746-【字解集】21.魯東門觀刈蒲 22.魯郡堯祠送五之琅琊 23.魯郡堯祠送張十四遊西北

 

 

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#29§7-1元和聖德詩

九日五首 其四-#2

酒泉子七首其一

樂府詩二首其一 #4擬相逢狹路間〔荀 昶〕

【字解集】 21.秋怨22.江行 二首23.聞李端公垂釣回寄贈24.・・・25.・・・

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Ⅰ李白詩

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24.魯郡堯祠送竇明府薄華還西京

 

 

卷一八三 魯東門觀刈蒲(卷二四(二)一四一七)         魯國寒事早,初霜   古詩十句

183-20 魯東門觀刈蒲 

魯國寒事早,初霜刈渚蒲。揮鐮若轉月,拂水生連珠。此草最可珍,何必貴龍鬚。

織作玉牀席,欣承清夜羅衣能再拂,不畏素塵蕪。             

 

卷一七五 魯郡堯祠送五之琅琊(卷十六(二)九八五)  堯沒三千,青松   五言律詩

                175-015

堯沒三千,青松古廟存。送行奠桂酒,拜舞清心魂。

日色促歸人,連歌倒芳樽。馬嘶俱醉起,分手更何言。

 

卷一七六-04 魯郡堯祠送張十四遊西北(卷十七(二)一○○一)猛虎伏尺草 古詩十句

魯郡堯祠送張十四遊西北

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

有如張公子,骯髒在風塵。

豈無橫腰劒,屈彼淮陰人。

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

歸來泰山上,當與爾爲鄰。

 

卷一七六 魯郡堯祠送竇明府薄華還西京(卷十六(二)九八五)朝策犁眉騧     雑言古詩8分割

               175-16

朝策犂眉騧,舉鞭力不堪。

扶愁疾向何處,角巾微服堯祠南。

長楊掃地不見日,石門噴作金沙潭。

#2

笑誇故人指境,山光水色青於藍。

廟中往往來擊鼓,堯本無心爾何苦。

門前長跪雙石人,有女如花日歌舞。

#3

銀鞍繡轂往復迴,簸林蹶石鳴風雷。

遠煙空翠時明滅,白鷗歷亂長飛雪。

紅泥亭子赤闌干,碧流環轉青錦湍。

#4

深沈百丈洞海底,那知不有蛟龍蟠。

君不見綠珠潭水流東海,綠珠紅粉沈光彩。

綠珠樓下花滿園,今日曾無一枝在。

#5

昨夜秋聲閶闔來,洞庭木落騷人哀。

遂將三五少年輩,登高遠望形神開。

生前一笑輕九鼎,魏武何悲銅雀臺。

#6

我歌白雲倚牕牖,爾聞其聲但揮手。

長風吹月度海來,遙勸仙人一杯酒。

酒中樂酣宵向分,舉觴酹堯堯可聞。

#7

何不令繇擁篲橫八極,直上青天揮浮雲。

高陽小飲真瑣瑣,山公酩酊何如我。

竹林七子去道,蘭亭雄筆安足誇。

#8

堯祠笑殺五湖水,至今顦悴空荷花。

爾向西秦我東越,暫向瀛洲訪金闕。

藍田太白若可期,爲余掃灑石上月。

 


 

 

 

 

李白  字解集  《魯郡・

 

 

【字解集】21.魯東門觀刈蒲

魯東門觀刈蒲

1. (この詩は、魯の東門に玉牀に敷くむしろを織る蒲を刈る様子を詠う。)

2.. 【題意】埤雅に、「蒲は水草なり。莞に似て、𥚹脊有り、水涯に生ず、柔滑にして温、以て席と為す可し

 

魯國寒事早,初霜刈渚蒲。  

魯国は北寄りの地方であり、江南よりずっと早く冬の支度を始める、初霜が降るとすぐに、渚岸辺に生えた蒲を刈りはじめなければ間に合わないというのと同じである。

3. 魯國 中国の王朝名・地名。地名としての魯は現在の中国山東省南部を指す。山東省全体の略称(雅名)としても用いられる。王朝としての魯(紀元前1055 - 紀元前249年)は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。代々の魯公(魯の君主)の爵位は侯爵であり、姓は姫(き)である。首府は曲阜。周公旦(周王朝の開祖である武王の弟で、武王の子成王を補佐した)の子伯禽が成王によって封ぜられて成立した。春秋時代に入ってからは、晋・斉・楚といった周辺の大国に翻弄される小国となる。しかも、国内では、魯の公族である三桓氏が政治の実権を握り、国政はたびたび混乱した。しかしながら、この混乱した小国が思想史・文化史に果たした役割は大きい。周王朝の礼制を定めたとされる周公旦の伝統を受け継ぎ、魯には古い礼制が残っていた。この古い礼制をまとめ上げ、儒教として後代に伝えていったのが、魯の出身である孔子であり、その一門である。孔子が儒教を創出した背景には、魯に残る伝統文化というものがあったからともいえる。ちなみに孔子が魯に仕えていたのは若年時のみで()、老年期まで各国に弟子と共に放浪していた。なお、「春秋」は、隠公元年(紀元前722年)から、哀公14年(紀元前481年)までの魯国の年次記録が基になっている。

4. 寒事 冬の支度。詩に、「江寒事早、夜露傷秋草。」とある。

5. 渚蒲 岸辺に生えた蒲。梁簡文帝詩、「渚蒲變新節」とある。

 

揮鐮若轉月,拂水生連珠。  

その時だけは作業がしやすく、鎌を揮えば月を轉ずるがごとく、渚では水を拂う事があるが、連珠のごとく飛沫は飛び散る。

6. 揮鐮若轉月 方言に、「刈鉤、よりして西或は之を鉤と謂い、或は之をう。」とあり、 顔師古急就篇注に、「鉤は即ち鎌なり、形曲って鉤の如し、因って以て名づくと云う。」とある。

 

此草最可珍,何必貴龍鬚。  

この蒲という草は、もっとも珍とすべきものであり、何も必ずしも龍鬚草をもっとも貴ぶものとするには及ばぬ良き調度品を作ることができるのである。

7. 龍鬚 草の名。蜀本草に、「龍芻は叢生し、莖、綖の如し、所在之れ有り、俗に龍鬚草と名づく、以て席と為す可し。」

 

織作玉牀席,欣承清夜  

この草を織り込み、玉牀の上に敷く席筵を作ったものの上に横になれば、夏の暑い時でも清夜の歓娯をうけることができるのである。

8. 織作玉牀席 初冬に刈り取った鎌を冬の間乾燥させ、春から夏にかけて織込むのである。

 

羅衣能再拂,不畏素塵蕪。  

この蒲の刈り取りに、羅衣姿の美人が舞踊しながら作業をしてくれるならば、その作業の素塵に蕪で、汚されても恐れることはないというものである。

9. 羅衣能再拂,不畏素塵蕪の二句  謝朓の咏席/詩に、「但願羅衣拂、無使素塵彌。」 とある。

 

 

 

 

 

 

【字解集】22.魯郡堯祠送五之琅琊

魯郡堯祠送五之瑯琊

1. (魯郡の堯祠で五が瑯琊に還るを送ったのである。

2. 【題意】魯郡の堯祠で不詳の人物(道教の友人であろう) 五が瑯琊に行く、きっと帰るのであろうが、それをこの詩を作って壮行としたものである。半官半隠の人物であろう。道教は修行が進めば、その気配を消して自然と同化するというので、人物が特定できない人が多い。

3. 魯郡堯祠 通典に、「魯郡は今、州の琅琊郡、今、沂州。」とあり、太平寰宇記に「堯祠は、州の瑕丘縣東南七里に在る。」とある。

 

堯沒三千,青松古廟存。

古代の三皇五帝の堯帝が崩じて、既に三千年たつが、未だに、その古廟は青松柏の間にきれいにされて存在する。

4. 堯歿三千 死亡は 紀元前2255年といわれているので、「没後」三千年になる。伝説上の聖天子。堯を継いだ舜(しゅん)とあわせて「堯舜の治」といい、旧中国ではもっとも理想的な天子像とされていた。堯の事績は『尚書』「堯典」や『史記』「五帝本紀」に記されているが、後世の儒家思想によって過度に修飾、美化されており、実在性に乏しい。『史記』などによれば、帝堯陶唐(とうとう)氏は、名は放勲(ほうくん)、五帝の一人である帝(ていこく)の子で、生まれながらにして聡明(そうめい)、帝位につくや羲和(ぎか)らに命じて暦法を定め、孝行の誉(ほま)れ高かった舜を民間から登用して、自分の娘2人を彼の妻とし、天下の政治を摂政せしめた。堯の死後、舜は帝位を堯の子丹朱(たんしゅ)に継がせようとしたが、諸侯たちが舜を推戴(すいたい)してやまないので、舜は「天なり」といって天子の位についたという。

5. 青松 廟の東側に松、西側に柏を植えられている。

 

送行奠桂酒,拜舞清心魂。

だからせめて、君を送るために、桂酒をすすめ、次に、殿内に舞を奏するを見ると、肅穆荘重の様相であり、まことに心魂を清らかにしてくれるというものだ。

6. 奠桂酒 桂酒を用意させて、勧める。楚辭に「奠桂酒兮椒漿」とあり、王逸の註に「桂酒は桂を切って酒中に置く也。」とある。

7. 心魂 たましい。心。精神。心意気。度胸。きもったま。霊魂。江淹詩、「何用苦心魂。」に、基づく。

 

日色促歸人,連歌倒芳樽。

やがて、日がかたむき始めると、夕方の色に染まり始め、参加者もに帰り心を促すようになる、そうすると名残を惜しむように、予定の歌を途切れなく歌い、樽杯をしきりに傾ける。

8. 芳樽 「樽」は酒樽ではなく、杯の大きいものを言う。劉孝綽の詩に「芳樽散緒寒。」に、基づく。

 

馬嘶俱醉起,分手更何言。

そうした気配を感じて、馬が嘶きだしたので、客のみんな一斉に酔いながらも立ち上がるのである、いよいよ手を分かつに際して、言い尽くしているので、いまさら何を言ったらよいのかもじもじして別れるのである。

9. 分手 謝瞻の詩に「分手東城闉」に、基づく。

 

 

 

 

 

 

【字解集】23.魯郡堯祠送張十四遊西北

魯郡堯祠送張十四遊西北

1. (魯郡の堯祠において送別の宴が開かれ、張十四某が華北に遊ぶのを送った際の詩である。)

2. 西北 別本に「河北」とある。実際には、幽州、冀州の二州を主体に、各州を遊んだようだ。唐書地理志に「境州、孟州、懐州、魏州、博州、相州、衛州、貝州、澶州、邢州、州、恵州、鎮州、冀州、深州、趙州、滄州、景州、徳州、定州、易州、幽州、涿州、瀛州、莫州、平州·州、檀州、薊州、営州、 燕州、恒州.」とある。

3. 張十四 道家の関係者であろう、名字等不詳の人物。

 

猛虎伏尺草,雖藏難蔽身。

猛虎は、獲物を狙って丈の高い草むらに伏しているものであるが、その身は隠しているつもりで合っても、そんな草ごときで覆い隠すことなどできはしない。

 

有如張公子,骯髒在風塵。

虎が隠れきれないのと同じように、漢の成帝がお忍びで富豪の「張公子」と名乗って街へ出て、しょうしょう汚れてもその威厳を隠すことはできないように、張十四の才覚も隠すことはできないというものである。

4. 張公子 『漢書』趙皇后伝に、成帝が身分を隠してお忍びで城外へ出る際に、富平侯家の人間「張公子」と称していることをいう。性が同一であることで、虎が草むらに隠れていることを張十四に譬えたものである。

5. 骯髒 1汚い,汚れている,不潔である.2(行為・精神などが)汚い,汚らわしい,腹黒い.

 

豈無橫腰劒,屈彼淮陰人。

というのも、腰に寶刀を帯びて誇り高くしているし、韓信が股をくぐって恥ずかしを受けることと同じようなことなどありはしないのである。

6. 淮陰人 韓信が淮陰の少年に辱められたことを言う。韓信 秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。 なお、同時代に戦国時代の韓の王族出身の、同じく韓信という名の人物がおり、劉邦によって韓王に封じられているが、こちらは韓王信と呼んで区別される。「韓信の股くぐり」韓信の股くぐりとは、将来に大志を抱く者は、屈辱にもよく耐えるというたとえ。この故事に対して様々な逸話がある。淮陰 淮陰(現:江蘇省淮安市)の出身。貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。李白の《贈新平少年》に韓信の事は、最もよくとらえられている。

韓信在淮陰,少年相欺凌。屈體若無骨,壯心有所憑。

一遭龍顏君,嘯吒從此興。千金答漂母,萬古共嗟稱。

而我竟何為,寒苦坐相仍。長風入短袂,兩手如懷冰。

故友不相恤,新交寧見矜。摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

何時騰風雲,搏擊申所能。

 (新平の少年に贈る)

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

 

擊筑向北燕,燕歌易水濱。

丁度これから向かう燕・幽・冀州には、荊軻が筑を打ち破って、北燕に向かい、やがて始皇帝を暗殺しようと出発し、易水の濱で 風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還。」という詩に感慨にたえぬであろう。

7. 易水濱 戦国時代の刺客、荊軻(~前227年)のことで、燕の太子丹より、強大になってきた秦を倒すべく秦王・政(後の秦の始皇帝)の暗殺を命じられた。暗殺は最後の段階で失敗し、果たせなかった時の故事をいいい、暗殺に向かう出発の日が訪れる。丹をはじめ、事情を知る見送りの者は全て喪服とされる白装束を纏い、易水(黄河の北を流れる)のほとりまで荊軻たちにつき従った。彼らは全て涙を流し、荊軻の親友の高漸離は筑を奏でて見送った。この時に荊軻が生還を期さない覚悟を詠んだ「風蕭々として易水寒し。壮士ひとたび去って復た還らず 風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還。」という詩句は、史記の中で最も有名な場面の一つされる。

 

歸來泰山上,當與爾爲鄰。

しかし、荊軻のように「もう帰らない」と決意して出発するというのではなく、陶淵明のように、自分の愛する、園田に帰ったように、君は、泰山の辺の魯郡に帰ってきてくれれば、陶淵明の「老夫有所愛,思與爾為鄰。」と詠ったようにきみと隣人となろうではないか。

8. 當與爾爲鄰 陶淵明の詩に《歸園田居五首》其一「老夫有所愛,思與爾為鄰。」(老夫 愛する所に有り,思うに 爾と鄰を為さんと。)