749年 6-3《「胡關饒風沙」詩(古風五十九首之十四 -#3)(卷二(一)一一八)》

 

2018415日の紀頌之"6"つの校注Blog

2018415

の紀頌之"6"つの校注Blog

古風五十九首之十四 -#3

答馮宿書〔#04(§1-4)〕

錦樹行#1

更漏子二首其一

雜詩九首其九 贈故人二首其二

2.『漢書』の編纂

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

花間集

玉臺新詠

古代史女性論

 

 

2018415

の紀頌之"6"つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説

Ⅰ李白詩(李白集校注)      LiveDoor

749年 6-3《「胡關饒風沙」詩(古風五十九首之十四 -#3)(卷二(一)一一八)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10506

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注      LiveDoor

807年-10 元和二年40歳《答馮宿書》〔#04(§1-4)〕Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之Blog10507

Ⅲ 杜詩詳注                  LiveDoor

767年-246#1 錦樹行(卷二○(四)一八○八)#1卷二○(四)一八○八注(1258) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10452

杜甫詩 全詩 総合案内 

Ⅳブログ詩集漢・唐・宋詞  fc2Blog

花間集 訳注解説 (417)回目《孫光憲巻八24更漏子二首其一》 漢文委員会

.唐五代詞詩・女性・玉臺新詠     Livedoor

玉臺 巻四巻4•3-2-9-1雜詩九首其九 贈故人二首其二 3.鮑照   Ⅴ漢文委員会

Ⅵ唐代女性論ブログ唐代女性論

(Ⅲ 女性文学者班昭とその家系(班家の人びと)) 《§-3 班固と『漢書』》Ⅲ-§-3-2.『漢書』の編纂 漢文委員会

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/


  

749年 6-3《「胡關饒風沙」詩(古風五十九首之十四 -#3)(卷二(一)一一八)》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10506

両軍合わせて三十六万人もの兵士が死に、百万を超える人びとが流すかなしみのなみだは雨のようだ。

家族のかなしみをすべて背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑を営んでいけるというのだろうか。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。

李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。             

春風知別苦,不遣柳條青。             

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

我乘素舸同康樂,朗詠清川飛夜霜。

昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

裂素寫遠意,因之汶陽川。             

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

 

11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七

送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽       全唐詩 巻176-33

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。             

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。             

高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。             

我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。             

君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。             

 

雁門関 38 

                

 

 

6.《古風,五十九首之十四》  3

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10506

 

 

 

古風五十九首之十四“胡關饒風沙”

製作年:  749  天寶八年  49

卷 別: 李白集校注 巻一

全唐詩   卷一六一 

文 體: 五言古詩 

詩 題: 古風,五十九首之十四 

 

古風,五十九首之十四  1

西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたこと、749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事を詠う。

胡關饒風沙,蕭索竟終古。

辺境にある関所塞は砂漠で風と砂塵が常に多く蕭索として寂しげな景色が広がって未開の地で殺風景である。それは大昔から今も同じ状態なのだ。

木落秋草黃,登高望戎虜。

木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。

荒城空大漠,邊邑無遺堵。

荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。

白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。」

白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』

 

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。

どうして、毎年のように戦争が絶えないというのはなぜなのか、この辺境に侵略して陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、「天驕子」とうぬぼれる匈奴は武力を悪用し、毒毒しくするからである。

赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

こうした事実を踏まえてわれわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。

陽和變殺氣,發卒騷中土。」

こうして西域は麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。 

両軍合わせて三十六万人もの兵士が死に、百万を超える人びとが流すかなしみのなみだは雨のようだ。

且悲就行役,安得營農圃。 

家族のかなしみをすべて背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑を営んでいけるというのだろうか。

不見征戍兒,豈知關山苦。 

見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。

李牧今不在,邊人飼豺虎。 

李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。

 

(古風,五十九首之十四  1

胡関 風沙靡く、粛索 責に終古。

木落ちて 秋草黄ばみ、高きに登りて 戎虜を望む。

荒城は 空しく大漠、辺邑に 遺堵無し。

白骨 千霜に横たわり、嵯峨として 榛葬に顧わる。」

 

借問す 誰か陵虐す、天騎 威武を毒す。

我が聖皇を赫怒せしめ、師を労して 輩鼓を事とす。

陽和は 殺気に変じ、卒を発して中土を騒がしむ。」

 

三十六万人、哀哀として、涙 雨の如し。

且つ悲しんで、行役に就く、安くんぞ農圃を営むを得ん。

征戊の児を見ずんば、豈 関山の苦しみを知らんや。

李牧 今在らず、辺入 豺虎の飼となる。

 

banri03 

『古風,五十九首之十四』 現代語訳と訳註

(本文)

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。

且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。

【案:一本此下有以下四句:爭鋒徒死節,秉鉞皆庸豎。戰士死蒿萊,將軍獲圭組。】

李牧今不在,邊人飼豺虎。 

 

(下し文)

三十六万人、哀哀として、涙 雨の如し。

且つ悲しんで、行役に就く、安くんぞ農圃を営むを得ん。

征戊の児を見ずんば、豈 関山の苦しみを知らんや。

李牧 今在らず、辺入 豺虎の飼となる。 

 

(現代語訳)

両軍合わせて三十六万人もの兵士が死に、百万を超える人びとが流すかなしみのなみだは雨のようだ。

家族のかなしみをすべて背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑を営んでいけるというのだろうか。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。

李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。

(訳注)

古風,五十九首之十四  #2

十四 (西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたこと、749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事を詠う。

この詩は、玄宗皇帝の749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事、その年まで、天宝6載(747年)、王忠嗣が軍を進めなかった罪で弾劾された。天宝7載(748年)、青海地方に城を築いて吐蕃を破り、青海に近づかせなかった。西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたことを詠っている。

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

三十六萬人、哀哀淚如雨。
両軍合わせて三十六万人もの兵士が死に、百万を超える人びとが流すかなしみのなみだは雨のようだ。

20. 三十六萬人 吐蕃と唐との戦で死んだ人を象徴的に詩的表現と考える。于仲通(693年-755年),名向,字仲通,是中国唐朝河北道阳(今天津市蓟县)人,寄籍南道新政。他和国忠勾,得任度使,天宝十751年),率兵攻打南,在南(今云南省姚安)大兵六万。国忠掩盖他的败绩,推荐于仲通京兆尹,后来被官。有《于向集》。


且悲就行役、安得營農圃。
家族のかなしみをすべて背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑を営んでいけるというのだろうか。
21. 安得 安は何と同じ。前の聯句は対句を無視して強調され、この聯に受けて、且悲:安得と強調している。
22.
 行役 国境守備などの兵役。

23. 農圃 田畑、果樹園。


不見征戍兒、豈知關山苦。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。
24.
 不見 君不見・・・と同じ。 

25. 関山 関は関所、塞。国境の山山。


李牧今不在、邊人飼豺虎。』
李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。
26. 李牧 (り ぼく、生年不明―紀元前229年)は中国春秋戦国時代の趙国の武将。『史記』「廉頗蘭相如列伝」において司馬遷は李牧を、「守戦の名将」としている。は趙の北方、代の雁門に駐屯する国境軍の長官で、国境防衛のために独自の地方軍政を許されていた。警戒を密にし、烽火台を多く設け、間諜を多く放つなどとともに兵士を厚遇していた。 匈奴の執拗な攻撃に対しては、徹底的な防衛・篭城の戦法を取ることで、大きな損害を受けずに安定的に国境を守備した。