748-3《送楊燕之東魯(卷十七(二)一○三七) -#1

 

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748-3《送楊燕之東魯(卷十七(二)一○三七) -#1》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10268

(李白が揚州、金陵あたりにいたころ、楊燕が南方を旅行して李白のもとに来た、そして、東魯に行くというので送別したもの。)

関西の楊伯起は、後漢書に見える後漢の時、大賢人と称された人である。

震より彪に至る四世にわたって、相い繼いで三公である太尉となり、清廉潔白なる高風は人天の間に播きわたったものである。

楊燕君は、漢の「四世太尉」の末裔であり、やはり、先祖のように華陰の地に居り、門を開いて崋山の蓮花峰の秀色を眺めているのであろう。

 

 

 

 

李白 訳注解説 748遊揚州江陽縣廬江一帶

 

 

748年天寶七年  戊子 玄宗

高力士為驃騎大將軍。 賜祿山鐵券。 楊釗判度支事。

貴妃姊三人皆封國夫人。哥舒翰築神威軍應龍城。吐蕃不敢近青海。

李白四十八。遊揚州江陽縣廬江一帶。

 

748-01   

  口號王美人半醉(卷二五(二)一四八五0分割

  風動荷花水殿香,姑蘇臺上見王。

西施醉舞嬌無力,笑倚東窗白玉床。

 

748-02

  王送杜秀芝舉入京(卷十八(二)一○六四)0分割

秀才何翩翩!王許回也賢。

暫別廬江守,將遊京兆天。

秋山宜落日,秀木出寒煙。

欲折一枝桂,還來雁沼前。

 

748-03

  送楊燕之東魯(卷十七(二)一○三七) ③分割

關西楊伯起,漢日舊稱賢。四代三公族,清風播人天。

夫子華陰居,開門對玉蓮。

#2

何事歷衡霍,雲帆今始還。君坐稍解顏,為我歌此篇。

我固侯門士,謬登聖主筵。

#3

一辭金華殿,蹭蹬長江邊。二子魯門東,別來已經年。

因君此中去,不覺淚如泉。

 

748-04

  寄上王三首其一(卷十四(一)八九二)0分割

淮王愛八公,攜手綠雲中。

小子忝枝葉,亦攀丹桂叢。

謬以詞賦重,而將枚馬同。

何日背淮水?東之觀土風。

 

748-05

  寄上王三首其二(卷十四(一)八九三)

坐嘯廬江靜,閑聞進玉觴。

去時無一物,東壁挂胡床。

 

748-06

  寄上王三首其三(卷十四(一)八九四)0分割

英明廬江守,聲譽廣平籍。

灑掃黃金臺,招邀青雲客。

客曾與天通,出入清禁中。

襄王憐宋玉,願入蘭臺宮。

 

748-07

  廬江主人婦(卷二二(二)一三○六)0分割

孔雀東飛何處棲?廬江小吏仲卿妻。

為客裁縫君自見,城烏獨宿夜空啼。

 

748-08

  敘舊贈江陽宰陸調(卷十(一)六八四)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》

#1

太伯讓天下,仲雍揚波濤。清風蕩萬古,跡與星辰高。

食東溟,陸氏世英髦

#2

多君秉古節,岳立冠人曹。風流少年時,京洛事遊遨。

腰間延陵劍,玉帶明珠袍。我昔鬥雞徒,連延五陵豪。

#3

邀遮相組織,呵嚇來煎熬。君開萬叢人,鞍馬皆辟易。

告急清憲臺,余北門厄。

#4

間宰江陽邑,剪棘樹蘭芳。城門何肅穆!五月飛秋霜。

好鳥集珍木,高才列華堂。

#5

時從府中歸,絲管儼成行。但苦隔遠道,無由共銜觴。

江北荷花開,江南楊梅鮮。

#6

挂席候海色,乘風下長川。多酤新豐醁,滿載剡溪船。

中途不遇人,直到爾門前。大笑同一醉,取樂平生年。

 


74848歳 玄宗 天寶七年3

送楊燕之東魯(卷十七(二)一三七) -#1

全唐詩巻176-31

李白集校注卷十七(二)一○三七

李太白集巻16-34  P-733

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748-01   

送楊燕之東魯  #1

(李白が揚州、金陵あたりにいたころ、楊燕が南方を旅行して李白のもとに来た、そして、東魯に行くというので送別したもの。)

關西楊伯起,漢日舊稱賢。

関西の楊伯起は、後漢書に見える後漢の時、大賢人と称された人である。

四代三公族,清風播人天。

震より彪に至る四世にわたって、相い繼いで三公である太尉となり、清廉潔白なる高風は人天の間に播きわたったものである。

夫子華陰居,開門對玉蓮。

楊燕君は、漢の「四世太尉」の末裔であり、やはり、先祖のように華陰の地に居り、門を開いて崋山の蓮花峰の秀色を眺めているのであろう。

#2

何事歷衡霍,雲帆今始還。

君坐稍解顏,為我歌此篇。

我固侯門士,謬登聖主筵。

#3

一辭金華殿,蹭蹬長江邊。

二子魯門東,別來已經年。

因君此中去,不覺淚如泉。

 

(送楊燕之東魯)

關西の楊伯起,漢の日 舊もと賢と稱さる。

「四代三公」の族,清風 人天に播く。

夫子 華陰に居し,門を開いて 玉蓮に對す。

#2

何事ぞ 衡、霍を歷て,雲帆 今始めて還る。

君坐して 稍や顏を解き,我が為に此篇を歌え。

我 固より 侯門の士,謬って登る 聖主の筵。

#3

一たび 金華殿を辭し,蹭蹬す 長江の邊。

二子 魯門の東,別來 已に 年を經たり。

君が此の中より去るに因って,覺えず 淚 泉の如きを。

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷十七(二)一○三七

176-31

16-34  P-733

詩題

送楊燕之東魯(卷十七(二)一○

文體

五言古詩

 

詩序

0

     初句

關西楊伯起,

天寶四年  745  45

 

作地點

揚州・金陵

及地點

華陰(京畿道、華州、華陰縣)

 

太華山,東魯

 

衡山、天柱山、南嶽

 

霍山、衡山、天柱山、

0

 

交遊人物/交遊地點

楊燕

 

 

  送楊燕之東魯

關西楊伯起,漢日舊稱賢。四代三公族,清風播人天。

夫子華陰居,開門對玉蓮。

何事歷衡霍,雲帆今始還。君坐稍解顏,為我歌此篇。

我固侯門士,謬登聖主筵。

一辭金華殿,蹭蹬長江邊。二子魯門東,別來已經年。

因君此中去,不覺淚如泉。

後漢書楊震字伯起𢎞農華陰人少好學明經博覧無不窮究諸儒為之語曰關西孔子楊伯起 

永寧元年代劉愷為司徒延光三年代劉愷為太尉震子秉延熹五年

代劉矩為太尉秉子賜熹平二年代唐珍為司空五年代袁隗為司徒光和五年拜太尉賜子彪中平六年代

董卓為司空其冬代黄琬為司徒興平元年代朱雋為太尉自震至彪四世太尉徳業相繼與袁氏俱為東京

名族云三公舊本或有作五公者楊註以三公為是𤦺神按後漢書諸袁事漢四世五公陳子昂梓州司馬楊君

道碑迨震秉彪賜四代五公光烈昭於漢室盛徳充於海内李頎詩漢家名臣楊徳祖四代五公享茅土五公

 

謂太傅太尉司徒司空大将軍也楊氏四世但為三公未有登太傅大将軍之位不知諸書何以言之然其語

則巳所本末可以為誤也太平寰宇記華州華陰縣以在太華山之陰故名之華山有蓮花峯以形似蓮花故

名玉蓮葢指此或謂指玉女蓮花二峯而言或謂華山記云山頂有池生千葉蓮花服之羽化昌黎詩所謂太

華峯頭玉井蓮花開十丈藕如船玉蓮似指玉井蓮也。

史記正義括地志云衡山一名岣嶁山在衡州湘潭縣西四十一里太平寰宇記霍山一名衡山一名天柱山

在壽州六安縣南五里爾雅霍山為南岳註云即天柱也

漢武帝以衡山遼逺䜟緯皆以霍山為南岳故祭其神于此今其土俗皆呼南岳大山黄庭内景玉經曰霍

山下有洞房二百里司命君之府也有西北東南二門其中有五香芝飛華金瓶之寳神瞻靈𤓰食之者得仙

江南通志霍山在廬州府霍山縣西北五里漢武帝南巡以衡山阻移祭此山又名南岳山馬融廣成頌

雲帆施蜺幬列子夫子始一解顔而笑

三輔黄圖未央有金華殿劉琨詩據鞍長嘆息淚下如流 

 

《送楊燕之東魯》現代語訳と訳註解説

(本文)

送楊燕之東魯  #1

關西楊伯起,漢日舊稱賢。

四代三公族,清風播人天。

夫子華陰居,開門對玉蓮。

 

(下し文)

(送楊燕之東魯)

關西の楊伯起,漢の日 舊もと賢と稱さる。

「四代三公」の族,清風 人天に播く。

夫子 華陰に居し,門を開いて 玉蓮に對す。

 

(現代語訳)

(李白が揚州、金陵あたりにいたころ、楊燕が南方を旅行して李白のもとに来た、そして、東魯に行くというので送別したもの。)

関西の楊伯起は、後漢書に見える後漢の時、大賢人と称された人である。

震より彪に至る四世にわたって、相い繼いで三公である太尉となり、清廉潔白なる高風は人天の間に播きわたったものである。

楊燕君は、漢の「四世太尉」の末裔であり、やはり、先祖のように華陰の地に居り、門を開いて崋山の蓮花峰の秀色を眺めているのであろう。

 

(訳注)

送楊燕之東魯  #1

1. (李白が揚州、金陵あたりにいたころ、楊燕が南方を旅行して李白のもとに来た、そして、東魯に行くというので送別したもの。)

2. 【題意】後漢の「四世太尉」と称された弘農郡華陰の楊氏の子孫といわれる楊燕が南方旅行から帰る際、李白と会し、楊燕が東魯に行くというので送って作ったものである。

3. 楊燕 永寧元年、劉愷に代って司徒と為し、延光三年、劉愷に代って太尉と為る。震より、秉、延熹五年劉矩に代り、太尉と為り、秉子、熹平二年賜、唐珍に代り司空と為る。五年袁隗に代り司徒と為り、光和五年、太尉を拜し、賜の子、彪、中平六年代、董卓、司空と為し、其の冬、黄琬に代り司徒為り、興平元年、朱雋に代り太尉と為す。震より彪に至る四世、相い繼いで太尉、業と徳し、袁氏と俱に東京の名族を為すと云う。とある。

● 弘農郡華陰の楊氏が「四世太尉」と称される由縁

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   楊震…太尉⇒司徒
   楊秉…太尉
   楊賜…司空→司徒→司徒→太尉→司空
   楊彪…司空⇒司徒→司空→太尉
 輩出人数は4人とであるが、延べ数では袁氏に並ぶ12公。特に楊賜などは5度も公に就いている。「四知」の楊震や、後漢末の楊彪など有名なものを多く輩出した楊氏である。最期は漢魏革命を越えて、楊彪が魏の文帝から光禄大夫の待遇を受けるに到っている。

關西楊伯起,漢日舊稱賢。

関西の楊伯起は、後漢書に見える後漢の時、大賢人と称された人である。

4. 關西楊伯起 後漢書、「楊震、字伯起、𢎞農華陰の人。少にして學を好み、經に明らか、博覧、窮究せざる無し。諸儒、之れが語を為して曰く、關西孔子楊伯起。」とある。

 

四代三公族,清風播人天。

震より彪に至る四世にわたって、相い繼いで三公である太尉となり、清廉潔白なる高風は人天の間に播きわたったものである。

5. 三公族 代の官制において、最高位に位置する3つの官職をいう。その起源は周王朝に始まるといわれる。 概要[編集]. 周においては、太師、太傅、太保の3官職が三公と呼ばれていた。周では宮廷の庭に  えんじゅ  の木が植えられ、三公は政務の際に槐に向かって座す定めであったため、三槐とも雅称される。

 

夫子華陰居,開門對玉蓮。

楊燕君は、漢の「四世太尉」の末裔であり、やはり、先祖のように華陰の地に居り、門を開いて崋山の蓮花峰の秀色を眺めているのであろう。

6. 華陰 太平寰宇記に、「華州華陰縣、太華山の陰に在るを以て、故に之を名づく。」とある。

7. 玉蓮 華山に蓮花峯有り、以て蓮花に形似す、故に玉蓮と名づく。葢して此れを指し、或いは玉女、蓮花の二峯を指すと謂う。而して言い、或いは華山記に謂うて云く、山頂に池有り、千葉の蓮花を生じ、服之羽化。昌黎詩、所謂太華峯の頭には玉井蓮花、十丈藕を開き船玉蓮の似たるが如し、玉井蓮を指す也。