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749年 10-#4《寄東魯二稚子-#41(卷十三(一)八五八)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》》漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之の李白詩訳注解説Blog 10569

だから、姉弟ならんで歩いて行って、父の植えた桃樹の下にたっても、良い子だと二人の背中をいったい誰が撫で慈しんでくれるのだろう。誰もいないのである。

こんなことを思いやると気持ちが萎えてきて、物事の順序がわからなくなり、肝臓も腸も毎日毎日、憂いに煮られるように感じられるほどである。

白絹を裁剪して遠く離れている父の気持ちを詩文に書きしるし、故郷の汶水の流れに手紙を託して、その地に贈り届けたいと思うのである。

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條青。

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

我乘素舸同康樂,朗詠清川飛夜霜。

昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

裂素寫遠意,因之汶陽川。             

 

11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七

送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽       全唐詩 巻176-33

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。             

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。             

高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。             

我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。             

君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。             


 

 

 

 

10.《寄東魯二稚子》     

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

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 紫陽の弟子では、元丹邱の血縁だろうと思われる元演がいる。李白が元演とも交ったことは「冬夜隋州の紫陽先生の霞楼に於いて烟子元演の仙城山に隠れるに送る 序」に見られる。
この詩の中で元丹邱は霞子と呼ばれている。これによっても丹邱は金丹にからんでいると考えられる。
道教は老荘思想に基づいている。李白は「竹林の七賢」を模して、これらの道士以外、あるいは道士を目指していたかもしれないが、山東での交友を「竹渓の六逸」と称して遊んでいる。ちなみに李白・孔巣父・韓準・裴政・張叔明・白陶
の六名である。しかし、この交友関係は後に、呉、玉真公主等を通じて宮廷への推薦となっていくのである。

 山東は、四川の彰明とともに、李白の故郷となっている処である。四川は生まれ育った故郷であるが、山東、趙郡には李氏の一族が多く、李白にとって居心地のいいところで、永く住むことになったのだ。

後に孔巣父らに杜甫も加わって遊んでいる。杜甫も李白を山東の人と思っていただろう。李白は、ここで一婦人を娶って、一男を授かっている。彼は許圉師の孫女を娶って離縁し、劉氏を娶り、ここに於いて三度娶っている。

 

寄東魯二稚子       〈在金陵作〉172-23

(この詩は、李白が江南に行った時に、書に留めて置いた兒女二人に寄せたもの)

地桑葉綠,蠶已三眠。    

我がいるこの呉の地では今、桑の葉が緑あざやかであり、呉の蚕も、すでに三眠の時期に入り、蚕も繭を造りそうになっている。

我家寄東魯,誰種龜陰田。    

わが家族は、東魯に寄寓していて、自分がいないので、誰か亀陰の田に植え付けをするのであろうか、とてもそのようなこともできず、きっと、荒蕪に任せるしかないであろう。

春事已不及,江行復茫然。

春の時期にすべき農事の世話をすることもできず、もう手おくれのことであろう、呉の江中を航行していて、この家族のことを考えると、茫然として為すところを知らない。

#2

南風吹歸心,飛墮酒樓前。

家族がいる東魯へ追い風となる南から風が吹くと、故郷に帰りたい心をかきたたせて吹くのであるが、私の心は、東魯の家の前の居酒屋の前に飛んで行くのである。
樓東一株桃,枝葉拂青煙。

その酒楼の東には 一株の桃の木があり、初夏であるから、枝葉はすでに伸びて鬱蒼と茂って、青煙を拂うばかりである。 
此樹我所種,別來向三年。

そして、この桃樹は以前、私が種えたもので、この木に別れて、もう、三年になろうとしている。

桃今與樓齊,我行尚未旋。

桃樹はいま楼の高さと同じようになっているだろう、しかし、私の旅は今なお 東魯には帰らないでいる。

#3

嬌女字平陽,折花倚桃邊。

東魯の家には、二人の子供が留守をしている、やんちゃな娘の名前は平陽といい、物心つき始めた年頃で、花の枝を折りとったものの、父がいないから桃の木によりそっていることだろう。
折花不見我,淚下如流泉。

花を折りとったとしても、そこに私を見つけることができないから、きっと、涙を流れ落とすのは、流泉のようであろう。

小兒名伯禽,與姊亦齊肩。    

そして、男の子名は伯禽といい、背丈は、姐(ともう肩を並べる高さになっている。

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

#4

雙行桃樹下,撫背復誰憐。    

だから、姉弟ならんで歩いて行って、父の植えた桃樹の下にたっても、良い子だと二人の背中をいったい誰が撫で慈しんでくれるのだろう。誰もいないのである。

念此失次第,肝腸日憂煎。    

こんなことを思いやると気持ちが萎えてきて、物事の順序がわからなくなり、肝臓も腸も毎日毎日、憂いに煮られるように感じられるほどである。

裂素寫遠意,因之汶陽川。    

白絹を裁剪して遠く離れている父の気持ちを詩文に書きしるし、故郷の汶水の流れに手紙を託して、その地に贈り届けたいと思うのである。

 

 

(東魯の二稚子に寄す)
呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。

わが家 東魯に寄す、誰か種【う】うる亀陰の田。

春事すでに及ばん、江行また茫然。』
#2

南風 帰心を吹き、飛び 墮()つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
#3

嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚(る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
#4

ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日び 憂いに煎る。
(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを
陽川にたくす。』 

 

 寄東魯二稚子

  在金/陵作

地桑葉綠,蠶已三眠。我家寄東魯,誰種龜陰田。

春事已不及,江行復茫然。

南風吹歸心,飛墮酒樓前。樓東一株桃,枝葉拂青煙。

此樹我所種,別來向三年。桃今與樓齊,我行尚未旋。

嬌女字平陽,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。

小兒名伯禽,與姊亦齊肩。

雙行桃樹下,撫背復誰憐。念此失次第,肝腸日憂煎。

裂素寫遠意,因之汶陽川。

蠶將輙卧不食古人謂之俯 荀卿蠶賦三俯三起事乃大己是也。後人謂之眠本草蠶

三眠三起二十七日而老是也。

水經註龜山北即龜隂之田也春秋定公十年齊人來歸龜隂之田是也

太平廣記、李白自好酒於州習業平居多飲又於任城縣構酒樓日與同志荒宴、

客至少有醒時邑人皆以白

重名望其里而加敬焉劉琨詩據鞍長嘆息淚下如流泉

劉楨詩起坐失次第一日三四遷

鄭康成禮記註素生帛也顔師古急就篇註素謂絹之精白者即所用寫書之素也汶水已見本巻註 

 

 

《寄東魯二稚子》現代語訳と訳註解説

(本文)

雙行桃樹下,撫背復誰憐。      念此失次第,肝腸日憂煎。     

裂素寫遠意,因之汶陽川。     

 

(下し文)

#4

ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』

これを念うて 次第を失し、肝腸 日び 憂いに煎る。

(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』 

 

(現代語訳)

だから、姉弟ならんで歩いて行って、父の植えた桃樹の下にたっても、良い子だと二人の背中をいったい誰が撫で慈しんでくれるのだろう。誰もいないのである。

こんなことを思いやると気持ちが萎えてきて、物事の順序がわからなくなり、肝臓も腸も毎日毎日、憂いに煮られるように感じられるほどである。

白絹を裁剪して遠く離れている父の気持ちを詩文に書きしるし、故郷の汶水の流れに手紙を託して、その地に贈り届けたいと思うのである。

 

(訳注)

寄東魯二稚子 〈在金陵作〉

1. (この詩は、李白が江南に行った時に、書に留めて置いた兒女二人に寄せたもの)

2. 東魯 現山東省。李白が玄宗に召されて長安に上る前、都合十年以上拠点として住んでいたうち、任城(現済寧)残した家族に旅先から子供に寄せてこの詩を作った。

3. 稚子 幼い子供。・やんちゃな娘の名前は平陽といい、男の子名は姐ともう肩を並べる高さになっている伯禽という。

4

 

雙行桃樹下。 撫背復誰憐。 
だから、姉弟ならんで歩いて行って、父の植えた桃樹の下にたっても、良い子だと二人の背中をいったい誰が撫で慈しんでくれるのだろう。誰もいないのである。

 

念此失次第。 肝腸日憂煎。 
こんなことを思いやると気持ちが萎えてきて、物事の順序がわからなくなり、肝臓も腸も毎日毎日、憂いに煮られるように感じられるほどである。

15. 失次第 劉楨の詩に「起坐失次第、一日三四遷。」()

 

裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

白絹を裁剪して遠く離れている父の気持ちを詩文に書きしるし、故郷の汶水の流れに手紙を託して、その地に贈り届けたいと思うのである。

16. 裂素 白絹。 白絹を裁剪し以て繪畫作文す。

17. 遠意 遠くにいる者の気持。

18. 汶陽川 山東省を流れる川の名。汶水の北側の地方。

《嘲魯儒》「時事且未達,歸耕汶水濱。」(時事且つ未だ達せず、掃って耕す汶水の濱。この輩はいつの世になっても、もちいられることはなく、まことに厄介な人たちである。そのくせ、自ら標置することすこぶる高く、時事将に非して、吾志達せざる限りは、仕方がないから、汶水のほとりで田を耕して、其の身を清くするとし、決して「自分を穢すな」と余計なことをいっているのであるから大笑いの至りであると嘲る次第である。