び下して、一杯の酒を勧めようと思うところである。

酒中樂酣宵向分,舉觴酹堯堯可聞。

こうして、酒宴も酣になり、すでに夜中近くになろうというのに、羽觴を挙げて堯帝に一献傾けるといって酒を勧め、堯帝が之を聞くか聞かないか問題なく酒を飲むのである。

 

#6

我は 白雲を歌い 牕牖に倚る,爾は 其の聲を聞いて 但だ 手を揮う。

長風 月を吹いて 海を度って來る,遙に仙人に勸む 一杯の酒。

酒中樂 酣わにして 宵 分に向う,觴を舉げて堯に酹し 堯 聞く可し。

#7

何不令繇擁篲橫八極,直上青天揮浮雲。

堯の魂魄が、未だ死んでいなくて、墳墓の奥から、杯を傾けようと、言おうものなら、いとしたら、伝説上の人物である帝堯や帝舜の時代に公平な裁判をおこなった人である皋陶に命じ、天下通津裏まで、掃き清めて頂き、そして、ただちに青天に上って、浮雲を拂ってもらえば、これから先、夜中とこしえに明るくしてもらったとしても、堯の魂魄がどこへ行ったか分からないことだろう。

高陽小飲真瑣瑣,山公酩酊何如我。

山簡が、襄陽の習家の高揚池のほとりにおいて痛飲したというが、、それはまことに瑣瑣なことで、あの山公が酩酊したといったとしても、これは、近隣の小競り合いに構っておれないという、山公の賢さであって、どうしてわれらのこの酒宴は、竇華明府が都に帰る壮行の宴であることに影響があろうか。

竹林七子去道,蘭亭雄筆安足誇。

竹林の七賢は、風流放誕の生涯を恣にしたが、今はどこに行ってしまったか、王羲之氏は、蘭亭に修禊し、雄筆を以てその序を書いて、千年にわたって伝えているが、そんなことは決して誇るに足らないことである。

#7

何ぞ繇をて 篲を擁し 八極に橫たえ,直ちに 青天に上って 浮雲を揮はしめざる。

高陽の小飲 真に瑣瑣,山公 酩酊 何ぞ我に如かん。

竹林の七子 去道 かなり,蘭亭の雄筆 安んぞ誇るにらん。

#8

堯祠笑殺五湖水,至今顦悴空荷花。

ここに堯祠に立って、遙かなる五湖を思いやれば、いにしえに、呉越戦争に勝った後、范蠡が舟を泛べて遠く去ったことを笑いをうかべるが、今日に至れば、湖中には憔悴したようにしか見えない、蓮の花が空しく残っているばかりで、寂寥のありさまが広がっている。

爾向西秦我東越,暫向瀛洲訪金闕。

ここに、現実に戻れば、爾は西秦、長安に還るに際し、我は、東越、会稽に向かい、しばらくの間、瀛州の仙人の金闕を訪れようと思っている。

藍田太白若可期,爲余掃灑石上月。

長安に還れば、藍田山の玉、秦嶺山脈の最高峰の太白山があり、隠遁者の多い処であり、いつかそこに行くことを約束したいものであり、仙道を学ぶことになれば、余がために大石の面を月下に掃除しておいてほしい、いつか行こうと思うところである。

#8

堯祠 笑殺す 五湖の水,今に至って 顦悴す 空しく荷花。

爾は 西秦に向う 我は東越に,暫く瀛洲に向って 金闕を訪う。

藍田 太白 若し期す可くんば,余が爲に 掃灑せよ 石上の月。

 

 

《魯郡堯祠送竇明府薄華還西京》現代語訳と訳註解説

(本文)

#8

堯祠笑殺五湖水,至今顦悴空荷花。

爾向西秦我東越,暫向瀛洲訪金闕。

藍田太白若可期,爲余掃灑石上月。

 

(下し文)

#8

堯祠 笑殺す 五湖の水,今に至って 顦悴す 空しく荷花。

爾は 西秦に向う 我は東越に,暫く瀛洲に向って 金闕を訪う。

藍田 太白 若し期す可くんば,余が爲に 掃灑せよ 石上の月。

 

(現代語訳)

ここに堯祠に立って、遙かなる五湖を思いやれば、いにしえに、呉越戦争に勝った後、范蠡が舟を泛べて遠く去ったことを笑いをうかべるが、今日に至れば、湖中には憔悴したようにしか見えない、蓮の花が空しく残っているばかりで、寂寥のありさまが広がっている。

ここに、現実に戻れば、爾は西秦、長安に還るに際し、我は、東越、会稽に向かい、しばらくの間、瀛州の仙人の金闕を訪れようと思っている。

長安に還れば、藍田山の玉、秦嶺山脈の最高峰の太白山があり、隠遁者の多い処であり、いつかそこに行くことを約束したいものであり、仙道を学ぶことになれば、余がために大石の面を月下に掃除しておいてほしい、いつか行こうと思うところである。

 

(訳注)

魯郡堯祠送竇明府薄華還西京

1.  (魯郡の堯祠において送別の宴が開かれ、竇華明府が西京、長安に帰るを送った際の詩である。)

 

#8

堯祠笑殺五湖水,至今顦悴空荷花。

ここに堯祠に立って、遙かなる五湖を思いやれば、いにしえに、呉越戦争に勝った後、范蠡が舟を泛べて遠く去ったことを笑いをうかべるが、今日に至れば、湖中には憔悴したようにしか見えない、蓮の花が空しく残っているばかりで、寂寥のありさまが広がっている。

23. 五湖 太湖。

 

爾向西秦我東越,暫向瀛洲訪金闕。

ここに、現実に戻れば、爾は西秦、長安に還るに際し、我は、東越、会稽に向かい、しばらくの間、瀛州の仙人の金闕を訪れようと思っている。

24. 東越 会稽。会稽郡(かいけい-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。秦代から唐代にかけて設置された。 揚州東部の長江下流域に設置され、六朝時代には政治、文化(六朝文化)の中心地として発展した。その領域は時代によって変遷があるが、現在の中華人民共和国浙江省紹興市付近がその中心である。

25. 瀛洲金闕 東海にある神仙三山(蓬莱・瀛州・方丈)の三仙島の一。神仙三山にある黄金造の門をもった宮殿。

 

藍田太白若可期,爲余掃灑石上月。

長安に還れば、藍田山の玉、秦嶺山脈の最高峰の太白山があり、隠遁者の多い処であり、いつかそこに行くことを約束したいものであり、仙道を学ぶことになれば、余がために大石の面を月下に掃除しておいてほしい、いつか行こうと思うところである。

26. 藍田太白 長安の南に藍田山があり、西方に太白山がある、長安の南側に東西に延びる秦嶺山脈を構成している山である。秦嶺山脈は標高2000mを超え,黄河と長江(揚子江)との分水嶺で,中国を南北に分ける地理上の重要な境界をなしている。主峰の太白山は3767m。秦嶺の北は顕著な断層をなし,断層線にそって有名な驪山(りざん)温泉をはじめ多くの温泉が分布しており,渭河(渭水)の南にそびえる華山は峻険な断崖に富んだ中国有数の名山である。太平寰宇記、「藍田山在藍田縣西三十里、一名玉山、一名覆車山。郭緣生述征記云、山形、如覆車之象也。按、後魏風土記云、山方二里、仙聖游集之所、劉雄鳴、學道於此、下有祠。 甚嚴、灞水之源出於此。」とあり、  圖書編太白山、在郿縣東南、中諸山、莫髙於此、上有鐡鑄山神牌三有、湫池、雖三伏亦凝氷、山常有積雪不消、盛夏、視之、猶爛然、故以太白名。有鬼谷、即鬼谷子、授蘇秦押闔術處。」とある。

 

27. 李白集校注 王琦の解

  魯郡堯祠送竇明府薄華還西京/初起作

犁眉騧舉鞭力不堪扶愁疾向何處角巾

一作/堯祠南長楊掃地不見日石門噴作金沙潭笑誇

故人一作笑/謔伯明指絶境山光水色青於藍廟中往往來撃

鼓堯本無心爾何苦門前長跪雙石人有女如花日歌

舞銀鞍繆本/作鞭繡轂徃復迴簸林蹶石鳴風雷烟空

時明滅白鷗歴亂長飛雪紅泥亭子赤一作/欄干碧流

環轉青錦湍深沉百丈洞海底那知不有蛟龍蟠繆本/作盤

文十六國春秋姚襄所乗駿馬曰黧眉騧日行千里説騧黄馬黑喙也黧黒也黧眉騧則黄馬而黒眉者矣

古犁黧字通用胡三省通鑑註幅巾以横幅為之角巾/則巾之有角者郭林宗遇雨巾一角墊則角巾也梁簡

 

文帝詩枝中水上春併歸長楊掃地桃花飛荀子青出/於藍而青於藍王勃詩銀鞍繡轂盛繁華西京賦蕩川

瀆簸林薄李周翰註蕩簸謂搖動張恊七命林蹶石/幽叢李善註蹶動揺之貌謝靈運詩空翠難為

 

君不見綠珠潭水流東海綠珠紅粉沉光彩一作白首/同歸翳光

/綠珠樓下花滿園今日曾無一枝在昨夜秋聲閶闔

 

來洞庭木落騷人哀遂將三五少年軰登髙繆本/作送

/形神開生前一笑輕九鼎魏武何悲銅雀臺洛陽伽/藍記昭

 

儀寺有池京師學徒謂之翟泉後隠士趙逸云此地是/晉侍中石崇家池池南有緑珠樓於是學徒始悟經過

者想見綠珠之容也太平寰宇記洛陽縣石崇宅有緑/珠樓今謂之狄泉是也孔頴逹春秋正義易緯通卦騐

云秋分閶闔風至王叔齋籟記閶闔風一名盲風又曰/飂風亦曰泰風起自成天之閶闔門從西方來楚辭洞

庭波兮木葉下髙唐賦登髙望使人心悴魏志建安/十五年冬作銅雀臺陸機弔魏武帝文魏武帝遺令曰

吾婕妤妓人皆著銅雀臺於臺堂上施八尺牀張繐帳/朝晡上脯糒之屬月朝十五輙向帳作伎汝等時時登

 

銅雀臺望吾/西陵墓田我歌白雲倚忩牖一作大/開口爾聞其聲但揮

手長風吹月渡海來遙勸仙人一杯酒酒中樂酣宵向

 

分舉觴酹堯堯可聞何不令一作/擁篲横八極直

上青天掃一作/浮雲髙陽小飲真𤨏𤨏山公酩酊何如

我竹林七子去道蘭亭雄筆安足誇堯祠笑殺五/

/湖水至今憔悴空荷花爾向西秦我東越暫向瀛洲

訪金闕藍田太白若可期為余掃灑石上月上林賦於/是酒中樂

酣顔師古註酒中飲酒中半也。 

樂酣奏樂洽也。沈約詩月落宵向分紫烟  繇即陶字異音同本

書古今人表漢書太公擁篲顔師古註篲者所以掃也。

水經註「襄陽侯習郁、依范蠡養魚法、作大陂、陂長六十歩、廣四十歩、

又作石伏逗引大池水於宅北作小魚池池

長七十歩廣十二歩西枕大道東二邉限以髙堤楸竹夾植蓮芡覆水是游宴之名處也 

山季倫之鎮襄陽毎臨此池未嘗不大醉而還恒言此是我髙陽池故時

人為之歌曰山公出何去徑至髙陽池日暮倒載歸酩酊無所知爾雅瑣瑣小也玉篇酩酊醉甚也羣輔錄魏

歩兵校尉陳留阮籍字嗣宗中散大夫譙嵇康字叔夜晉司徒河内山濤字巨源建威參軍沛劉伶字伯倫始

平太守陳留阮咸字仲容散騎常侍河内向秀字子期司徒琅琊王戎字濬冲魏嘉平中並居河南山陽共為

竹林之游世號竹林七賢

何延之蘭亭始末記「蘭亭者晉右將軍稽内史琅琊王羲之所書之序也。右軍綿美胄蕭散名賢

雅好山水尤善草𨽻、以晉穆帝永和九年暮春三月三日、宦山隂、與太原山統孫綽廣

王彬之、陳郡謝安、髙平郄曇、太原王釋支遁、并其子凝之、徽之、操之等、

四十有二人、修祓禊之禮於山隂之蘭亭、揮毫製序、興樂而書、用蠶繭紙、鬚筆

遒媚勁健、絶代更無。」

凡二十八行三百二十四字字有重者皆搆

體就中之字最多乃有二十許箇變轉悉異遂無同者其時乃有神助及醒後他日更書數十百本終無及

者右軍亦自珍愛寳重此書留付子孫楊齊賢曰五湖太湖也東越稽也洲金闕事詳見四巻登髙丘

海註

太平寰宇記藍田山在藍田縣西三十里一名玉山一名覆車山郭緣生述征記云山形如覆車之

象也按後魏風土記云山方二里仙聖游集之所劉雄鳴學道於此下有祠甚嚴灞水之源出於此圖書編

太白山在郿縣東南中諸山莫髙於此上有鐡鑄山神牌三有湫池雖三伏亦凝氷山常有積雪不消

夏視之猶爛然故以太白名有鬼谷即鬼谷子授蘇秦押闔術處 篲音遂