747-0ⅴ【字解集】6・戰城南二首 ・贈丹陽橫山周處士惟長 ・贈崔郎中宗之 ・贈崔諮議 ・崔四侍御

 

 

201838

の紀頌之"6"つの校注Blog

【字解集】6首・戰城南二首 ・ほか

毛頴傳§5-1〔#13

【字解集】6首・夜二首 ・朝二首ほか

孫光憲 河傳四首其一

#7 秋胡詩一首〔顏延之〕

〔李郢〕唐才子傳 #2

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代女性論

 

 

201838

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

747-0ⅴ【字解集】6首・戰城南二首 ・贈丹陽橫山周處士惟長 ・贈崔郎中宗之 ・贈崔諮議 ・崔四侍御 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog10247

LiveDoo

rBlog

746-【字解集】21.魯東門觀刈蒲 22.魯郡堯祠送五之琅琊 23.魯郡堯祠送張十四遊西北Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9884

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年-08元和二年40歳昌黎文巻八02《毛頴傳§5-1》〔#13〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10234

LiveDoo

rBlog

807年-05元和二年40歳《【字解集】》〔酬裴十六功曹巡府西驛塗中見寄・記夢〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10066

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-集-31 767-【字解集】6首・夜二首 ・朝二首 ・戲作俳諧體遣悶二首 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10207

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (388)回目《孫光憲巻七47河傳四首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10236 (03/08)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉臺・巻4•2-2 -#7 秋胡詩一首(高節難久淹)〔顏延之〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10244

LiveDoo

rBlog

巻三-29 【字解集】雜詩三首其一~其三  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 10077

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

魚玄機関連詩 〔李郢〕唐才子傳 #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 10238

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

747-0ⅴ【字解集】6・戰城南二首 ・贈丹陽橫山周處士惟長 ・贈崔郎中宗之 ・贈崔諮議 ・崔四侍御 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog10247

 

 

 

 

 

李白 訳注解説 747年《淮南・廣陵・越方面》

 

 

●巻02  戰城南(卷三(一)二二二)

去年戰桑乾源,今年戰蔥河道。

洗兵條支海上波,放馬天山雪中草。

萬里長征戰,三軍盡衰老。

#2

匈奴以殺戮為耕作,古來唯見白骨黃沙田。

秦家築城避胡處,漢家還有烽火然。

烽火然不息,征戰無已時。

 

野戰格鬥死,敗馬號鳴向天悲。

烏鳶啄人腸,銜飛上掛枯樹枝。

士卒塗草莽,將軍空爾為。

乃知兵者是凶器,聖人不得已而用之。

 

●巻25補遺         戰城南(卷三○(二)一七一一詩文補遺)

戰地何昏昏。戰士如群蟻。

氣重日輪紅。血染蓬蒿紫。

烏烏銜人肉。食悶飛不起。

昨日城上人。今日城下鬼。

旗色如羅星。鼙聲殊未已。

妾家夫與兒。俱在鼙聲裡。

 

●巻08-13           贈丹陽橫山周處士惟長(卷九(一)六○八)

周子橫山隱,開門臨城隅。

連峰入牖,勝概凌方壺。

時作白紵詞,放歌丹陽湖。

水色傲溟渤,川光秀菰蒲。

當其得意時,心與天壤俱。

閒雲隨舒卷,安識身有無。

抱石恥獻玉,沈泉笑探珠。

羽化如可作,相攜上清都。

 

●巻09-06           贈崔郎中宗之(卷十(一)六七五)

胡雁拂海翼,翔鳴素秋。

驚雲辭沙朔,飄蕩迷河洲。

有如飛蓬人,去逐萬里遊。

登高望浮雲,彷彿如舊丘。

日從海傍沒,水向天邊流。

長嘯倚孤劍,目極心悠悠。

晏歸去來,富貴安可求。

仲尼七十歷聘莫見收。

魯連逃千金,圭組豈可酬。

時哉苟不會,草木為我儔。

希君同攜手,長往南山幽。

 

●巻09  贈崔諮議(卷十(一)六七八)

綠驥本天馬,素非伏櫪駒。

長嘶向清風,倏忽凌九區。

何言西北至,卻走東南隅。

世道有翻覆,前期難豫圖。

希君一翦拂,猶可騁中衢。

 

●巻18-20           崔四侍御(卷十九(二)一一二二)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

嚴陵不從萬乘遊,歸臥空山釣碧流。

自是客星辭帝座,元非太白醉揚州。

 

 

 

【字解集】《6首・戰城南二首・贈丹》

 

 

字解集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10247

 

 

 

【字解集】・戰城南二首 

戰城南 019

1. (古来よりの征戦の様子を述べて、その惨苦を窺い、兵を弄し、武を黷すものを誡めを詠ったもの。)

2. 742年の北方、西方での戦い。詩は後に掛かれたものであろう。玄宗ものがたり(8)時期的の背景になるものである。
3.
 漢代の古辞以来の厭戦・反戦的な作であり。天宝年間繰り返された西方、北方の戦争を批判するものである。領土拡張、略奪、強奪の犠牲者を思い、残されたものの悲しみ、悲惨さは誰もが知っていたことである。ここに至るまでの数百年間の間に他の周辺諸国との間に国力の違いが生まれた。農耕民族の生産高が倍増したためであった。当初はこれをもとにして、国土を拡大し、略奪により、さらに国力を増加させた。

漢の鼓吹鐃歌十八曲中に、戰城南の曲有り。樂府古題に要解、戰城南其辭大畧言「戰城南死郭北、野死不得葬為烏、鳥所食、願為忠臣、朝出攻戰而暮不得歸也。」とある。

ひとたび戦場に出かけたうえは、戦死して屍を息せられ、カラスなどに喰われても構わない、あっぱれ忠臣義士となって、明日には出でて戦い、暮には帰るを得ず、という事だってよいのである。

 

去年戦桑乾源、今年戦葱河道。
去年は、東のかた桑乾河の水源で戦い、今年は、西のかた葱嶺河の道辺で戦っている。

桑乾  山西省北部に源を発し、河北省東北部を流れる河。下流の北京地方を流れる部分は「永定河と呼ばれる。

太平寰宇記 桑乾河は朔州馬邑縣の東三十里に在り、源は北山の下に出ず。」とある。一統志に 桑乾河は、山西大同府城南六十里に在り、源は馬邑縣北洪濤山下に出でて、金龍池の水と合し、東南に流れて、蘆溝河に入る。」とある。

葱河  葱嶺河の略称。葱嶺(パミ-ル高原)から現在の新疆イグル自治区を流れる葱嶺北河(カシュガル河)と葱嶺南河(ヤルカンド河)およびその下流のタリム河を含めた総称。漢書西域傳に「其の河、兩源有り、一は嶺山に出でて、一は、于闐に出ず、于闐は南山の下に在り、其の河、北流して嶺河と合し、東して蒲昌海に注ぐ。」とある。太平寰宇記に、「西河舊事に云う、嶺は燉煌の西八千里に在り、其の山髙大にして、上に悉くず。故に嶺河と曰う、源は其の嶺分に潛發し、二水と為る。州異物志に云う、嶺の水、東西に分流し、西は大海に入り、東は河源と為る。張騫は、大宛に使いして、河源を窮む、此に極まるを謂う崑崙に達せざる也。」とある。

 

洗兵滌支海上波、放馬天山雪中草。

刀剣の血のりを、滌支の水辺の波で洗い落とした、戦いに疲れた馬を、天山の雪深き草原に解き放って休ませた。

洗兵 戦い終わって、血のりで汚れた兵器を洗うことをいう。

條支  西域の国名。所在地としては、地中海東岸、ペルシャ湾岸、中央アジアなどの西域の地名として象徴的に用いている。

後漢書西域傳に「條支國の城は、山上に在り、周圍四十餘里、西海を臨む、海水曲環、其の南及東北の三面路絶え、惟だ西北隅のみ通ず。」とある。 

天山 新顔ウイグル自治区を東西に横断する大山脈。またその東南、甘粛省の酒泉・張掖の南に横たわる祁連山も天山と呼ばれる。

陸道は元和郡縣志に「天山一名白山、一名時に羅漫山、伊州の北一百二十里に在り。春夏でも、雪が有り。好木及び金鐵出ず。匈奴は之れを天山と謂う、之を過ぐるとき、皆、馬を下って拜す。」史記に索隠すは西河舊事に云う、「祁連山は張掖酒泉二界の上に在り、東西二百餘里、南北百里、松栢五木有り、水草に美なり、冬温夏涼、畜牧養に宜し、一天山、亦た曰白山と名づく也。」とある。

五言古詩「関山月」参照。

 

萬里長征戦、三軍盡衰老。』
万里のかなた、遠く出征して戦いつづけ、三軍の将も士も、ことごとくみな老い衰えてしまった。

三軍  大軍。もと周代の兵制。一軍が一万二千五百人。大国(諸侯)は三軍を、王(天子)は六軍をもつとされた。(『周礼』、夏官「司馬」)。

 

 

玄宗ものがたり(8

皇太子側の皇甫惟明が李林甫を弾効する上奏文が、玄宗皇帝の指示で張本人の李林甫の元に届けられる。李林甫は皇太子派の意図を知りそれに備える。一方、皇太子派は皇帝の許可なく外出ができる「元宵節」に行動を開始するが大失敗。李林甫の力をまざまざ見せつられることになってしまう。

 玄宗は、宦官の侍従長・高力士を驃騎大将軍という歴史始まって以来の高い地位に任命する。一方で、李林甫糾弾の計画に失敗した皇太子派の韋堅と皇甫惟明が懲罰される。皇太子自身には咎めは無かったものの、李林甫との権力争いで部下を巻き込んだ事を悔い、争いは避けて耐える決意をする。

 

 朝廷と後宮に軍隊に、暗雲がもたらされてくる。ひとつは、「安史の乱」を起こすくわせものの策士・安禄山の重用が、朝廷に不満と対立を生む。もうひとつは、楊貴妃は玄宗の浮気心に悩まされるようになる。道教への傾倒は不老不死につながり、それは回春薬につながる。金丹薬が、政治から女の方にしか関心を持たせなくしてゆくのである。宦官の軍隊が皇帝を守る物と矮小化され、従来の近衛軍三軍は、形骸化していったのである。
潘鎮はそれぞれ力をつけてきた、それを抑え、力の均衡を図るため節度使に力を与えてきたことで、叛乱をだれが起してもおかしくないほどの力をつけさせてしまったのだ。その筆頭格に安禄山がいた。

 

 安禄山は、辺境で戦いの火種をまき、国境防衛を名目に王忠嗣に援軍を要請、王忠嗣の兵力の一部を安禄山の配下に加えことに成功する。この軍勢で東北の敵を壊滅させ、野心を成就していくのである。

 

#2

匈奴以殺戮爲耕作、古来惟見白骨黄沙田。
異民族の匈奴たちは、人を殺すということを、まるで田畑を耕すような日々の仕事と思っている。昔からそこに見られるのは、白骨のころがる黄砂の土地ばかりだ。
匈奴 漢代西北の騎馬民族、遊牧民。異民族の代称としても用いられる。


秦家築城備胡處、漢家還有烽火燃』。
秦以前の王家から始まり、秦の始皇帝が本格的に長城を築いて、胡人の侵入に備えたところ、そこにはまた、漢民族のこの世になっても、危急を告げる烽火を燃やすのである。
秦家築城 秦の始皇帝が慕情に命じて、万里の長城を築いたこと。○備胡 胡人(異民族)の侵入に備える。○漢家 漢王朝。暗に唐王朝をさす。○煙火 危急を知らせる煙火。蜂火台から煙火台へと連絡される。


烽火燃不息、征戦無己時。
烽火は燃えて、やむことがない。出征と戦闘も、やむときがない。

 

野戦格闘死、敗馬號鳴向天悲。
荒野での戦い、格闘して死ぬ、敗残した馬は、悲しげないななきは天にとどくよう向かう。


烏鳶啄人腸、銜飛上挂枯樹枝。
カラスやトビは、戦死者の腸をついばむ、口にくわえて舞いあがり、枯木の枝の上に引っかける。

烏鳶  カラスやトビ。

  口にくわえる。この部分は、漢代の古辞の「城南に戦い郭北に死す、野に死して葬られず、烏食らう可し」を踏まえている。



士卒塗草莽、将軍空爾爲。
兵士たちは、草むらいちめんに倒れて死んでいる、その将軍がこんな空しい結果を招いたのだ。

塗葦葬 草むらの中で無残に死ぬこと。「塗」は、一面に広がる、ばらばらに広がるの意。ここは、兵士の血潮や肝・脳が草むらに広がる・散らばるの意。



乃知兵者是凶器、聖人不得己而用之。』
これで分かったことは「武器というものは不吉な道具、聖人はやむを得ない時しか使わない」という言葉の意味である。
兵者是凶器、聖人不得己而用之  『老子』(三十一章)の、「兵(武器)なる者は不祥(不吉)の器(道具)なり。君子の器に非ず。己むを得ずして之を用うるも、惜淡(執着しないこと)なるを上と為す」や、『六第』巻一「兵道」の「聖王は兵を号して凶器と為し、己むを得ずして之を用う」 聖人 古代のすぐれた為政者。


 

 

《戰城南》020

1. (古来よりの征戦の様子を述べて、その惨苦を窺い、兵を弄し、武を黷すものを誡めを詠ったもの。)

2. 742年の北方、西方での戦い。詩は後に掛かれたものであろう。玄宗ものがたり(8)時期的の背景になるものである。
3.
 漢代の古辞以来の厭戦・反戦的な作であり。天宝年間繰り返された西方、北方の戦争を批判するものである。領土拡張、略奪、強奪の犠牲者を思い、残されたものの悲しみ、悲惨さは誰もが知っていたことである。ここに至るまでの数百年間の間に他の周辺諸国との間に国力の違いが生まれた。農耕民族の生産高が倍増したためであった。当初はこれをもとにして、国土を拡大し、略奪により、さらに国力を増加させた。

漢の鼓吹鐃歌十八曲中に、戰城南の曲有り。樂府古題に要解、戰城南其辭大畧言「戰城南死郭北、野死不得葬為烏、鳥所食、願為忠臣、朝出攻戰而暮不得歸也。」とある。

ひとたび戦場に出かけたうえは、戦死して屍を息せられ、カラスなどに喰われても構わない、あっぱれ忠臣義士となって、明日には出でて戦い、暮には帰るを得ず、という事だってよいのである。

 

戰地何昏昏。戰士如群蟻。

激戦の地点において、天地晦冥な状態になると、戦士は群がる蟻のように縦横に旁午している。

4. 昏昏 天地晦冥な状態になることをいう。①意識のないさま。また,よく眠っているさま。②暗くてはっきりしないさま。また,愚かなさま。

 

氣重日輪紅。血染蓬蒿紫。

そして、そこには煙塵が重く覆いかぶさり、太陽も薄くぼやけて赤くなっているし、戦いの鮮血は野原にながれ、蓬蒿の雑草までが赤く染まり、紫色になる。

5. 氣重 煙塵が重く覆いかぶさるような状態を言う。

6. 蓬蒿 野原に生えている雑草を言う。

 

烏烏銜人肉。食悶飛不起。

そこに、烏烏がどこからともなく飛んできて、遠慮なく戦死者の肉を啄んでいるけれど、のどに詰まってもだえ苦しんで飛ぶに飛べなくなっている。

7. 食悶 啄んで食べている者の心悶えている。

 

 

 

 

 

【字解集】・贈丹陽橫山周處士惟長 

贈丹陽橫山周處士惟長

1. (隠遁するに有名な丹陽縣の横山に棲んでいる處士の周惟長に自己の不遇を残念であると、感慨を述べ贈った詩である)

2. 【題意】丹陽は縣名、唐書地理志に「潤州の丹陽郡に丹陽縣有り、本と曲阿、天寳元年、名を更む。」とある。横山は太平御覧に「山謙之の丹陽記に曰く、丹陽縣の東十八里に横山有り、連亘數十里、傳えて云う、楚の子重、横山に至ると、是也。」とあり、江南通志に「横山は江寧府江寧縣の東南一百二十里、高淳縣東二十里に在り、其の山、四方、之を望めば、皆横、故に横山と曰う、亦た横望山と名づく。」とあり、太平府志に、「横山は當塗縣東六十里に在り、高さ二百丈、周八十里、穹窿峻、蒼翠、天際に亘り、四望皆横、故に横山と名づく。江寧の溧水と壤を接す。丹陽湖は、其に南に在り、春秋、楚の子重、って至る所の地」とある。

 

周子橫山隱,開門臨城隅。

周惟長殿は横山に棲む隠士であってその住まいの門より、丹陽縣城を見下ろすことができる。

 

連峰入牖,勝概凌方壺。

横山に続いている連峰は牖まで入り来たっていて、その景勝は、滄海沖の神仙三山の一つである渤海にある、方壺島をも凌ぐほどである。

3. 方壺 「方丈」の意味には「神仙が住むという、渤海にある島。方壺」とあり。ここでいう渤海とは、漢の東方の海域全体のことで、太平洋、日本海など含んでいます。

 

時作白紵詞,放歌丹陽湖。

丁度この時、呉地方で流行している白紵詞を作り、丹陽湖の上に、放歌している。

4. 白紵詞  晋の時代、呉の地方に白紵の舞というのが起った。晋の時代、呉の地方に白紵の舞というのが起った。白紵というのは、麻の着物の美白なもの。それを着て舞い、その舞の歌を白紵辞と言った。

『白紵舞』は晉の頃から唐代の宮廷のみならず民間にも広まった舞踊で、日本、韓国、東南アジア一帯にも伝えられた。白紵とは、麻の一種で織られた薄手の白い織物のことで、白紵で仕立てられた長い袖を翻す舞い姿は、優美にして変化に富み、その美しさは古来、波を揺らすそよ風や舞い降りる雪などにたとえられている。呉歌においては、白紵、雅楽では子夜といった。梁の武帝が沈約に命じて、その詩を更制せしめた。梁の武帝が改作させたのは、四首連続して、四時を分詠したもので、子夜四時歌である。

鮑照《白紵舞》

朱脣動、素腕舉。

洛陽少童邯鄲女。古稱綠水今白紵。

催弦急管為君舞。窮秋九月荷葉黃。

北風驅鴈天雨霜。夜長酒多樂未央。

5. 丹陽湖 江南通志に「丹陽湖は、江寧府高淳縣の西南三十里、太平府當塗縣の東南七十里に在り、湖之中流以って分界とす。其の源、三有り、徽州高淳、寧國、廣德の諸溪、皆之に匯し、通じて為三湖とる。一を石臼と曰う、一を固城と曰う、一を丹陽と曰いい、而して丹陽最も大なり、葢し、總名なり。周圍三百餘里。」ある。

 

水色傲溟渤,川光秀菰蒲。

その丹陽湖の水の色は、大海に傲るべく、水際の渚の一帯には、菰とか、蒲などが秀でてつややかに光っている。

6.  溟渤 果てしなく広い海。大海。

7. 菰 本草、「蘇頌曰く、菰根は、江湖陂澤中、皆之有り、水中に生ず、葉は蒲葦の如く、刈って以て馬を秣えば甚だ肥える。春末、白芽生じ、筍の如し、即ち菰菜なり。又、之を茭白と謂う、生熟皆啖う可し、甜美。其の中心、小兒の臂の如きものを菰手と名づき、菰首に作る者は非なり。

8. 蒲は、「李時珍曰く、蒲は水際に叢生し、莞に似て褊、脊有って柔、二三月、苗を生じ、八九月、葉を收む、以て席と為す、亦、扇を作る可し、軟滑に而して温。」とある。

 

#2 

當其得意時,心與天壤俱。  

周惟長殿が得意の時にあたっては、その心、天地と契合するかのように、

 

閑雲隨舒卷,安識身有無。  

たとえば閑雲が心の赴くままに舒卷すると一般、この形骸の有無さえ忘れるくらいである。

9. 舒卷 ① のばし広げることとまき固めること。転じて,時勢に応じて身を処すこと。  書物を開くこと。

 

抱石耻獻玉,沈泉笑探珠。  

昔、汴和は、玉璞を献じて、楚王に容れられず、石だといわれ、その石を抱いて、山中に號哭したというが、自分はせっかくの才能も世に認められないのは、いかにも残念であるが、驪龍が泉に沈んでひるねをしているあいだに、珠を探し手に入れようとはとんだお笑い草である。

10. 抱石 汴和献玉。楚の国にいた卞和(べんか)という人が、山中で玉の原石を見つけて楚の厲王(蚡冒)に献上した。厲王は玉石に詳しい者に鑑定させたところとただの雑石だと述べたので、厲王は怒って卞和の右足の筋を切断する刑をくだした。厲王没後、卞和は同じ石を武王に献上したが結果は同じで、今度は左足切断の刑に処せられた。文王即位後、卞和はその石を抱いて33晩泣き続けたので、文王がその理由を聞き、試しにと原石を磨かせたところ名玉を得たという。その際、文王は不明を詫び、卞和を称えるためその名玉に卞和の名を取り「和氏の璧」と名付けた。

そののち、宝玉は趙の恵文王の手にわたり、秦の昭襄王が自領にある15の城と交換に入手しようと持ちかけられた。しかし、秦が信用できるかどうか悩んだ恵文王は藺相如を秦に送った。命をかけた藺相如の働きにより、約束を守る気の無かった昭襄王から璧を無事に持ち帰ることができ、「璧(へき)を完(まっとう)する」ことができた。少しのきずもない、完全無欠なことを「完璧」と称するのは、そのためである。また、15城もの価値がある璧だと「連城の璧」と称されるようにもなった。

11. 探珠 莊子に、「人、宋玉に見ゆる者有り、車十乗を錫う。其の十乗を以て莊子に驕穉る。 莊子曰く、河上に、家貧に、緯蕭を恃んで食する者有り、其の子、淵に沒して、千金の珠を得たり、其の父、其の子に謂って曰く、石を取り來って之を鍜えよ。夫れ、千金の珠は必ず九重の淵にして、驪龍頷下にあり、子、能く珠を得るとは、必ず其睡に遭う也。

驪龍をして寤めしむれば、子、尚お奚んぞ微しく之れ有んや。今、宋國の深さは、直に九重の淵のみに非さる也。宋王の猛は、直に驪龍のみに非ざる也。子、能く車を得たるは、必ず其睡に遭える也。 使宋王をして寤めしむれば、子、齎粉と為らん。」とある。

 

 

羽化如可作,相攜上清都。  

そんな姑息なことは考えもしないが、真を修めるため羽化登仙することができるなら、君と携えて天帝のおわしたまう清都に上京したいものである。

12. 羽化 1人間に羽が生える.用例羽化登仙=人間に羽が生え天に昇って仙人になる.2((婉曲語)) (道教信者の用語)人が死ぬ.

13. 清都 天帝のおわしたまう清都

 

 

 

 

 

 

【字解集】・贈崔郎中宗之 

贈崔郎中宗之

1.(李白の飲み仲間で、且つ、親友であるところから、李白は自分の不遇を述べてその同情を促がしたもの。)

2.  【題意】 崔祐甫の齊昭公崔府君集の序に、「公の嗣子宗之、學、古訓に通じ、詞は典册に高く、才氣聲華、時を邁えて獨步す。開元中に仕えて起居郎と爲り、冄び、尚書禮部員外郎と爲り、本司郎中に遷る。 時文國禮、十年三たび入り、右司郎中に終る。年位充たず、海内嘆息す。」とある。按ずるに、唐書には、「崔宗之は乃ち宰相日用の子、齊國公を襲封す。學を好んで寛博、風檢有り、李白と杜甫とは文を以て相い知る。」とある。

杜甫《卷二01飲中八仙歌》「宗之蕭灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。」

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
崔宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。宗之 崔宗之。宗之は崔日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。(崔宗之〔唐〕名成輔,以字行,滑州靈昌(今河南滑縣)人。日用子,襲封齊國公。好學,寬博有風檢,與李白、杜甫以文相知。)瀟灑 さっぱりしたさま。腸 さかずき。

7. 白眼 魏の阮籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。 しろいさま。

8. 玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。臨風前 風の前に立っている。
 

胡雁拂海翼,翔鳴素秋。

北方の胡地より飛んできた雁は、海を払う様な翼を振い、天半に翔って、涼しき秋に乗じて鳴き叫ぶのである。

3. 素秋 素商、秋のこと。「素」は、白、白は五行思想で秋に配していることから。また、「商」は、秋。「万里風煙接素秋」(万里風煙素秋に接す)〔杜甫・《巻十七31秋興八首其六》〕

瞿塘峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。

花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。

珠簾繡柱圍黃鵠,錦纜牙檣起白鷗。

回首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。

風煙素秋,寫秋景之蕭索,而傷時念亂懷戀闕之悲,自在言外,不必拘指之

 

驚雲辭沙朔,飄蕩迷河洲。

その声は雲を驚かせ、やがて、朔方の沙漠を去って南に向う、それから黄河の洲に下って、処定めぬ身を喞ちつつ、飄蕩のように迷っているのである。

4. 沙朔 北方沙漠之地。指塞北。

5. 飄蕩 ①あてもなくさまようこと。流浪する。「世乱遭飄蕩、生還偶然遂=世乱れて飄蕩に遭ひしが、生還偶然に遂げたり」〔杜甫・羌村〕②風に吹かれて、空中でふらふらとゆれ動く。

 

有如飛蓬人,去逐萬里遊。

かくの如く、淋しい折から、われは飛蓬の飄飄と風に追われるように、遠く飛び去るのであり、果てて去って萬里の遊を試みているのである。

6. 飛蓬人 ヨモギの穂が風に吹かれ、散じて遠くに乱れ飛ぶようにさまよい歩く人。

 杜甫  復陰(卷二一22(四)一八四七)

方冬合沓玄陰塞,昨日晚晴今日黑。萬里飛蓬映天過,孤城樹羽揚風直。

江濤簸岸黃沙走,雲雪埋山蒼兕吼。君不見夔子之國杜陵翁,牙齒半落左耳

 

#2

登高望浮雲,彷彿如舊丘。

かくて、高い山などに登って、浮雲の棚引く空の果てを望めば、あたりの有榛は、彷彿として、わが故郷の如くである。

9. 登高 重陽の日に髙い丘に登って菊酒を飲んで故郷を偲ぶ。

10. 舊丘 旧里。故郷。

 

日從海傍沒,水向天邊流。

しかし、日は西海より地平線下に没し、水は天邊に向って流れ、まことに、だだッ廣い景色で、故郷は何処とも分らない。

 

長嘯倚孤劍,目極心悠悠。

そこで、孤剣に倚って長嘯し、目を極めて遠望すると、心悠悠として、郷愁は涯なき程である。

 

晏歸去來,富貴安可求。

自分は、すでに老境に近づいたから、むしろ、「さあ故郷へ帰ろう」方が善いので、富貴などは如何にして求められよう、到底、望ないことである。

11. 歸去來 陶淵明《帰去来辞》「歸去來兮!田園將蕪胡不歸?」(歸去來兮【かえりなんいざ】田園 将に蕪れなんとす胡【なん】ぞ帰らざる)さあ故郷へ帰ろう。故郷の田園は今や荒れ果てようとしている。どうして帰らずにいられよう。

 

 

 

 

 

 

 

【字解集】・贈崔諮議 

贈崔諮議

1. (皇族の家の事務官であった崔諮議に助力を乞うてこの詩を贈る)

2. 【題意】 唐書百官志に、「王府の官に諮議參軍事一人有り、正五品の上、訏謀議事を掌る。」とあって、今でいえば、皇族の家の事務官ということである。この詩は、諮議参軍の崔某に不遇の状態にあって助力を得んとして贈ったものである。

 

綠驥本天馬,素非伏櫪駒。

綠驥という馬はもともと名馬で、日に千里も走るという、天をも走る馬である、槽櫪の間に伏在するような尋常な馬ではない。

3. 綠驥 張衡 南都賦「騄驥齊鑣。」李善註に「騄驥は駿馬の名、也。」とあり、穆天子傳に、「八駿に赤驥騄耳有り。」と見えている。

伏櫪 櫪は龐の踏み板。魏の武帝詩に「老驥伏櫪、志在千里。」とある。

 

長嘶向清風,倏忽凌九區。

この馬は、清風に向かってひとたび長嘶すれば、たちまちのうちに、この世界を駆け通すという。

4. 倏忽 楚辭招魂 「往来倏忽。」王逸の註に倏忽は疾急の貌。とある。

 

何言西北至,卻走東南隅。

何も、西北の端から来て、東南の隅の方に走り抜けるというばかりではない。

5. 西北至 漢の武帝の時、しばしば名馬を大宛から取ったので、即ち中央アジアの東境である。史記、「初天子發書易云う神馬、當從西北来庾肩吾詩渥水駒湘川實應圖来從西北道去逐東南隅九區剪拂俱見三巻 天馬歌の註に中衢猶中道也。

 

世道有翻覆,前期難豫圖。

我もまた、この天馬を以て自分に比しているけれど、世間の事は、翻覆して定まるものではないし、前途が約束されているわけでもなく、予期しがたいものであるから、今や志と違ってきていることには閉口している。。

 

希君一翦拂,猶可騁中衢。

乞い願わくば、きみは、我がために、途中の障害物を取り除いてもらいたいのである、そうすれば、聊か人生に疲れを感じているところではあるが、一転して、再び勢いを得て、大道の真中を勢いよくかけて通ってゆくことができるであろう。

6. 中衢 淮南子猶中衢而致尊耶傅𤣥正都賦灑奔駟於中衢

 

 

 

 

 

 

 

【字解集】・崔四侍御

詶崔侍御

1. (崔作の〈贈李十二白〉に対して、李の答詩〈酬崔侍御〉を作って答えた。)

2. 崔侍御 崔成甫。

3. 題意 崔作〈贈李十二白〉,李答詩〈酬崔侍御〉。まず、崔成甫が、次の七言絶句の詩を李白に贈った「我是瀟湘放逐臣,君辭明主漢江濱。天外常求太白老,金陵捉得酒仙人。」(我は是瀟湘に放逐の臣、君は明主を辞して 漢江の濱。天外 太白老を常に求む、金陵 酒仙人を得 捉えたり。)

この贈られた詩に対して返した師である。747年揚州から金陵・武昌あたりに遊び、山に隠れた。

 

嚴陵不從萬乘遊,歸臥空山釣碧流。

君は私と同じように放逐されたが、そのことひどく苦にしているように感じるが、そう思うべきではない。きみはもともと嚴子陵と考えを同じくしている人物ではなかったか、万乗の天子に従って游ことなど欲せず、空山に起臥して碧流に釣り糸を垂れているのが帆友との考えではないか。

4 嚴陵 厳 光(げん こう、紀元前39 - 41年)は中国・後漢時代初期の隠者・逸民。字は子陵、別名は遵。厳光が釣りをしていた場所(桐廬県の南、富春江の湖畔)は「厳陵瀬」と名づけられた。釣臺は東西に一つずつあり、高さはそれぞれ数丈、その下には羊裘軒・客星館・招隠堂があった。北宋の政治家・范仲淹は厳光の祠堂を修復し、「厳先生祠堂記」を撰写しその中で「雲山蒼蒼、江水泱泱。先生之風、山高水長」と厳光の高尚な気風を賞賛した。会稽郡余姚県(浙江省余姚市)の出身。若くして才名あり、のちの光武帝となる劉秀と同門に学ぶ。劉秀が皇帝となると、厳光は姓名を変えて身を隠した。光武帝はその才能を惜しみ行方を捜させたところ、後斉国で羊毛の皮衣を着て沢の中で釣りをしているところを見いだされて、長安に召し出された。宮中の作法に詳しい司徒の侯覇が厳光と親しかったが、厳光は細かい礼に従わず、光武帝はそれでも「狂奴故態を改めず」と笑っただけだった。

5. 万乗 皇帝のこと。一万台の戦車の意で、それだけの兵力を微発出来るのは皇帝だけであることから。

 

自是客星辭帝座,元非太白醉揚州。

此の度の貶謫行のように、客星が帝座を辞してしまったのに過ぎないといっているだけで、それでよいのか、それでも、自分、李太白が長安を奉竟されたのとはわけが癡騃ではないか、我は、こうして揚州で酔っ払っていることは君とはもともと異なっているのであるから、申すk氏の辛抱されることだと思う。

6. 客星 常には見えず、一時的に現れる星。彗星 (すいせいや新星など。きゃくせい。きゃくしょう。客星御座を犯す《「後漢書」逸民伝から。「御座」は、天子の位》身分の低い者が、天子の位をねらうこと。客星帝座を犯す。客星帝座を犯す「客星御座(ござ)を犯す」に同じ。

7. 帝座 天帝がいるとされる星座。かつて厳光は光武帝を訪れ、以前友人同士だったので、一緒に眠ったが、厳光が光武帝の腹に足をのせたところ、天門係の臣下が『客星帝座を犯す』と注意したという。

8. 太白 太白(たいはく)は、以下の物を指す。いずれも同一視されることが多い。 古代中国での金星 · 宵の明星 - 中国では、古くは、宵の明星と暁の明星とを別々の星と考えており、明けの明星を「啓明」(けいめい)、宵の明星を「長庚」(ちょうこう)、と呼び分けていた。「太白」は金星そのものの他に、宵の明星=「長庚」を指す。 虚空蔵菩薩 · 太白金星 - 中国の、金星を司る仙人。「西遊記」によく登場する。